ちょっと堅い話 Part 1

目次
その01 海外語学研修旅行の意義とは?
その02 自由について---実存主義的な見地から---
その03 「死」について
その04 表現することについて
その05 言葉を信じるのは決して悪いことじゃあない
その06 「くまきの部屋」について
その07 英語の辞典の話
その08 去って行った友へ--T氏に捧げる--
その09 ETV 40周年記念番組
その10 幻の公開メール

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その1 海外語学研修旅行の意義とは?

 ある言語を習得しようとするとき、実際にその言語が日常生活の中で使われる環境に身を置くことが最善の方法であることには異論の余地はない。が、だからといって「外国に行けばその言葉が身につく」というものでもない。たとえ何年いようと、積極的に現地の人々とその言語を使って交流してゆく気構えと絶え間ない努力がなければ、中身のある会話を不自由なくこなせるようには決してならないだろう。
 では、本学で実施している2〜3週間程度というほんの短い期間の語学研修の意義はどこにあるのだろうか?
 確かにこの語学研修旅行は「語学を身につけるには短すぎる」ものである。しかし実際に現地に行ってみて初めて「自分の英語がいかに使えないか」をまざまざと知ることになり、そしてそれはこれから先の英語学習の動機づけへとつながっていくのである。
 校外学習やホームステイなどを通しての「現地の人々との交流」も学生達にとっては大きな意味を持つ。「国際理解」や「異文化理解」という抽象的なレベルでではなく、かの地の人々も同じ人間であり、同じように家族を愛し、悩みを抱え、喜びと悲しみを抱えつつ、日々暮らしているのだということを感受性豊かな学生達は肌で感じ取っている。と同時に異質なもの、自分の中にはない考え方や行動様式に対しても彼女らは敏感である。
 うまく自分の気持ちが表現できないときのもどかしさ、何とか理解してもらったときの純粋な歓び、全てが貴重な瞬間なのである。この研修に参加していなければ知るはずもない、何千キロも離れた場所で暮らす人々の日常に加わることは、学生達にとってはまさに衝撃的なことであるのだ。今まで当たり前だと思っていたことがそうではない、自分の常識が通じない世界に置かれ、改めて日本の文化や「自分」というものを見つめ直す機会が生まれてくる。
 このように、語学の勉強にとどまらず、語学研修旅行は学生の人生の中で大きな意味を持ちうるものなのである。
(1998年7月 初出)
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その2 自由について
---実存主義的な見地から---

 「自由である」とは自由であるように呪われていることである。我々は自由の中に投げ込まれているのであり、自由の中に見棄てられているのである。絶えず自由な選択の前に立っている自己を見出すことは、人間にとってこの上もなく「不安」である。何故ならば自由な選択は何ものかに指示を求めたり、何ものかを拠り所とすることを許さないからである。ひとつひとつの決断が全て自己の責任にかかっているのである。このように、「不安」は外的な対象についての恐怖とは異なり、自己自身の前における自由な意識からくる。
 ここで気をつけなければならないのは、選択とは、彼方へ向かって自己を投企することに他ならないということである。(もっと言えば、人間は一つの未来へ向かって自らを投げるものであり、主体的に自らを生きる投企なのである。)彼方へ投企された自己自身は、当然ながら、私がまだそれであらぬ私自身である。私は未だあらぬ彼方の私に果して巡り会えるかどうか。この気掛かりから「不安」が生じる。「未だあらぬ」という在り方で私が私の未来であるという意識、それが「不安」と呼ばれるものである。
 我々は往々にしてこの不安から逃れたいと思う。自己が「自由でしかない」と感じることは、我々にとってむしろ苦痛ですらある。人間にとって自由でない状態の方が安易であり、事物存在や道具存在と同類である方が、一層気楽なのである。ところが、自己の自由を棄て去ることによって不安から逃れんとすることは、一種の自己欺瞞である。つまり自己の不安をよく知っていながら、それでいて自分は不安でないと、自己に言い聞かせようとしているからである。
 自己欺瞞による願望は、ことさらに自己の自由に目を覆い、既成の価値に自己を従わせることによって達成されうる。確かに何らかの秩序、何らかの義務を神から与えられたものとして自己自身の上に設定し追従するならば、我々は自由であることから生ずる不安から逃避できる。或いは、大きなメカニズムの一部分として自己を疎外されたままに、つまり他有化されたままに身を任せる時、我々は自由の意識を感じないで済む。
 しかしながら、その都度、自ら選択し、決意することの自由に耐えかねて、何ものかに依存したり何ものかを口実にしたり、なにものかに指示を問うたり、(自己の)決定を委ねることは全て自己欺瞞でしかないのではないか。このように、人間は自由であるように運命づけられているのだが、真に自由であることは至難である。すでに自由なものとして乗り出したが最後、我々は絶えず現在の一歩を自己の責任において踏み出さねばならない。そして、人間が生きてゆく限り、この状態は続くのである。  ここまで考察してきたのは哲学的な自由である。もっとも一般的に自由とは、自分以外の他者の欲するままにではなく、自己の欲するがままに行動できる状態で、外的強制や拘束がない状態のことを指す。そして我々が日常使う自由とは、その中でも特に社会的・政治的自由のことである。我々は法によって禁じられていない全てのことをなしうる自由を持ち、法の命じない全てのことを拒否する自由を持つ。哲学的な意味における自由とは、自己の内面における強制・拘束を排除するところに成り立つ。自己の信念や欲望に煩わされ左右されている限り、その人は自由ではない。快楽と苦痛、喜びと怒り、愛と憎しみといった情念を、意志、或いは理性によって自制すること、それが自由である。つまり人間精神は情念を超越した時、はじめて自由となるのである。
 自由は全ての人間の基本的な在り方であって、少数の人間が持つものではない。人間は誰でも自由であるより他にその在り方を持たないのだとも言えよう。自由であることと、人間であるということとは同じ一つのことなのである。人々はあたかも、自由を将来において獲得されるべきものの如く論じ「自由のために」などと言うが、それは自由の何たるかを知らぬ人々の言い草である。人間はまず実存して、しかる後に自由であるのではない。実存するということは自由であることである。それ故、人間は自由であることを止めることはできないのだ。
(1985年初出)
---HASENOBU註---う〜ん...。学生時代、周りにどういうわけかキリスト教信者が多くて、その人達に(どういうわけか)反発していた頃に書いた文面ですね〜。おわかりとは思いますが、サルトルにかぶれてました、その頃の私は。うん、本当に青いですね〜。(爆))
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その3 「死」について

