毒にも薬にもならない話 Part 5

目次
その41 塗り替えられた歴史
その42 とある広告文句
その43 衝動買い
その44 名前
その45 僥倖
その46 ぎったんばっこん vs ぎっこんばったん
その47 衝動買いをしなかった話
その48 ぎったんばっこんのその後
その49 流れ星
その50 ♪自転車に乗って♪

トップへ戻る
駄文の樹海案内板へ戻る

その41 塗り替えられた歴史
 堅いタイトルだ...。私の得意とする真面目な話だ。(←大ウソ)

 とある社会科の教師が、日本史だったか、世界史だったかのテストをして、そして答案用紙を回収しながら生徒達に向かって「これで諸君によってまた歴史が塗り替えられた。」と言う、という話がある。ま、これはよく知られた笑い話だと思うけれど。

 さて、私も似たようなことを思うことがある。もちろん内容的には全然違うことだけれど、私の教え子達の珍解答のネタには事欠かないのだ。
 かといって、職務上知り得た事柄を記すことを考えると少しばかり気が引けるのだが、あくまでこれは「架空の話」だ、と言い張ろう。(爆) ま、私の言うところの「冗談」として提示するのだ。

 かなり前のことだが、ある親子がいて、子供が拾ってきた子犬のためにお父さんが犬小屋を作ってやろう、というような話を読んでいた時のことだ。(もちろん英語の話だ。)
 「父親は息子に、納屋に行って handful of nails を取ってきてくるように言った」という文があった。もちろん、ここで父親が欲したのは、直訳に近い感じで言うと「一握りの釘」だ。
 ところが、この部分を当てられた生徒は「手いっぱいの爪」と訳した...。
 おい...。手のひら一杯の爪、という図はかなり異様だ...。そんなものがある納屋って、一体、他に何が置かれているのか? ホラー小説を読んでいるのでもないのに...。

 付加疑問文の和訳の問題で、「彼女は package tour に行きましたよね?」というのがあった。ここでの package tour というのは、ま、旅行会社がお膳立てしてくれる、いわゆる「パック旅行」のことだ。なのに「一括の小旅行」(←これは、まぁ、分かるが)だとか「パッケージ・タワー」だとか解答しているものがいる...。極め付けは「小荷物旅行」だ...。何なんだ、一体、「小荷物旅行」って...? 

 しかし、これらは、まだマシな方だ...。単語のとらえ方がおかしいだけで文の構成は理解しているのだから。それよりも手に負えないのは意味不明の和訳文だ。いくつか例を挙げよう:

1. 私は出かけたとき何かが起こった。私は帰って彼女は謝ることではなく、問題は豆の焼く自由な tin をもらった。

2. 私達はホテルに到着したとき、私達は台所の上に部屋を与えられたのではなかったと配達したのだから私達は次に空気のコンディションの修理をした。

3. 彼は本当にタバコを吸うのは危険について医者から与えられた。

4. 「私は自由な滞在にするのならさえ一度ホテルに」と言った彼は滞在しなかった。

5. もし赤い旗が飛ぶのなら、いくつかの仲間の下で泳ぐことはないであろう。

あ〜、虚しい。もう止めた。
 何が何だか、訳(わけ)が分かんない訳(やく)だ...。
 もちろん、これらの解答を書いた学生は真剣だったというのは、分かる。だけど、真剣さと意気込みだけで正しい解答は得られないのだ...。5.の訳文(と呼んでいいかどうか分からないが...)などは、何となく「ノストラダムスの大予言」めいた印象すらある...。それを正しく解釈できない私が悪いのか?

 う〜む...。別に学生のことを茶化したい訳じゃないのだけどね。ただ、何というか、英文解釈がどうのこうの、という以前のレベルの話のような気がするんだけど。

 あ〜、これこそ意味不明の駄文だぁっ!!
(1999年8月 書き下ろし)
「目次」へ
トップへ戻る

その42 とある広告文句
 前から気になっていたことがある。って、実にくだらないことなのだけど。それは、タイトルに書いたように、とある広告文句のことなのだが。
 広島の、多分、大手の居酒屋(酒処?)に「酔心」というのがある。これは広島市内だけでも何軒かの店舗を持っていると思う。私は、今まで一度も行ったことはないけれど。
 そこの店の広告、というかキャッチフレーズは「広島で二番目に安うてうまい店」である...。

 この「〜で二番目に安くてうまい店」というのは、これまでにも(広島に限定せずとも)聞いたことがあるのだけれど、一体、何が言いたいのか良く分からない...。
 「それなら、『広島で一番、安うてうまい店』を教えてくれ。今からそこに行くから。」と言いたくなるのだが...。
 
