毒にも薬にもならない話 Part 2


目次
   その11  校長先生
   その12  教師の独白(1)
   その13  教師の独白(2)
   その14  あ、あれは本当だったんだ...。
   その15  ファミリーレストランの芳名帳
   その16  明日は我が身
   その17  姓名と名姓(続編)
   その18  君の名は
   その19  ふと思い出す話
   その20  クリスマスに寄せて

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その11 校長先生

 校長先生絡みの脈絡のない話を二つ...。

1. 昔、小学校の運動会だとか、あるいは遠足の日なんかに、校長先生が「いつも、みなさんがよい子にしているんで、今日はこんなにいい天気になりました!」等というと、鼻でせせら笑っていたHASENOBU...。(昔から可愛くない子だった。)
 暴風雨だったら、何と言うつもりなんだろう?、と思いながら聞いていました。「皆さんの日頃の悪行ぶりに地獄の鬼が嵐をプレゼントしてくれました。」とでも?
 他に言い様がないのか?

 「今日は待ちに待った運動会です。こんなにいい天気になりましたが、それは皆さんの日頃の行いとは全く関係がありません。もちろん、運動会の日に天気がいいということは運が良かったと言っていいでしょう。しかし、今日、雨が降らないことで困る人達も大勢いることを忘れてはなりません。また、どんなにお金持ちの人にも、お金がなくて困っている人にも、不幸な人にも幸福な人にも、全て平等に雨が降ったり、空が晴れたりするのだということも覚えておいて下さい。これから先の皆さんの人生の中で『いつでも全ての人に平等』ということは意外に少ないものです。(以下、延々と続く...。)」

 その場しのぎのいい加減なことを言ってもらうより、中味の有る事柄を教えて欲しいものだ。(自爆)

 え? 「そんなの夢がない」ですか?  そうですかぁ...? 私はそんなことで夢を持ちたくないですけど。

2. 小学校ではないけれど、このところ、中学校や高校で色んな事件が続出する。嘆かわしいことに、ひどいのは「同級生や教師を刺殺」なんていうものさえある。また、事件だけでなく色々な事故も学校現場には生じる。「サッカーのゴールが倒れて付近にいたN君の頭を直撃」だとか。  そして、その事件や事故の内容によっては「新聞沙汰」になったりして、校長先生はマスコミの取材攻勢を受けたりすることになる...。
 「学校の管理態勢に問題があったのでは?」だとか「死亡したN君はどんな生徒でしたか?」などの質問が矢のように校長先生に向けられる。
 そういう問いに対して「あれは事故です。」だとか「そんな一生徒のことを私が知っている訳がないでしょう? 担任に訊いて下さい。」などと答えることはできない。たとえ本心ではそう思っていたとしても、だ。
 校長先生...、何とも因果な職業である...。
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その12 教師の独白(1)

 私の友人には小学校・中学校教師が多い。彼らから色んなエピソードを聞くことも多々ある。思い出すとすぐ二桁に届くくらいである。その中から順不同に、思いつくまま、まずはその第一弾。

 「体罰禁止」ということで、最近では教師が生徒・児童に手を上げるようなことは少なくなってきた。(その逆は増えているのかもしれないが。)
 これは体罰絡みの話ではないが、「先生はお前のためを思って怒っているんだ!」という類のセリフ、聞いたことあります?
 実際にそうであることも、もちろんある。けれど、かつて、とある小学校教師、曰く「あのセリフの半分は嘘。たいていの場合は自分が他のことでムシャクシャしているとき、子供がちょっとでも変なことをすると当たってしまう」...。
 って、その友人がまだ新任だったころの話です。今では彼も自分をコントロールできるようになっていることでしょう。

 でも、ある程度、わかるような気もする。(笑) ま、私自身は「感情を表情に出さない、冷酷なタイプ」ですので、滅多なことでは学生に対して怒鳴ったりはしないのですけどね。

