世捨て人講座
---精神的隠遁生活の道標---
目次
その01 テレビ篇
その02 新聞篇
その03 ブランド篇
その04 宗教篇
その05 お出かけ篇
その06 お酒篇
その07 電話篇
その08 髪型篇
その09 NHK 篇
その10 年賀状篇

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その01 テレビ篇

 また訳の分かんないタイトルをつけました...。

 が、私の生活のことです。(爆)
 私はテレビを見ません。これは大学時代くらいからのことです。 よく指摘されているようにテレビは視聴者にとって極めて労力を強いないということで想像力も創造力もかき立ててくれません。ただ見ていれば分かる。音もあれば映像もある。情報過多で、煩わしい。時には押し付けがましささえ感じさせる。
 そして何はさておき、陳腐な内容の番組が多過ぎる。くだらない、と言い切ると非難を浴びるかもしれませんが、少なくとも私の関心を引くものは滅多にない...。(まぁ、ウインブルドンの衛星放送はかなりの時間をかけて見てしまいましたが。)
 ここ数年で一番心に残る番組はNHK教育放送の「言葉が変わる --若者の無アクセント現象--」というもので、これは尊敬するある人物も出演していたんで思わず録画してしまったほどです。
 話を元に戻して...。
 現在よく見る番組は「コジコジ」と「ちびまるこちゃん」です...。これも毎週欠かさず、ってほどではないので、週ののべ視聴時間の合計は多く見積もって約1時間ってところでしょう。あ、連続テレビドラマはおろか、ニュース番組さえも今は見ていません。(爆)
 ドラマなど、くだらないものであっても、ついつい引き込まれてしまいがちなもので...。(笑)
 で、見ません。
 だから何が今流行っているのかも知らないし、どういう芸能人がいるのかもよくは知りません。
 ただ、お笑いの芸人の中で有名な人達は分かりますが...。
とりとめのないお話でした...。
(1998年8月書き下ろし)
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その02 新聞篇


 新聞も世の中の動きに無関心でいるためには有害です。(爆)
 自らを世情に疎くするためには、いっそのこと購読を止める、というのも一つの手、ですが、そこまで思い切ることもなかなか難しいものです。(笑) 最小限のアップ・トゥ・デートな話題も場合によっては必要ですので、テレビを見ないのであれば新聞は購読したほうが良いでしょう。
 しかし、1面からテレビ面まで全てを通読するのは愚の骨頂です。見出し、の存在意義を思い起こしましょう。そうです、自分に何らかの関わりがあると思われるもの、加えて自分の関心に沿うようなものだけ取捨選択して読めば事足りるのです。(当たり前か...。)
 切り抜きをするなんて、もっての外! 私の同僚にも新聞の切り抜きを日課としている方がいますが、話をしているかぎり、一向にそれが有益にはならないことがつくづく感ぜられます。(爆) 所詮、人間の興味の対象となるものには限りのあるもの。無駄な情報を得ても何にもなりません。新しい総理大臣が誰であろうと、悲しいことに(自民党の政治屋であれば、特に)それが私たちの生活にさして影響を与えるものではないことは過去の事実が証明していることです。ほうっておけば良いのです。(別に選挙が無駄だとか、投票に行くな、ということではなく。)それよりも、自分を含め、もっと卑近な所に関心を持ってそのモラルを高めてゆくことの方がはるかに有意義でしょう。
 話がちょっとずれてしまいました。
 で、新聞、です。
 これまた悲しいことに「活字になったものを全て信用する」という悲しい性を持った人が少なからずいるようです...。ま、今の時代のことですから、報道されるのが全くの捏造だとか嘘八百、などということはないでしょう。が、どこまでが事実で、どこからが記者の意見・感想なのかを見抜けなければいけません。(あまり記者の意見やら感想が前面に出ることはないでしょうが。)
 その意見と事実の見極めもできずに人に説いたりするのは笑止千万。即刻止めましょう。「日本の経済構造は〜」なんて語れますか? その根拠は何ですか? っていきなり意味のない質問をしてすみません。
 言いたいのは、活字だからといって全てを信用するのはちょっとね、ということです。この文面だってそうです。納得なんかしなくても結構ですから。(爆)
(1998年8月書き下ろし)
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その03 ブランド篇