 って、おおよその察しはつくんだけどね。(笑) きっと「一番目は、お袋の味、ですよ。」ということだろう。だけど、ちょっと待ったぁ〜!(笑) 「お袋の味」は店じゃないのだけど?
 百歩譲って、お袋の味が一番だということで納得したとしても、では、「一番目に安い店」ってのはどこなのか、にはきちんと答えてもらいたい。(爆)

 ついでだからもう少し突っ込んでおくと(笑)、「広島で」という限定をするからにはそれなりの根拠があるのだろうか? 広島県内にある全ての居酒屋などの市場調査をして、その上での発言なのか? ま、きっとそんな根拠はないのだろうが。

 でもね〜、「広島で」だとか「二番目に」などと、妙に具体的な表現をするのはいかがなものか?(←あ〜、嫌みったらしい書き方だなぁ...。) 「一番」と書くことに後ろめたさを感じたのか、それとも謙虚さを打ち出そうとしたのか? 私としては、いっそのこと「広島で一番」と言い切ってもらったほうが、たとえそれが明らかに嘘であるにしても(爆)、まだすがすがしい気持ちになれるのだが。

 あ、今、全然違う話を思い出した!(笑)
 私が住んでいる地区は「五日市」と呼ばれている所なのだけど、自宅から車で5分ほどの所にあるラーメン屋に息子と娘を連れていったときのことだ。当時、小学一年生だった息子、じゅそは、ラーメンを食べ店を出たときに、表の看板の「世界一の味を目指す○○ラーメン」というのを見て、次のように淡々と言ってのけた。「世界一を目指すのはいいけれど、まずは五日市一を目指すべきだね、この店は...。」(爆)

 と、関係ない話でしたが、これにておしまいっ!
(1999年8月 書き下ろし)
「目次」へ
トップへ戻る

その43 衝動買い
 自転車を買った...。21段変速機のついたスポーツモデルだ...。(爆) マウンテンバイクではない。今回、初めて知ったのだが「トレッキングバイク」という範疇のものらしい。

 今朝、たまたま眺めていた朝刊の広告で「サイクルフェアー開催!」というフレーズが目に入り、「ほぉ〜...。」と思ったのだった。一泊二日の職場旅行から帰ってきた妻の出迎えに行った帰り、その広告を出していた店に立ち寄り、現物を目にしたところ、無性に欲しくなった...。で、つい買ってしまったのだ...。(笑)

 話は飛ぶようだが、昨年、夏に昔のバンド仲間が集まったときに色々とお手伝いをしてくれた北田先輩が、その前年に、夏休みに思い立って九州一周の自転車旅行をしたことを思い出した。北田先輩は現在、熊本県庁に勤めているのだが、沖縄を除いて九州全県の県庁舎の前で記念写真を撮ることを目安(?)として、単独自転車旅行を決行したとのことだった。
 雨に見舞われたり、公園のベンチで寝て蚊の襲撃を受けたりしながらも無事、完走されたという。熱い陽射しの中、懸命にペダルを漕ぐ先輩の様子が目に浮かぶ...。日焼けのせいで皮膚が赤くなってしまった時に、日の出の見事な朝焼け空を見て感動し、鳥肌が立ったそうだ。が、日焼けの肌が痛くて「ダメだ! 感動しちゃいかん!!」と自分に言い聞かせたとのことだが、身体は正直だったそうな。(笑)

 ま、そんな北田先輩の話を聞いていたこともあって、私もいつか、数日かけて自転車で遠出してみたいと思ったのだが、この春に思いがけず手に入れた自転車は、いわゆる「シティサイクル」というもので、変速機もついていない。平坦な道なら問題ないが、ちょっとした坂でもかなり辛いのだ。(ちなみにその自転車は職場に持って行き、ちょっとした距離への移動手段として利用している。)
 
 一応、私にはあと一カ月の夏休みがある。(笑) (って、夏休みだから授業がないというだけで仕事がないわけではないのだが。) 今はまだ未定だが、近いうちに往復200Km程度の軽い自転車旅行にちょっとでかけてみようかと企んでいる私である。

 でも、前にもカゴはないし(笑)、後にはカゴはおろか、荷台(?)すら付いていない。(マウンテンバイクだったら泥よけもないことが多いけれど、私のには付いている。) となるとリュックサックというか、ナップサックなぞを背負っての旅行となるのだろうか...? どういういでたちが望まれるのだろうか...?(笑) どこへ出ても恥ずかしくないサイクリストとなるにはどうしたら良いのだろう?(って、本当はそんなことは全然思ってない。ま、さすがにサンダルで乗ろうとは思ってないが。)
 ま、自転車は完全に生身むき出しの乗り物だから、危ないといえば危ない。
 だから、もし、ここのホームページがある日を境に、ぷっつりと更新されないままになったら、変に心配せずに「あぁ、HASENOBUは自転車に乗っていて転んで入院するほどの怪我をしたか、車に跳ねられてあの世に行ったのか、どちらかだろうなぁ。」と理解して安心して下さい。(爆)
(1999年8月 書き下ろし)
「目次」へ
トップへ戻る

