世捨て人講座 Part5
---精神的隠遁生活の道標---
目次
その41 「傘がない」篇
その42 「割り算」篇
その43 「物言い」篇
その44 「標語」篇

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その41 「傘がない」篇
 う〜む、このコーナー、1年以上、更新していなかったぞ...。(笑)

 さてさて、私が世情に非常に疎い生き物(笑)であることは、このコーナーの熱心な読者(そんなヒマな人はいるのか...?)はきっとご存知のことだろう。

 「政治に無関心」と言うと、何だか「一般人として、社会人としての心構えができてないのじゃないのかっ!?」と謗られてしまいそうだけれど、私自身の言い分としては「脱税しているなら話は分かるけれど、きちんと納税しているし、特に反社会的な行動(殺戮やテロなど)に関わっている訳でもないんだから、放っておいてくれ。」というところだ。(意味不明の逆ギレ。(笑))

 というか、選挙にもちゃんと投票しているし(笑)、(納税も含めて(笑))それなりのことはしているつもりだけれど、それでもやはり「政治に無関心」である。

 日本という国に対しては、それはやはり母国であるから強い愛国心とまでは行かないにしても、(ちょうど自分を産んでくれた親を選べなかったのと同じ意味で)受け入れざるを得ないものであると思うし、またその行く末(?)も気になるものであるのは間違いない。
 しかし、だからといって、仮に私が「政治通」になったり「政治マニア」になったり(意味不明)、あるいは、「よし! この国を変えていくぞ! それこそが私の使命なんだ。」と思ったりすることはないというだけのことである。
 と言うか、もっとはっきり書くと、日本の政治家たちってのは、う〜ん、何て言うんだろう、一言で言い切ってしまうと、信用ならない、のである...。(爆) あ、いや、別に「外国の政治家たちが優れている」という意味ではなくって。
 ま、私自身、政治的な信条(?)を持っている訳でもないし、特定の政党を支持している訳でもない、ということだけは明言しておきたい(<何のために?)ところだが、それでも、政治家ってのは、う〜ん、何だか、どいつもこいつも(笑)胡散臭い...。(かく言う私自身、かなり胡散臭い人物であることは当の本人が認識しているのだから間違いないことだが。(爆))

 「この世の中を、平和で、そして少しでも住みよいものに!」という熱い信念だけで動いているような人も、きっと政治家(とひと括りにしていいのかどうか分からないけれども)の中には、奇特な存在だろうけれども、いることだろう。(と言うか、そう信じたい。) だけど、私の知る限り、政治の世界というのは、かなり甘っちょろいものである。(うわ、すごいこと書いているぞ。(笑))

 頻発する汚職事件を考えてみてもそうだと思う。不祥事が発覚すると「みそぎ」とか何とか称して一定期間のみ鳴りを潜めているけれども、いつのまにかまた臆面もなく表舞台に出てたりする訳で、何だか、そんなのは信じられない。例えば選挙違反があったとしたら、それがどれほど微細なものであっても本人が関与しているかぎりは、もう、一生、立候補する権利を剥奪すべきであると思うのだけれど、どうやらそういう考えなどは一笑に付されるのがオチであるようだ。

 ということで、このところマスコミを賑わせている、一連の(?)「国会議員の国民年金未納問題」。<これが今回の本題。(笑)

 詳しいところは何も知らないのだけれど、私なりにまとめると「国民年金制度というのは、現在の日本では大きな社会問題となっていて、それは国会などでも論議されていることである。ところが、その議題を取り扱っている議員の中に、過去、未納だった時期があるような人物がいる。何てけしからん話だ!」ということのようで、その結果、該当する政治家たちは役職を辞したり、党の代表から降りたりしている、ということらしい。(多分、だが。)

 だが、私の感じ方としては、う〜ん、全て茶番劇、って感じである。(爆)
 