 これを読んでいる人は私(HASENOBU)がとある大学に勤務していることは御存じでしょう。(って決めつけてますが...。)
 で、私の勤める短大、そして非常勤で教えているとある4年制大学の学生を見ていると、本当に情けなくなることが多々あります。それを一つ一つ書き連ねるのはただの愚痴になってしまうので書きませんが、これだけは言いたい。学生の分際でブランドにこだわるな!!
 って、実際にはそんなことを面と向かって口にはしないんですが。(爆)
 でもですね、ちょっと考えてみて下さいな。18歳かそこらで「やっぱりバッグはヴィトンじゃないとね〜。」なんて言う学生のことを。
 ま、私自身、ブランド物にほとんど興味がない、というだけのことなんですけど、ルイヴィトンやらセリーヌ、シャネルなど(他にあまり知らない...。(爆))のバッグやら装飾品を持った学生を見ていると、「ちょっと、ちょっと。そこのあなた。そのバッグ、ちっとも似合ってませんよ。」やら「そのバッグ、所有者があなたで今にも泣き出しそうですね。」と声をかけたくなること、しばしば。(ま、小心者なのでそんなことは直接相手に口にしませんが。)変な、サンボ(!)みたいなサンダル(?)を履いて、「おいおい、今から海水浴にでも?」って思いたくなるようないでたちの子がブランドのバッグ...。「それ、似合いませんよ。ミスタードーナッツで10点溜めて引き換えで貰えるバッグの方が似合ってますよ。」と、本当に毎日、喉まで出掛かって...、それを抑えるのに一苦労。(無駄な苦労だとは自分でも思うのですけれども。)

 う〜ん、好き放題書いてるなぁ...。ま、いいか。
 
 で、ブランドにこだわる人を私は信用してません、唐突ですが。
 「やっぱり****は----に限るよ〜。」と言う人には「ほぉ...、あなたは今までに手に入るかぎりの****を全部試してみてそうおっしゃるわけですか...?」と、「いいものはやっぱり長く使えるから、結局はお得よね〜。」と言う人には「ほぉ...、そこまでしてお金を貯めたいのですか。冥土に持っていけるわけでもあるまいし...。」と(「他人は他人。自分は自分」をモットーにしている私は決して口にしないものの)心の中でそう呟いています。
 ま、ただひがんでいるだけだ、と思われる方は、別にそう思ってもらっても構いません、はい。(出た、得意の捨てぜりふ!) (1998年8月書き下ろし)
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その04 宗教篇

 自分で自分の首を絞めるというか、何というか...、いつも「変なタイトルだなぁ...。」と思わざるを得ないようなことばっかり取り上げてるみたいですね、私は。(つくづく)
 今回も、かなりデリケートな話題です。が、もちろん、信仰の自由だとかを否定したり、あるいは揶揄したりするわけではありませんので、その辺のところ、よろしく。(よろしく、何なんだ...?)
 
 別の所で私のプロファイルを出しました。その時に使ったのは、実は、大学院生だった頃の、その教室(英語英文学講座)で何故か伝統的に発行される刊行物だったのですけれども、今回、それから引用するにあたってその雑誌を久しぶりに取り出して、パラパラと読んでいました。すると、当時の同級生のプロファイルがふと目に留まりました。
 それは、確かに同級生なんだけれども、ちょっといわくつきの人だったのです。
 こんなふうに書くと、これまた良からぬ方向の話を期待されるかもしれませんが、その人(以降、便宜上、Hさんと表記します)は、キリスト教の修道女、なのです。別段仲が良かったわけではないので根掘り葉掘り聞いたことはないのですが、「英文学におけるキリスト教の位置づけ」といったものを修士論文のテーマとし研究するよう、とある教会から派遣されて来ているという方でした。年齢も私より10歳くらい上で、前に「久留米信愛女学院高校」で英語教師をしており、その時に、あの(どの?)「松田聖子」を教えたことがある、という経歴をお持ちのHさんでした。
 Hさんというとすぐに思い出すのは、年間を通して、黒い服、いわゆる「シスター」の服(すみません、正式な呼称を知りません...。「修道女服」とでもいうのかな?)をまとっていたことです。またHさんは結構気さくな方で、よく私のつまらない話に笑ってくれたのですが、その笑い声が、文字通り「イヒヒヒヒ...。」というものだったこと、です。(あとにも先にも、本当に、このような声で笑う女性に会ったことはありません。)