 そう言えば、その教師、こんなことも言ってました。
 「うちのクラスに何度説明しても分からないし、何度注意しても忘れ物をする子がいてね...。どうしようもないんだよ...。この間なんか、『何? 教科書を忘れた、だとぉ〜? 教科書を取りに家に帰るついでに、脳味噌もちゃんと忘れずに持って来い!!』」と言いたくなったよ...。でも、その子のことだから『はい、そうします。』と言いそうだったんで我慢したけどね...。」
 これも、何かわかるような気がする...。(爆)
(1998年9月 書き下ろし)
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その13 教師の独白(2)

 これもまた、とある友人(以下、教師Y)が新任教師だったころの話。

 その日、教師Yは自分の担任である小学校二年生のクラスで音楽の授業をしていた。学期末に近い時期であったので彼は子供一人一人に課題曲を歌わせ、それを評価することにし、授業後にじっくりと聞き直すことができるようテープレコーダーを準備して授業に臨んだ。
 目ざとい子供たちがテープレコーダーに気づかないはずもない。子供たちは、口々に全員が歌い終わった後で是非ともそれをその場で再生し、自分たちにも聞かせて欲しいと教師Yに頼んだ。教師Yはその提案を受け容れた。
 そして子供たちの歌入れ(?)が終わり、教師Yは約束通りみんなにそれを聞かせてやった。
 ところが、とある児童(便宜上、以下、児童X)のところで、子供たちが異様にうけるのだ。
 はっきり言うと、児童Xは「音痴」だったのである。
 「Y先生、Xちゃんの、もういっぺん!」という子供たちの強いリクエストに教師Yは何度も応じた。何度繰り返しても教室中は大きな笑い声に包まれたという。
 ところが、ふと気づくと教室の中に児童Xの姿が見えない。慌てた教師Yは教室を飛びだし、校舎を走り回り、そして校庭に出た。そして、ブランコの辺りでしゃがみ込んで泣きじゃくる児童Xを発見した。そして、その時になって初めて教師Yは自分がいかに残酷な仕打ちをしたのかに気づいたという...。

 ...。ひどい教師もいたものだ...。(教師Yって、根は本当にいいヤツなんですけどね。)

 他人事のように感想を述べましたが、実は HASENOBU も似たような経験が...。(爆)

 あれは、十年ほど前のことだった。その日、私は「フランス語専攻」の学生達を相手に(一般教養科目としての)「英語」の授業をしていた。私は、典型的な訳読の授業の有効性に確固たる信念を持っているので、その時もいつものように学生を指名し、音読させ、そして和訳をさせた。
 一回の授業で何ページも進むのではないのだから、丹念に下調べをし授業に臨むように言いつけていたにもかかわらず、その時に当てられた学生の答えは、彼女がちゃんと予習をしてこなかったことを示していた。
 そこで HASENOBU は冷たくポツリ...。
 「はい、ありがと。でも全然、訳(わけ)わかんないですね。」
その途端、教室中が水を打ったように静まり返った。そして、その学生は HASENOBU を恨みと憎しみが込められた目で見つめた。「孫子の代までたたってやる...。」とでも言うかのごとく...。(あの眼差しは一生、忘れえない...。)
 その後の、そのクラスでの授業のやりにくさと言ったら...。(笑) 「フン、どうせ私たちはみんなお馬鹿さんですよ!」という態度がありありと分かるような...。(爆) 針のむしろとはこのことか...、と思いながら後期の終了が待ち遠しい私でした。
(1998年9月 書き下ろし)
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その14 あ、あれは本当だったんだ...。

 前にも書いたように私はテレビを見ない。先月などは「ちびまるこ」や「コジコジ」すら見なかったので「自分で見ようと思って見たテレビ番組」は皆無であった。さらに最近は子供たちがファミコンやらプレイステーションなどのゲーム機で遊んでいることが多いんで、さらに見なくなった。
 そして同様に、ラジオも聞くことはない。自宅で聞くこともないし、職場で聞くこともない。唯一、可能性があるのは車に乗っているときだが、これもCDやテープを聴いているのでラジオの出番はまず、ない。

