メールで話そう

第3弾 旅



お願い: このコーナーでは読んでくれた人からの意見や感想を待ってます。
      メールでHASENOBU、雪見の両方に同時に送ってくださいね。
      反対意見ももちろん歓迎だよ〜。 掲載されたくないという人はその旨明記しといてね。

HASENOBU、雪見へのメール(同時発信)



No.1 2000年2月23日 HASENOBU → 雪見
 
 ということで、昨年末、第3弾のテーマは私が決めていいと雪見さんから言われました。あぁ、やっとこの私にも言論の自由が認められたのか...、と感涙しきりの私でした...。(あ、あんまりドギツイ冗談は自粛しよう...。雪見さんから絶縁状を叩きつけられる前に。(笑))

 さて(笑)、根っから真面目人間である私は、その自由を前にして、かなり迷いました...。「自由である」ということは、「自由であるように呪われていること」だと、かのサルトルも言っています。うん、サルトルがそう言っているんだから間違いないですっ!(爆)

 え〜っとぉ、あんまりふざけるのはこれくらいにして...。

 ま、「テーマは好きに決めて下さい」と言われ、そして何か選ぶのは、確かになかなか難しいものです。あんまり個人的な関心・興味に走ってしまうのも問題がありそうですし、かといって、メールのやり取りをする中で何らかの発展が望めないようなテーマも避けたい...。そして、何名いるのか分からないけれど、この企画を読んでいる極く少数の人達にも気軽に参加してもらえるようなもの、となると、なかなか思い浮かばないものです。

 ということで、根っから真面目人間である私は(笑)、はい、悩みました、この2カ月。そして、ふと思い立ったのが「旅」という言葉でした...。
 私は、今月末から一カ月ほど仕事で日本を離れる、ということもあって(そして、それは「旅」と呼べるものではないのですが)その旅支度(?)をしながら、「あ、今度のテーマにしてもいいかも...?」と思ったのです。

 え...? 雪見さん、どうしたんですか...? 眉間にそんなに皴を寄せて...? 今回のテーマは私に完全に任せる、ということでしょう?(笑)

 このテーマがどんどんと深まってゆくようなものじゃないことは、ええ、重々承知しています。でも、例えば「人生は旅である」というような言葉(そんな言葉、あったっけ...?(爆))にも代表される(?)ように、これはこれで面白いテーマだと私は思うのですが...。

 ということで(笑)、早速ですが、今、勝手に「人生は旅である」と言ったので、そのことについて私が思っていることを書きます。(兼好法師のことはさておき...。)

 確かに、普通、「旅」という言葉を使った場合に思うのは「日頃住んでいるところを出発点として、そしてその場所に戻ってくることを前提としながら、一定の期間、違った場所を訪れる行為」というのが「旅」でしょう。(すみませ〜ん、今、適当に定義しただけです。)
 ですが、時間の軸をもっと長くして考えると、いささか事情は異なってくるようにも思います。
 これも喩えて言うと、私は現在、10年以上、広島に住んでおり、そして、一般的に「持ち家」と呼ばれる家宅に居を構えている訳ですが、考えてみれば、それは今から40年近く前に始まった「HASENOBUの旅」の一部でしかないのではないか、ということです。(笑) つまりは「一泊二日」の旅で泊まる旅館と、私の「家」は同じようなものではないか、ということです。(ちなみに、私の妻は仲居さんだ、というようなことを考えているわけではなく。(笑))
 以上、まだまだ考えはまとまっていないのですが、今、思ったことを書いてみました〜。

 ということで(笑)、「旅」を今回のテーマとしたいと思います。話の進め方については(ただ一つ、これは議論ではない、ということを除けば)特に決めたくないです。「自分の、一番心に残る旅」でも「理想の旅」でも、何でもいいんで、雪見さんが、そして、読者の方々が「旅」にまつわることで思ったことを聞かせて下さい。そして「あぁ...、な〜るほど...。」と感じながら話を進めてゆきたいなぁ、と思っています。
 ということで、よろしく〜!!>雪見さん&読者の方々

 
No.2 2000年3月10日 雪見 → HASENOBU 
 
HASENOBUさん、こんにちは。カナダでのお仕事、調子はいかがですか?
今回は「旅」がテーマなんですね、了解しました。(特にコメントはしません…。約束ですから…。勿論…。)