その44 名前
 名前は、悲しい...。と書くとちょっと唐突かもしれない。別に、みょうちくりん(笑)な名前をつけられて悩んでいる、というような話ではなく、なのだが。

 大学生の頃、よく読んでいたマンガに「いがらしみきお」の作品があった。
 とある時期から彼は「ぼのぼの」というマンガを始め、完全に転向(爆)した感があるのだが、初期の彼の作品はま、中には下ネタもあったものの、「シュールなギャグ」を特徴としており、私はかなり影響を受けたと思う。
 で、その中で、主人公(ここでは「いがらしみきお」本人?)が、交通事故を目撃した話がある。そして、その事故で路上に倒れている被害者は、どういう理由からかズボンがずれてしまっていて、パンツが見えているのだ。そして、そのパンツに「マサオ」だったか、何だったか忘れたけれど、名前がマジックで書かれているのに主人公が気づき、ものすごく(!)悲しい思いをする、という4コママンガなのだけれど。

 私も、まさに同感である...。というか、かねがね、そういう思いを抱いていた...。

 私の息子のじゅそ。じゅそが今日、筆箱を忘れて学校に行った。遅く起きだした私は、何気なくその筆箱を開いてみた。すると消しゴムにヘタクソな字で「○○○○ジュンイチ」と書かれてある...。何故か、胸が締めつけられるような気がした。別に息子のことが愛しいからだとか、そういうことではなく。

 モノをなくしたり、他の人のモノと間違えたりしないように、ということで記名するのだろうけれども、何か、とても切ない。自分でもよく分からないけれど...。

 私には一つ違いの兄がいて、まぁ、体格的にも似たようなものだったから、無地の下着などには母が「カ」と「ノ」と書いて、その識別をしていた。私たちが父と同じくらいに成長したときにはさらに「ヤ」という文字も加わり、母やそれを印に洗濯物の整理をしていたのだ...。

 貧乏臭い、とか、生活臭が漂う、ということでもないような気がするのだが、それでも、何故か、そこはかとなく悲しいのだ...。
 何故なんだろう...?

 と、自分でも書いていてよく分からない話でした...。
(1999年9月 書き下ろし)(---ちなみに酔っ払って「何故なんだろう...?」と考えるのを止めた私でしたが、これを読んだ雪見さんが冷静に分析してくれた文があります!! さぁ、彼女のホームページへ!!(爆)---10月09日追記)

(で、上のリンクはすでに切れてしまっています。(爆) ですが、雪見さんの特別な計らいにより、ここで触れている文面についてのリンクを残していただきました。ってことで、こちらへどうぞ! (ありがとうございます、雪見さん。感謝します。) 2002年3月9日 付記)

「目次」へ

トップへ戻る

その45 僥倖
 う〜ん、これは「つまんない話」の部類かなぁ...? ま、いいや。(笑)

 もうとっくに潮干狩りや海水浴、といった季節は過ぎた。多分、また来るだろうけれど。(爆)

 もう25年くらい前の話である。中学校の時に中川英世という同級生という人物がいた。漫画ピーナツの中の(スヌーピーの飼い主である)チャーリー・ブラウンに顔の造りが良く似ている彼は聡明な男で仲良くしていた。
 で、実は、はっきりと覚えていないのだが、中学2年生の時だったか、彼の父親が、息子と仲の良い何人かの友人を連れて、車で30分足らずの海へと連れていってくれることになった。果たしてそれが「潮干狩り」だったのか「海水浴」だったのかは、はっきりしていない。(両方、ということはなかったとは思うが。)
 ただ、はっきりと、くっきりと覚えていることがある。(笑) それは、三角半島から宇土市を抜けて熊本市内へ戻ろうという帰り道のことだ。
 突然、車を運転していた中川のお父さんが「キキーッ」といきなり車にブレーキをかけたのだ!
 それまで楽しく談笑していた私たちは一体何なのか分からなかった。まさか、人を轢いた...? いや、そんな衝撃はなかった。猫やら犬を轢いた(?)ような衝撃すらなかった。じゃあ、どうしたというのだ?
 そんな不安いっぱいの私たちをよそに、中川のお父さんは車を路肩に停めた。そしてドアを開き、車から降りながら、「一体何事なのか?」と不安げな私たちに声を掛けた。
 「五千円札が落ちとった。」

 おおっ...!! 何と!! (念のため言っておくと、当時は現在流通している紙幣の一世代前であったが、もちろん五百円札はすでに一般市場(?)から消え去ってしまっていた後だった。)