 が、今から書こうとするのはラジオ絡みの話。
 今から7,8年ほど前、何かの拍子でカーラジオを聞いていた。それは広島のローカル番組で、その番組には、やはり広島出身の歌手のグループか何かがゲストとして出演していた。話題は、何故か知らないが、高校時代の思い出、であった。
 その時、そのうちの一人が「実は、廿日市高校に、『ほいっち』というあだ名の先生がいてね〜。」と言い出した。
 「変なあだ名だね。(笑) でも何で?」
 「うん、その先生は英語の先生なんだけど、定年間近の先生でね。その人の発音が、すごいんだよ。ほら、『どの』とか『どちら』って言うときの which ってあるじゃん。あれをその先生はいつも『ほいっち』って言うんだよ。だから。(笑)」

 と、まぁ、こういうやり取りがなされた。それを聞いた私は声に出して笑いはしなかったものの「それはなかなか...。でも本当かな...?」と半信半疑だった。人によっては「うぃっち」に近い発音をする人もいるかもしれないけど「ほいっち」はいくら何でも、ねぇ〜...、と思ったのだ。

 ところが時は流れ、4年ほど前、とあるテニスクラブで、その日初めてお会いした結構年配の人達とダブルスのゲームをしよう、という話になり、そして、プレー前にサーブ権(正確には、コートサイドを選ぶ権利、レシーブを選ぶ権利)を決めるための「トス」を行った。
 テニスをやったことのある人ならお分かりかと思うが、テニスでのトスは一般的にはラケットをくるくるっと回してメーカーのロゴの上下を当てて決めるものである。もっと詳しく言うと、ラケットを回す人が "Which?" と言い、それに対して "Smooth (あるいは Up)" か "Rough (あるいは Down)"と答える、のである。
 が、その時の、そのお爺さんは、何のためらいもなく「ほいっち!?」と言い放ったのであった...。

 え...? 今、何て言ったの? 他のこと考えて君のことぼんやりしてた...。(後ろの2つは余分ですが。)

 さりげなく聞き流した素振りを見せた私であったが、内心は、「おぉ! おお! おおおっ!」というくらいに感動しまくっていた。あの話は本当だったんだ...。何てことだ...。(そんな大袈裟な...。)
 「失礼ですが、もしかして以前、廿日市高校で英語を教えていらしゃったのでは...?」と、尋ねたいとも思ったが、もしそうだったとしたら「でも、どうして? 卒業生?」と逆に尋ねられるのは間違いないことなので、訊くに訊けなかった...。あぁ、あのお爺さん、今、いずこに...?
(1998年10月 書き下ろし)
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その15 ファミリーレストランの芳名帳

 ま、本当は「芳名帳」じゃないのは分かっているんですが、適切な名称が思いつかなかったので...。(ま、飛行機の場合には Waiting list とでも言うのでしょうが)
 で、大体、何のことを言っているか、もちろんお分かりですよね?(誰に話しているんだ、私は...?)

