ちょっと堅い話 Part 2

目次
その11 知覚・記憶・幻
その12 ただの「愚痴」
その13 インターネット
その14 洋子
その15 主の導き
その16 朱鷺の喜びと悲しみ
その17 ただいま、そして、おかえり
その18 恐い話
その19 試験(1)
その20 夢

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その11 知覚・記憶・幻

 私の専門は大きく言えば言語学。その中にも色々あるのだが、特に文法理論、さらに語用論、それも対象とする言語は英語もしくは日本語である。その意味で人間の思考方法や知覚や認識にも興味を持っているが、そこまで広範囲に勉強はできないでいる。ただ興味本位に精神科学や心理学などの本を読む程度で、学術的な意味での確固たる基盤は何もない。(笑) そんな素人の私の素朴な疑問です。

 人間の記憶とは一体なんだろう? 記憶のメカニズムもそれなりに面白いのだろうけれど、脳内物質の〜が、なんていうのは面白くない。忘れたい忌まわしい記憶が消せないのはなぜだろう? 一方でいつまでも消えることの無いはずだと思ったものが色あせてゆくのはなぜだろう?

 溢れんばかりの視覚・聴覚・嗅覚・味覚(?)・触覚(?)の情報から人はどうやって重要であるものとそうでないものを識別しつつ知覚するのだろう?

 インターネットの世界は「仮想世界」だとよく言われる(と思う。) 現実と幻はどう違うのか? ある人にとって幻であるものがある人にとって現実であるとすれば、その差異はどこから生じるのだろう? そもそも現実とは何なのか? 知覚できるものが現実だとすれば、記憶の中の出来事は現実と呼べるのか? 目に見えるものなら現実なのか? 手で触れるものであれば、そこに「ある」のか? 喜びや悲しみや期待や怒りやあきらめや苦しさや(あぁ、きりがない...)人間の感じる「感情」は現実なのか、幻なのか...?
 だいたい、「嬉しい」だとか「悲しい」だとかの感情はどこから出てくるのだろう? そして、どうして嬉しかったり、悔しかったりするのだろう...?  常識とは? 理性とは? 知性とは? って、これを突き詰めてゆくと「生きるとは?」だとか「人間とは?」といった大上段に構えた疑問に辿り着くわけですね。(笑)

 うう...。二十歳前後の彷徨う心境みたいだ...。いかん、ジンがまわってきたようだ...。(笑)

(1999年1月 書き下ろし)
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その12 ただの「愚痴」

 この話は愚痴である。(爆) 堅い話よりも「つまんない話」に入れるべきものかもしれないが、これまでと同様、好きにさせて欲しい。(笑)

 私はあまり愚痴るほうではない、と思う。言っても仕方のないことをぐだぐだ述べても何も始まらないのだし。しかし、それでもぶつくさ言いたくなることはある。

 詳細には書かないが、私はこの数年、カリキュラム検討委員という任務を与えられている。最初の一年は「何と楽な校務分掌だろう。」と思った。委員会は年に一度か二度開かれた、という程度であった。が、私の職場で大きな改革を行なうことになり、併せて、カリキュラムを根本的にいじることになった。18歳人口の急減期にさしかかって慌てた、ということだ。
 「18歳人口の急減」とは言え、昨日今日発生した問題ではない。当たり前だが十年以上前からこういう事態になることは予想できることであるどころか決まっていたのだ。なのにトップの人達は手を打たなかった...。この二年ほどの学生数の激減、それに伴うレベルの低下を目の当たりにして、やっと重い腰を上げた、という次第である。
 カリキュラム検討委員会も一昨年あたりから活発に動き始めた。私の所属する学科は最初に改組を行なうことになっている。新規のカリキュラム案を作成するのにどれだけ時間がかかったことか...。カリキュラムの方針の決定、理念の考案でさんざん議論を交わし、実際のカリキュラムの作成となるが、もちろん作っても、それは完成ではない。運営上の問題を考慮しながらの調整作業、担当教員の割り振りなどなどやらないといけないことは山ほどある。(しかも一つ動かすと全てに影響が出てくるような作業である...。)