さて、わたしの時間の使い方は大きくふたつに分けられます。移動することと、じっとしていること、です。わたしは家の中でじっとしていることが好きです。ただ、じーっとしているのです。何にもせずに。

旅とはわたしにとって「移動すること」です。だから嫌いです。できるだけ旅をしたくありません。朝起きても働きに出たくありません。仕事が嫌いというのもあるのですが、何より移動したくないのです。

それなのに、わたしは生まれてから今までずいぶん旅をしてきました。HASENOBUさんのおっしゃるような「人生の旅」という意味なら、何度もうんざりするぐらい引越しをしましたし、単純に「観光旅行」や「出張」もたくさんしました。人間としての一生分の移動をすでに全部してしまったような気さえします。もうこれ以上動きたくありません。

最近の人間って移動しすぎではないでしょうか…。自分がヨーロッパやアメリカの街をウロウロしているとき、「日本人のわたしがこんな遠くに来ているなんて、不自然だなあ」と思うことがあります。どうしても移動したいなら、自分の足で歩くか、最大限譲ってもせいぜい自転車とか帆船とか気球による移動くらいにしてほしいと思うのです。ジェット機で遠くに行くなんて、何か間違ってる気がします。

ところで、動かずじっとしていることの快楽を、わたしは望みどおりに自宅にいるときにではなく、意外にも旅をしている途中に最も強く感じてしまいます。例えば、新幹線に乗ってぼーっと窓の外を見ているとき(特に新横浜―名古屋間が好き)。仕事で東京へ出るときにラッキーにも電車で座れて目的地までぼんやり音楽を聴いているとき。外国へ行ってチェックインしたホテルの部屋のベッドにゴロンと横になり、「早く外に出かけようよ」という夫の声を無視して昼寝を始めたり(爆)するとき…。

そうそう、あれは大学生のときでした。新宿駅のホームでいつものように下宿に帰るため三鷹行きのJRに乗る代わりに、ホームの反対側から発車する松本行きの中央線に衝動的に飛び乗ってしまったのでした。松本へ行って観光したかったのでは全然なく、ただ長距離列車に乗ってぼんやり窓の外を見ていたかっただけでした(笑)。

のっけから随分ひねくれたことを書いた気もしますが、正直な気持ちです。はい、はっきり言って自分でも変わった人間だと思います(笑)。

で、今日はここまで。 では旅行中のHASENOBUさん、続きを宜しくお願いします〜 
それからもっと素直に「旅行が好き」という方からのメールもお待ちしています〜
 

     あなたはなぜ、旅なんかするの?(笑)



No.3 2000年3月18日 HASENOBU→雪見 

こんにちは、雪見さん!
 諸般の事情により、私のサイトではこの企画のアップデートができないのですが、ま、それはいいことにしましょう。(笑)

 さて、のっけから「随分ひねくれた」、それでいて「正直な気持ち」が綴られている文面、ありがとうございました。(笑) って、別に嫌みでも何でもなく、雪見さんらしいなぁ、という気がしました。
 で、ですね。(笑) 「ジェット機で遠くに行く」という大きな間違いをしてしまっている最中の私(笑)ですが、実は「日本人のわたしがこんな遠くに来ているなんて、不自然だなあ」という言葉は、十分に頷ける気がします・・・。「何でこんな所にいるんだろう・・・?」というような疑問さえ、あります(笑)。 
 「しっくりくる」とか「しっくりlこない」という次元とは異なるようにも思うのですが、不本意ながら現在私が滞在している(笑)この街にも、多くの人々が暮らしていて、そしてその街は、たとえ私がいなくとも、完全に構成される(?)所なのです。(う〜ん、うまく表現できていないですね・・・。) あくまで私は異邦人、という、そういう意味のことを言いたいのですが、伝わっているでしょうか?(笑)

