ボディを少しアップして。って、まだクリーニングしてません、はい...。
PUは「フライングフィンガー」のカバーの Super 80。こちらはきれいだけど、ブリッジ、すごい腐食...。
紹介文面にあった通り、3バンドイコライザはミッドだけ、つまみがついている...。
ヘッド周りはかなりきれい。
シリアルナンバー。MADE IN JAPAN のシールも残っている。
バック。中央右の線は亀裂ではなく、ハードケースの蓋が写り(映り?)込んだもの。
ちょっと立ててみた。この頃のARは、ボディがやや薄い(=軽い)。
そして、上でも触れたように、ジュラルミン(?)製のがっしりしたフライトケース。普通なら、それこそ普通のハードケース、場合によってはソフトケースってこともあるのに、何でまた「プロ仕様」のこんなケースが...?
さらに気になったのが「速水 イバニーズ 黒」と書かれたガムテープと、シール...。
南国風の(?)イメージのシールには INOUE TAKAYUKI BAND の文字が...。ふむ、「井上尭之バンド」だよね、普通に考えて...。って、あまり良くは知らないんだけど、井上尭之の名前はもちろん知っていた。往年のグループサウンズ「ザ・スパイダース」のギタリストだったっけ...?
そして顔の部分がちょっと破られているけど、「速水清司」の名前...。本物かどうか分からないけど(笑)ストラトキャスターを弾いている...。ふむ...。
ってことで、PC のある部屋に戻り、Google にて検索。すると...!
以下、Wikipedia からの引用:
速水 清司(はやみ きよし、1951年2月3日 - )は日本のギタリスト、作曲家、作詞家、シンガー。鹿児島県沖永良部島生まれ、兵庫県神戸市育ち。元「ジプシー・ブラッド」、「井上堯之バンド」のギタリスト。また2001年より、元ザ・タイガースの森本太郎率いる「森本タローとスーパースター」のギタリスト。
へぇ〜っ! で、さらにその活動歴を見ると:
1973年、「井上堯之バンド」にギタリストとして加入し、沢田研二バックバンド、および萩原健一主演作品のサントラを中心に活躍。
1974年8月、福島県郡山市の郡山総合運動場開成山陸上競技場にて行われた日本初の本格的なロック・フェスティバル「ワンステップフェスティバル」に、沢田研二&井上堯之バンドとして出演。
1977年、ソロアルバム「どんな時にも・・・・・」アトランティック/ウォーターレーベルよりリリース。LPからのシングルカット「どんな時にも・・・・・ / ギターに愛をこめて」リリース。
1980年、「萩原健一Donjuan Rock'n'Roll Band」加入。
1982年、「大野克夫バンド」参加。
あちゃ〜...。となると(シリアルアンバーからすると)1979年10月くらいからは、このAR500BKを使用していたってこと...?
へぇ〜...。「井上堯之」はもちろん、あのジュリー(沢田研二)も目にしたであろうギターってことか...?(笑)<って、それはどうでもいいけど。
でも、いずれにしても稀有なモデルであるのは間違いないことで...。
ってことで、ICW の(恐らく信用して良い)情報によると:
Here's those production numbers for AR 500 model (credit and thanks to Jim Donahue)
1979
AR500AV 109
AR500BK 7
1980
AR500AV 276
AR500BK 46
AR500CS 84
1981
AR500AV 342
AR500CS 280
1982
AR500AV 282
AR500CS 164
Total
AR500AV 1009
AR500CS 528
AR500BK 53
AR500 1590 total built
ってことで、1979年に製造された7本のうちの1本らしい...。ってことで、「いい加減、ギター、処分しなきゃ...。」と思いつつも、はい、今回、思わず買っちゃいました...。もうしません...。(涙)
(ここまで2014年12月14日 記載)
コレクションのページへ戻る