 具体的な名前を出しても差し支えないだろう。そう、旧すかいら〜く(現在はガスト?)や、広島で言うとサンデーサン、九州でのロイヤルホスト、関東ならデニーズなどのようないわゆるファミリーレストランに食事時に入ると、異様に混んでいて待たされることがある。入り口には所在なく家族連れが長椅子などに腰掛けている。そしてレジの近辺に「お名前をお書き下さい。」とノートやら紙切れが置いてある。見ると「田中 5名」といった風に、御丁寧に名前と人数をあらかじめ届け出るシステムになっていて、そしてテーブルが空くと名前を呼ばれてのそのそと移動する...、という風景が...。
 実際、そういう場面に出くわしたことは何度かあるが、最初の2,3回くらいは素直にその指示に応じた(?)。が、今では、大体、あきらめて店を出ることにしている。別に、どうしてもそこで食べたくってたまらない、などということもないし、たまたま入っただけなんだから未練はない。
 未練はないけれど、文句を言いたい。(爆) 昼(あるいは夕)ご飯を食べるのに、何でいちいち名乗らなきゃならんのだ?
 もちろん、それなりの店(ほとんど縁はないけれど、一流の料亭だとか、高級レストランとか)であるならば、そもそも予約無しで入ろうとも思わないし、予約するならちゃんと名乗りもしよう。(そりゃ、当たり前だが。)

 だが、ファミリーレストランでなぜ名乗んなきゃならないのだ? 何か間違ってない?
 おまけにその「芳名帳」に書かれた名前は次々に乱暴な棒線で消されて行くようだ...。何て失礼な...。

 で、最近は、別に急いでいなくって、他に行くのも面倒くさい時には偽名を使うことにしている。偽名、って言ったって「鈴木」とか「吉田」とかのその時に思いつく、ありきたりの名前ですけど。
 が、ふと、さらに悪戯心で「ダニエル竹田」とか「大園アナコンダ」とかの突拍子もない名前を書きたくなる...。(ちなみに今の2つも、ただ無作為に作っただけですが。)
 そして、さらに図に乗って(?)、もっともらしく「ピーター・コーツ」や「サンドラ・スミス」などのまともな人名、著名人・芸能人の名前、そして「カーネル・サンダース」、「ミスター・ドーナツ」、「マクドナルド呉服店」、さらにはもっと意味不明な「たそがれのエイトマン」、「デナレセメガ3世」、「UVカット率99.5%」、「食中毒推進協議会」、「伝染病蔓延運動発足委員会」とかの名前(もはや人名の域を脱しているかもしれないけど)を書いてみたい衝動に駆られることも...。
 ガストの店員のお姉さんが、すました声で「ミスター・ドーナツ様、どうぞ!」などと呼ぶ光景...。結構、面白そうだけどなぁ...。ま、実行に移したことはないですが。
(1998年10月 書き下ろし)
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その16 明日は我が身

 笑ってゴメンよ、K...。
 と、いきなりお詫びの言葉で始めましたが、このKというのは(別に実名を出しても私は構わないのだが)私の20年来の友、リードヴォーカル氏である。きっと、彼はこの話を「ぎゃははは..!」と言って喜ぶだろう。

 私の部屋は、離れ、である。誤解を受けるかもしれないんで補足。別に大邸宅に住んでいるわけではない。私の自宅はどこにでもある建て売りの一軒家だ。が、広島市内とは言え中心部ではないので10坪くらいの庭があった。(決して「豪庭」でもないよ、てっこう。)そして母屋(?)の方は妻の強い希望により禁煙となっている...。そこでこの家を購入したあと、引っ越し前に庭にミニハウスを建て、そこを私の自室とすることになった。職業柄、本が大量にあるので床のことも心配だったというのもあるが。(ちなみに、そのミニハウスは6畳の広さで、本棚は大小合わせて8つ、物品棚4つ、机が一つを備え、そこにステレオやコンピュータ、ギターなどを置いていて、荒れ放題である。)
 私はその部屋のことを「男の城」と呼んでいるが、妻は「小屋」あるいは「物置」と呼んでいる。
 夕食がすむと、ほとんど毎晩、私はその部屋に籠る。(笑) そして音楽を聴き、タバコを吹かし、酒をのみ、本を読んだり仕事をしたり、駄文を書いたりするのだ。
 (あはは...。いつまでも本題に入らないなぁ...。)
 で、そこは安物のカーペットが敷いてあり、当然、土足禁止である。よって、入り口のところでサンダルを脱ぐ。