 ちなみに、雪見さんは今の私のことを「旅行中のHASENOBU」だと思っているようですが、私はそうは思っていません。(って、今居る所が、本来の自分の居るべき場所ではない、ということじゃなくって。(笑)) 一応、「旅行」と「旅」とが同じものだとして話をすると、「旅行」というのは、自由意志で行われるものだ、という風に私は考えます。(「考えます」ってほど大げさなことじゃないのですが。(笑)) だから、今、私が今、カナダにいる、ということは、傍目には「旅行」と映っても、私自身はそうは思っていないのです。

 ま、そんなことはどうでもいいっす。(爆)

 さて・・・、雪見さんが書かれていた「三鷹行きのJRに乗る代わりに、ホームの反対側から発車する松本行きの中央線に衝動的に飛び乗ってしまった」ということについて。(笑) どうしてそんなことをしたのですか?(爆) きっと「ただ長距離列車に乗ってぼんやり窓の外を見ていたかっただけ」なのでしょうが・・・。(笑)
 しかし、今の雪見さんに同じことができるでしょうか? いえ、別に雪見さんでなくってもいいのですが、いわゆる「社会人」と呼ばれる人たちは、いくら中央線の電車に飛び乗りたいと思っても(笑)、大学生だった雪見さんほどあっさりとはできないでしょうね。休日ならともかく、そして、独り身ならともかく。(爆)
 やはり、ここでも「自由(意志)」ということが関わっているようです。(って、当たり前ですが。)

 雪見さんは、前回「あなたはなぜ、旅なんかするの?」という言葉で締めくくっていましたけれど、「なぜ?」という問いは、極めて根元的で答えづらいものだと思います。(私は、特に英米人の発する "Why?" という問いが大っ嫌いですが。(爆)) 
 ということで、「旅は面白いですか? 面白いとすればどういう点で面白いですか?」という質問の文を、私としては提出したいです、はい。(笑)
 もちろん、私自身、この問いに対する答えの準備はできていますが、今はまだそれを記す時期ではないので控えます。(爆)

 ってことで、雪見さんにバトンタッチ!



No. 4  2000年 3 月19日  読者のBOUからメールが来ました!


「メールで話そう」の新テーマは「旅」ですよね。ずーっと書こうと思いながら、ズルズルと提出を延ばしてきたので、この辺りで「旅」に関する幾つかの思い(そんなに大袈裟なものじゃあないですが)を書かせて戴こうと思いました。
 
 旅の始まりが好き、という人もいますが、僕は旅の終わりが好きです。旅が終わり、帰りの新幹線や飛行機の中で、そのときの旅行のあれこれを反芻する瞬間を、とても大切に感じます。新幹線なら東京へ、飛行機なら羽田や成田へ、車なら新宿の高層ビル群を取り囲む首都高へ、それぞれ辿りついたときの安堵感もまた、とても心地いいものです。さらに個人的な好みを付け加えるなら、旅の終わりは、夕方から夜にかけての時間帯がベスト。始まりが朝なら、終わりはやはり夜でしょう。街明かりが疎らな場所から、24時間明かりの絶えない街に戻ってきたとき、「あ〜、戻ってきたんだなァ」と心の底からホッとします。こんな僕の意見に同調する人は、あまりいないんですけどね(笑)。
 
 「旅」という非現実から、いつもの「日常」という現実へ、自分自身を引き戻す旅の終わりは、心を新しくしてくれるから好きです。翌日から始まる日常が、その旅で出会ったドラマを、より一層、盛り上げてくれる気がするのです。ひとり旅から引き返すとき、友だち数人との旅行から帰宅するとき、だから旅の終わりはいつも、旅情に溢れているような気がします。
 
 そんな旅の終わりが、最近とても短くなっています。電車はどんどんスピードを上げ、飛行機は猛スピードで空を駆け抜け、旅の終わりを楽しむ時間は少しずつ減っているようです。最近読んだエッセイでは、日本の鉄道の歴史から「食堂車」がなくなる話を取り上げていました。駅弁やおにぎりの持ち込みが増え、移動時間が短縮できるようになったため、食堂車を用意しても採算が合わないんだとか。それだけ便利な時代になったということでしょうが、便利を盾に、いつも大切な何かが奪われていくようで、とても寂しい気持ちになります。便利な旅より、不便な旅のほうが、ずっと記憶に残るものなのに。雪見さんやHASEさんは、若いころに不便な旅を経験したことがありますか? と問い掛けて(笑)、次の展開に期待したいと思います(^^)