 自分でも、かなり深刻なテーマを選んだと思います...。
 が、30も半ばを過ぎ、ふと、何かの拍子に「死」について考えることが多くなりました。だからといって「死にたい」と思っている訳ではないのですが。と同時に「長生きしたい」とも思わないのですけれども。

 例えば夜、ふと、空を見上げた時。これまでは「あぁ、今夜は星がきれいだな...。」と思っていたのが、今でもそれは同じだけど、「あと何回、このような星空を見ることができるのだろう...?」と、答えのないような問を自分に投げ掛けてしまうという...、そういうことなのです。
 娘をぎゅっと抱きしめながら眠るとき「あぁ、いつまでこの娘はこうやって私と一緒に眠るのだろうか...?」、書店で本を買うとき、「あぁ、あと何冊、私はこれから読むのだろうか...?」と、万事、こんな調子で...。
 今までは考えもしなかったことなのですが「ものごとの終わり」というものについて思わず考えてしまうわけです。朝、職場の部屋のドアを開けるときでさえ「あと何回?」と思ってしまう。コンピュータを起動するときも、エアコンのスイッチを入れるときも、エレベータに乗るときも...。いつもじゃない、ですよ! 「ふと、何かの拍子に」ですからね、さっきも書いたように。
 以前は、当たり前ですが「死」ということを意識することすらなかったのに、大きな変わりようだと自覚しています。
 それが、年を取ったことに他ならない、と言われればそれまでなのですが。

 もう、この人生の中でやるべきことはほとんどやってしまったような気さえします。「これ以上、やりたいことはない」訳ではないけれども。

 収拾がつかなくなって書きようがなくなってしまいました...。
(1998年9月 書き下ろし)
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その4 表現することについて

 ある方からメールをもらった。その中に「作品だけでなく、出かけるときの着てゆく服も、口紅の色も、すべて表現の一つなんですね。」という趣旨のことが述べられていた。
 ふむふむ...、なるほど。確かに、そう言われればそうだ...。着るものはもちろん、外見全般に渡って無頓着な私にはこたえることだが...。
 葬式の時の喪服、などのようにそれを身にまとうこと自体が記号化された場合もあり、それは「衣服による表現」だという認識は持っていたものの、考えてみれば、身の回りの全てのことが「表現」と解釈されうるのである。
 意味論的なことを言うと(Ogden & Richards 風の考え方だけど)「思想内容」、「指示物」、そして「記号」の3つが意味の要素である。(今世紀の早い時期-1920年代-に提唱された考え方であるが、これはまだその有効性を失ってはいない。)
 これに即して言うと、表現とは「思想内容」から「記号」(例えば、言葉)を経由して「指示物」へと向かう流れ、と考えてよいだろう。そして、解釈とは「記号」を手がかりとして「指示物」を意識化し、次いで「思想内容」へと還元してゆく作業とも言えるだろう。
 であれば、「伝えたいことが、ほとんど、ないんだ」をモットーとしている「くまきの部屋」に書かれる文章は何なのか?(って他人事みたいに言ってますけど...。)
 形の上では上記の「表現」の形式をとっているものの、一体、何を表現しようというのだ、HASENOBUは?