 で、さっき(1998年10月8日、午後10時30分頃)電話がかかってきた。私の部屋には子機がおいてあるので、それで出た。が、ドアや壁で親機からは遮られているため、雑音が入りやすい。そこで、母屋へ近づこうと、外へ出た。

 「ん...?」
 雨は降ってないのに...? サンダルを履いたら左の足の裏が濡れた...? 夜露、というほど冷え込んではないのに...?
 嫌な予感がした...。
 左足のことを気にしつつも電話を終え、私はサンダルを脱いで確かめた...。予感は当たっていた...。
 外に並べていたそのサンダルにナメクジが一匹(多分、二匹じゃない、と思いたいけど)入っていたのだ...。あぁ...。(今また、悪寒に襲われた。) すぐに蛇口のところへ行き、数分間、水で洗い流した。足も、サンダルも。それでもおさまらずにお風呂場に行って足を石鹸で洗った。あぁ...。でも、今でも気持ち悪い。鳥肌がおさまらない...。しかも、まだ何か、におう...。(爆)

 友人Kはナメクジが大嫌いだという。その訳、つまり幼少のみぎりにナメクジを素足で踏みつけたから、というのを聞いたとき、私は大笑いした。「ぎゃははは! とことん冴えん〜!! それは強烈な思い出ですなぁ! よっ、ナメクジ殺しのK!」と揶揄気味に言ったような気もする...。その災難が我が身に降りかかることなど神の身ならぬ HASENOBU には知る由もなかったのだ、その時は。
 だから...。笑ってゴメンよ、K...。
(1998年10月 書き下ろし)
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その17 姓名と名姓(続編)

「いきなり続編?」と思った方もいらっしゃるでしょう。(いなかったりして...。)
この正編はある成り行きから(笑)別の人のホームページに掲載されています。「ほぉ...。じゃ、それを読んでみようか...。」と思われた奇特な方は、ここをクリックして下さい。飛んで行けます。


 正編の方で「日本人は姓名の順番なのだから、たとえ英語で名乗るときに、特にそれが日本国内であれば、わざわざひっくり返したりせずにそのまま言うべきだ」ということを唱えた。
 それ絡みで、正確には英米人と名前を呼びあうことについての話である。

 私の職場にはイギリス人、アメリカ人、カナダ人、合わせて6名の外国人がいる。彼らは私のことを "Mr. 〜" と呼んでくれる。私がそう頼んだからだ。
 そして私は彼らのことを "〜-san" と呼ぶ。もちろん「〜」は姓の方である。
 去年、カナダから新しく外国人が来ることになり、私はその人を広島駅で出迎え、職場、そしてその人のアパートへと連れてゆく役目を上司から言い渡された。その人物とは既に e-mail でやり取りをしていたが、もちろんその際は "Mr.〜"と呼び合っていた。
 さて、出迎えの当日、私は広島駅からタクシーでR氏をまずは職場へと案内した。その車中、R氏は "Please call me 'Stu'." と言った。
 そう。(何が「そう」なんだか...。) アメリカ人によくあるようにカナダ人もファーストネームでお互いを呼び合い、さらに、例えば Andrew であれば Andy のように短縮形までも使う文化を持っているのだ。別にそれはそれで結構なことだ。それが彼らの対人関係、人間関係の基本的(?)な部分を担っていることも重々承知しているし、それは尊重したい。
 が、ここは日本なのだ。そもそも私には同僚をファーストネームで呼ぶ(つまりは、呼び捨てにする)ことなどはできない、仲の良い友達ならまだしも。時にファーストネームを出してしまうこともあるが、それでも「さん」をつける。
 だから、自分をファーストネームの短縮形で呼んでくれという彼の礼儀、もう少し言えば「これから仲良くしようよ。」と言っているのは分かっているのだけれども、その厚意に感謝しつつも私は簡単に事情(笑)を説明し、丁寧に拒絶した。(爆) もちろん後日、彼が長旅の疲れが取れたころに、誤解の無いよう、改めて詳しく私の考えを説明しておいた。