 
No.5 2000年3月10日 雪見 → HASENOBU 
 
HASENOBUさん、こんばんは。

HASENOBUさんは何やらうるさそうなことを言ってるけど、わたしは「出張だって旅じゃないのよ」と
思います(笑)。それから「なぜ旅をするの?」とやっぱり自分に問いかけたいです(笑)。まあ、わた
しの場合は「なぜ旅をしないの?」ですけど…。で、ですね。「なぜ雪見は旅をしないか」については
「面倒くさいから」というのが今のところ思いつく答えなのですが、まあ、これは保留ということにして
おきましょう。

BOU、早速メールをありがとね。不便な旅ってわたしはあんまりしないです。(イスタンブールでトイレ
が見つからなくて困ったことぐらいか(笑))でも旅先でトラブルに遭うと、印象に残りますよね。特に
わたしは病気をすることが多くて、そういう時は切ないです。

ところで、BOUのメールを読んで、「ああ、いいなあ。こういう生き方をする青年…」って思ってしまい
ました(笑)。特に「翌日から始まる日常が、その旅で出会ったドラマを、より一層、盛り上げてくれ
る」ってところ。ああ、何て前向きの人生なんだろうって思いました。でもわたしだって長い人生(!)
を振り返ると、最初から出不精だったわけじゃないんです。BOUみたいに生き生きした瞳で旅に出かけ、
また思い出を胸にいっぱいつめこんで旅から帰った頃もあったのです…。(ここで場面は切り変わり、過
去の思い出のシーンへ…)

実はわたしは子供の頃からつよく「外国」に憧れていました。大学生の頃クラブの先輩がパリに行くこと
になり、「お土産は何がいい?」と聞かれて「セーヌの水を瓶に詰めて持って帰って」と本気で頼んだほ
どです。わたしの初めての海外旅行は会社の出張で、行き先はジュネーブとパリでした。3週間ほどの滞
在でしたが、あの旅がたぶん今までで一番心に残る旅でした。目にする何もかもが素敵でした。ジュネー
ブに着いてすぐにレマン湖のほとりをひとりで散歩したときの嬉しかったこと。あの時のまぶしい光。屋
台のアイスクリーム屋さんでフランス語で緊張して注文したこと。パリの週末の蚤の市の買い物。夜のタ
クシーで運転手に告げたホテルの名前の発音が悪くて違うホテルに連れて行かれて困ったこと、などな
ど。今でも色んなことをはっきり覚えています。そして出張から帰って、アパートで待ち構えていてくれ
た(笑)ボーイフレンド(後の夫)にせきを切ったように旅の出来事を話しました。彼に話したいことが
いっぱいあって、「いつからそんなにおしゃべりになったの?」と笑われました…。

ああ…。あの頃は良かった(爆)。

今ではもう、旅行の印象はどんどん淡くなり、中には行ったこと自体を完全に忘れている旅もあるほどで
す(爆)。

だけどね、今からでもきっと思い出に残る旅をすることもある、と思っています。それは華々しい旅行じ
ゃなくていい。短くてもいいから、自分が目にした風景ひとつひとつが心に焼き付くような、そんな旅行
がきっとまたできると自分では思っているんです。何の根拠もないけれど…。

で、唐突ですが、今日はここまで。



No. 6  2000年 4 月 5日  読者のらっこさんからメールが来ました!



さてさて、私も参加させてもらいますね。
始めに断っておきますけど、この場合の「旅」は「人生の」とかではないです。まさに、旅行です。

実は今、いやこの傾向は結構昔からかな?旅というものに憧れを抱いています。多分自分の中の「
旅」、そしてこれから書く内容も、要約してしまえばこの「憧れ」に収束してしまう気がします。

もともと家がお店をやっていたという事も在り、小さい頃どこかに連れていってもらうという事はほ
とんど在りませんでした。あっても、近くの海やら、本当にそこいらへんで、数日間泊まりこんでと
いうものではなかったです。初めて旅行、というものを経験したのは祖父の実家<四国>に行った時
でしょう。<小学生低学年の時>その時の事は、未だ良く覚えています。驚くくらいに。うーん。。
本当にその頃の記憶なんてほとんどないのに(笑)