 毎度のことながら前置きが異常に長くなりました...。
 最初に触れた、ふと目に留まった「当時の同級生のプロファイル」というのはHさんのプロファイルだったのです。他のところで引用したように、このプロファイルはアンケートに答えるという形式のものです。今回の引用にあたっては省略しましたが、オリジナルのアンケートの冒頭で尋ねられているのは「氏名、住所、電話番号、生年月日、クイズの答え」...。すみません、最後のはほんの出来心です。本当は「帰省先」でした。
 が、Hさんのプロファイルには「帰省先:無」と書かれているのでありました...。

 そうですよね、シスターなんだから。両親をはじめ、血縁者との関係を絶ち切ってこその選択ですからね。そういう意味では現世の社会とは遊離した社会へ身を投じることになるわけです。ま、私が言っている「世捨て人」とはニュアンスが若干異なるかもしれませんが。

 外国で宗教絡みの集団自殺があったり、日本でも大きな事件もありましたけれど、ある意味で宗教も世の中に背を向けることにつながってゆくんだなぁ、と思ったHASENOBUでした...。「出家」という言葉もありますし。(関係ないけど「家出」には自暴自棄なニュアンスが感じられますが「出家」には別にそういうイメージはないですね。)
 宗教は(恐らくは)それ自体で完結する体系を持った観念世界なのでしょうから、その中へ入りきってしまうとこの世の中にいて、この世の中以外で生きる、ということになるのでしょうね、よく分からないけど。ま、別にそうすることを勧めもしないし反対もしませんが。
(1998年9月書き下ろし)
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その05 お出かけ篇

 ここで言う「お出かけ」というのは「繁華街へのお出かけ」のことである。
 これも、良くない。(おいおい...。そこまで言い切るか...?)
 理由は説明不要かもしれないが、繁華街へ行くと、まず、人がいる。というか、人が多すぎる。しかも、困ったことに何を勘違いしているのか「私はファッションモデル!」、「俺は流行に敏感!」と言わんばかりいでたちの人間が散見される。彼らに共通しているのは一つ、気品のかけらも(私には)感じられない、ということである。(爆)
 今更、洋服、つまり西洋の服が日本人に似合うのかどうか、ということを論じても時代錯誤だろうから、それには目をつむろう。が、いわゆる「茶髪」...。(あぁ、嫌な言葉だ...。) 中には見事な金髪の者さえも。それでいて顔はどこからみても彫りの浅いモンゴリアン。別にモンゴリアンが悪くって、西洋人がいいとか言うのではない、念のため。そんな、白人崇拝主義というか、民族差別みたいなことは考えていない。
 が、本当に、その茶髪が、その金髪が、その青髪(?)、桃髪(?)が似合っているとでも思うのか? ただの「コンプレックスの裏返し」にしか思えないのだが、私には...。
 服装のことは、もう、何も言いまい。無駄だから。