 ま、それはそれでいいとして...。(ちっともよくないのだけど。)
 で、新「カリキュラム検討委員会」が発足した一昨年の春。私は重い足取りで会議室に向かった。志願者、入学者の減少、そしてこれから待ち受けている山のような作業のことを考えながら。他の委員も同じような気分だったのだろう、暗い面持ちだ。そうして会議は始まった。
 と、その時、とある教授が「議長。ちょっと、いいですか?」と切り出した。
 「みなさん、どうしたんです、そんなに塞ぎ込んだ表情で? 今から私達は新しいカリキュラムを作ろうというのですよ。 高校生が『あぁ、この大学に入りたいなぁ。』と思うような魅力的なものを作るのに私達が落ち込んだ顔をしていてはいいものはできないんじゃないですか? 違いますか?」

 「おいおい、本気か...?」と私は思った。(笑) 順風満帆で明るい未来へ乗り出しているんじゃないのに...。全てやることが後ろ手にまわっていて、あがこうとしているんじゃないのか、この事態は...? 現状の認識もできていないらしい...。やれやれ...。こういう輩がいるからこんな事態に陥っているのだとも思った...。
 私は自分で自分のことをかなりの理想主義者だと思っている。悪く言えば「きれいごとが好き」な人間である。だが、足が地につかないようなことを現実に求めはしない。それくらいの分別はあるつもりだ。(あくまで、「つもり」だけど。)
 もちろん、他の委員達は苦笑してまともに彼のことを取り合わなかったけれども、その後も彼は現実を度外視した発言で会議を意味なく躍らせて続けている...。

 あ、それともう一つ。同僚の中に「我が社は〜」というセリフを口にする者がいる。「私学も一つの企業である。我々は常に企業努力を怠ってはならない。」というようなことを暗に意味したいのであろうが、笑止千万である。そんな言葉の言い換えでモラルの向上を図ろうとでもいうのだろうか? 私自身は、いわゆる会社勤めというものをしたことがないのだが、私の職場を「企業」に喩えるなどなんておこがましいにも程がある、と思っている。(理由は色々ありますが。)
 そして陰ではその人(「我が社は〜」と言う同僚)は学生のことを「いましたよ、今日、来なかったヤツが二、三匹。」と言ったりしている。なのに、その人は、またある人に言わせると「学生思いのいい先生」なのだそうだ...。やれやれ...。

 うんざりしてしまう...。
 だけどいくらうんざりしてもやはりカリキュラムの仕事が私に重くのし掛かってくるのである...。(笑)

(あ、別に「ほぉ...。それはご苦労様。そういう中で頑張っているんだね。」などと思わないで下さいね。軽く聞き流すか、あるいは「けっ。それくらい何だっていうんだ。もっと世間は厳しいんだぞ!」と思ってくれたほうがうれしいです、はい。(笑))
(1999年2月 書き下ろし)
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その13 インターネット

 かなり大上段に構えてしまって、剣の振り下ろし先が見当たらない...。(いきなり、弱気だ...。)

 さて、これは「堅い話」なのだから冗談はやめにして...。
 私がパソコンを使い始めたのは十数年前のことだが、マックに乗り換え(?)、そしてネットに繋ぐようになったのはまだ3年ほど前のことだ。
 最初は newsgroup ばかり講読していた。特に fj.mac などは有益な情報が満載だし。それから fj.music, fj.usage なども読むようになった。その他、百鬼夜行、という感の newsgroup も多いようだ。(笑)
 「ニュースグループに投稿した文面は全世界からアクセス可能なものであるから、ゴミのようなものを出してはならない。」ということを知ったのもその頃だ。当時、fjでは gokuu という(自称、東大生)が「暴れて」いた。(笑) 傍から見ていて自意識過剰で過敏に反応してしまう人物であった。ま、私にとっては反面教師の役割を果たしてくれた貴重な人物だ。
 インターネット、もしくはウエブの世界は、いってみれば全世界を覆う網のようなものだと言われたり、また「大きな海」のように表現されたりする(と思う。) それは、頷ける話だ。ある海岸で「あぁ、この海の水はもしかしたらニューヨークのあたりにも漂っていたのかもしれない...。」だとか、「この海の水になれば、テムズ川を遡って遥かロンドンまで行けるのかもしれない。」などと思ったりするのと同じだ。(何が?)