その後大学生になり、金沢に行くまで<修学旅行、合宿等を除く>は、本当に旅行というのをした事
はなかったです。いや、実際は中学のとき卒業旅行だとか言って友人と鎌倉に行ったのですけど。。
距離的に見ると。でも、その当時そして記憶中では「旅」には違いないのですけど。その、鎌倉には
実は二回行きました。しかし、二回目には一回目ほど楽しくなかったです。

これがどういうことかを考える前にもうすこし。この私の「どっかに行きたい」症はストレスがたま
った頃や、なんかどうでも良くなった頃に特に現れます。まぁ動機は普通(?)です。

さて、話は最近に戻って先ほどの金沢。これは、青春18キップをつかって鈍足の電車に乗っていっ
たわけですけど。これは良かった。。腰は痛くて、寒くて体はきつかったですけど。(笑)いろいろな
駅で乗り継ぎ、待ち合わせに余裕が在ると、その駅でおり時間をつぶす。これも、すっごく良かった
です。というか、心に残ってます。

また特に記憶に残っているのは、自分の運転で草津に行った時。高速道路は使わず、迷って迷って、
コンビニを見つけては止まり、地図を見て食事して(笑)これも、肉体的にはつらかったですけど、す
っごく面白かったです。

ちなみに、修学旅行等も良かったのですけど。もともとが騒ぐの大好きなためと、友人といれる事に
幸せで、旅そのものより、他の部分でおもしろかったという記憶が残っています。

以上から推察するに、私の中の旅とは、知らない場所に、小人数 <あるいは一人> で行く。で、
これはどういうことかというと、「自由」に「知らない場所」で。という事になるんでしょうね。

つまりなんにも拘束されないで、しかも、初めての場所は「驚き」や「おもしろい」ものをいっぱい
(?)発見できるので。

結局、それを求めに私は旅をしたいのでしょう。。だから「憧れ」なんでしょう。。
えぇ。。

あー。。どこか遠くに行きたい(笑)



No. 7  2000年 5 月15日  読者のパンダさんからメールが来ました!


パンダにとって、「旅」とは、半強制的に行かされる修学旅行や出張などではなくて、やっぱり、自由意志であることが最大の条件かもしれません。
(HASENOBUさんもそうだったと思うのですが・・・・。)
しかも、パンダの場合は、常に現実逃避行の旅です・・・・。
(って、パンダの生活があまりにも悲惨と言っているようなものですね。)
だから、いつも、そこには今の自分を変える何かがあるはずと思い、心ときめかせて、旅に出ます。どこへ行っても、必ず、何らかの刺激と変化を受けて帰るのですが、それがいいことばかりとは限らないのがせつないところでもあります。
でも、もしも、旅に出て、いいことばかりあれば、パンダのことだから、永遠に現実逃避しつづけてしまうことでしょう。だから、ある意味、それはパンダにとって、よいことなのかもしれません。

パンダは小さいころから、1人旅というのに憧れていました。
なぜって、勝手に何もかも決められた旅行では、不満や疲労が多かったからでしょうか?それでも、高校時代にあるとき急に思いたち、それから、たとえ、強制された旅行の中でも、幾度となく、逃亡をくり返しては、国内外を問わず、1人で見知らぬ街を徘徊して楽しんできました。あたりまえのことですが、その終わりはいつも怒られてばかりでした・・・・。(なんて、自分勝手なパンダなんでしょう・・・・でも、毎回、ちゃんと、置き手紙を残していったんだけどな・・・・そういう問題じゃないのかな?)