 人を観察しに街に行くのでないだろうから、店に入ることにしよう。ところがここでもまた仰々しい広告のオンパレードである。「今、人気の***」だとか「大好評!」といった類の言葉が目に付く。書店の「ベストセラーコーナー」などもその一種かもしれない。
 大流行だから何だというのだ? よく売れているから何だと言うのだ?
 本人がそれ(商品であろうが何であろうが)を、本当に気に入っていて、その真価を認め、そしてそれが自分にとって正しい選択であるのであれば、それは、まぁ、個人の問題だから、はたからどうのこうの言うべきじゃないかもしれないけど。
 でも「流行っているから」とか「芸能人の**の真似をして」とかいうのが根拠(?)であるのならば、その考え方そのものが異常だ、と私は思う。選択にしろ、行動にしろ、その基準が自分ではない、ということに何の疑問も抱かないのであろうか...? 「流行に鈍感だと世間に取り残される」と言われるのか? そうだとしても、それがそんなに悪いことなのか? カッコ悪いことなのか? 「そうなんだ!」と答える人がいれば、「あぁ、そうですか。」と答えよう。でもね、外見ばかりに気を取られて内面を磨かないのは考えものだと思うよ、私は。(おぉ...、なんて偉そうな口振り...。自分のことは棚に上げっぱなしだ...。あれ、ホコリかぶってる!)

 街は賑わっている。中心街であればあるほど、そこは「流行」で毒されているのだ。特別ののっぴきならない事情があるときは別として、そんなところへは行かないに越したことはない。くわばら、くわばら...。(いつの生まれだ、私は...?)

 あ、ここで「ブランド篇」の補足を...。
 色々と書き連ねてますが、私は「ブランド品は悪い」だとか「ブランド品を買うのは愚かなことだ」といったようなことは一言も言ってませんので...。「ブランド品」そのものにけちをつけるつもりは皆無です。私が言いたいのは「ブランド品にこだわること」や、「似合う、似合わないも考えずにブランド品を見せびらかすかのように身につける、使うこと」は問題だ、ということです。そのあたりのこと、間違えないで下さい...。そういうものが、惚れ惚れするほどよく似合う人もいるのは確かなことですし。ただ、滅多にいないですけどね。ほとんどが「豚に真珠」「猫に小判」を具現化するのが目的になっているのかと思いたいくらいです、はい。
(1998年10月書き下ろし)
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その06 お酒篇

 お酒篇かぁ...。(笑)
 世の中に背を向けるためにお酒を飲む、って人は、かなり危ないですね〜。(笑) そういうことを勧めるつもりはないのですが、お酒、というものも自分の世界に入ってゆくためにはなかなか有効な手段かもしれません。
 かくいう私は別に大酒飲みだとは思ってません、少なくとも自分では。妻には「たまには飲まなくったっていいんじゃない?」とたしなめられますが...。でも、ほとんど毎晩、飲んでます。
 とは言え、店で飲むことなどは年に5回くらいあるかどうか、という程です。車で通勤しているということもあるのですが、飲むのは自宅で、と相場が決まっています。外で飲むとなれば、ま、一人で、というのも変ですし、かといって人付き合いの悪い私は人と飲みに出かけるというのはあまり好みません。よっぽど気の置けない友人が相手なら話は別ですが。
 別に「お酒の正しい味わい方」などを書くつもりはありません、はい。それぞれが楽しいと思える範囲内・方法で飲めばいいでしょうし。無理やり飲ませるのも、そして飲まされるのも嫌です。(ま、普通そうだろうとは思いますが。)
 ということで吐くまで飲む(爆)などということはまずありません。ないとは言い切りませんけれども。(笑) ま、自分を見失うまで飲む、だとか、「前夜の記憶が途切れている」といった経験は私にはありません。
 ふと目覚めると背広のままで寝ていた。そしてポケットには血糊のついたナイフが何故か...。などという物騒な経験もありません。(なら書くなよ。)