 振り返って我が身、というか、我がくまきの部屋。(笑) これだって、URLさえ分かれば世界のどこからでもアクセスできるだろうし、日本語が表示できれば全文読むこともできるはずだ。(ま、当たり前だが。) その意味では newsgroup と同じだと言える。
 となると、「ゴミのような」ホームページ(爆)は、存在すべきではないのだろうか...?
 と、いきなり問い掛けましたが、私自身、それはそれでいいんじゃないのかという気がしている。(別に開き直るわけじゃなくって。) うまく表現できないけれど、HASENOBU という人物が、現在この世の中に存在していることが許されて(?)いるのと同じ理由で。

 う〜ん、何を書いているのだろう、私は...?(笑)
 あ、世界、ということで思い出したけれど、くまきの部屋のトップページに仕掛けてある ipstat の記録によると、いつか、誰かがオランダからこの部屋にアクセスしたらしい...。あれは、一体誰だったのだろう...? ついでに、もう一つ、同じく ipstat の記録からすると mesh.ad.jp というサーバー(?)からのアクセスが最近目立っていることが判明している...。一体誰なのだろう...? 別に「くまきの部屋」は(冗談が分かるという自信のある人であれば)誰が見たって構わないのだけれど、ちょっと気になってます、はい。心当たりのある人、どうぞ御一報下さい。(笑)
 で、どこが「堅い」話だったのだろう...?(爆)
(1999年3月 書き下ろし)
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その14 洋子

 おいおい...。誤解を招くタイトルだぞ、これは...。(爆)
 もちろん、私の妻はFさんであって、洋子という名前じゃない。では、一体、洋子って...?

 ま、それはさておき(おい...。)、つい先日、一人の学生が退学した。その理由は結婚するから、というものであった。(別に、学生のプライベートな事に口出しするつもりは全然、ないが。あ、ちなみにこの学生が「洋子」という名前である、というのではないので...。) 実際のところ、この数年、退学者や休学者(その大半は退学予備軍である)の数が増えてきている。以前は滅多になかった経済的な理由でやめてゆく者の割合も、長引く不況のせいか、高くなっているようだ。もちろん「勉学意欲喪失」や「進路変更」などの理由もあるにはあるのだが。  さて、私の勤める大学では退学申請をする際には担任、学生本人、学生の保護者、そして教務部長の四者が一同に会さねばならない...。(笑) 「やめたい」というのだから、あっさり解放してやればいいと思うのだが、そうは行かないらしい。ま、いいけど。
 で、今回、私のクラス(笑)で退学した学生は、高校の頃に私費でニュージーランドに一年間留学した経験を持つ学生だった。そして今回、退学の手続きのために仙台から飛行機でやって来た母親は、いかにも品が良く、その家庭が裕福なことが見て取れた。(だから何だ、ってわけじゃないです、はい。)
 だが、書類に担任の(合意のため? 了承のため? 確認のためか...?)印鑑を捺すときになると、いつも思い出すのは洋子のことだ。もう十年以上前の教え子だけれど...。

 かつて私は(「プロファイル」にも記したように)とある県立高校の英語教師をしていた。その高校は、その地区(って言ったって田舎なんだけど)では学力的にトップの進学校であり、よって、生徒達も郡部の中学校でトップクラスにいた者たちがほとんどであったし、実際、進学率も良かった。
 赴任と同時に私は「女子ハンドボール部」の顧問教師となった。(「なった」というよりは「ならされた」のだが...。(笑)) 洋子は、その部員だった。常に明るく、そして礼儀正しく、クラブの練習にも熱心に取り組む女の子だった。彼女が高校三年生になった時、彼女のいるクラスの英語の担当は私だった。授業中も彼女は模範生であり、また早朝や放課後の課外授業にも意欲的に参加していた洋子は「小学校の先生になるのが幼い頃からの夢」だと言っていた。もちろん、彼女の成績であればそこそこの大学の教育学部、あるいは短大の児童教育学科に合格できるのは間違いないことだった。
 ところが、冬休みももうすぐ、という頃に塞ぎ込んだ表情で職員室に入ってきた洋子は、「漁師をしている父の体調が思わしくなく、進学は断念した...。」と私に告げた。そして彼女は看護専門学校に進み、看護婦さんになることにしたのだと言う...。だけれども、彼女のために力になることは私には何一つできなかった...。