雪見さんは知ってのとおり、パンダの初めての1人旅って、(と言っても、行きと帰りだけですが・・・・。)ドイツのいとこのところに遊びに行ったことです。海外で逃亡すると、いつも、決まって、大きな空を見上げます。そうすると、この見知らぬ土地では自分を知ってる人間なんて、誰もいなくて、どうしようもなく、ちっぽけな自分と、とっても自由になった開放的な自分を感じるんです。その瞬間がパンダはたまらなく、好きです。そう感じると、何にもこの世の中でできないことはない、自分はこれから何でもできるんだととても前向きに思えてくるんです。
ちなみに、ドイツでは、氷点下と零下の違いも知らずに、東京と気温変わらないんだと勝手に思い、ただ、ひたすら、続く、草原の中で、何時間も寝転んで、ついで、冬眠しかかりました・・・・。

そして、今まで最高の旅は山形へのスキーの旅でした。
これも、雪見さんは知ってのとおり、風さんところのスキーオフです。
スキーは生まれて初めてで、その日が近づくのが楽しみなはずなのに、今回はもう、ビビリまくりで、行く1週間前から、頭の中身だけは蔵王に行ってた状態です。そして、感動の雪との対面。(パンダは広島で育ち、田舎の町っ子というやつで、まともな雪などテレビでしか見たことなかったのです。)もう、死ぬときは絶対、ここで死ぬと心に決めたくらい気持ちよかったです。そこで、一番の足手纏いのパンダはそこで出逢ったばかりの人たちに助けられ、本当にいい人ばかりで、めちゃめちゃ感動しました。なおかつ、居心地がとてもよくて、帰りたくなくて、楽しい時間が終わるのが悲しくて、帰りの電車の中で涙が溢れてきて、とまりませんでした。
いつもなら、BOUさんみたいに新たな気持ちで現実に戻っていけるのに、初めて、旅の終わりにあんなせつない思いをしました・・・・。

パンダは旅の中で(旅行も含め)トラブルメーカー的要素も兼ね備えてるのかもしれませんが、何か必ずといっていいほど、ハプニングという名のトラブルがつきません。HASENOBUさんや雪見さんはどうですか?

と、こんな問い掛け方でいいんでしょうか?
とりとめもなく、まとまりも何もない、つたない文章で申し訳ないです。

パンダ



No.3 2000年5月22日 HASENOBU→雪見 

ふむ...。もう2カ月経ったのだなぁ...。(爆)

 ってことで(?)、雪見さんからは「眠れるHASENOBU」と嫌みを言われても(毎度のことながら)じ〜っと耐えていた私です...。(意味不明)
 
 で、BOU(敢えて呼び捨て)、らっこさん、そしてパンダさん、この企画への御参加、改めてお礼申し上げます...。どうぞ、この後も引き続き御意見を出して下さいね〜。

 で、まず、BOUの「若いころに不便な旅を経験したことがありますか?」ということについて、です。
 ええ、そうですね〜、やはり就職するまで、つまり、「自分で稼いで自分の好きにお金を使ってもいい」という立場になるまでは、はい、そうだったような気がします。(って、お金さえあれば便利な旅になる、ということを言いたいのではないですが、お金がなければ必然的に不便になる可能性が高い(例えば、ろくな食事ができない、ちゃんとした宿に泊まれない等々)という意味で、です。)
 う〜ん、「若いころ」と限定されると頭を抱え込んでしまう微妙な年齢の私ですが(爆)、18歳から、ま、24歳辺りのことを思い出してみると「困ったことのオンパレード」の旅、というのはなかったように思います、はい。(笑) ま、それなりに折りを見てはあちこちに出かけていたような気もしますけどね...。
 その中で、果して「旅」と名付けていいのかどうか分からないけれども、長野県の「白馬山」で夏休みのアルバイトとして1カ月間滞在したことは、ええ、なかなか不自由な思いを味わうことの多かったものです。(笑) 詳しく話しても面白くないと思うんで、かいつまんで話すと...:
 そのバイトでは幾つかの山小屋を転々としながら生活していた(爆)のですが、どこに行っても布団がジメジメとしていて、とにかく不快だったということ...。そして(私たちは白馬村の臨時職員だったので一日三度の食事は付いていたのですが)食事が貧困で、いつも飢えていたこと(爆)、さらには、お風呂には数日おきにしか入いれず、しかも、それこそ「ドラム缶のお風呂」みたいなものさえ体験したこと、などは、今思い出しても、試練に近いものがあったような気がします、はい...。(ついでに言うと、標高3000メートルの山ですので「かすかにカルピスの味が感じられるような水」がコップ一杯で350円という法外な値段で売られ、その他のお菓子類も下界の3〜5倍の価格がつけられていました...。(笑) ってことで、午後9時頃には消灯、そして何の娯楽もないその地で、唯一、下界と同じ値段で売られているタバコに私は手を出してしまいました...。(爆) ま、塩も専売公社のものでしたから安く買えたのですが、それを買って舐めるということはしませんでした...。)
 だけれども(らっこさんやパンダさんも書かれているように)友達と一緒でしたし、そしてそこで知り合った他の地方の大学の人達と共同生活をしていた、ということは、今思い出しても本当に楽しいことでした...。中には最初から最後まで気の合わないヤツもいましてけどね...。(笑) でも、やはり今思うと、全てひっくるめて楽しいものだったような気がします...。(ちょっと遠い目で...。)