 が、昨年だったか、仕事でカナダに行っていたときのことです。その晩は自室でしこたま飲んで酔っ払ってしまったのですが、寝る前に歯は磨いておこうと、洗面道具を持って洗面所に行きました。チューブから歯磨き粉(って、「粉」じゃないのですが)を少しだけ絞り出し、歯ブラシにつけて歯を磨き始めました。が、異様に泡が出る...。そしてちっともミントの味もしない...。
 「れれ...?」と思いながらよく見ると歯磨き粉のチューブだと思っていたのは実際はチューブ式の洗顔料でした...。
 道理で、と思いましたが、部屋まで取りに戻るのも面倒だ...。ということでそのまま歯磨きを続行しました。「うげぇ〜」となりながらも。「あぁ、酔ってる、酔ってる。」と思いながら。(笑) ちなみに、これがきっかけで、帰国してからも洗顔料で歯磨きをするという癖がついてしまいました、ってのはいつもながらの冗談ですが。

 あはは...。くまきの真骨頂、「伝えたいことが ほとんど ないんだ」の見本のような文面となりました。ま、いいでしょう。
(1998年11月書き下ろし)
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その07 電話篇

 あ、やはり来たか、って感じですよねっ?! え、そんなことはない、ですか...。
 ま、いいでしょう。とにかく、私はPHSも携帯電話も持っていません! って、言い切るほどのことじゃないのですけれどもね...。
 あれば便利、ってことは重々承知しています。緊急時、非常時にこれらの移動式電話機(?)のお陰で助かった、という話を聞いたこともあります。でも、私は持ちたくないのです。理由は、もう、書かなくっていいですよね、きっと。(おいおい...。)
 でもっ!(何なんだ、いきなり...?)
 高校生や大学生の分際でそんなのを持つなぁ〜!、とは言っておきたい。(笑) はい、これも理由は省略していいですね。ルーズソックスを履いた女子高校生が堂々とPHSか携帯電話か知らないが片手に大きな声で話し、時折バカ笑いしながら歩いている...。後ろから忍び寄って、そして(以下、自粛)ほどだ!(爆) もっと申し訳なさそうな顔をしろ! 小声で話せ! 「迷惑」ってものを考えろ!

 ということで、おしまいっ!(笑)
(1998年12月書き下ろし)
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その08 髪型篇

 ついに来たか...。 え、そんなことはない、ですか...。(笑)
 ま、いいでしょう。とにかく、来るべきものが来た、避けては通れないものが...、という気持ちで胸がいっぱいです。(笑)
 直に私と面識のある方であれば、このように書いている理由がお分かりでしょうし、そうでない方もプロファイルやその他の文面からお気づきかもしれません。そうです、私は髪が薄いのです。(爆) ですので、髪型についてとやかく言えるほどの力量もないのです。(意味不明)
 ですが、そんな私にも「世の中に背を向けるため」にできる髪型が一つ。それは、スキンヘッド...。(笑) 果して髪型、と呼んでいいのかどうかは自信がないですけれど。

 しかし、情けないことに、私はまだそこまで踏み切れないでいます...。(笑)
 あまり強調すると空々しく聞こえるとは思いますが、私はもう髪の毛への未練はありません。(爆) もともとおでこが広かったし、髪の毛の質から言ってもきっとこうなる(笑)ことは分かっていましたし、今さらじたばたと往生際の悪い真似はしません。で、いっそのこと、中途半端に残っているより、きれいさっぱり剃ってしまおう、と常々思っているのです、本当に。
 でも、スキンヘッドというのは基本的に、「危ない商売」に携わっている人、もしくは、その正反対で「仏門に入った人」という認識が一般に広まっています。それを思うと少しばかりためらってしまうのです、はい。
 教職についているわけですから「ヤクザ」と思われたくはありませんし、かといってうちの学校が「ほぉ...。宗教系の学校でしたか...。」と思われるのも嫌です。もちろん人に会うたび「私はヤクザじゃないですよ。うちの学校はミッションスクールじゃないですよ。」と説明するのも嫌です...。
 このことを敬愛する年上の同僚に話したところ「それは考え直したほうがいいですよ。」と早まらないように(爆)諄々と諭されてしまったこともあります...。

 そして家人からもこの提案は却下されました。(笑) 娘などは「そんなことをしたら、絶対に一緒に歩かない!」とまで言い張ります...。
 この夏、スポーツ刈り程度に短くしました。が、「甲子園球児」のような爽やかさのかけらも持たないHASENOBU は「出所して間がありません、はい」という感じがしていかにも中途半端。自分でも情けなく思いました。