 私自身は、これ(「くまきの部屋」)は、私の鬱憤のはけ口(!)や精神の葛藤の吐露であると同時に、常日ごろ頭の中を駆け巡る様々な思い、何故か甦ってくる記憶の一部を記したものであると思っている。
 が「記す」という作業そのものによって、たとえ表現したい、という確固たる意思の有無に関わらず、結果的に「表現している」ことになるのだ。(当たり前なんですが。)
 それを解釈する側に立てばどうなるか? きっと「思想内容」、あるいはその背後にあるかもしれない「メッセージ」を読み取ろうとするかもしれない。(しないかもしれない。)
 しかし、それは「表現者」である私にとっては関与すべき事柄ではないだろう。解釈を読み手に完全に委ねることが私の唯一無二のスタンスであるのだから。「バナナの木は北海道にない」や「リンゴがあったら買ってこよう」という文での「バナナ」や「リンゴ」(という言語記号の)果たす役割が、人間の言語を人間の言語たらしめている用法であるという意味において。(厳密に言うと少し違うのですが。)
(1998年9月 書き下ろし)
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その5 言葉を信じるのは決して悪いことじゃあない

 さて、この話題、実は「つまんない話」シリーズの007の「言葉の可能性と限界」、そして同012のその続編のさらに続編なのです。そちらをまだお読みでない方は、少し話が見えにくいかもしれません。時間があれば上記の文面を読んでから、の方が良いかもしれません。

 その後、最初のMさんとは別の、遥かに分別のあるMさんは私の文面にさらにフォローをして下さいました。それに対して私が書いたことを、またもやここに再録します。
以下、引用:
---
 Mさん、まず初めに明快なフォローを下さったことに深く感謝いたします。私のメッセージに「100%同感」とのことですが、たとえ「100%反感」を抱かれたとしても同じように感謝したいとも思っておりますが。(爆)
 かなり微妙な話題ですので通常よりも厳密な言葉遣いが要求されて来そうですね...。

 まず、先の私の文面に補足したいことを述べておきたいと思います。

「ある発言をもとに、妄想がどんどんと広がってゆく」ことについて:
ネット上で、ある発言がなされたとき、文字通りの解釈をすることはなかなか難しいものがあります。それが自分の耳に逆らうものである場合、そして響きの良いものである場合は、特にそうでしょう。そもそも「文字」しかない、という状況なのですから、相手を理解しようとするとき、どうしても(先に書いた)欠落した要素を埋めてゆこうとするのは、ある意味では人間の防衛本能の一形態かもしれません。ですのでそういう傾向を持つ人に対して取り立てて否定的な見方をするつもりはありません。
 ただ、それが正しい方向へ向かえば何も問題は起こらないのですが、自分勝手な、場合によっては短絡的な方向へ向かうと、それは「妄想」を生み出すことになります。そして「現実世界でなんらかのモンダイ」を既に抱えてしまっている人の場合(私もそうかも...?)、当然ながらこちらの方へ流れてゆく確率が高くなります。そしてふと気づいたときには現実世界とは乖離した世界を造り上げてしまっている...。そこで留まるならばまだ救われるかもしれませんが、さらに「現実とのギャップ」にさいなまれる...。
 でも、これは、やはりその当人が蒔いた種ですから、仕方のないことでしょう。自己の至らなさを悔いるべきでしょうし、他人がとやかく言うべきものでもないでしょう。(冷たく聞こえるかもしれませんが。そういう人達を哀れんだりするほど私は傲慢でもないつもりです。)

Mさん wrote:
>要は、熱中していく自分を冷静に見て、現実から逃避していくことがないよう、
>絶えず自分に警告を与えるべきなのですね。(相手が異性の場合は特に厳しい警
>告が必要になりますよね(笑))

 御意。特にカッコ内の部分。先程の、相手の「欠落した要素」に関して「理想」(というか、根拠のない期待や願望)が織り込まれて行きやすいですから。(笑)

>つまりはその人の本当の知性が試されるのではないでしょうか。

ここにはもう一つ「理性」も加えたいです、はい。(笑) それと、場合によっては「勇気」さえも。

>人生は「純粋なもの」だけではできていないし、「純粋でないもの」を避けては
>通れない。オトナならそれはわかっているはず…ですよね。

ええ、そうですね。本当言うと私はかなり「理想」を追い求める傾向が強いのですが...。(笑) だから、どうしても中途半端なことになりがちです、何かにつけ。(爆) この文面だってそうかもしれません。半ば、自分に言い聞かせるようなつもりで書いています...、不安におびえながら。
---
以上、引用。

 極めて当たり前の結論になってしまったかもしれませんが、Mさんとのやり取りの中で、このように文章化することで、私自身、今までおぼろげに抱いていたものが明確になったような気がします。その意味でも、このMさんには本当に感謝しています。この場を借りてお礼申し上げます。
 そして、きっとこの文面を見ることもないもう一人のMさん。恐らくはこれからも、その純粋さ、悪い意味でのナイーブさできっとつらい思いをしてゆくかもしれないMさん、全てのつらいことや哀しいことがあなたにとって糧となって行くことを陰ながら祈っています。別に私は祈祷師ではないけれど、祈ることしかできませんので。
(1998年9月 書き下ろし)
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その6 「くまきの部屋」のことについて