 続いて、らっこさんが書かれていたことについて...。
 ふむ...。「何にも拘束されない」ことを求めて、そして初めてのところだと驚きや面白さを求めて旅に行く、ということですか...。うんうん、頷けますね〜...。私が「自由意志で」と言っていたのも、ま、同じようなものです。ですから、出かけていった先では「仕事のこと」や(場合によっては)「家庭のこと」を気にしないでいたい、という...。(ちなみに、この意味で私としてはパンダさんのおっしゃる「現実逃避(行)」というのは、ちょっとマイナスイメージが強すぎるように思います、はい...。いや、別にそれを否定したいわけじゃないです...。(←私はパンダさんの「悲惨」な生活のことを何一つ存じませんので...。))
 だから、いわゆる「パック旅行」というものだって、自分で参加することを決めたのであれば、充分、私たちの言う(笑)「旅」でしょうね〜。

 そしてパンダさん。「海外で逃亡すると、いつも、決まって、大きな空を見上げます。」というところを読んで思い出したことが...。
 ま、私の場合は「逃亡」ではなく、出張だったのですけれども(笑)、今から十数年前の春に、私は、3週間、毎日、午前中は時折タバコをふかしながらカリフォルニアの真っ青な空を見上げていました...。(笑) 他にすることがなかったから、というのが大きな理由ですけれど...(笑)。
 しかし、その時に考えていたのはパンダさんが考えていたこととは大きく違っていました...。「何にもこの世の中でできないことはない、自分はこれから何でもできるんだととても前向きに思えてくる」というパンダさんとは全く違って、私は「時の流れ」だとか「(日本での)毎日の私の暮らし」などを考えていました...。(これまた誤解のないように言っておきたいのですが、どちらがいいとか悪いということではなく...。何て言ったってパンダさんと私は別人なのだから...。) あぁ、この空は、昔もこういう青い空だったのだろうなぁ...。そしてこれからもこんな青い空が続いてゆくのだろうか...。私がいてもいなくっても(笑)、この空の青さは変わらないのだろうなぁ、などと、とりとめもなく...。

 で、現実VS非現実という意味で日常VS旅、というふうには私は考えておりませんが、旅というものが(普通の意味では(笑))「非日常」であるとは思います。だからこそ、青空を見上げたときだって、もしもそれが日本で見ているようなものと大差ないものであったとしても、それを見ている土地が違っている、置かれている情況が違うということで、その時に感じる思いも異なってくるのですよね...。いつも顔を合わせている人達(家族や友人、同僚)がいない、というだけでも、(無意識かもしれないけれど感じている)違和感、ストレスが思考経路に影響しているのだろうなぁ、と思います、はい。

 え? 旅先での思わぬトラブル、ですか?>パンダさん
 え〜っとぉ、それはたくさんあるのですけれども、まず思い出すのはスリに遭って財布を盗られたこと、です、私の場合。(爆) ま、これについては前に私のホームページで書いたこともあるんで、ここでは詳細に述べませんけれども...。それ以外にも、対照的なものとしては「リコンファームもちゃんとしていたのに、帰国当日になって空港で予約していたエコノミークラスの座席がないと言われ、ビジネスクラスのシートをもらった」というのはうれしいトラブルの代表格です。(笑)

 あれれ...。これといって目新しいものは書かなかったけれど、もう充分に長くなってしまったぞ...。(笑) 
じゃあ、仕方ないや...。はい、雪見さん、今回は何も「うるさそうなこと」は言いませんでしたよ〜。次、お願いしますね〜。 



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