 はぁ...。(溜め息)
 で、今は中途半端な長さを保ちつつ、オールバックっぽい髪型でしのいでいます...。

 モヒカン刈りもいいかもしれません。
 それで思い出したのですが、中島らも氏の本のどこかにあった話です。氏の知人で変人がいて、その人は結構な歳をしているのに「モヒカン刈り」だそうで。で、それは「彼が変人だから」というのではなく、その知人の弁によると「私は変人だと自覚している。けれども初対面の人達はそれに気づかず私に近寄ってくる。そして私が変人だということに気づいて驚いたりするようだ。だから、最初っから変人だということをわかってもらえるようにモヒカン刈りにしているのだ」という深い思いやりの心からの行為だそうで...。

 それから、ポニーテールもいいかもしれません。そうです、女子高生を気取るのではなく、もちろん、おじさんのポニーテールです。ですが、これは何かを勘違いした中年・初老の男性が「ファッション」としてやっている事例が多いので、そのような浮わついた人間と思われてしまう可能性が高いですね...。
 意表をついてちょんまげを結う、というのもいいかもしれません。普通の体型であれば力士と間違えられることもないでしょうし。が、これはスキンヘッド以上に奇異な印象を与えてしまうでしょう...。スーツ姿にちょんまげ、という組み合わせになると「ウケ」を狙っていると非難されても弁解の余地もないほどです。それにそもそも、髪がもともと多い人でないと難しいでしょうから、これも私はパスになってしまいます...。

 う〜ん...。どうしたらいいのだろう...?(笑)

 あ、そう言えば! 遥か昔、中学生の頃、親友のK氏が何を思ったか、HASENOBUが禿げてきたらアデランスを買ってやる、と言い張ってきかなくって、私は固辞したものの、不本意ながら最後には彼の熱意にほだされて承知してしまったことがあります。そうです、しぶしぶながらも約束してしまったのです。きっとこれを読むであろう、リードヴォーカル氏、そろそろ話を煮詰めようか。(爆)
(1998年12月書き下ろし)
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その09 NHK 篇

 NHK については...、言いたいことがたくさ〜ん、ある。一つ一つ書くと今までこの「講座」(笑)に書いてきたのと同じくらいの分量になりそうだ。だから簡潔に書く。

 で、まず、受信料。これは「払う義務」は、ない。だから私は払っていない。詳しくは本田勝一氏の『NHK受信料支払い拒否の論理』(朝日文庫収録)を御参考あれ。
 十数年前、初めて一人暮らしをしたときには何も考えずに喜んで支払ったのだが、今、思うとそんな自分が腹立たしい。(笑) ちなみに私が、受信料を払いまい、と思ったのは本田氏の著作に触れてのことではない。「衛星放送」絡みのことで腹が立ったからだ。私の記憶に間違いがなければ、確か衛星放送というのは「電波障害のある地域、僻地や山間部で受信困難な地域」のために開発し、手がけた事業であったはずだ。それが、いつの間にか「きれいな映像が見られる、映画やスポーツの番組を、一層の臨場感を伴ってお茶の間へ届ける」ためのものとなってしまったように思えたからである。しかも、そのための衛星の打ち上げに失敗したことがあって、そのツケは「受信料」から支払われた筈である! もちろん、その打ち上げで「迷惑をおかけしました」という言葉など(少なくとも私は)聞いたことがない。