 もちろん、洋子のようなケースは決して多くはないだろう。けれども、(傍から見ていれば)何の不安もなく、自由に大学生生活を謳歌することもできるだろうし、また、勉強を続けようと思えば続けられるのにいとも簡単に退学してゆく学生達を見ると、私は洋子のことを思い出して、とてもやるせない気持ちになるのだ。
(1999年4月 書き下ろし)
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その15 主の導き

 今、私の手元に一枚のCDがある。これは容易に入手できるような代物ではない。店頭に並んでいないばかりか通信販売ですら手に入らないことと思う。
 と、もったいをつけたが、ま、いわゆる自主制作のCDなのだ。そのタイトルは「大きな愛の中で」。大体、何のCDなのか察しがついただろう。
 これは、とあるキリスト教のバンド(?)の手によるものであり、どうやら中心人物と思われる方が多重録音をして、そしてバンドのメンバーが少しだけ音入れをした、というものだ。ま、実を言うと、昔の私のバンドのメンバー(ドラムス担当)が、現在ではそのクリスチャンバンドの一員なのだ。そういう経緯でそのCDが私の手元にある訳だ。
 さて、11曲入りのこのCD、全てオリジナルで、その音楽的なレベルは、素人のレベルじゃない。リードヴォーカルを取っている方(前述の中心人物)の技量、歌唱力は素晴らしい。ちなみに声質は「小田和正プラス財津和夫」割る二、という感じの、極めて耳に心地よいものである。(はっきり言って、とてもうらやましい...。)
 だが。
 だが、メロディーやアレンジはともかく、その歌詞には、ちょっとついてゆけないものがある...。
 慌てて補足しておくが、私はキリスト教には何の恨みもないし、もっと言うなら、別にどの宗教に肩入れしているわけでもない。もちろんその歌詞全てが受け入れられないという訳でもなく、決して揶揄したいわけでもない。
 ただ「大雨だ 洪水だよ 神様が教えてくれた ノア」(「ノアの箱船のテーマ」より)、「イエスに従い進もうよ いつまでも」(「イエスを見上げて」より)などのような歌詞にはかなりの抵抗を感じるのだ...。

 ふむ...。
 自分でも何が言いたいのか分からなくなってきた...。
 別にキリスト教の教義を否定したいわけじゃないし、それを信仰する人たちに文句があるわけじゃないんだけど。
 ただ、そもそも信仰心の希薄なHASENOBUには、やはり宗教というものはよく分からないものであり続けるのだな、とふと思っただけで...。

 このような、何かすっきりしない気分を持つのは、例えば私の身の回りのキリスト信者。先のドラムス担当、私が広島に来て初めての友人である(もう亡くなった)副牧師のTさん、同僚のO氏をはじめとして、思うとその全てが素晴らしい人物であり、敬愛に値する人たちばかりである。それだけキリスト教の教義が素晴らしいものなのかもしれない。
 とすれば、そのような素晴らしい教義を持ち、そして世界で、特に西洋社会でもあれだけ浸透しているのに、どうして悲惨な事件が続き戦争が起こるのか...?(もちろん、他の宗教との対立に基づく戦争は別としても、だ。) 例えばアメリカは(私の印象からすると)キリスト教の盛んな国だ(と思う)。なのにどうしてあんなに社会は病んでいて殺人事件が続発するのか...?
 う〜ん...。事件や戦争を特定の宗教と結びつけて考えても良くないのかもしれないが、何か釈然としないのだ...。
 と、いつもながらまとまらない文面になってしまったが...。ま、いいでしょう。
(1999年4月 書き下ろし)
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その16 朱鷺の喜びと悲しみ


 朱鷺のヒナが孵ったらしい。世情に疎い私ですら知っているのだから、きっとこれは国民的なニュースなのだろう。(「国民的なニュース」って何なのかはさておき。)
 
