メールで話そう

第3弾 旅


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お願い: このコーナーでは読んでくれた人からの意見や感想を待ってます。
      メールで(できれば)雪見さん、HASENOBUの両方に同時に送ってくださいね。
      反対意見ももちろん歓迎だよ〜。 掲載されたくないという人はその旨明記しといてね。

HASENOBU、雪見へのメール(同時発信)



No.9 2000年5月24日 雪見 → HASENOBU 


HASENOBUさんからの久々のメール、懐かしかったです〜(爆)。
それから、らっこさん、パンダさん(動物園みたいだ(笑))、素敵なメールをありがとうございます。

旅とは、非日常の中に自分を置いてみること。
常ならぬ時の中で自分という人間を見てみると、HASENOBUさんも言うように、思考経路の動きは確かに変わってくるみたいですね。いつもの部屋でいつものように過ごしていると、やがて心がなまってきてしまう。「どこかに行ってしまいたい!」とか「現実逃避したい!」と時々思うのも、日常の中で酸欠気味になってる自分を違う場所でリフレッシュさせようとする、人間の健康な衝動なのかしら。

まれに、海外でのボランティア活動や、自分が勤める会社の海外赴任に家族が反対しているのに、自分で応募して出かけて行ってしまう人の中には、長ーい現実逃避をしている人もいるみたいですけどね…。

それから、前回のメールでHASENOBUさんがちょこっと語った青空の記憶について。
ふーむ…。人はそれぞれ違っているから、青い空を見上げて思うこともみんな違ってるんですよねぇ。で、雪見の青空の記憶はこんな感じなんです。

あれは十数年前のこと。…HASENOBUさんが煙草をふかしながらカリフォルニアの空を見上げていた丁度その頃、わたしはアメリカに出張した帰りにひとりでハワイに立ち寄り、数日間の休暇を過ごしていました。ワイキキの海にぷかぷかと、それこそ「らっこ」のように浮かびながら空を見上げると、雲の全くない、完璧なまでに青い青い空…。しんどい仕事は無事終り、束の間の休日。心の中には気になることなど何もなく、遠い日本では愛する夫がおとなしく留守番していてくれる…(笑)それはもう、とーってもいい気分でした!「シアワセってこういう状態なのかも」とつぶやいて、その青空をずっと見ていたことをよく覚えています…。

で、人生ってのは、それぞれの時期にそれぞれの事情がありますから、もしも今、同じようにハワイの海で浮かびながら同じような青空を見ても、あの時のような感想は(たぶん、いや、きっと必ず)持たないと思います…。良いこととか悪いこととかじゃなくて、そういうもんなんでしょう。わたしという人間はいつも変わっているということでしょうね。

さてさて。
旅と言ってもいろんな種類がありますが、思うに「誰かとする旅」と「ひとりでする旅」って何かが決定的に違ってる気がするのですが、みなさんはどう思いますか。

「誰かとする旅」って、基本的に、「楽しい旅」かな。グループでも二人でもいい、誰かと一緒に歩いて、考えて、珍しいものを見て、知らない人に会って…。同じことを誰かと同時に経験する楽しさ。そして旅が終わって「あの時のあれ、面白かったよね!」とお互いに思い出して話せる楽しさ。

同じきれいな景色を見て、「ああ、きれいだね」と傍らの人に言い、「うん、ほんとにそうだね」という返事が返って来るのって、いいなあ…。その時、わたしの心の焦点はその「誰か」に合ってるのかしら、「風景」に合っているのかしら…。

一方、「一人旅」って、どうなんでしょう。わたしは最近では特に用事がない限り一人旅はしませんが、「旅は一人旅に限るさ…」と思っている人もいるでしょうね。そして、きっと「一人旅の良さ」って人によってそれぞれ思いが違うのかも。

自分ひとりで風景を見る。きれいだ、と思う。その「きれいさ」は全部、自分の中で共鳴してしまうのかな。その時の自分のコンディション、自分の精神状態で、きれいな風景が意味するものが違ってくるのかな。それがHASENOBUさんのカリフォルニアの青空、わたしのワイキキの青空、の違いになるのかな。

いずれにしても、わけもなく心に焼き付いてしまう風景って、日常の生活よりも旅の途上の方が多いみたい。思い出して懐かしい風景もあり、切なくて苦しい風景もある。これからもっと年をとっていき、同じ風景を思い出すとき、だんだん感じることが違ってくるのかもしれません。

ということで、今日のわたしのメールはここまで。みなさんのメール、待ってます。誰かとの旅、ひとりだけの旅、についての思いを聞かせてください。それから、「どうしてなのか理由は分からないけど、忘れられない光景」ってありますか?