 さらに、これを書くとかなり反発を受けそうだけど、無意味な大河ドラマを飽きずに続けていること。(爆) もちろん、「NHK の大河ドラマはどれも秀逸で、キャストは豪華な顔触れ! 毎回、欠かさずに見ている」という人達がかなり多くいることは知っている。現に私の両親もそうである。(笑)
 だが、あの手の大河ドラマ、かなり、胡散臭い。(爆) 私は歴史に詳しくはないけれども、どの大河ドラマの主人公も美化されすぎている気がしてならないのだ、一言で言えば! 「徳川なんとか」やら、その他の戦国時代の武将の話など、聞きたくもないし、知りたくもない。あのようなものが歴史勉強になるとは到底思えないし、むしろ歪んだ歴史観を植え付けられそうで恐い。  何と言っても、あのような大河ドラマで描かれるのはその時代の社会のトップ(?)の者ばかりであって、虐げられ、搾取され、爪に火を灯すような貧困に喘いでいたであろう大多数の者たちは完全に無視されてはいないか? 武将や貴族(!)の華やかな暮らしの陰で踏みにじられ苦しみ悶えながら生きた人達がいたことを忘れてはいないか?
 もちろん、庶民の暮らしを描いたようなものもあるだろう、中には。(15年以上見ていないので知らない。)
 でも、社会の底辺に置かれた者たちの苦悩を本当に全面的に捉えた大河ドラマなどあったのか? 多分、なかっただろうし、そして、これからもないだろう。(別に、NHKの大河ドラマにそんなことを期待さえしていないが。(笑))

 少し、すっきりした...。(爆)

 一方で、地味ないい番組を作り続けていることは高く評価したい。でも、たくさんの語学番組を用意しながら、テキストは広告部分が異常に多い代物だ...。いやしくも受信料を頂こうというのなら、希望者にはテキストを無料配付すればいいではないか!?(って、強欲ですか?)

 まだまだ言いたいことはある。皇室報道や紅白歌合戦のことなど。だが、最近のテレビやラジオのことはほとんど知らないので具体的にはもう、書けない..。

 う〜ん、本来のこの講座(爆)の意図からは少しずれたかな...。ま、いいか...。
(1998年12月書き下ろし)
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その10 年賀状篇

 さて、日本には「虚礼」と呼ばれてしかるべきものが数多くある。(笑) 電話などで「本来なら直々にお伺いしましてお願いするのが筋なのですが」などの見え透いた口上などもそうかもしれない。
 で、年賀状だ。
 これは虚礼の真骨頂であろう。(笑) 年賀状を一切出さない、届けられても送り返すか無視するというのは精神的に社会に背を向けるためにはなかなか有効な手段である。勧めはしないが。(爆)
 でも、毎年12月ごろになると思ってしまう。「果してこれでいいのか...?」
 で、結局は、迷いつつも年賀状を出している私なのだが...。(笑) 「冗談」に関してと同様、完全に世間に見切りをつけることができないのだ...。まだ、未練がある...。(笑)

 そんな中、私の上司のとある教授は「年賀状は出さない主義」を堅持されている。この教授は、私が直接に知る現存の人達の中で(恐らくは)最も頭の切れる人物であり、博覧強記の人物だ。この教授と一緒にいると少しも神経が休まらないのであるが、極めて有益な時間が過ごせる。それで週に一、二度ほど彼の部屋で珈琲をごちそうになりに行く私であるが。(笑) ちなみに彼は「生前遺言状」というものをすでに作っており「死んでも葬式はやらん。」と言い切っておられる。(笑)
 話がそれた。で、年賀状だ。
 交友関係の狭い私でさえ毎年、70枚くらいは出している。仕事で付き合いの多い人であれば数百枚くらい受け取るのではなかろうか?(よく知らないけれど。)
 全て手書きの年賀状などは、もう貰うことは滅多にない。宛名はワープロ書き、裏は印刷。良くって何か一言、肉筆で書かれている。そんなものだ。(私も今年はそうしたが。(笑))
 中には家族の写真を印刷したものを送ってくる人もいる。これについて書くと絶交されるかもしれないが、私は家族ぐるみで付き合いたいという友達はほとんどいない。(爆) ま、このあたりのことについては朝日文庫の『こんなものいらない事典』(だったかな? 今、手元にないんだけど)を参照して下さいな。
 あ、そう言えば、年賀状絡みで一つネタがあるんだけど、これはまた別の機会に。
(1999年1月書き下ろし)
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