 最近、朝、早く起きるようになった。と言っても6〜7時くらい、ということで取り立てて早くはないのだが。今までは8時15分にならないと出勤しなかった妻が、今年の春から半年間、別の職場に通うことになりそのため7時過ぎには家を出るようになったのだ。で、そのとばっちりを受けて(笑)私の生活時間帯も変化したというわけだ。
 さて、ということでこのところ、7時過ぎには庭に出て椅子に腰掛けタバコを吸いながら朝の珈琲を飲む、という習慣ができた。その時、子供たちも学校に行く準備をしながらテレビをつけて「今日の星占いは〜。」などと言っている。
 もちろん私はその番組を見るわけではないが音は流れてくる。で、先日、耳に届いたのは「佐渡の保護センターから実況中継です!」というアナウンサーの声だった。「は...? 一体何が...?」と好奇心をそそられ画面に目をやると中年のアナウンサーが風に吹かれながら「ヒナが卵の殻をつついていますっ!」というようなことを熱っぽく話している。そして、遅くてあと20時間以内に、そして早いと今日中にはヒナが孵るとのことを伝えていた。
 朱鷺が絶滅に瀕しているということ、ニッポニアニッポンという学名を持っていることは知っていたのだが、それを聞いて初めて私は、日中友好のために朱鷺が中国から贈られたこと、そしてそのつがいの二世が誕生しようとしていることを知ったのだった。
 「でも、何かねぇ〜...。」と私は内心思った。その中継報道を見ながら、古い言葉を使うなら「マスコミのフィーバー振り」とでも言おうか(爆)、浮足立った感じを抱いたのだ。
 そしてこの印象は翌日の朝刊を見て確信に変わった。第一面に大きく報じられているのは、ま、別にいいとして、社会欄のページを見ると「このトキを待っていた!」とある...。
 私が講読しているのはローカルな新聞なのであるが、このように臆面もなく「朱鷺」と「時」をかけて書くとは...。朝からいきなりげんなりしてしまった...。(ま、前々からこの新聞はこういう、ちょっとひねろうとして結果的に間の抜けた見出しをつけることが多かったんでびっくりはしないけれども。特にスポーツ面となるとひどい。「古池や 竜助け出す 力投だ」などの(どの球団にどんな投手がいるのかほとんど知らない私にとっては)意味不明な見出しやら、広島カープが連勝すると「さぁ、コイの季節の投来!」などの愚にもつかないフレーズを載せてはばからない。他人事ながら苦情の投書などは来ないのか?)

 と言いつつも、他のニュース番組も見ていないんで今回の「朱鷺のヒナ誕生」で、どれだけマスコミが過熱したのか、しなかったのかは知らないけれど。
 いや、ただ、今までの私の印象からすると、きっとただ「浮かれた」報道しかしなかったんじゃないかなぁ、という気がする。(違ってたらごめん。) もっと言うなら、朱鷺が絶滅の危機に瀕している、ということだけではなく、そうなったいきさつをどれだけ詳しく伝えたか、誰がどうやって朱鷺を追いやったのか、などをこの際、深く追及しようというような記事や報道ってあったのかなぁ?

 別に私は朱鷺なんかどうだっていい、などと言いたいんじゃない。だけど、あたかも今回のヒナの誕生が「全国民が固唾を飲み見つめ、待ち受けていた出来事」であるかのように扱われるのだとしたら、それは違うんじゃないのか、と思う。いつから日本人、全員が「動物愛護主義者」になったのだろう?

 あぁ、HASENOBUが時流に乗った話題を展開するなんて...。(爆)
(1999年5月 書き下ろし)
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その17 ただいま、そして、おかえり


 HASENOBUは定職を持っている。(笑) そして、HASENOBUの妻も、だ。
 従って子供たちは、いわゆる「かぎっ子」である。娘などすでにかぎっ子歴6年目を迎えている。
 かつては、私と妻とで話し合ってどちらが保育園に迎えに行くのかを決めていたのだが、昨年の春、下の子供が小学校に上がってからは「無理してでも5時40分には仕事を切り上げ保育園に子供を迎えに行く」ということはしないで済むようになったのだが。

 これを読んでいる人は御存じだと思うが、HASENOBUはしがない地方の弱小短大の教員であり、そして妻は公立小学校の教員だ。というと、「ほぉ〜。それなら毎日定時に帰ることができていいでしょうなぁ。」と思われるかもしれないが、そんなことはない。私が7時前に帰宅することはまず、ないし、妻も7時から8時の間に帰宅するのが普通であって、6時前に帰宅するのは滅多にない。(私の場合は土曜日も含めてだ。)