 ずっとこの部屋の様子を見ておられた方はお気づきだったと思いますが、HASENOBUはしばらくの間、立ち止まっていました。(笑) もちろん、10月になって仕事がさらに忙しくなったということもありますが、それ以上に、自分の中でこの部屋のことについての疑問がだんだん膨らんで行ったのです。

 現在では「伝えたいことが やっぱり ほとんど ないんだ!」を看板に掲げていますが、これは「伝えたいことが あまり ないんだ」、「伝えたいことが 何一つ ないんだ」、「「伝えたいことが ほとんど ないんだ」の変遷を経たものです、誰も気づかなかったでしょうが。(笑)
 もちろんこれは小田和正の「伝えたいことがあるんだ」という曲名を下敷きにしたものです。
 そもそも、くまきの部屋の前身(?)は、オフコース関係のある街の一画に陣取った掲示板形式の私の部屋でしたから、そこからこちらへ引っ越しした際に御案内を差し上げた方は御存じでしょう。

 「長くても1カ月の寿命だろうなぁ...。」と漠然と考えてつつ HASENOBU は、実にいい加減な気持ちでホームページに手を出したのでした。(きっと頷いてくれる人がほとんどでしょう。(爆))

 そうこうしているうちに、ホームページの形となってはや3カ月...。
 根が生真面目な HASENOBU(笑)は、だんだんと不安になってきました。部屋に書かれた内容そのもののことではありません。
 この部屋を作ってすぐに、ホームページを作りましたよ、とメールで連絡したのは確か、6,7名ほど。そしてとあるチャットルームでも(多分)合計で5名くらいの人にもお知らせしたとは思います。ところがやけにカウンタの数字が増えてゆく...。
 他の人の掲示板に何の気無くURLを記してしまったこともあったのでそれが原因(?)かもしれません。(爆) 「同僚に教えたよ。」などとおっしゃる方もいて、さらに不安は募るばかりです。

 「伝えたいことが ほとんど ないんだ」がパロディで無くなってゆく...。

 そしてそれは私の中でもとうとうパロディでは無くなってしまいました。(爆) 上の「その4 表現することについて」を書いたのはそういう理由です。

 「表現すること」そして「解釈すること」について HASENOBU は極度に懐疑的になってゆきました。

 そして得体の知れない不安の中で私は自分の中の「表現欲」を確認しました。それはあまり積極的なものではなく、ものすごくおぼろげなものではあるけれど、確かにある、ということを直視しました。(って、そんなに騒ぐほどのことではないのでしょうけれども。)

 ということで、「伝えないことが ほとんど ないんだ」は、「伝えないことが 少しだけど あるんだ」ということを意味するものだと御理解下さい。ただ、自分でもその「伝えたいこと」って何なのかは分からないけれど。(爆)
 だから、これまでと同様、基本的に何でもあり、です。私は私の言葉で好き放題書いてゆきます。そのスタンスはほとんど変わりません。冗談についても、「読み手に解釈を完全に委ねること」も。
 読みたくない人は読まなくって構わない。(と、こう書くと挑戦的に響くかもしれませんが、この言葉が挑戦的に響くという人は今、これを読んでいる人の中にはいないだろうと勝手に期待しています。)「文句や苦情を受け付けない」という訳じゃないです。言いたいことがあったらどうぞ御遠慮なく。
(1998年10月 書き下ろし)
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その7 英語の辞典の話

 この類の話題となると私は雄弁になる。(笑)
 が、それは抑えて、要点だけを。って、つまらない話なのだけれど。(爆)

 英語の辞書の最高峰とされるのはオックスフォード大学の Oxford English Dictionary (OED) という辞書だということは英語に多少なりとも興味を持たれている方は御存じだろう。現在では20巻本の新版が図書館にも並んでいることだろうが、この辞書の初版は企画から最終巻の刊行までに70年を要したという...。(絶句) イギリス人って本当に...。(あ、別に何でもないけど。)
 もちろん最高峰といえども人間の作ったものであるからには完全無欠ではない。事実、私もこの辞書のある記述をネタにして論文を書いたこともある。(笑)
 一方、アメリカの辞書となると、恐らくは Webster's Third New International Dictionary of the English Language (ウエブスター第3版、1961年刊) がその筆頭となるだろう。他にもランダムハウス社(1987)の辞典なども有名ではあるが。

 で、そのウエブスター第3版について。
 アメリカの辞書は往々にしてそうなのだが、百科事典的な要素も色濃く持っている。最近の広辞苑や大辞林、日本語大辞典などのものなどがそうであるのと同じだけれども。だから、例えばランダムハウスには Asahikawa などといった日本の都市の名前すら載せられているのだ。

 ま、それもいいとして、日本語から英語に借入された語も多い。「腹切り」や「芸者」ばかりではない。「万歳」、や「大君(たいくん)」などの言葉などの古い時代に輸入されていったものや「商社」、(企業の、経営方針としての)「改善」などのビジネス用語(?)や「カラオケ」などもそうであって、意外に収録されていたりするのだ。

 が、ウエブスター第3版の中に「フグ」が載せられていることを御存じな方はいるだろうか? そして、そこでどのような記述がなされているのかを...?