 詳細なことは、ほんと、知らないんだけれど、そして知りたいとすら思わないんだけれど、民主党の小沢氏が、やはり同じような内容で、前の幹事長(党首?)で辞意表明をしていた菅氏の後任となるはずだったのが、やはり「年金未加入が発覚」したとのことで、「民主代表を辞退」するとのこと...。

 う〜ん、官房長官が失脚したり、色々あったみたいだけれど、一体、何だって言うんだろう...。

 いや、私自身、「年金問題」ってのが分かっていないんだが(爆)、それが(あ、つまり、それに加入していなかった時期があるということが)問題となるのであれば、そしてそのことによって、何らかの「政治的な責任」(<意味不明))を取らなきゃいけないというのであれば、代表を降りるだとかせこいことは言わずに、いっそのこと、議員そのものを辞めてしまう方がいいんじゃないか...? どうせしばらく時が経てばのこのこと返り咲くつもりだろうし...。
 「責任を取る」とか、恰好良いことを言うのならば、今まで「議員生活」で蒙ってきた多大な恩恵(金銭的なものも含めて)を返上し、一介の市民として、どこかの会社に勤めるなりして暮らせよ、と言いたい私である。(爆) そして、間違っても「町議員選挙」などにも出るな!(爆)
 
 それか、あるいは、こういうことで引責するのはやめにして、「私達政治家は普通の国民じゃないんです〜! 他のところでガッポガッポ儲けているから、国民年金なんて関係ありません〜。老後のためには、そんな端た金、要らないっす〜!!」と開き直って、そのまま政治家としてあり続ければいいんじゃないか? どうせ何も変わらないのだし。<典型的な政治不信

 ってことで、タイトルにあるように、私としては、現在の政治状況なんてどうでもいい、むしろ、今から出かけようとするのに傘があるかないかが切実な問題であると感じる次第である。
(2004年05月18日書き下ろし)
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その42 「割り算」篇
 あ〜、ちょっと仕事でちょいと行き詰まってしまい、その腹いせ(意味不明)に駄文を書いて気を紛らわせたいと思う。

 世の中には「割り算」が好きな人がいる。しかも(?)、比率として結構多くいるんじゃないかと思う。

 などと意味不明のことで書き始めてしまったが、ここで言う「割り算」とは、いわゆる小学校、中学校でやってきた「割り算」というのとはちょっと異なっている。ま、四則演算(笑)の一つであるのは間違いないんだけれど、ちょっと違うのだ。従って、ここでの「割り算が好き」ってのはいつも頭の中で何桁かの数字を思い浮かべてそしてそれを任意の数で割って答えを出して楽しむ、ってことじゃない。(うわ〜、さらに意味不明だ...。)

 私が言いたいのは、日常の中に「割り算」を単純に持ち込む人のことである。

 例えば、う〜ん、20ページの論文(笑)を書かねばならないとしよう。そうすると、上記の「割り算が好きな人」ってのは、「そうか。では一日2ページ書いていけば10日で仕上がるぞ。」と考える。また100問の問題を作成するとすれば(笑)、「なるほど。では一日10問作れば10日でできあがりだ。」とか「一日20問作れば僅か5日で仕上がる!」と考える人である。

 う〜む...。ある意味、非常に単純明快で分かりやすい人なのかもしれないし、本気でそう思っているのならば、それは、何と言えばいいのか、とてもおめでたい、って気もする...。(そして、別に皮肉で言う訳じゃないけれど、そういう人生が送れれば、それはとても幸せなのかもしれない...。)

 もちろん、仮に、ここに100枚のB4用紙があって、それを二つ折りにすればB5サイズになるわけだが(笑)、その100枚を一日に10枚ずつ折る、というような単純な作業と、上記のような現実の諸問題とを同一視するってことは、果たしてできるのか、ということである、私が言いたいのは。