 となれば、海外に行ったら、どうなのか? 名乗るときには(正編に書いたように)私は「姓名」の順番をひっくり返したりはしない。仕事でのつきあいしかないのだからファーストネームを使ってくれと頼むことも滅多にない。が、以前、初めてアメリカ本土へ足を踏み入れ「ホームステイ」をしたとき、つまり「みぉの話」に登場する「ホストファーザー」には「私のことをノブと呼んでくれ。」と言ったけれども。しかし、その時に「でも knob じゃないからね。」と言ったものだから彼は私のことを「ノブウゥー」という感じで異様に後ろを強く発音し、呼ばれるたびに「ふざけているのか、もしや...?」という気になってしまったが...。(笑)
(1998年10月 書き下ろし)
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その18 君の名は

 以前、とある高校で英語教師をしていた頃の話である。
 どこかで書いたが、その高校には MEF、つまり Mombushou English Fellow (後には AET=Assistant English Teacher)と呼ばれる外国人が時折巡回してくることがあった。詳しいことは忘れたが、一定の区域にある高等学校を一人で担当するため、常駐しているわけではなかったのだ。
 が、あるとき、その MEF がもう一人、外国人を連れてきたことがあった。聞くとその外国人も MEF であり、たまたま訪問予定の高校が球技大会か何かで授業がなく、暇になったんで来たのだとのことだった。

 「あ、そうですか。で、お名前は?」と尋ねたHASENOBU。すると彼は「ショパン」だと言う。「へぇ〜、珍しいですね。『ショパン』ってあの『ショパン』と同じ綴りで?」と少し驚きつつ私は確かめた。やはりそうだとのこと。「ふ〜ん、じゃあ、ポーランド系なのかなぁ...?」などと思いつつも、その気のよさそうな小柄な外国人との初対面を果たしたのでした。

 ところがそれから一カ月も経たないうちに私は彼の顔を朝刊の中に見つけ驚いた。「あ、この外国人、確か、この前うちの学校に来た人だ...。」
 そして、何と、その記事には「英語教師 大麻取締法で捕まる!」といった感じの小見出しが...。(爆)
 十年以上前の話なので詳細は覚えていないが、どうやら「大麻を所持しているらしいという通報がとある警察署に寄せられ、任意同行を求めたところ、あっさりと容疑を認め、さらに家宅捜索をしたところ、自宅のアパートのベランダの鉢植えで麻を栽培していた」そうな...。

 が、その新聞、ええい、書いちゃえ(笑)、熊本日々新聞は「ショパン」ではなく、「チョピン容疑者」と何度も繰り返し記述し、もちろん顔写真の下にも「チョピン容疑者」と...。(爆)

 チョピン...。そのもの悲しく、どこか忘れかけていた郷愁を呼び起こすような、それでいてなぜか力強い響き...。

 ま、いいんだけどね...。
 (付記:とある情報によると、関東地方のラジオのCMで「ショパン」を「チョピン」、「バッハ」を「バック」と言う男が出てくるものが最近あったらしいけれど。しかし私の「チョピン疑惑」は1985年頃の話ですので...。)
(1998年10月 書き下ろし)
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その19 ふと思い出すお話

 ということで、いつもではないけれど、何かの拍子にいつも思い出す小話を一つ。

**************
 ある夕方、私はクエーカー教徒の友人と通りを歩いていた。ちょうど、街角の所に、新聞のスタンドがあって、友人は一部、買い求めた。
 「ありがとう。」
代金を渡しながら友人は言った。なのにその売り子は何も聞こえなかったかのようにただ金を受け取っただけだった。
 通りを歩きながら私は友人に言った。
 「無愛想な奴だね。」
 「そうかい? あそこでいつも新聞を買うんだが、彼はいつもあんなもんだよ。」
私は、友人の言葉に少し戸惑いながらも言った。
 「え? でもそれなのにどうして君は礼を言ったりするんだ?」
 私の問いに対する彼の返事を聞いて私は頭のどこかで何かが鳴り響いたような気がした。
 「え? なんで私が彼に礼を言ったりしたかって? じゃあ、逆に訊くけどどうして私の行動を彼にきめさせなきゃいけないんだい?」
**************