 その前に前述の Rnadom House Unagridged Dictionary, Second Edition (CD-ROM版)の fugu の項の定義から引用するとその定義は以下のようになる。
 any of several puffer fish eaten as a delicacy, esp. in Japan, after the removal of the skin and certain organs which contain a dealdy poison
 つまり「マフグ科の魚で、皮と猛毒を含む内蔵を取り除いた後、特に日本において、珍味とされる食用の魚」ということだ。(ついでながら、どうでもいいことだけど、この辞典の和訳版、つまり『ランダムハウス英和辞典 第2版』(小学館、1994年刊)においてはこの語は見出し語としては挙がっていない。ま、日本語起源の語であるから掲載の必要なし、ということだろうが。)
 このランダムハウスの定義は、ま、まともであるし、充分、うなずける記述である。ところが、ウエブスターの方は...:any of various globefishes that contain a heat-stable toxic principle resembling curare and are sometimes eaten in Japan with suicidal intent となっているのだ!!(爆)
 念のためこれも和訳を付すと以下のようになる:「フグ科の魚で、クラーレ(南米インディアンが毒矢に用いた猛毒)によく似た、熱によって変化を受けない毒素を含む。日本においては時に、自殺の目的で食される」...。
 おいおい...。
 確かに、極く稀に新聞などで「フグ肝で3人が死亡」などというニュースは目にする。が、「フグを食べ、無理心中!」などのようなことは聞いたことがない。(ま、別に、無理心中でなくってもいいんだけど。) というか、少なくとも、私は生まれてこのかた、フグを自殺の手段として食した話は聞いたことがないのだけれど...。
 果してウエブスター辞典の所有者のどれだけの人間がこの項の記述に気づいているのかは分からないけれども...。いずれ第4版も出るだろうし、その時にその項がどうなっているかを確認するのが楽しみでならない。(笑)

 「もしや?」と思って同辞典の「mochi」の項目を調べたら「米を原材料とする粘着質の日本の食べ物。スープで煮たり、焼いてソイソースをつけて食べるのが習わしである。また、日本では年の初めに一部の老人によって自殺の目的で食される」との記述があった、というのは全くのデマカセですが。(おい、洒落にならんぞ、HASENOBU...。)
 それはそれとして、これのどこが「ちょっと堅い話」なんだろ?(笑)
(1998年11月 書き下ろし)
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その8 去って行った友へ--T氏に捧げる--

 彼は、夏のある日、長袖・長ズボン姿で汗を滴らせながら私が必死に壁打ちをしているときに声をかけてきた。「練習中にすみません。もし良かったら一緒にコートで打ちませんか?」
 まだテニスを始めて間もなかった私は「いや、私は初心者だから...。」と一旦は断ったものの、彼は「いいですよ。僕だって初心者だから。」と半ば強引に私をコートに誘った。
 その日も暑い日で、何とか痩せようという思いで、まるで修行僧のように一時間近く壁打ちをしていた私であったが、ラリーを始めて15分くらいでへとへとになってしまった。確かに彼は初心者だったし、そして私もそうだったからボールはあらぬ方向へとばかり飛んでゆき、走り回るのに必死だったのだ。
 「す、すみません。ちょっと、休みませんか?」と私は彼に言った。彼もハァハァと息切れしている様子だ。
 「そうですね、少し休みましょうか。」という答え以外に予期していなかった私の耳に聞こえたのは、
 「いや、あと5分続けましょうよ。この山を一緒に越えましょう。」という彼の声だった...。

 私は一瞬耳を疑ったが、どうやら彼は本気らしい...。仕方なく、私は練習を続けた。

 それが、彼、T氏との出会いだった。

 その頃、私は広島に移り住んで半年も経っていなくて、職場と自宅の往復以外に出かけることもない暮らしをしていた。職場以外に知人がいるわけでもなく、その意味ではT氏が広島に来て初めての友人だったと言ってよい。話をするとT氏は私と同学年であり、今は「***教会の副牧師、つまり牧師の見習いなんです。」とのことだった。***教会は私の家からさほど離れていない所にあるプロテスタントの教会である。どうやら彼はそこの教会の牧師さんの息子で、東京のとある大学の神学部を卒業し、ドイツでキリスト教の勉強をしたこともあるようだ。
 学年も同じ、テニス好き、そして音楽の面でも話の通じるところが多く、私とT氏は急速に仲よくなった。曜日と時間を決めてはテニスの練習をし、そしてその後、車で30分弱の近場の温泉に行ったりしたものだった。一緒にお酒を飲みに出るなどということはなかったものの、互いの家に遊びに行ったりして色んな音楽を聴いたり話をしたりして親交を深めた。
 私自身、キリスト教徒ではないものの、それなりの関心は持っていた。T氏は決して私を入信させようというような素振りはなかったけれども、色々とキリスト教に関する質問をぶつける私に彼は快く答えてくれた。時に私が難問を吹っかけると彼は「それは今すぐには答えられないから、勉強して今度お答えしますね。」と言い、そして次に会ったときにはちゃんと答えを用意してくれる誠実な人だった。