そして、HASENOBUさん。次回のメールはどうか、2ヶ月以内にお願いしますっ(爆)



No.10 2000年 7月 23日 HASENOBU → 雪見 


 こんにちは、雪見さん! お懐かしゅうございます〜。「***さんが何か書いてくれるらしい」との情報を得て、ず〜っと辛抱強く待ち続けた私ですが、お約束の2カ月期限が近づきましたのでメールを送りますね〜。(笑)

 さて、前回、「誰かとの旅、ひとりだけの旅、についての思いを聞かせて」との雪見さんの御希望でしたが...、それはちょっと置いておいて。(笑)

 今回のテーマについて書こうと思ったときから温めていたことがあります。前にも雪見さんから指摘されましたが、私はどうしても「ことば」を出発点として考える傾向があって、実は今回も「『旅』って何なのだろう...?」ということを最初に考えていました。ま、それぞれが思う「旅」というのがあっていいのですけれども、私の場合は何なのだろう、ってことで。

 そして、最初(No.1)に書いたような適当な定義を考えたりもしたのですが、やはり自分でも良く分からない...。(笑) そうこうしているうちに「オフコースを聴いていたころ」の企画で文面を書く、という頃に、ふと、懐かしい歌を思い出したのです。
 「あの角をまがれば」という曲です。
 これは彼らの「オフコースラウンド2 この道をゆけば」というアルバムに収録されている短くも美しい曲です。どういう訳かそのCDがこの数カ月行方不明になっているのでしばらく聴いていないのですけれども、もちろん歌詞は憶えています。
 ま、著作権の問題があるでしょうから全ては書きませんけれど、概略(笑)「あの角をまがれば どこか別の世界へ行けそうな気がする 古い橋を渡って 白い壁の続く道を歩いてゆけば 何かもっといいことがあるような この道を通りながらいつもそう思うのに なぜか曲がれない」というような歌です。(そのまんま書いてしまったぞ...。(爆))

 この曲がこびりついて頭から離れません...。そうです、「旅」って別に「泊まりがけ」でなければならない訳じゃないのです。(いきなり言い切っていますが...。) あと一歩、いつもと違う道に向けて踏み出すこと、これが旅の原点であり、そして出発点ではないでしょうか...?
 
 ふむ...。かなり青臭いことを書いていますね、私は...。ま、いいでしょう。

 となると(笑)、次に考えたいのは「どこか別の世界」を求めるのはなぜなのか、ということです。が、これこそ、十人十色でしょうね〜。現実から逃れ、精神の落ち着きを取り戻すことを目的とする人もいれば、見聞を広めようという高邁な理念を胸に抱きつつ意気込んで旅立つ人もいるでしょう。それ以外の目的もあるでしょうし、場合によっては目的がない、ということもあるでしょう。(...。その場合は「放浪」って感じかな...?)

 ま、放浪の場合はさておき(笑)、非日常に一時期、身を置くことであるのは間違いないようですが...。

 うむ...。メビウスの環のように、いつのまにか話が元に戻ったような気がするなぁ...。(笑)