 中川のお父さんが小走りに車から去った後、車内に取り残された私たちは色めき立った。(笑) 「確か、もう少し行ったところにアイスクリーム屋さんがあったぞ!」「そうだ、そうだ!」「いや、確かタコ焼きも売っていたはずだ!!」「買ってもらえるかなぁ...?」「大丈夫だよ! な? 中川?」などとはしゃぎまくった。「警察に届けなきゃいけないよな。」などと座を白けさせるような無粋なことを言い出すものは、もちろん、誰一人としていない。(爆) その五千円札を落としたことで困ってしまったであろう人物のことなど頭の片隅にも浮かばない。
 そうだ、これは天からの恵みなのだ!(爆) これを「僥倖」と言わないのであれば他の何を僥倖と呼べばいいのか?(笑)
 こんな田舎の国道に、しかも歩行者などまずいないような道にお金が落ちている、などということが果たしてあるのだろうか、という、極めて素朴な疑問は、恐らく、私たちの誰もが胸に抱いていたことだろう。しかし、今回は違う。つまり「お札が落ちていた!」というような、そんなあやふやな話ではないのだ。「千円」でも「一万円」でもなく、中川のお父さんは「五千円札が」とはっきり言ったのだ!!

 アイスクリームやらタコ焼きという思いもかけぬごちそう(爆)にありつける可能性で胸を膨らませた私たちが盛り上がっていると、我らが偉大なる中川のお父さんが戻ってきた。

 そして、開口一番。

 「軍手だった...。」

 ...。(爆)

 ま、ただこれだけの話なんだけど。(笑)
 
 でも、今でも不思議なのは、どうして中川のお父さんは路上の軍手を見て「千円」でも「一万円」でもなく「五千円札」という確信を持つに至ったのであろうか、ということだ...。(笑) 色、形状、手触り(?)などなど、この両者に共通する特徴はほとんどないと思うのだけれど...。
(1999年10月09日 書き下ろし)
「目次」へ
トップへ戻る

その46 ぎったんばっこん vs ぎっこんばったん
 数えたことはないけれども、私はかなりの数の辞書を所有している。(って、本当に自慢するほどのことではないのだけれど、いや、マジで。) 『生成文法用語辞典』などの特殊なものは除いて、いわゆる、普通の「ことば」の辞典ということで、日本語、英語の辞典は、多分、種類で言うと、う〜ん、少なくとも50種類、冊数では100は越えると思う。(ま、職業柄、そうなんですが。)

 そのほとんどは職場に置いてある。自宅には30冊くらいしか置いていない。この春に入手した『日本国語大辞典』(小学館)など、全20巻であるから私の書斎に置くにはスペースを取りすぎてしまうのだ。日本語の辞典としては、この『日本国語大辞典』が数ある中で圧倒的な情報量で群を抜いていると思う。

 話はあちこちに跳ぶが「そんなに辞書を持っていてどうする?」というように思われるかもしれないが、それぞれの辞書には特徴・特長があるものなのだ。例えば、日本語の辞典ということでは、語の定義の斬新さ、綿密さでは『新明解国語辞典』(三省堂)は、『広辞苑』なんかよりも遥かに上を行っている。が、語彙の豊富さ、古語や歴史上の人物、著名な作品についての情報もある程度入れているという点では『広辞苑』も価値がないわけではない。
 英語の辞書の最高権威(?)である "Oxford English Dictionary" を模して(かどうかは知らないが)、歴史的原理により、用例を豊富に載せているという点、方言などの異形体をも詳述している点などでは、やはり『日本国語大辞典』が日本語の辞典としては最高峰であろう。(蛇足ながら、これまでの私の発言から「HASENOBUは『広辞苑』の価値を認めない」と思っている人がいれば、それは間違いだ。私は同書の価値は十分認めているし、初版の新村出博士の序文を読むたびに、氏の偉大さと、その志・功績に頭が下がる思いがするのである...。)

 さて「ここまでが前置きだ」と言うと読者諸君は驚かれるだろうか?(笑) え? もう馴れた、って?(爆)

 ということで、『日本国語大辞典』を職場においているのだけれども、今私の手元にはその第5巻「かつま−きにん」がある。(あ、もう一つ言っておくと、私はくまきの部屋の文章を職場で書くことは、まず、ない。今もそうなのだが、いつも自宅の自室に籠っての執筆作業(爆)なのである。) そして「自分の言葉で、好き勝手に書く」ことをモットーとしているため(笑)、駄文を書く時に辞書を参考にすることなども、滅多にないことなのだが、今回は例外中の例外だ。

 で、タイトルにあるように「ぎったんばっこん」の話だ。この単語を「一人しりとり」のコーナーで使ったところ、Yさんという人物(伏せる理由も効果もないけれど。(笑))から「普通はそう言わないでしょう?」という趣旨の意見が寄せられた。
 そこで、この『日本国語大辞典』の登場となる。

