メールで話そう

第2弾 モノの価値 ひとの価値


ページ1へ戻る
ページ2へ戻る
ページ3へ戻る


お願い: このコーナーでは読んでくれた人からの意見や感想を待ってます。
メールでHASENOBU、雪見の両方に同時に送ってくださいね。
反対意見ももちろん歓迎だよ〜。掲載されたくないという人はその旨明記しといてね。

 
HASENOBU、雪見へのメール(同時発信)



No.28 1999年12月8日 HASENOBU → 雪見

 こんにちは、雪見さん!
 さて、もう今年もあと2週間ばかりを残すだけとなりました。広島では少し湿りがちな天気が続いていますが、もうすぐ雪も降るのでしょうね〜。

 さて、私は前回「もう少し言いたいことがありますが」と言っていましたが、急激な健忘症により(爆)、それが何だったのか思い出せません...。
 
 ということで(笑)、いきなりですが、この「モノの価値 人の価値」を始めた頃に、とある人の発言に対して私が書いて送った私のメールからの引用を...。(ちなみに個人名は伏せていますが。)
--以下、引用---
 実際、私自身、まだ考えがまとまっていないし、これから先の雪見さんとのやり取りの中で、また変わっていくかもしれないんで現時点での話だけれど。

 上の引用部分で****が触れている幾つかの疑問(って、きっと****の中では疑問になってい
ないのかもしれない)について:
1. 意見の合う部分もあれば、どのように調整しても合わない部分がある。でも、それがいけないことなんだろうか?
 
 これについては、「いや、そんなことはない」と、あっさり私は答えているけれど(笑)、追加補足。いや、決していけないことじゃないし、むしろ「合わない部分がある」のが自然だし、だからこそ話題にする価値がある(笑)とさえ思う。しかし、だからと言って私は彼女(或いは読者)に自分の考えを押し付けるつもりは、さらさら、ない。付け加えて言うと、私自身、雪見さんとはいくら言葉を尽くしても分かりあえない部分があるんだろうな、と思ってますが。(って、別に、彼女に限らず、私の妻にしても、子供にしても。)

2. そしてその違いの部分について話し合うのがあのメールで話そうのテーマになってきますよね?

 違いの部分をどう捉えるかにもよるけれど、「共通する部分」と「違う部分」の両方を扱うことになるような気もする...。というか、もしかしたら「共通する」と思われる部分が、全く異なるものかもしれない可能性はあるけれど。

3. その大事なことについての一致が恐らく見られないと判っている場合、その大事なモノについて話をするのは果たして賢明なのか?

 う〜ん、これは、難問。何をもって「賢明」とするか。
 「一致が恐らく見られないと判っている」のであれば、必然的に「不毛な議論」に終始することになる可能性が高いのだろうけれども、より大きな視野に立てば、それでもそこから何が引きだせるかもしれない。(だからこそ、の企画だと思う。) 極端かもしれないけれども今回のテーマも究極的には「人生の意義、その目的」だとかに連なってゆくものだし...。

4. この話の中で大事なものが心の中でもっとも大事なモノだった場合、扱いは更に慎重になりますよね?

 うん、なると思う。
 ただ、ちょっと気になっているのは、ここで****が「もっとも大事なモノ」という言葉で表現しているものが、その前の方で出ていた「見解の一致」ということになると、話はややこしくなると思う。それを指していたのかどうか、私には分からない。以前の話の中で「自分が人に影響すること」が、とても大きな意味を持つ、ということを****が言っていたことを念頭に置いていたんで。「人に影響する」ということは、そもそも、その相手との見解の相違を前提としたものですよね? もともと全く同じだったのならば影響しようがないでしょうし。

5.包み隠さずその部分を話すとすれば、それを大事に扱ってもらいたいんです。そうでないと話したくもない。でも、それを大事にしない人がいたとしたら?

 うん、大事に扱ってもらいたい、というのは、もちろん、分かる。「ある人の価値観を否定すること、蔑ろにすること」は「その人の人格を否定すること」に繋がりかねない、というのも。
 だけれども、私が思うには、それを自分に影響するものとして捉えるかどうか、は個々人によって違っているのではないか、ということ。平たく言うならば、人がどう思おうと、自分は自分の価値観を貫く、という姿勢を持っていてもいいのではないか、ということ。(もちろん、頑なな態度を持とう、というのではなく、です。)
 前に、シェイクスピアのロミオとジュリエットの中の「名前が何だというのだ?」という話をしましたよね。喩えとしてはふさわしくないかもしれないけれど、あれをちょっと思い出して欲しいところです。

6. それを話すことで何か発展があるのでしょうか?

 う〜ん、あるかもしれないし、ないかもしれない。(笑) ある人にとってはあるかもしれないし、また別の人にとってはないかもしれない。もちろん「それを大事にしない人」には、ない。(爆)

 ただね、思うに、それだけ自分が大切にしているものであれば、それを人目に曝すのも、悪くないのでは?(って、その「もの」次第だけれど。)
 そして人の目に曝して、そしてそれが人の手によってどういう扱いをされるのかを見てみるのも一つの見識だと思う、私は。
 未定だけれど「サンタクロースは実在するのか?」ということを持ち出そうと思ってるんだ、いずれ。(爆) そして、それに対する私の答えは「イエス」。恐らくは、馬鹿げてる、だとかのコメントが来るだろうけれども、それでも私の思いは変わらない。(って、「実在」ということに論点はあるのかもしれないんだけれど。)
 
7. 変わらないけど、そこにどんな感情が残るのか?