 ところが、先日、私の出張が思いのほか早く済み、午後4時半過ぎに帰宅した。(こんな時間に帰るのは何年ぶりだろう...。) 塾へ出かける準備をしていた娘も「あれっ? お帰りなさい。どうしたの、お父さん?!」と驚いている。私だって驚いている。(笑) 息子は4時前に、スイミングスクールに行ったんで不在だったが。
 5時前のバスに乗るために娘が出かける。「行って来まぁ〜す、お父さん」と娘が声をかける。雨の降る中を水玉の傘をさしてバス停に向かう娘の後ろ姿...。玄関先に立って見送る私の心境は複雑だ...。いつもは誰もいない家に鍵をして出かけているのだ、娘は...。

 出張報告書を書くために自室に籠っていた私だったが、午後6時過ぎには息子が帰って来て、カーポートに私の車があるのに気づいて私の部屋に来る。「ただいまぁ〜、お父さん! どうしたの、今日は?」(笑)
 この時間に私が帰っていることが子供たちにとっては変なことなのだ...。

 なんか、ねぇ〜...。こんなんでいいのだろうか...。(いいわけない、って。) 幸い、うちの子は二人ともいい子で心配することなどもないのだが。(爆) 
 それでも、口に出して言うことはないけれども、やはり家に帰ったとき「お帰りぃ〜。」と迎えてやる親がいないことは悲しいことなんだろうなぁ、と思ったHASENOBUでした...。ただ、それだけ...。

(1999年6月 書き下ろし)
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その18 恐い話


 何気なく帰り道に寄ったスーパーマーケットの雑誌売り場で『買ってはいけない』と大きく表紙に書かれた本が目に留まった。週間金曜日5月21日号増刊の『週間金曜日』別冊ブックレット2、である。ちょっと気になって手に取りパラパラとめくると、どうやら巷に溢れる「おすすめできない」商品を取り上げ、いかにそれらが人体や環境に良くないかを詳しく説明してあるようだ。で、思わず買ってしまった。

 恐い話には色々ある。核や原子力の問題や戦争もそうだし、自然災害だってもちろんだ。だが、普段、あまり意識しないで口にする食品に含まれる添加物、手軽に使え役立つ生活用品に含まれる化学物質なども、かなり恐い。「カップラーメンは身体に悪い」だとかの話は耳にすることが多いが、このような本で詳しく説明されているのを読むと、本当に空恐ろしい気がしてくる。ま、今初めて気づいたというのではないが。
 この本には「アレルギーをよぶ添加物いっぱいのラーメン」、「合成洗剤が手のヒフ細胞を殺す」、「ファイトも出ないスタミナ・ドリンク剤」などなどのサブタイトルに添えられて(あまりテレビを見ない私ですら知っている)大手メーカーの商品が実名でたくさん挙げられている。どれを読んでも恐い話である...。
 「次亜鉛酸ナトリウム」やら「蒸散姓ピレスロイドのエムペントリン」などなど、訳の分からない単語のオンパレードで実感は湧かないが、その作用(及び副作用)の記述は明瞭である。
 ここにこの本の記事の詳細を書きつける気力もない。興味のある人は、いや、ない人でも書店に行き一冊買い求めることを、店頭になければ注文してでも読むことをお薦めしておく...。

 個人的には巻末の座談会は、「うん、そうそう!」という感じで頷きながら読めた。「テレビでコマーシャルをやっているものの9割はまったく必要がないものばかり」(p.197)、「広告料は"口止め料"ともいえる」(p.203)などなど。

 あ〜、それにしても陰鬱な気分だ...。私は取り立てて健康に気づかうタイプの人間ではない。「無農薬栽培の野菜だけを食べ、マヨネーズはバターで手作り、パンも天然酵母で自家製」という生活にまで突っ走る意気込みもない。というより、心から自分の健康のことを考えるのであればタバコなど吸わないだろうし、酒も摂生するはずだ。ヘビースモーカーで酒浸り(爆)の私には無意味な本だったのかもしれない...。
 だが、気になるのは子供のことであり、そして未来の地球や自然環境だ。どう考えても日本は滅亡へと着々と歩み寄っているようだ...。この流れは果して変わるのか?