 さて、それでは雪見さんの提出された質問について話を進めましょう。
 私の場合、「誰かと旅行」というので思い出すのは、父母を誘って私の家族で出かけたマレーシア&シンガポール旅行です。(笑) 思い起こすと、幼い頃、父や母とどこかに「旅行した」というような記憶が私にはありません...。ま、時代が時代だったのかもしれませんが(笑)、家族でリゾート地に出かける、なんてことは夢にも思わなかったし、たとえ望んでいたとしても経済的にそんな余裕はなかったのだとも思います。
 そうこうしているうち(?)に、私は成人し、そして定職を得て、そして仕事とは言え海外へ何度か出かけるような境遇となりました。そこで、別に親孝行したいとか考えたわけじゃないけれども、私は父母を連れて外国に旅行することも、悪いことじゃない(笑)と思いました。
 父は社員旅行で一度香港に行ったことがありましたけれども、母はそういう機会を持ったことはありませんでした。そして、もしも私が強引に誘わなければ、きっと日本を一歩も出ることもなくあの世へと旅立ったことでしょう。(あ、ちなみに母はまだ健在ですが。(笑)) 
 九州の片田舎の農家の次女として生まれ、中卒で就職し、そして「生真面目」以外にこれといって取り柄もない男(私の父のことです...。(爆))と結婚し、パートの仕事をしながら二人の男の子を育て、そして年老いて行った母...。(こんな風に書くとすごく悲惨ですが。(爆)) そんな母を、日頃の家事から完全に解放され、日本では寒い12月でも温かく過ごせる常夏の地へ連れていきたいと、そう思った私なのでした...。
 ま、父や母がその旅行を満喫したかどうかは分かりませんが(笑)、船上で孫を抱きかかえながら夕陽をバックに微笑んでいる母の写真を見ると、シンガポールでのディナークルーズを大変喜んでくれたのは間違いないことです。
 で、これが、雪見さんの問われた「どうしてなのか理由は分からないけど、忘れられない光景」でもあります...。

 ということで、ちっとも感動的ではない、そして色気のかけらもない話でしたが、ええ、これが今の私の答えかなぁ...。(笑)

 あれれ...? 雪見さん、何か言いたげですね!?(爆) え、話がちっとも進んでない、って?(笑) ま、そう焦らずに...。ゆっくり、じっくり話をしましょうね〜。(笑)

 ってことで、では、また〜!!



No.11 2000年 7月 29日 雪見 → HASENOBU 


HASENOBUさん、お久しぶりです。
最近ずいぶんお忙しそうなので、このコーナーの存続も危ういのではと心細く思っていました。2ヶ月ぶりにメールをもらって、ほっとしました。

シンガポール・クルーズの話、ありがとうございました。
HASENOBUさんみたいないい子を持って、ご両親はお幸せだと心から思います。
そう言えば、わたしも数年前に親と旅行をしましたっけ。わたしの母と夫の義母とわたしたち夫婦の4人で香港に行ったのです。まるで女学生のようにはしゃいでいた二人の母のことをよく覚えています。(わたしと夫は引率の先生の気分だった(笑))
で、ある高級ホテルのティールームでお茶をしたとき、母は写真を撮りたがり、夫は「こんなところで写真なんて...」と嫌がったのですが。その時撮った写真の中の母の笑顔を今でもよく覚えています。
(こういう光景が記憶に残ることは容易に理由付けできますけど。)

それから、引用されていたオフコースの曲のこと。
わたしは聴いたことはありませんが、歌詞を読む限りとてもいいですね。ぜひ聴いてみたいです。

行ってみたいのに行けない道、ってありますよね〜〜〜。

夫が運転するクルマに乗っていて、昔、あのカーナビという無粋なものが登場する前は、よく夫が「あの道はどこに行くんだろう。いつも気になってるんだけど、行ったことないんだ」と呟くことがありました。そんな時わたしはいつも、急ぐ用事がない限り、「じゃあ、行ってみようよ」と言います。そうして、ハンドルを切ってその道を走り始める夫を見るのが好きでした。運転する夫の(大袈裟ですが)ときめきが伝わってくる気がしました。

その延長なのでしょうか、数年前、不況の真っ最中に夫が「実は転職したいんだけど」と言い出したときも、「じゃあ、すれば」と言ってしまいました。彼はその時、もう普通なら転職するような年齢じゃなかったのに。でも何歳になっても、好きな仕事をしていたいと思う彼の気持ちを見殺しにできない気がしたんです。