 数という概念は、実に抽象的であるということは私も否定しない。赤ちゃん10人というのと、みかん10個っていうのは、ちっとも似たところがないが、「数」ということで言えば同じ「10」ということで共通していると言えないこともない。(爆) だが、果たして「うちには赤ちゃんが10人いるんです。」という状況と「食卓の上のカゴに10個、みかんが入っている。」という状況とを「同じじゃん。」と言い切るだけの蛮勇(笑)というか、割り切り方(笑)ってのは、う〜ん、どうなんだろ...。(かなり意味不明)

 その蛮勇というか浅はかさというか、はたまた無神経さというか、ま、とにかくそういうものを持ち合わせていないかぎり、上記のように「一日10問作れば10日でできあがる。」と考えることはできないだろう。

 ってことで、もしも身の回りにそういうことをこともなげに言ってのける人がいたら要注意だ。(笑) その人は救いようのないおめでたい人か、無感情に何でもやってのける冷酷な超人か、あるいはあなたを安心させ窮地に追い込む悪意を持った人だ...。(爆)
(2004年11月03日書き下ろし)
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その43 「物言い」篇

 おおっとぉ〜...。このコーナー、1年以上放置していたのか!!(爆)
 
 ま、そんなことはどうでもいい。(笑) ってことで、今日は我が友、甲斐君の誕生日だ。せっかくだから、「その45」だったら良かったのだが、贅沢なことは言えない。(意味不明)

 きっと期待はしていないだろうが、HASENOBUからのプレゼント、しかと受け止めて欲しいところだ。(さらに意味不明)

 ということで、このところ、時間的にも精神的にも「駄文を書こう!!」とならなかったんだけれど、老体に鞭打ち書こうではないか!!

 唐突ながら、勝手に引用:
---以下、勝手に引用---
2005/12/19
 「あり得ない」という言葉を遣う若い人が増えた。どうも気になってしょうがない。なんでもかんでも「あり得ない」と言う表現をする。否定の時はほとんど「あり得ない」だ。おじさんは言ってやりたい!「そんなお前らの存在そのものがあり得ないのだ!」と。
 相変わらず「チョー○○」も多い。「超」を何にでも付けているわけだが、漢字で書ける若者はどれくらいいるのだろうか。もしかしたら「チョー」を漢字では書けないかもしれない。もはや「チョー」は「超」では無いのかもしれない。
 なんだか腹が立ってきた。腹が立つと言えば「ムカつく」だ。昔はあまり遣わなかったと思うが。どちらかというと「吐き気を催す」という意味が強かったと思う。
 「意味」というと、「意味がわからない…」という表現をする若者が多くなった。これも聞いていて不快感を覚える。「わけがわからない」と「意味がわからない」では意味が違う。
 まあ、結局今年もぼやいて終わってしまうのだなぁ…。
---以上、勝手に引用---

 ってことで、上の引用は、たまたま開いたギターショップのサイトのオーナー(?)の「ぼやき」である。<滅多に見ないんでどこなのか忘れた...。(笑)

 ま、それはそれとして、この「おじさん」が憤っていることについては、はい、ここのおじさんも全くの同感。(笑)>ただし、「遣う」という表記には異論を唱えたいが。(笑)

 職業柄、18〜20歳くらいの女の子と接する機会(笑)が多いわけだけれど、そういう女の子たちを見ていると、上記の引用で述べられている内容は、如実に実感することが多い。

 「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」...。

 いきなり南総里見八犬伝を思い出してしまったけれども、こういう「徳」ってものが、今の若い世代にはきちんと伝えられていないのではないだろうか...?>話が飛びすぎ。(爆)

 世の中、って一口で言えるようなものじゃないんだけれども、何だかなぁ、って思うことの方が圧倒的に多い...。
 ま、他人事みたいに書いているけれども、「社会」の、恐らくは中核部を構成している(かもしれない)甲斐君や私(<並べる意味なし〜!)の年齢の者には、それ相応の「責任」ってのがあるのだろうと思う...。

 古いと言われようと、頭が固いと罵られようとも、今こそ、この「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」が重視されてもいいはずだ!!<言い切ってる...。