 まず「シーソー」という言い方については、明らかに外来語であるので除外。(ちなみに私の子供たちは「シーソー」を普通の、そして唯一の言い方として使用している。)
 
 Yさんは「ぎっこんばったん、でしょう?」とおっしゃる。では、『日本国語大辞典』ではどうなっているのか? ということで調べると...:

 ぎっこん-ばったん 《名》 「ぎったんばっこん」と同じ。

と、定義も載せずそっけなく書かれている。ちなみに、さらに同見出しでは追加情報として方言の項目がある。それによると、「ぎっこんばったん」は長野県上伊那郡で、「ぎっこばたん」という言葉で宮城県栗原郡、秋田県鹿角郡で、また「ぎったんばっこん」の形で熊本県天草島今津、大分県大分郡で用いられていることが記されている。

 そこで、次に「ぎったんばったん」という見出しを見る:

 ぎったん-ばっこん 《名》 長い板の中央を小さい台で支え、その両端に人が乗って
               交互に上下する遊び。臼杵(うすきね)。ぎっこんばったん。
               ぎっかんこ。シーソー。

ということで、少なくとも『日本国語大辞典』の編者達は「ぎったんばっこん」の方が、よりポピュラーな形であるという認識を示しているわけだ。
 で、ちなみにこの項目にも方言に関しての記述があり、それによれば「ぎったんばったん」で長野県南佐久郡、飛騨で、「ぎったんこ」で伊豆三宅島坪田で、使用されているらしい。
 (ついでに言うと、上の定義の中の「臼杵」というのは「水力で米をつく仕掛の臼」ということだそうで...。)

 ふむ...。ややこしいなぁ...。ちょっと、この二つをまとめてみよう。

 ぎったんばっこん: (全国的? 普通の言い方?) 熊本県天草島今津、大分県大分郡
 ぎっこんばったん: 長野県上伊那郡
 ぎったんばったん: 長野県南佐久郡、飛騨
 ぎっこばたん:   宮城県栗原郡、秋田県鹿角郡
 ぎったんこ:    伊豆三宅島坪田
 ぎっかんこ:    ?

ま、これからも分かるように方言については全都道府県が網羅されている訳ではないけれど。
 だが、全体の調子(例えば「ぎっかんこ」を調べると、やはり「ぎったんばっこんに同じ。」と書かれていることなど)からすると、一応「ぎったんばったん」が普遍的である、ということになりそうだ。

 ちょっと、すっきりしないが...。で、いきなりだが、提案だ。(笑) 「くまきの部屋」の読者である全国津々浦々にお住まいの十名前後の皆さん!!(爆) 皆さんは幼い頃「シーソー」のことを別の言い方で呼んでいただろうか? そうだとすれば「私は〜と呼んでいた。」という証言を是非とも私までっ!!(爆)
(1999年10月24日 書き下ろし)
「目次」へ
トップへ戻る

その47 衝動買いをしなかった話
 丸一週間前の話である。私は、妻と娘と三人でお出かけした。目的は「広島県私立中学校入試合同説明会」を聞きに行くためだ。日曜にすることがないから暇つぶしで、あるいは、志願者確保のために血眼になっている先生達を冷やかしに、というのではない。(笑) 私の娘が来年、私立中学校を受験する、からだ。

 「中学校から入試」ということでは、妻と私の見解はかなり異なるが、それについては省略。読んでもつまんないだろうし、書いていてもつまんない。

 で、その説明会で、目当ての中学校数校の説明を聞いた後、私たちは街中(笑)に繰り出した。目的はこれといってなかったが、妻が今使っているVAIOの性能に不満を持ち始め、さらに新しいノートPCを買いたい、ということでコンピュータショップに行くことにした。

 妻がDOS/V機のフロアに行って店員さんから説明などを受けている間、私はマックのフロアに行った。すると、一世を風靡した(?)あのiMacが99,800円で売られているではないかっ!!

 詳しいスペックは覚えていないが、初代のiMacはCPUが233MHzだったが、アップル社の言い分では、それでもIntel社のPentium 400MHz(?)を遥かに凌ぐ早さと能力を備えている、とのことだった。この春以降、マック関係の雑誌を買うことがなくなったため、詳細はよく分からないけれども、確かiMacはその後も小修正を加えられ、CPUも266MHzへと、さらには333MHzまで変更されたはずである。
 その333MHzのiMacが99,800円である!!(多分、搭載メモリは32MB、ハードディスクは6GBくらいはあったと思うが。) まだ、5色の在庫があるという...。