誰だって、気になる道−そしてその先にある未知の場所−に憧れることってあると思います。(「そんなこと、ないよ」って言う人もいるのかな。広い世の中にはいるかもしれないけど。)でも、大抵はいつもぐずぐず思っているだけで、実際に歩き出すことってなかなかないですよね。行こうと思えば物理的にはいつでも行けるのに。でも、行けないでいる...。

どうしてなんだろ...。

憧れている場所にたどり着いて、それを見てしまうのが怖いのかな。失望したくないのかな。それとも、憧れているだけの状態が、曖昧でロマンチックで好きなのかもしれませんね。

だけど、そんな風に憧れているだけだった人が、実際に歩き出す日が来ることもある。何かのきっかけがあったり、何の理由もなく、突然心の中で「あ、今なら行けそう」と思ったり。そうやって歩き出す旅って、いいなあ...。個人的には好みです(笑)。

でも、どうして人は知らない道、知らない場所に、そんなにも憧れてしまうんでしょうね...。

誰もが生まれてから悩んだり選んだりして、または成り行きにまかせて、1本の道を歩いて来ているけれど、どこかで「自分には別の可能性があった」って考えてるんじゃないかな。「ここにいる自分じゃなくて、どこかに別の自分がいるかもしれない」って思うからじゃないかな。
みなさんはどう思いますか?

最後に、わたしのもうひとつの「理由もなく忘れられない光景」の話をさせてください。ちょっと変な話なんですが...。

タイのプーケット島というリゾートでしばらく滞在していた時、ある夜バスでホテルから1時間近く離れた町に出たんです。ぼんやりバスから窓の外を眺めていました。そこにはわたしの子供時代の雰囲気に近いタイの田舎の風景がありました。ある民家を通り過ぎたときのことです。暗くなった家の前に縁台が出してあり、老人がひとり座って夕涼みをしていました。そこにその家に住んでいると思われる女の子が出てきました。年は12歳くらい。タイの子らしく、色は浅黒く、艶やかな黒い長い髪をたばねて、白っぽい簡素な服を着ていました。その子を見たとき、突然わたしは「あ、あの子はわたしだ」って思ったんです。

ただ、それだけの話なんです。変でしょ?(笑)
わたしもその子もアジア人だし、外見が似ていても不思議はないのですが。でも、似ていたからじゃなくて、もう、本当に何の理由もなく、その子を見て、別の世界に生きている自分自身だと思ってしまったんです。

まあ、無理して結論めいたことをここで言いたくはないのですが、今ここにいる自分以外の自分を探しに、人は旅に出るのかもしれない、と今日はふと思ってしまいました。行ったことのない道に憧れるのは、別の自分に憧れているのかな。

というわけで、HASENOBUさん、今度のメールはいつ頂けるのでしょうか。今回はもう何ヶ月とも何年とも言いません(笑)。いつ返事が来るのか楽しみにしていますね。では〜




No. 12  2000年8 月 4日  読者のTAKAさんからメールが来ました!