 12月になって、それでもテニスを続けていた私達だったが、T氏はある日、練習の後、「今度のクリスマスの日に御家族で***教会へ来ていただけませんか? いや、ミサに、というのではなく、夜にお食事を御一緒したいんです。」と招待してくれた。
 そして、イブの日、私は妻と娘を連れて***教会を訪れた。その日は、寒い日で午後から降り出した雪がかすかにあたりを白く染めていた。T氏はもちろんのこと、彼の御両親も温かく私達を迎え入れてくれた。***教会は信者さんの数も多く、その喜捨(?)のおかげか、T氏の自宅は趣味のよい調度品が品良く並べられ、初めて生で聞く牧師さんの肉声による食前のお祈りの言葉に何故か感激しながら、私達一家は本物の七面鳥、上等のワインなどのもてなしを受けたのだった。
 少しアルコールが入っていたからかもしれないが、おいとまを告げる私の手を握りながらT氏は「今年は、Nさんと出会えて本当に幸運でした! これからもよろしくお願いしますね! また今度、お電話しますから。」と言った。彼は、そんな、何というか、少し、キザな言い方をすることが時にあったが、ちっともそれが不自然な感じを与えない、不思議な雰囲気を持った人でもあった。

 ところが、年が明けてもT氏からの連絡はなかった。「...? 風邪でも引いて寝込んでしまったのかな...? でも、もう随分経つけれど...。」と不安になった私は電話をかけてみた。すると、彼のお母さんが出られて「急な話だけれど、東京のある教会に派遣されてしばらく帰ってこない」とのことだった...。
 でも、それは違う、と私は直感的に感じた。断言はできないけれど、T氏が精神的に少し病んでいたようだったのを、実のところ、私はうすうすと感じていたのだ...。もちろん、原因は分からないけれども。

 そしてまた、夏が来た。

 T氏から電話がかかってきたのは、やはり暑い日の午後のことだった。しばらく休みが取れたから帰ってきたのだと言う。早速、会おう、ということになった。
 が、私の前に8カ月ぶりくらいで現れたT氏は、まるで別人のように太っていた。どんなに少なく見積もっても10キロは増えていたのではないか...? これはきっと何かの薬物の副作用だ、と私は思った。
 実際、彼の語るところによると、確かにある教会に籍を置いていたものの「保養していた」とのことだった...。その夏、彼とは何度か会って、またテニスもしたが、今度、東京へ帰ったらいつ戻ってこれるか分からない、と彼は言っていた。

 そして、それがT氏との別れだった...。

 それから年は流れ、私は引っ越しをし、T氏との連絡も途絶えた。そして、ある2月の寒い日に、妻の同僚の話の「***教会の息子さんが亡くなった」という噂が私の耳に届いた。
 「え? そんな...? 嘘だろ?」と言う私に妻は「でも、確かにそうだっていう話よ。」と言った。
 はやる心を抑え、私は***教会へと向かった。
 名乗る私を出迎えてくれたのはT氏のやつれた面持ちのお母さんだった。噂は本当だった。T氏は、その一年前の2月、雪の降りしきる日に、住んでいたアパートの下の道路で眠るように死んでいたという...。「脳震盪、そしてそのまま凍死した」とのことらしい...。
 「でも、どうしてなのか...。」と呟いたお母さんの言葉が妙に気にかかる...。

 何はともあれ、T氏は、もう、いない。クリスマスが近づくたびに、私の手を握り締めて彼が言ったセリフが甦ってくる...。
(1998年12月 書き下ろし)
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その9 ETV 40周年記念番組

最初はこの話は「世捨て人講座」に書こうかとも思ったが、内容を考えると、こっちの方がふさわしいかなぁ...。

 今朝、つまり1月10日(日)の朝、妻がテレビを見ていた。それは「ETV 40周年記念 日本の学校・ここを変えて・21世紀に生かせこどもたちの声」というものであった。タイトルにあるように、現役の児童、生徒、教師を招き、日本の学校教育を考えよう、ということを主題としており、どういう理由からか14時間生放送らしい。(ちなみに「NHK教育テレビ」が「ETV」と言うのだと、今日初めて知りました...。何考えているんだろうね、NHKは?)
 で、私も、中学生くらいの子供たちが小、中学校の先生と、それぞれの立場の「生の声」を討論形式でやり取りしよう、というあたりのところをしばらく見てみた。私の見た内容は、現在、中学生である彼らが小学校時代の「体罰」のことを思い出しながら、何かほざいている、というものであった。