 無性に欲しくなった...。(爆) 妻も「欲しいなら買っていいよ。」と言う...。

 前にも書いたが、私が職場でメインマシンとして使っているマックはパワーマックの初代機で、そのオリジナルのスペックはCPUは66MHz(!)で、CD-ROMドライブは倍速である(爆)。(もっとも、今ではG3カードを差し、メモリも増強し、外付けのCD-ROMドライブ、並びにハードディスクを追加したりして、それなりに使えるのだけれども。)
 自宅のマックもCD-ROMドライブこそ8倍速(!)であるが、CPUは160MHz、ハードディスクも1.6GBあり、メモリも、セカンドキャッシュも増設しているし私には十二分のものである。

 だけれども、今、目の前で僅か99,800円で売られているiMacは、そのどちらよりも、ほとんど全てにおいて上を行っているのだ...。

 く、くやしい...。(爆)

 しかし、私は思い止まった。それは、それがiMacだったからだ...。と、こう書くと訳が分からないだろうから、簡単に説明。

 当初、初代機のiMacが出たときにも思ったのだけれど、あのデザインは、買い手を選ぶ。「買い手」とまでは行かなくとも、それが置かれる場所を限定するものだ。
 (これについては、以前、CHUCK氏と話をしたことがあるけれども)あのデザイン、色合いは、かなり自己主張が激しい。もちろん、それがiMacの大きなセールスポイントであることは重々承知している。だが、それは両刃の剣であって、少なくとも私は、iMacを私の雑然とした職場に、あるいは私の自宅の部屋に置くだけの勇気はない。(おいおい、iMacを買うのに勇気が必要なのか...?(笑)) どの色を選ぶにしてもだ。
 名画、そうだなぁ、例えば、「モナリザ」が、大学の空手部の、空っぽの焼酎の瓶が転がっているような、カビ臭い部室の壁に飾られている情景を思い浮かべて欲しい。もちろん、その絵がが本物でなくたって、思いっきり不自然で、似付かわしくないことこの上ない。ま、そんなものだ。(...?)

 マックのユーザーには、変な意味でマニアックな人が多い(笑)と聞く。私も、多分、そうだ。(爆) 職場のマックにも、自宅のマックも私の愛機だ。どちらも(多分、その性能の真価を発揮していないだろうが)よく頑張っている。(爆) 今、ここでiMacを買うと、そのどちらかが、実質上、お払い箱になってしまう...。

 「たかが野球、されど野球」...。私の大嫌いな言葉の一つだ。(爆)
 だが「たかがマック、されどマック」と心で呟いてしまいたくなる私である。(自分でもよく分からない
が。)
(1999年10月31日 書き下ろし)
「目次」へ
トップへ戻る

その48 「ぎったんばっこん」のその後
 さて、前々回、「『くまきの部屋』の読者である全国津々浦々にお住まいの十名前後の皆さん!!(爆) 皆さんは幼い頃『シーソー』のことを別の言い方で呼んでいただろうか? そうだとすれば『私は〜と呼んでいた。』という証言を是非とも私までっ!!(爆)」と呼びかけたにも関わらず、応じてくれたのは極々、少数の人だった...。(Tさん、Dさん、ありがとうっ!!)
 そうなることを見越していた私は、知人のDさんの掲示板まで出かけ、同様のアンケートの協力を依頼したのであった。(笑) また、ある意味、当事者であるYさんも御自分の掲示板を使って、また、街頭調査も行なってくれたようである。
 そして11月2日時点でまとめたのが以下の結果である。

ぎったんばっこん(13名)---観察された地域:北海道、秋田、長野県、東京都、栃木県、埼玉県、
                      静岡県、三河地方、大阪府、岡山県、熊本県
ぎっこんばったん(12名)---観察された地域:静岡県、青森県、茨城県、千葉県、東京都、
                      愛知県、佐渡、岡山県、香川県
ぎったんばったん(6名)---観察された地域:埼玉県、東京都、神奈川県、岡山県、九州

ま、これから分かるように、シーソーの異名としては、やはり「ぎったんばっこん」が全国域で用いられているようである。
 人数のことは度外視したい。サンプル数も非常に少ないし、それに何と言っても、今回のは厳密な調査ではないから、情報提供者(つまり回答してくれた人)については年齢や、両親の出身地なども無視しているし...。上に記した地域で「必ず」その言い方がされる、ということでもない。見ても分かるように、かなり「揺れている」地域もある。(つまり、複数の言い方が存在するような地域もある、ということだ。例えば、東京などは、その最たる例で、「代々江戸っ子」でないならば、違う地方の言い方が寄せ集まるということにもなる。)
 特に現代のように、情報化社会と言われるような場合には、このような調査を真剣に、つまり学術的な価値があるものとして行なうのは、実に難しいものがある。マスコミもなく、また人々の行き来も比較的少なかったような時代(江戸時代くらいまで...?)であれば、かなり明確に、異なった言い方が、それこそ「分布」していたはずである。(と同時に、その調査も困難を極めることだろうが。)
 方言を調べるのに理想的なのは「ラジオもテレビも見ずに、今まで自分の出生地から離れたことのない人で、しかも親子何代かに渡ってその地に居住している人を対象とする」ということだろうが、これは、残念ながら望むべくもない。
 それに、シーソーという遊具が、果たしていつからあるものなのかも定かではないから、対象とすべき年齢層も掴めない。実際、現在三十代であるにもかかわらず「シーソー」以外の呼び名を知らない、という人も存在するようだ。(ここで「三十代」というのを持ち出したのは、日本におけるテレビの普及の時期との兼ね合いであるが。)