 「旅」ですね。ここまでROMってきたんですけど、「旅先での見上げた青空」というキーワードが出てきたのでメールします。
 学生生活最後の春休み、卒業研究の発表会の翌日から卒業式の前日まで約3週間、オーストラリアを旅してきました。私にとっては初めての海外旅行で一人旅です。そのころ、オーストラリアに行く人は今ほど多くなくて、学生たちが「バッグパッカー」となって大きな荷物を背負ってきままに旅するのが多い時代でした。
 このときは往復の飛行機だけ決まっていて、あとは気ままに自由に旅が楽しめる、「フリー・ツアー」で、何から何まで自分一人で(当たり前だけど)やらなきゃいけない、ある意味「自分を試す旅」だったような気がします。
 「オーストラリアに行こう」と思い立ったのは一枚の写真がきっかけでした。そこには赤い大地にそびえ立つ、奇妙な一枚岩が紫ともピンクとも言えない微妙な色で写っていました。その岩の正体は「エアーズ・ロック」。地球のへそ、とも言われる大きな大きな岩でした。その後、いろいろ調べて見ると、どうやら頂上まで登れるらしい、というのを聞き、ますます「行きてぇ〜」となってしまったのです。
 このエアーズ・ロック、砂漠の中にあるので朝早くじゃないと暑くて登れないというので何と朝5:30位にホテルの前に集合し「いざ出発!」となりました。そのときには現地で知り合った同じ年頃の連中とすっかり和んで、そいつらと一緒に「頂上でビール呑もうぜ!」と缶ビールをザックの中に忍ばせていました。
 ふもとから約1時間、やっと頂上に立って、汗を拭い、お約束の(笑)ビールを空け、呑もうと思った瞬間、周囲の360度の地平線、「あ、地球って丸いんだ」って本当にわかったとき、その時の青空の色がすごく濃い青で、なんだか「ポロッ」って涙が出てしまいました。
 苦労して書き上げた卒業研究。その達成感も味わえずに飛び出したし、その空の色が今まで見たこともないような色で?.。たくさんのことを一気に思い出したせいでしょう。もう涙が止まらなかった。「なに、泣いてんねん。あほやなー」知り合った大阪のヤツが声かけたけど、そいつの目もうるんでた。
 今でも思い出すな〜。なつかしい想い出です。旅は非日常、というか、非現実的でした、そのときは。ほんとに。
 日本にいたら絶対味わえないようなすごい体験をしたなーって思います。聞くところによると、今ではエアーズ・ロックは登山禁止になったとか?。(ほんとかな?)
 ちと長くなってしまいましたのでこの辺で。またROMモードに入ります。(爆)
 

No. 13  2000年 8 月10日  読者のBOWさんからメールが来ました!

どーもども、今日も暑いね〜(^0^;
でも、空が暗くなる時間が早くなったり、夜風が少しぬるま湯みたいに熱気を失っているのを感じると、「おー、夏も下り返し地点なのだな〜」としみじみ感じてしまいます。

さて、ここから本チャン。掲示板に書き込んだ旅の話ですが、あれは、ちょうど今から丸4年前の夏の終わりのことでした。会社に就職して、人間関係やら、仕事への考え方やら、自分の無力さやらで、精神的に参っていたんです。そんなとき、当時、フリーターをしていた学生時代の大親友と、ほんの3日間の夏休み休暇を利用して、車でドライブを決行。「どこへ行く?」とか、そういう相談は一切していなくて、「海みたいね〜」とか「うまいもん食いたいね〜」とか、そういう漠然とした目的だけで、気づいたときには関越自動車道をレンタカーで疾走してました。運転手は俺だったんだけど、とにかくストレスがたまっていたから、運転が荒かったかも。そしてふと、「新潟で下りてみよう」と思ったんです。

そのむかし、まだ俺が中学生だったころに、家族と一緒に遊びにきた新潟の寺泊まで、車を走らせました。宿の手配もしていないから、夜中まで旅館を探しまわり、結局、見つかったのは汚いオンボロ民宿。夜はほとんど寝ずに、二人でいろんな話をしたんだけど、もう覚えてない。ただ、すごく気づかってくれる友だちのやさしさがうれしかったな〜。急に元気になったり、暗い顔をしたり、情緒不安定な俺を見て、励ましもせず、慰めもせず、ただじっと、話を聞いてくれた友だちの態度が、すごくうれしかった。

朝起きたとき、友だちがぐっすり眠っているのを確認してから、こっそり、海まで車で行ってみました。誰もいない船着場に、真っ青な海が広がっていたあの光景で、すべてが一気に面倒になっちゃって。「編集者なんてやめちゃおうかな〜」と、海を見ながら本気で考えていた俺は、朝のドライブから帰った宿のおばさんに、「あら? どこかへ取材?」って訊かれて、びっくりした記憶があります。俺はひとことも、自分が編集者だなんて言ってなかったのに、おばさんには分かったんだって。超能力者かと思った(笑)。もちろんおばさんは、サイキックじゃないんだけど、「この人は出版社の人だ」ってすぐに分かったんだって。「臭い」だって言ってた。それがうれしかったな〜。そうなんだ、俺はそういう臭いがするんだ、って。その臭いを消したくないな〜と心の底からそう思った覚えがあります。

そのあと、富山まで走って、新潟の友人の家を訪れて、それから東京へ。

目的があったわけじゃないし、行き先が決まっていたわけでもないけれど、あの日のことは、今でも忘れられない思い出です。まとまりなしで、ごめーん。では!