 と、意味なく疑問を投げ掛けて、おしまいっ。
(1999年7月書き下ろし)
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その19 試験(1)


 試験問題には色んな問題が絡む。これは、純粋に教育学的な見地からしても、また実際の教育現場においても、さらには評価(方法論)ということから見ても、だ。これが大学入試などの、ま、人の人生を左右するかもしれないような場合はもちろんのこと、学内・校内の定期試験にだって、そして学校教育以外の場で行われる試験というものまで色々と「試験問題にまつわる『問題』」というのがあるのだ。

 と、こんなことを書いているのは前期末試験が近づいてきたからそろそろ試験問題を作成しなければならないということと、今日、とある試験の監督をしたから、だが。(笑)

 まず、前期末試験問題について。小学校の場合には、いわゆる教科書典拠の問題プリントというのがあるんで教師はそれを使い採点すれば良い。中学校や高校の場合も似たようなもので、教科書に沿った問題集というのがあり、それらを参考に(あるいは完全にパクって(笑))教師は中間試験や期末試験の問題を作る(はずだ)。ところが大学の場合、多くの場合、試験問題は完全に自作となる。(少なくとも語学系の授業であれば。) だから学期末になると、他の人はいざ知らず、私はとても憂鬱になる...。
 どういう問題を作ればよいのか? これがとても難しいのだ。使用している教科書やその他の教材の種類にもよるが、ある問題を作ったとき、一体、それで学生のどの力を測ろうとしているのか、というのが何年経っても確信が持てないのだ。
 試験範囲が、例えばある教科書の1〜35ページだったとしよう。そうしたとき、私はどこかの章や一節にだけ集中して問題を出すことはしない。確かにある英文の塊をど〜んと出して「和訳せよ」とかやれば(採点はともかく)出題は非常に楽だ。だが、私は「ヤマをかけ(られ)る」というのが気に入らないのだ。(笑) 従って、私が作る試験問題には、分断された、途切れ途切れの文や語句、単語などを問うような問題が並ぶことになる。
 だが、そういう(ちまちまとした)問題を作っていると、先の疑問、つまり「一体、この問題で学生の何を測ろうとしているのだろうか...?」という疑問が沸々と湧いてくるのである...。そしてイヤになるのである...。

 ついでにもう一つ(笑)。先ほど「評価」という言葉を使ったが、評価を出す、というのも、実に疲れる仕事である...。
 とある理系の同僚は言う。「授業態度が真面目だとか不真面目だとかはどうでもいい。そんな主観的な要素は評価に入れてはならない。定期試験の点数、これのみ考えればいい。」
 本当にそれでいいのだろうか...? って、私は良くないと思っているが。(笑) もっと大胆なことを言うならば(笑)、(原則的に)大学における成績評価は絶対基準に基づくものだが、私は相対評価でいい、と思っている。これは私が作る試験問題に絶対の確信を持っていないから、というのもあるが(笑)、絶対評価で行くと私の教える学生の9割以上が不可になってしまうからだ。(爆) これ以上書くと虚しくなるので止めるが...。
 話は跳ぶようだが、私は「英文和訳」の効用を信じている。「読んで訳す」ことが全てだとは思ってないが、読んで訳せないなら、分かってない、のだ。そこで、英文講読の授業の場合、私は学生に自発的な挙手を求めることにしている。「18ページの3行目から10行目の節、やる人はいませんかぁ〜?」という具合に。(笑) 英文の内容、その難易度によっては誰も手を挙げない、ということもあるが。挙手した者を指名し、その予習・理解の程度を記しておく。当てられなくとも挙手した者の名前も記しておく。これらは期末に点数に換算し、そして出席(欠席)や遅刻の有無・回数なども考慮し最終的な評価を出すようにしている。一回のテストの点数のみ、で評価する、など、とてもじゃないが、小心者の私にはできない相談だ。(←この書き方、かなり卑屈。(爆) 本当は「一回のテストの点数で評価するなんて、教師の傲慢であり怠慢である」ということが言いたい。)

 と、言いつつも...。一回だけの試験の結果の重要さというのも分からないではないのだ、これが...。(爆) 最初に書いた大学入試など。それまで、いくら努力していようがそれが点数に反映されない限りは認められないのだ。そして、これはこれで(口惜しいけれど)仕方ないことだとも思う。そして同時に、だからこそ「試験問題」の質が問われることにもなる。(ま、当たり前だが。)