 ま、今回の件は、ただただ私の好奇心によるものであるので、厳密な調査というのは行なう気もなかったのだけれど、「同じ県でも場所によって言い方が違うみたい」ということであるならば、その調査対象をも厳選しなければならない、ということになる。>ということです、Yさん。(笑)

 だけれども、ついでながら記しておくと、このような「モノの名前」というのは、それでも、比較的、方言としての調査がやりやすいだろう、ということ。つまり、そうではないような、例えば動詞の活用だとか、極めて身近な語となると、かなりあやふな感じがするだろう、ということだ。
 例えば、私は、自分の母語は「大阪弁」だと思っているけれど、父も母も九州出身であるから、気づかないうちに「片付ける」ことを「なおす」と言いたくなる...。
 笑い話で、あるお嫁さんが、姑に「その掃除機、なおしといて」と言われて「私、電器を修理することなどできません〜。」と泣いて答える、というものがある。(ちなみに、この姑が言おうとしたのは、故障した掃除機を修理することではなく、ただ、片付けておいて欲しい、ということだが、「なおして」と言われた嫁は「修繕する」という意味合いで理解した、ということだ。)
 他にも、ほうきで「掃く」ことも、九州では「はわく」というようだ。(この言い方には私には違和感があるが、生まれも育ちも熊本である私の妻はこう言う。)
 
 う〜ん...。(←なぜか色んなことを考えて腕組みしている...。)

 面白いなぁ...、言葉って。
(1999年11月3日 書き下ろし)
「目次」へ
トップへ戻る

その49 流れ星
 今、これを書いているのは11月19日の午前3時40分。

 昨夜は11時過ぎに、既に眠りに落ちた息子の傍らで息子を抱っこしながら横になった。すると、いつの間にかうたた寝してしまって、午前3時過ぎになって、ふっと目が覚めたのであった。

 目が覚めた後「あぁ、まだ日課の飲酒を済ませていなかったな...。」(笑)と思い出し、みんなが寝静まった家から私の自室へとゴソゴソと移動した。そして、ジンをあおって、高中正義の「虹伝説」を聴いたりしたが、ふと「あ、そう言えば、今日は獅子座流星群が見える、ということだったな...。」と思い、外へ出た。
 
 私の住んでいるところは広島市内であるが、海岸からは10Km近く離れた、少し山手の閑静な住宅街だ。特に夜は静かで、少し離れたところを通っている山陽自動車道を走る車の音がかすかに聞こえてくる程度だ。もちろん、このような深夜だと街灯以外に明かりはない。

 う〜ん、ものの5,6分くらいだろうか、西隣のまだ住宅の建っていない空き地に佇んで空を見上げいたのは。どの方角を見ればいいのかが分からず、ほぼ真上を見上げていたんで首と腰が痛くなってきてしまい、早々に部屋に引き上げたけれども、その僅か数分間で7個の流れ星を見ることができた。

 流れ星を見るなんて、本当に何年ぶりだろう...? はっきりと覚えているのは、高校1年生の時の夏休みに、新聞部のサマーキャンプで天草の無人島へ出かけた時のことだ。ギターを弾いて歌ったりして(酒を飲んだわけでもなく)深夜まで騒いで(あぁ、青春...(笑))、そして砂浜に寝転がって...。(笑) その時に眺めた満天の星空は、一生涯忘れ得ないほどのものだった。その時にも星が流れるのを何度か見た。(もう20年以上前のことだ...。)

 私は地学が得意で、天文にも興味はある。それで、今でも時折、夜に庭でタバコをふかしながら星空をぼぉ〜っと眺めたりするのだけれど、それでも1分間以上眺めることはない。(時間を計ったことはないが。) そしてそんな時に星が流れるのを目撃する、などということは、ない。

 が、今夜は違った。連発に近い。無粋な言い方をすれば流星の大安売りである。

 こういう風景描写は得意じゃないのだけれど、突然、静寂なる星空の一部を掻き乱す流れ星。それもほんの1秒ほどのことだ。何の前触れもなく、す〜っと現れて、そしてその軌跡の残像を束の間だけ残して消えてゆく星...。
 星空を眺めることが、そして星が流れるのを待つことが「精神的なゆとり」やら「心の余裕」と関係があるのかどうかは、私には分からない。(笑) だけれども(天文学者やマニアでなくって)星空を見上げることや流れ星を目撃することは、確かに幸運なことだと言えるような気はする...。(特に、現代の、不夜城のような所に住む人にとっては。)