  雪見注:BOWからの私信を無理を言って掲載させてもらいました。
       尚、あとにも先にも「出版人の臭いがする」と言われたのは
       このときだけだった、というBOWからの追加説明がありました(笑)。 

 



No.10 2000年 10月17日 HASENOBU → 雪見 


 早いもので(笑)私がこの前「旅」についての原稿を書いたのはおよそ3ヶ月前のこととなりました...。「メールを出さないことで雪見さんの忍耐力の向上を図る」という副次的な目標も果たせたことでしょうから、そろそろメールを書いて、このテーマでのお話を終焉に向かわせたいと思います。

 ま、このテーマで話をすることを決めていた時点で「みんなが驚くような展開」や「従来の考え方を根底から覆す突飛な結論」が期待されないことは既に予想しておりましたが、やはりその通り、極めて穏やかな、そしてゆるやかな(笑)流れとなりました...。横丁の中で、唯一、心に平安をもたらす、いわば貴重な清涼剤のようなものだったなぁ、との思いをしみじみと噛みしめている私です。

 さて、それはそれでいいとして...。

 TAKAさん、そして(いつもながら敢えて呼び捨て)BOW、御投稿ありがとうございました。TAKAさんの「エアーズ・ロック」の話も、BOWの「編集者の臭い」(もちろん「くさい」ではなくて「におい」(爆))の話も、楽しく読ませていただきました。
 そして、つくづく思ったのは「旅というものは、景色を見ることが表面的な目的だけれども、それを通して、自分を見つめることなんだなぁ。」ということでした。ま、「自分をみつめる」なんて言うと大袈裟かもしれませんが、普段と違った風景や環境の中で(意識しているかどうかは別として)、それを自分が「どう受け止めるのかを知ること、味わうこと」こそが「旅」ってものなんだろうなぁ、ってことです。

 前に雪見さんは「誰かとの旅」だけでなく「ひとりだけの旅についての思いを聞かせて下さい」とも書かれていました。それにお答えします。(笑)

 「ひとりだけの旅」ということで、真っ先に思い出すのは鳥取砂丘への旅、です。(笑) ま、何を思ってそんなところに一人だけで行ったのか、ということは置いといて。

 本当は、別に「よ〜し、鳥取砂丘を見てみるぞ!」と意気込んで出かけた旅ではありませんでした。たまたまそっち方面に車を走らせただけ、なのですが。
 そこに到着したのは丁度お昼頃でした。そして夕方、日が沈み切るまで私はそこでぼぉ〜っとしながらただただ座っていました。時折タバコを吸いながら。風景描写は不得意なので省略させていただきますが(笑)、時間とともに太陽に照らされた砂の色合い(濃淡?)が変わり、そして影がどんどんと伸びてゆく様をじ〜っと見ていただけ、でした。昼間の目のくらむような明るさはとっくに消え去り、夕闇が立ちこめ、そして観光客の姿もなくなり、ただ、砂丘の向こうの海の波音がかすかに聞こえるだけ、という時間まで。

 その時の私の頭の中は、実に色んなことが渦巻いていました。もちろん、その内容を逐一ここに記すつもりはないのですが(笑)、「自分を見つめていた」ことに間違いはないです。

 「ひとりだけの旅」っていうのは、それが仕事でない限りは(?)ま、嬉しい時や幸せな時にはあんまり行かないものだと思いますけれど、それも理にかなったことでしょう。人込みの中では尚一層、寂寥感というか孤独感を感じることがある、その丁度裏返しに、一人で旅することで、自分を取り巻く人たちとの繋がりが見えてくるのかもしれません。(これ、ちょっと詭弁っぽいかもしれませんが。)

 この前、「今ここにいる自分以外の自分を探しに、人は旅に出るのかもしれない」と思ったと雪見さんは書かれていました。異国の人物を「別の世界に生きている自分自身」と思うのはちょっとどうかなぁと思いますが(笑)、「自分の中の知らない自分(の部分)を探りに」ってことはあるでしょうね〜。