 ま、20分もしないうちに見るのは止めたけど。もちろん、理由は「つまらないから」であるが。(笑) ここで、そのつまらなさを説明する気はないけれど。
 が、生放送、現役の児童・生徒と教師の討論、この設定だけでこの番組のこの部分(どうやら人物や話題を変え長時間行われたようだが)がさして有益なものではないことの察しがつく。
 ちょっとしか見てないけれど、気づいた範囲で言うと、そこに並ぶ子供たちは、嫌な子が多かった。(爆) 妙に弁が立ち、斜に構え、突っ掛かる物言いをして、さも自分の意見が全国の子供の支持を得ていると言わんばかりの子供がほとんどだった。また、教師の方は、というと、これもやけに自信たっぷりの口調の者が多い。国語の、私と同年齢くらいの男性教師などは、文の途中で妙に上昇イントネーションを挟む、という、何に影響されたのか知らないけれど、極めて不愉快なしゃべり方をする。
 てんで、話にならない...。

 私が見た時には「体罰」が話題になっていたわけだが、各人、ばらばらの意見で、一向に収拾がつかない。別にばらばらの意見でもいいのだが、「だからどうしよう」という方向へと向かっていないから始末に負えない。もっと言うと「どんな教育を望んでいる」のかが不明のままで話がなされているようだ。

 生放送の意味は何だったのだろう? 確かに、その場で話して、それがそのまま放映されるという意味では「生の声」が聞けるのかもしれないが、それが「本音だ」ということには、決してならないはずだが。現役であるなら、そして語る内容が批判的であるならなおさら、子供は、そして教師だって言いたいことが言えないのではないか?
 それに、その子供たちはどうやって集めたのだ、NHK? 無作為抽出ならともかく。あんなにひねくれた子供たちばかりじゃないはずだが? 教員だってそうだ。どうやって人選したのだ? あんなに熱血的な教師ばかりじゃないはずだが? 精神的に参って休職中の教師、やる気のなさに溢れた教師、新任で右も左も分からない教師、その他色々現場にはいるのじゃないかい? そういう人達はどうした、NHK?

 あ〜、自分でも何が言いたいのか分からなくなってきた。(爆)
 とにかく見ていてムシャクシャした。別に、私が意見を言いたい、とかいうのではなくって。
 う〜ん...。疑問の形で終えましょう。(笑)
「学校って楽しければそれでいいの?」
「児童・生徒は教師と対等にならなきゃいけないの?」
「精神的な体罰は問題じゃないの?」
「家庭のしつけはどうでもいいの?」

 あ〜、これも収拾がつかない...。(爆) ここまで書いても全然、すっきりしない!!(笑)
(1999年1月 書き下ろし)
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その10 幻の公開メール
 公開メール、ということをとある方(って、ぼかす必要はないのだけれど)から提案され、いざ、開始して早、一カ月半が過ぎた。立案者の雪見さん(ね、もうちゃんと書いているし)は、日頃何気なく使っている・ありうる事柄で、ちょっと立ち止まって考えてみると、差別のにおいがするものを取り上げてゆこう、という風に考えていたのだが、HASENOBU は、この問題はどうしても「言葉の問題」を避けて考えてゆく訳にはいかないだろうということから、いきなり、いわゆる「差別用語」についてのことを持ち出してしまったのであった。(このあたりのこと、知らない、という人はすぐに雪見さんのホームページに直行だ! 私のリンクのところから行けるよ。そこの「かつぶし荘」の中にあるから。)

 このような事柄は Untouchable のものかもしれない、確かに。
 でも、それをタブーとして隠してゆく、触れないでおくという姿勢の方がより危険ではないのか?
 このように思う私(あるいは雪見さん)に対して不愉快に思った人もいるようだ。「差別に対する感覚が,麻痺しているのだな〜って感じました」ということで「この考え方が理解できない人は,これからの国際社会では通用しないのでは?」とおっしゃって「読んでいて,非常に腹立たしく感じたので,メールしました。」ということになる、という読者もいたようである。その一方で、非常に積極的に自分の問題として捉え所感を述べてくれるメールを書いてくれた方もいる。

 さて、次の文面は、私がいわゆる差別用語に関する話を持ち出した後でしたためた原稿を元にした文面である。私自身がまな板に乗る、ということになりかねず、引いては同じ土俵から降りることにもなりかねないので実際には「公開メール」には掲載しなかったものである。
 が、これはこれで一つの立派な駄文である(意味不明)ので、ここに掲載する、という次第である。だが、ちょっと、待ったぁ! これを読むためには前段階の知識としてそれまでの公開メールの内容を是非、理解しておいていただきたい。ということで、もう一度。まずは、すぐに雪見さんのホームページに直行だ! 私のリンクのところから行けるよ。そこの「かつぶし荘」の中にあるから。(笑)

------以下、「幻の公開メール」------
 さてさて...、探していた本が見つかりました。どういうわけか私の書斎(もしくは「男の城」、またの名を「小屋」)の本棚の一つの、あるべき場所ではない場所に仕事関係の本と並んでいましたよ、長谷川きよし著『めくら自慢 耳は目ほどにものを見る』が...。
 長谷川きよし氏は、2歳半で失明、ということで、この本の中にも「物心がつく前に(見えなくなった)」や「僕等のように最初から見えない」などという記述も見えます。
 で、この本は昨年末、他の絶版の本を探して古本屋を巡っていたときに見つけたもので、表紙の裏トビラ(?)には、どうやら長谷川きよし氏、御本人のサインらしきものがある、という稀覯本です。(笑) この本は株式会社立風書房が発行所、1985年に出版されたものです。
(今回の「公開メール」の企画の参加に当たっては何らかの本や誰かの説からの引用はせずに、自分自身に問い掛けながら自分自身の言葉で進めてゆく所存でおりましたが、今回の引用は、例外だと自分に言い聞かせております。(笑))