 今、残念ながら原本がないのですが、S.J. Hariss というコラムニストのエッセイの中に出てくる話です。この人のエッセイは、なかなか味があって私は好きなのですが。もしも彼の著作が日本で出版されていなかったら翻訳してみようかとさえ思っています。(笑) ただ、実を言うと、彼のエッセイはよく日本の大学の英語教科書に取り上げられているんですが。(爆)
 う〜ん、陳腐な説教話でしたか...。どうも失礼しました〜。
(1998年11月 書き下ろし)
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その20 クリスマスに寄せて

 もう15年以上前の話なのになぜか覚えている...。(笑)

 大学の生協の食堂のおばちゃんは愛想がない。(笑)
 特に麺類担当の、あるおばちゃん(名前は知らない)は、そうだった。いつも苦虫を噛み潰したような表情で、そしていかにも不機嫌な声で「焼きそばのかたぁ〜!」と叫ぶのだった。
 「何か、いやなおばさんだなぁ...。ぜんっぜん、愛想もないし...。」と常々私も思っていた。

 ところが、12月のクリスマスの近づいたある日の夕方、生協の建物から出てくるそのおばちゃんを私は見かけた。彼女は(当たり前だが)いつもの小汚い(失礼な...(笑))エプロン姿ではなく、それこそ、どこにでもいるおばちゃんの格好をしていた。そして、通勤用であろう安っぽい(何と失礼な...(笑))バッグを片手に、そしてもう一方の手には少し大きめの白いビニール袋が...。そのビニール袋の形から、その中には少しかさのある正方形のものが入っているのは間違いなかった。そして、いつもは無愛想でしかめっ面の印象しかないおばちゃんの口元が少し緩んでいる。菩薩様と言ったら言い過ぎだが、とてもにこやかで穏やかな表情...。

 「あ、クリスマスケーキだ...。」と私は悟った。うん、あの形、質感(?)から、間違いない、あれは、クリスマスケーキだ。そう言えば生協の売店でクリスマスケーキの予約の宣伝をしてったっけ...。

 おばちゃんの足取りは軽い。
 ふと、私の脳裏に次のような光景が浮かんだ。

 「ほ〜ら、クリスマスケーキだよ! さぁ、お食べ!」とおばちゃんの声。
 「わ〜い、ケーキだ、ケーキだ!!」
 歓声を上げながらケーキの置かれたちゃぶ台に群がる3人の子供。
 部屋の電灯は、60Wの裸電灯。真冬というのに子供たちは靴下も履いていない...。
 「ねぇ、父ちゃんは?」
 一番下の子供が尋ねる。
 「父ちゃんは今日も残業だよ。さぁ、父ちゃんの分は残しておいて、みんなでお食べよ。」と促すおばちゃん...。
 そこで一番上のお姉ちゃんが思い出したように言う。
 「そうだ! 食べる前に『きよし この夜』をみんなで歌おうよ!」
 そして部屋に響くのはおばちゃんと子供たちのちょいとばかり調子っぱずれな歌声...。

 う、いかん、いかん、また妄想癖が始まった、と私はかぶりを振った。(笑)
 そして薄暗くなった大学の構内を歩いてゆくおばちゃんの後ろ姿を見送りながら一言。
 「メリークリスマス、おばちゃん...。おばちゃんの作る焼きそば、おいしいよ。」
(1998年12月 書き下ろし)
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