 と、まぁ、別に「旅とは〜〜であるべきものだ」というようなことを決めつけたくはないですし、またその形態にも色々とあるでしょうから一概に言えないでしょうけれど、私にとっての旅っていうのは、ま、そんなものじゃないかなぁと思います。ですので、これを巨視的に捉えれば、「人は、それぞれの人生という道を辿る旅人である」と言った感じの陳腐なことばにも妙に共感できるような気がする今日この頃です。

 ってことで(?)、これにて私からの「旅」メールは最後にしたいと思います〜。じゃ、雪見さん、バトンタッチ!(笑)




No.15 2000年 10月 23日 雪見 → HASENOBU 


HASENOBUさん、お久しぶりです。(と毎回、言ってますが(爆))
そして、メールを読んで、「え? これで最後なの?!」とマジで驚きました。しかし、正直をモットーとするHASENOBUさんが最後だと言っているのだから、きっとこれで最後なのでしょう。

うーん…。
腕組みして唸っていても仕方がないので、返事を書きますが…。

その前に、メールを出さないことで、わたしの忍耐力の向上を図ろうとしたとのこと。でも、わたしの忍耐力は特に向上しなかったと思うし、このところ、どんどんHASENOBUさんの参加が間遠になるのを見ているのは、とても寂しかったです。(と、この際、はっきり言っておきます。) また、ついでに言いますと、わたしにとってはこの「メールで話そう」のコーナーと同様、横丁の全てのコーナーがとても大切なものだし、清涼剤であり、栄養剤です。

さて、旅です(笑)。

実は今回が最後だとは思っていなかったので、まだまだ数回分は書きたいことがあるのです(笑)が、無理やり1回分に押し込めちゃいましょう。書き切れなかったことは、いずれ他の場所に書くこともできるでしょうし。

そうですねぇ…。
HASENOBUさんの鳥取砂丘の話を聞いて、思い出した言葉があります。それはずっと前に見たアメリカ映画の題名なのですが「偶然の旅行者(Accidental Tourist)」というのです。ウィリアム・ハートの主演で、あまりヒットしなかった地味な映画でした。

主人公は旅のライターで、彼の本で特に売れたのは、突発的な旅行に出る場合のノウハウについて書いた、同名の本なのです。彼は旅のライターでありながら、どうやら旅行嫌いらしい。で、物語は彼の人生にも予想しなかった事件が起きてしまい、心ならずも旅に出ることになる、というものでした。

ひとり旅が好きで出る人も勿論いるのでしょうが、特に旅をしたくないのに、わけあって旅に出てしまう、そんな旅もあるのでしょうね。前もって準備して楽しみにしていた旅とは違って、そういう「偶然の旅行」は忘れがたいものだろうと思います。砂丘の風景が目に焼きつくのも分かります。

このシリーズをはじめた頃から「人生は旅」というのは、きっと誰もが頭に浮かべていた言葉でしょう。平凡だけど、至言だと思います。そして、この人生という旅自体が、長い長い「偶然の旅行」だとつくづく思います。「おぎゃあ」と生まれて来たけれど、誰も自分で決めて生まれたわけじゃないんですから(笑)。どんな旅になるのか、どんな人たちと旅をするのかも全く分からず、赤ちゃんは旅を始めてしまうんだなぁって思います。穏やかな旅になる人、波乱万丈の旅をする人、苦しくて途中で自分の旅を打ち切ってしまう人、色々ですよね。

若い頃は、わたしも人並みに「人生の目的って?」とか「幸福って何だろう」とか考えたこともあるのですが(笑)、それはつまりは「自分の旅はどうあるべきか」「どのような旅にするために、自分は何をすればいいか」と考えることなのでしょうけれど、最近のわたしはそういうことを、全く考えなくなりました(笑)。だからって「なるようになるさ」と投げてしまってる訳でもないのですが。結局、「自分を見つめる」ことがひとり旅で人がすることならば、人生という旅でも、やはり「自分を見つめる」以外に、何ができるだろう、と思ってしまうんです。それは、別の言い方をすれば、「自分という人間は、簡単には分からない」ということでもあり、「自分という人間を知ることは難しくて、でも興味深いことだ」ということでもあります。