 前に雪見さんが「ただ、その場合その人に聞いてみたいですね、『目の不自由な人』と呼ばれたら、差別されていないと感じるの? って。」と書かれていましたが、それに関することなので、上掲の書から(直接的ではないものの)関係すると思われる部分を引用します。
 いきなり、あとがきに相当する「タイトルまでの長い道のり」からの引用です。

「めくら自身がめくらと言うことのどこが差別だ。だいたいめくらという言葉をなくしたって、何もかわらないどころかよけいに陰にこもっていくだけだ。めくら判、あきめくら、めくら滅法、めくら稿、どれをとっても言い得て妙なこの表現はどうするんだ。」(同書159ページ)

 長谷川氏自身は「めくら自慢」というのを「インパクトが強くて、あっけらかんとしていい」(同書158ページ)ということで本のタイトルの有力候補に挙げていたようです。が、それだと宣伝しようと思っても「放送ではタイトルは言えないし、新聞広告でもはねられる」(同書158ページ)ということで結局「耳は目ほどにものを見る」という二段構えのタイトルに落ち着いたそうで...。
 事実、氏はこの本の中で何度となく「めくら」という言葉を使っています。

 ちなみに私は「身体障害者」や(それを何の理由からか略した)「身障者」なんて言葉は大嫌いです。(好みの問題かもしれませんが。) 「身体障害者」なんて言葉、一体、何なんでしょう? 何を意味し、誰を指しているのでしょう、一体? そんな言葉が使われるというのは(ほとんどの場合)どこが「障害」なのかを切り捨ててしまって、「健常者」(もっと嫌な言葉)とは異なる人達を十把一からげに呼んでいる場合のようで...。(そういう意味では、むしろデリカシーに欠ける表現だとさえ思います。)

 話は飛ぶようですが、雪見さんは「視力に障害があるって劣っているってことなのかなあ」と、さらに根源的な疑問を呟いていましたけれど、それについて。  同感です、というか、私も同じ疑問を持っています。(もちろん視力に限らず、ですが。)

 雪見さん、色盲って御存じですよね?(ちなみにこれも差別用語なのかな?) では、色弱っていうのは?
 唐突ですが、私は「赤緑色弱」なんですよ。小学校の身体検査の時にたくさんの色のドットで何らかの文字やら数字が見えるかどうか、っていう検査を受けたことはありますよね? 私はあれで読めない(というか判別できない)のが幾つかあるんです。ま、これは生物の授業にも出てきたと思いますが、一種の遺伝的なものだそうで。ですので高校の時にも「君は理数系、特に医学や科学系には行けないよ。」と先生から言われた記憶もあります。(ま、行く気もなかったのですが。)
 では私は「身体障害者」なのでしょうか?(って、いきなり問い掛けられても困ると思いますが。)「大多数の人に識別できる色が識別できない」ということなのだから、厳密には「身体障害者」なのかもしれません。(別に、それでもいいのだけど。)ただ、自覚はないですし、そのことで大騒ぎしたくもないのけれど。

 でも、これに関して思うのはやはり「一体、『劣っている』っていうのは、どういうことなのだろう?」ということです。少なくとも、私自身のこと(赤緑色弱)で言えば、これは私の視覚能力が大多数の人と少し「違っている」という、それだけのことなのですが。
 このあたりのこと、どう思われますか、雪見さん?(すごく曖昧な問い掛け...。(笑))
------以上、「幻の公開メール」------

はい、どうでした? これを読んだ方にも尋ねましょう。「このあたりのこと、どう思われますか、皆さん?」

 補足しておきます。私は、今の段階では、「全ての『身体障害者』は不幸であるとは限らない」というふうに考えています。事故などで人生の途中から目が見えなくなった、歩けなくなった、というような場合は、恐らく、それは当人にとって、ものすごくつらいことであろうと想像しますが、いくら想像しても想像の域を越えないので、私には断言することはできません。  一方、先天的に、という場合は、その世界(例えば目の見えない世界、音のない世界など)が本人にとって「自然の、基準の世界」であろうから、それを「さぞかし不自由だろう」、「困るだろう」と一方的に考えるのはいけないようにも思っていますし、ましてや「憐れ」だと思うのは極めて失礼なことだろうと思っています。「この人は目が見えないのだ」、「この人は耳が聞こえないのだ」という事実を知ったときに「あ、そうですか。」と大騒ぎせずに受け止めたいと思っています。(こう書いたものの、うまく表現できていないので、誤解されるかもしれませんが...。)
(1999年1月 書き下ろし)
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