 う〜ん、これも今まで述べたことと関わるのだけれど、結局は本人の気持ちの持ち方一つでしょう。「けっ!」と来るか、「ふんだ!」と思うか、「ふむふむ...。それでも...。」と受け止めるか、色々ありそうです、はい。

 と、まあ、的を射ていない答えを書き並べたかもしれませんが。その時は、「あ、HASENOBU、また変な勘違いをしてらぁ...。」と片頬で笑って聞き流して下さいな。(笑)
--以上、引用--

ということで、このメールを私が誰に出したか、というのは問題ではないので詮索しないで下さい。(笑) ただ、上に引用したことが、この「モノの価値 人の価値」が「メールで話そう」の第二弾のテーマとなった時点で私が考えていたことなのだ、ということは、改めて記しておきたいです。
 そうです。「価値観」(という言葉の好き嫌いは別として)は、かなり頑固なモノで、個々人の中でそれを変えてゆく、というのは、ものすご〜く難しいことです。(少なくとも、私にとっては。)
 だからと言って、この「モノの価値 人の価値」での雪見さんとのメールのやり取りが無意味であったと言いたいのではないので、その辺のところ、誤解のないようにお願いしますね。

 以前の、差別に関する話の中でも出たように、明確な、そしてただ一つの答えが得られるとは、そもそも思っていませんでしたし、むしろ、他の人の意見(つまり、私が雪見さんの、そして雪見さんが私の、あるいは、他の人の)に耳を傾け、そして自分の考えを述べることで、抜本的ではないにしても、何らかの刺激を与えてゆくことができれば、それで目的の大部分は果たしたのではないかなぁ、と思っています。
 雪見さんは、前回のメールで「わたしたちは何をモタモタしていたんでしょう。」と嘆いておられましたが、それは仕方のないことです。(笑) 多分、数年(爆)、この話題で続けたとしても、同じだったように思いますが。劇的な変化、というものは、雪見さんや私のような人間には、難しいことでしょう。(爆) いや、別に偏屈だから、頑固者だから、ということではなく(笑)、それなりの(?)、枠組みを既に持っている(=全くの子供ではない)という意味で、ですが。

 ということで、途中からは飛び入りの人もいなくなってしまい、ほそぼそと(笑)二人だけのやり取りとなってしまいましたが、きっと僅かながらも、きちんと読んでいた人がいただろうと信じています。ま、個人的には色々な感想を聞いてみたいとは思いますけれども、無理強いはしません。(笑) この半年の間にも、私の中で多少なりとも変化があったはずです。
 ともすれば、毎日の暮らしに汲々として落ち着いて物事を考えることがなくなりがちな中に、このような企画に携われたことそのものに感謝したいと思います。(お互い様かもしれないけれど(爆))私のような頑固者に辛抱強く相手して下さった雪見さんにもお礼申し上げます。
 
 さて、次回の話題は...、何にしましょうか...?(笑) 年が明けて落ち着いたころまでには決めようかと思っています。それまで、しばし、充電期間を...。
 では、また!!
 
 

No.29 1999年12月12日 雪見 → HASENOBU 
HASENOBUさん、とうとう最後のメールです。これで1999年も終わりです。

こないだ個人的にHASENOBUさんとこのコーナーについて話していたときに、わたしが「今でもまだ扱いたかった内容のほんの一部しか話していない」と言ったら、HASENOBUさんはかなり驚いていましたよね?(笑)

一体、このシリーズを始めるときに自分が何を話したかったのか、聞きたかったのか、今日になってもはっきり分からないままです。ただ、話している途中も、今も、わたしが考えていた話の範囲とHASENOBUさんが考えていた範囲はかなりずれていた、と思っています。ふたつの範囲は同じ平面上にさえ、なかったのかも知れません(笑)。これは想像ですが、HASENOBUさんは最初から「自分中心主義」でこのテーマを考えていこうとしていたと思います。わたしは、漠然とですが、個々の「自分」を超えた絶対的な視点がひょっとしたらあるのかもしれない、と思っていたような気がします…。

今回、「モノの価値、ひとの価値」とふたつを並べながら、モノについては最初にあっさり通り過ぎただけになってしまいましたが、モノの価値は個人の思い入れだけなのか、もっと広い視野で共有できる価値があるのかなど、もう少し続けて話していきたかったです。これについては自分でこれから考えて書いていければと思います。

前回のHASENOBUさんのお友達へのメールの引用についてー。
本当に自分にとって大切なことなら、滅多な場所に晒さないほうが無難とわたしは思います。人の心の耐性はそれぞれ大きく違います。ここの、「メールで話そう」というコーナーの「まないた」は雑菌もたくさんついていますし、わたしという未熟な調理師は雑な仕事で有名ですから。そのお友達だけでなく、どんな読者にもわたしは無理に参加してもらおうとは思いません。自分の体力に自信がある人だけ、ちょっと勇気を出して敷居をまたいでくれれば十分です。参加者が誰もいなければ、HASENOBUさんと雪見のふたりだけでずーっとぼそぼそと話すことになっても、わたしは全く気にしません。(とはいえ、今回は自分の大切なものをそれとは名前を出さずにわたしも晒してしまったのですが。始めた頃には予想していなかったことでした。)

特に声をあげなくても読んでくれる人が、大勢でないにしても何人かはいてくれることは知っています。参加しようとしてできなかった人たち、あんまり気にしないでください(笑)。この後で感想を募集しますから、できればあなたの印象に残ったこと、疑問に思ったことを簡単な文章にして送ってください。本当に短い文章でいいんです。書いてくれたらとても嬉しいです。

最後にHASENOBUさん、ほ〜んとにお疲れ様でした。今度会ったら肩を揉んで差し上げましょう。あ…、なんで後ずさりするんですか?!(爆)

というわけで、みなさん、楽しいクリスマスとよい新年、新ミレニアムをお迎えください。またお会いしましょう♪




メニューへ戻る
くまきの部屋のトップへ戻る inserted by FC2 system