 ということで、きっと今では社内でそれなりのポストに就いているはずの甲斐君よ、この「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」を社訓に加えるような活動をしてもらえないだろうか...?(爆)<ま、天皇制には批判的な私がこういうことを言うのも問題あるが...。(爆)
 
 ま、いずれにしても、2回四捨五入すれば100歳になるような歳になったわけだし、これからの人生を、好きに生きて生きたいと強く思う今日この頃である...。
(2006年01月30日書き下ろし)
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その44 「標語」篇
 私は、標語が嫌いだ。(意味のない宣言)

 短歌や俳句など、私には鑑賞できないけれど、確固たる文学形式だと思うし、そして、「川柳」なども、それはそれで好きである。
 が、いわゆる「標語」となると、ま、もちろん、色んなパターンがあるのだろうけれど、道路脇に設置されたたて看板(?)などに書かれている標語は、何て言ったらいいのだろう、何だか好きになれない...。

 「おみやげは 無事故でいいの お父さん」とか、もう、切なさ100%だ。心地よく運転している時にしんみりしたくなんかないぞ!(爆)

 一方では家族愛(?)をテーマにしたものなどもあったりして、それはそれで、う〜ん、押し付けがましいし...。

 このようなたて看板は多くの場合、学校の近辺の国道や県道沿いに見受けられ、しかも、往々にして、その末尾にはちょっと小さめのフォント(笑)で、「宮里小 5年 内田真理」とか書かれてあって、それはそれで何だか鼻につく。(意味不明)<あ、ちなみに今のは捏造した学校名と氏名。)

 こういったたて看板が街並み、あるいは田舎の素朴な風景を台無しにしていると考える人はいないのか...。
 そうでなくとも(?)こっちは安全運転を心がけているのに、道端にそんな文言が並んでいるとそっちに気を取られて前方不注意になってしまうじゃないか!!(爆)
 小さいなら小さいで文字の判読に困るし(笑)、大きければ大きいで、それが邪魔になってその陰から子供が飛び出したりしたら、もう、笑い事じゃ済まされない...。

 さて、このような駄文を書いているのには理由と言うかきっかけがある。

 今日、職務上のことでとある県道を骨折セリカで走っている最中に、数多く見かけたものの中で、なかなかインパクトのあるものを見かけたからだ。(意味不明)

 まずその一つ目。

 「飛び出しは 命を失くすよ やめとこう」

 いや、じっくりと味わいつつ読んだのではないんで、文言は若干異なるかもしれない(笑)が、ま、そういう主旨のものだ。

 もちろん、小学生の作品(と呼べるのか?(笑))なんだけれども、そういう、生き死に関わるようなことを題材にしつつ、「やめとこう」と、事も無げに思いとどまることを示唆するような書き方...、これはちょっと驚きだ...

 そして、あろうことか、そのすぐ近くには:

 「殺人は みんな悲しむ やめようよ」

 おいおい...。もう、開いた口が塞がらない、って感じだ...。これも小学生の作品なんだけれども、一体どういう家庭環境なのか...? あるいはどういう地域なんだろう、という心配すらしてしまう...。まるで、その辺り一体では殺人が日常茶飯事であるかのような印象を与えると思うんだけれど...。いたいけのない(?)小学生が「やめようよ」と諭さねばならないほど殺人が頻繁に行なわれているとでもいうのか...?(爆)

 う〜ん...。どういういきさつでこういうたて看板が立てられているのか分からないけれども、「命の大切さ」をテーマにして標語を作ろう!、というような授業が行なわれたのだろうなぁ...。

 しかし...。

 命が大切だということ、尊いことであることを否定する気持ちはさらさらないけれども、それでもこの標語はあんまりじゃないのかなぁ...。

 ということで、私も一句:

 「耳の中 沸騰したお湯 入れないで」

 こんな作品ならいくらでもできるぞ。(爆)
(2006年10月05日書き下ろし)
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