 星に願いを...。って、こんなタイトルの曲があったような気がするが。(笑) 「流れ星が消えてしまう前に願い事をすると、その願い事は叶う」というようなことを聞いたことがある。今夜、私が7つの流れ星を見たときにも、数回、願い事をした。(笑) もちろん、それが何だったのかをここに私が記すはずもない。ただ、自分の子供に関することだということだけ記しておこう。(爆)

 う〜ん、やっぱり、流れ星を見ると、何となく、得をした気分になるなぁ...。(笑)
(1999年11月19日 書き下ろし)
「目次」へ
トップへ戻る

その50 ♪自転車に乗って♪
 「げ...?」
 とある土曜の午後、駅前のデパートの本屋で色々と物色し(笑)、そして数冊の本を買った私は、さぁ、自転車に乗って職場に帰ろうと下に降り、そして我が目を疑った。
 ない...。つい30分ほど前に停めておいた自転車がない...。(爆)
 しかし、ないのは私の自転車だけではない。その、少し広い舗道の端にずらぁ〜っと並んでいた自転車が、ないのだ。
 「ま、まさか...。」

 見ると、舗道の脇の方に何かの掲示板のようなものがある。それには「ここは自転車駐輪禁止区域です。停めてあった自転車は○月○日午後○時に撤去し、西部放置自転車管理センターにて保管しております。」云々との文面が...。

 はぁ...。そうかぁ...。やれやれ...。

 かなり腹が立ったが、路上でわめき散らしても無駄だ。(笑) その場はあきらめて、とぼとぼと職場までの1Kmほどの道のりを肩を落として歩いて帰った...。

 後日、時間の都合をつけて、電車とタクシーを乗り継ぎ、その「西部放置自転車管理センター」とやらに愛車を引き取りに出かけた。手数料というのか保管料というのか1500円を支払い、返してもらったのだけれども、何とも釈然としない。でも、どう見ても「シルバー人材センター」(?)から派遣されたとしか思えない人のよさそうなお爺さんに文句をつけても、これまた何にもならない。
 5日ぶりくらいに対面した愛車に乗って私は職場までの約6Kmの道を、憮然とした表情で帰って行くしかなかった...。

 帰る道すがら考えた。
 確かに、あの場所は歩道であったし、駐輪禁止区域だったのかもしれない。(「かもしれない」んじゃないが。(笑)) きっとあのデパートの専用の駐輪場というのもあったのだろう。(ま、それがどこにあるのか私は知らないけれど。) 駐輪禁止区域に置いたことは、私の非である。それは認めよう。(笑) だけど、決して「放置」した訳ではないのだが...。

 自転車は、手軽な乗り物で、しかも、ガソリンを使うわけでもなく、流行りの言葉で言えば「地球にやさしい」ものだ。車とは違って道路渋滞を引き起こすわけでもないし、人をはね殺すことだって、まず、ない。むしろその利用が推進されるべきものだろう。

 しかし、その受け皿(?)は不充分だ。駅前に市営の駐輪場があることは知っているが、常に定期利用客で満杯状態だし、一時預かりを頼んでも、もちろん有料である。
 大きな道であれば、それなりの通行もできるが、センターラインさえないような道では自転車は、歩行者と同様、道の端を通らねばならない。道路は、もうほぼ、自動車のものになったと言っても良かろう。
 一体、日本の自転車行政(笑)はどうなっているのだっ!?

 滅多に広島市の中心部に出かけることはないけれど、出かけるたびにあちこちに停められた自転車を見かける。今までは「あぁ〜、邪魔だなぁ...。」と思っていたけれど、少し、認識を改めた。
  バスや自家用車の代わりに自転車に乗ることは健康のためにもいいし、排気ガス抑制にも、ひいては地球の温暖化防止にも一役買っているのだ。自転車、万歳だ!!(爆)(あ、そう言えば、高校時代はず〜っと自転車通学をしていたなぁ...。通学距離は10Km弱だったと思うが、雨の日も風の日も、冬のどんなに寒い日も自転車だった...。う〜ん...、今から思うと、何となく不思議な気持ちにさえなる...。(笑))

 だが...。私が通勤で使っている車は2,500cc...。燃費はリッターあたり5〜6Kmという...。(爆)
 説得力ないぞ、HASENOBU!!(爆) すごすご...。
(1999年11月27日 書き下ろし)
「目次」へ
トップへ戻る
駄文の樹海案内板へ戻る
inserted by FC2 system