 ということで、出題する側からの苦悩(大袈裟な...(笑))の一片を記したところで、また〜。(笑)
(1999年7月 書き下ろし)
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その20 夢


 夢、って一体、何だろう? 以前、「夢」に関しては「夢見るみんな」というタイトルで書いたこともあるけれど...。「非現実的なもの」だとか「幻想」と同じようなものとして「夢」を捉えるのは、私は、しない(ような気がする)。で、もしも、誰かが私に「あなたの夢は?」と尋ねたとしたら、私は何て答えるのだろうか? 「ちょっと待って。今、『夢』とおっしゃいましたが、それはどういうものを指しているのですか?」と質問に質問で切り返すような気がする...。(爆)
 
 そう切り返したいのを、ぐっとこらえて、自分に問い掛ける。「私の夢、とは...?」 何だろう...? 5分経過...。(笑) すぐに言語化できないのであるから、きっと私には明確な夢はないのだと思う。

 とは言え、将来の、というか、これからやってみたいこと、行ってみたいところ、ま、一言で言えば、経験したいことがないわけじゃないから、それらを実現することが、私にとっての「夢」なのかもしれない。

 それらを具体的に、逐一述べていっても、つまらない。私が「いつか、アフリカのサバンナに落ちる夕陽を見てみたい。」「娘の花嫁姿を見てみたい。」(爆)だとかのことを他の人に言っても何にもならない。

 私は仮定の話が好きじゃない。「もしも1億円あったとしたら〜(爆)」「もしももう一度生まれ変わるとしたら〜」などというようなこと、考えるのは個人の勝手だし、私だって考えたりするが、それを人に話すつもりはないし、また人から聞かされるのも嫌いだ。(場合にもよるが。)

 と、言いつつ、自分一人だけがこの世の中にいない、という状況を考えると、これは、まさに絶望的だ。深く考えたくはないが、発狂しそうだし、自殺しかねないとも思う。もちろん、「人間は人と人とが、お互いもたれかかって〜」という説教話をしたいのではない。(笑) ただ、(ちょっと堅い言い方だけど)私という存在は、どうしても他者との関わりの中でしか位置づけられない、というか、どうしても「住む社会」を必要とするのだからだと思う。
 
「欲望」がある。それは「夢」なのかもしれない。
 強烈な欲望ではないにしても「あぁ、***と一緒にいたい」というような、ささやかな望み、これも「夢」なのだと思う。そして、その「ささやかな夢」の集まりで毎日が満たされてゆくのも、いいんじゃないのか?

 「夢」を、実現不可能なもの、と考えてはいけないと思う。(と同時に、「実現不可能なもの」を「夢見る」ことがいけないとは、思っていないが。) 「大志」を抱きたい人は抱けばよい。

 「夢」は、「気高いもの」「深遠なもの」であってもいいのだけれど、そうでなくっても一向に構わない。ささやかな夢を持つ人を笑うことは、誰にもできない。たとえ笑われても、その人の夢は、傷つかない。他の人に何か言われてくじけるような夢は、私に言わせれば、まやかしの夢だ。

 私個人(の意志・精神)を超えた、つまり、抑制のきかないものが私の中にある。「(生存)本能」もその一つだと思う。自分では意識していないのに呼吸をし、眠りたくなくても寝てしまうこともある。これらを夢と結びつけたくはない。あくまで「夢」は「意志」の手下であって欲しい。

 「人生設計」という言葉がある。イヤな言葉だ。(爆) 「十年後の私」などといったタイトルの文を書けと言われたら筆は進まない。もちろん、行き当たりばったり主義、というのではないが。自分で自分の**年後のあるべき姿を想定し、それに向かって邁進する人は、それはそれでいい。私にはそうしようという意欲も、関心もない、というだけのことだ。もちろん、刹那主義を信奉しているのでもない。ただ、明日のことは、分からない、という謙虚さを持ち続けていたいとは思うが。(しかし、だからといって、「毎日が全力投球」とならないのが私のふがいなさでもあり、良さだとも思う。)
(1999年7月 書き下ろし)
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