自分の人生を人と比べても仕方がない、人の評価基準で計っても意味がない、ということは、わたしぐらいの年齢になれば、誰でも薄々気づくことじゃないかしらん。気づかない人はかなりおめでたい人だと思うんです。(勿論、若い頃はそれなりに頑張ればいいと思うけど。)

そして、更に言ってしまうと(たぶんHASENOBUさんには同意してもらえないだろうけど(笑))人の一生って、赤ちゃんのときからすでに決まっているのでは、とさえ思います。ある人の赤ちゃんの頃の写真を見て、「この子がおとなになって、どんなことに喜び、どんなことで苦しむかは、1歳のこの時点でもう分かっていたことなのかも」と感じた覚えがあります。

生まれたときから人の一生は決まっている、というのは、決して「だから、いい加減に生きればいいのだ。努力することは無意味だ」ということではなくて、自分にとって未知である自分の人生を、これから解いて行くのだという感じなんです。生まれたときに「人生」という問題をもらって、いろいろ悩んだり考えたりして解答を探す、みたいな感じ。

しかし、こんなことを書いてると、HASENOBUさんの不満気な顔が見えるようです…(笑)。

初回のメールで、HASENOBUさんは冗談で、「人生は旅だけれど、自分の家が旅館で奥さんが仲居さんというわけじゃなくて」と笑っていましたが、例えば奥さんという存在は一体何なんでしょうね…。
いや、別に配偶者だけじゃなく、人生という旅を生きていくと、当然、自分以外の人と関わりを持つわけですよね。親だったり、恋人だったり、友人だったり。あるいは、道を歩いていて、突然クルマに轢かれて大怪我をしたら、そのクルマの運転手もあなたの旅の中で重要な役回りの人だった、ということになるのですが。

自分の悩みが、純粋に自分だけから発生するものなら、気は楽なのですが、往々にして他人が絡んでくることは多いし、他人だけのせいでもなく、自分だけのせいでもなく…、となると、複雑な悩みになってきてしまいます。人生の旅は皆ひとり旅である、ということは絶対に確かだと思いますが、そばには色んな人がそれぞれのひとり旅をしている途中なんですよねぇ。例えば、わたしにしたって、ひとり旅を続けるHASENOBUさんの前にちょっとの間、顔を出しているわけですしね(笑)。

苦しみを与えられるのも、他人絡みのことが多いけれど、でも、喜びを与えてくれるのも他人なのかなぁ。
あなたがいるから苦しくて、あなたがいるから嬉しい。

なんだか、だらだら書いてますけど…(笑)。

人生が旅であるのなら、鳥取砂丘に行ったり、ハワイに行ったり、新潟に行ったりする、個々の小さな旅って、まるで「劇中劇」のようなものかもしれませんね。

さて…、これで最後なんだけど、どうやって締めくくればいいの?(笑)

ゆきみ横丁を読んでくれる人の層は、嬉しいことにとても厚くて、随分若い人たちもいますが、旅について考えることはきっと、年齢によってかなり違うと思うんです。わたしが書いているのは、今の年齢のわたしが思うことであって、昔はこんなこと考えもしなかったし、将来おばあちゃんになったときには、きっと違うことを考えていることでしょう。わたしの人生という旅の、今いる場所で思うことはこんなことかな。これから先、どんな旅になるのか全然分からないけど、願わくば、少しでも楽しい旅で、少しでもたくさん笑っていられますように…。わたしはHASENOBUさんと違って、意志の人でも理想を追い求める人でもないので、ただ、そんな風に漠然と願うだけなんですけど。

ということで、このシリーズはこれで終わりです(笑)。そして、(たぶん)このコーナーもこれで終わりになっちゃうかな? 

ここまで読んでくれた人たち、一緒に考えてくれた人たち、メールをくれた人たち、本当にありがとう。そして、この企画に今日まで付き合ってくれたHASENOBUさん、ありがとう。

では、さよなら。

ってことで、このシリーズは終了しました〜。
あなたからの感想のメールを待ってますよ〜!


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