世捨て人講座 Part4
---精神的隠遁生活の道標---
目次
その31 幸運篇
その32 互換性篇
その33 不惑篇
その34 姓名と名姓篇
その35 食べ歩き篇
その36 互換性篇 その2
その37 テレビ篇 その2
その38 テレビ篇 その3
その39 資格篇
その40 皇族篇

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その31 幸運篇
 私がマスコミの世界を敬遠している(笑)ことはすでに書いたことであり、だけれども新聞だけは形ばかりであるが読んでいて、とりわけ折り込み広告には熱心に目を通す、ということもすでに書いたことだ。で、今回はそのような広告のことについてである。

 私の講読している中国新聞は、折り込みの広告が多い。(笑) ま、実際、それは中国新聞を購読している大きな理由なのだけれど。(笑)
 で、十年以上、この新聞を購読している私だけれども、どうも最近は、不況のせいかなんか分からないけど、胡散臭い広告が多くなっているような気がする。
 ま、こと細かに記すつもりはないがこの「胡散臭い広告」というのは「幸せの黄色い財布」(笑)などに代表されるような「幸運をもたらす不思議な〜」といった類のものだ。

 今、私の手元に(笑)、「最強の金運パワー」と大書されたチラシがある。それは「純金の○○ペンダント」の広告だ。これによると、何でも、この○○ペンダントを手にすると「使いきれない大金が集まる!!」とのこと。それどころか「これを手に入れれば、成功、繁盛、愛情、健康・・・・全ての願いが叶い、不安や悩みが一切ない真の幸せが訪れ」るとのこと...。

 おいおい...。「全ての願い」と出ましたか...。(爆)

 「一週間以内に地球が滅亡すること」を願いにしてもいいのかな...? そしたら、それを叶えてくれるのかな...?(爆)

 で、その広告の裏面には「続々と届く感動体験!!」という手記が寄せられている。御丁寧にも顔写真まで添えられているが、現実に存在する人物かどうかは、かなり疑わしい...。

 暇なので(爆)、「憧れの贅沢三昧の日々。大金持ちは楽しい!!」という題の手記を寄せられた栃木県在住の木村○○子(本当はちゃんと記されていた...)さん(39才)の文面を転記しよう。(爆)

 「純金○○ペンダントの幸運パワーには驚きました。私のようにごくごく平凡な主婦が、ほんのわずかの間にここまでお金持ちになれるなんて、夢のようです。ありがとうございました。
 最近ではお金持ちの生活にもすっかり慣れて、値段を気にせずに毎日ショッピングを楽しんでいます。
 いま思い出しても本当に幸運の連続でした。あの日、ペンダントが届いた日、私はすぐに身につけ外出しました。いつもなら気にも止めない宝くじ売り場がとても気になり、スピードくじを五枚買いました。その場で削ってみると一万円が当たりました。
 それから三日ほど毎日スピードくじを買い続けました。すると一万円や五万円が何本も当たりました。でもそれ以上に驚いたのは滅多に出ないと言われる一等の百万円が二回も当たったことです。
 何百万円ものお小遣いを手にした翌日、遠い親戚から巨額の遺産相続の話が舞い込みました。私はこうして億万長者になりました。」

 ほぉ...。(笑) これは、これは...、って感じだ。(笑) もしもこれが、仮に本当だとすれば、「いやぁ絵に描いたような成り金根性を見せてもらいました!」と感謝したい。(爆)

 この人の写真の切り抜きを片手に栃木県まで出かけて、興信所を使ってでも(笑)一度、この木村○○子さんという億万長者に直に話を聞いてみたいものだ...。(あ、ごめん、ウソです。そこまで暇じゃないし、そんなことしたくもないです。)

 しかし、このような話は(宗教の場合もそうかもしれないけれど)、極めて、胡散臭い...。

 一体、公共広告機構は何をしているのかっ!? こんなのは「誇大広告」ではないのか...? それに、この類の広告は、毎週一回は届けられている...。

って、実はとっても楽しみにしているのだが。(爆)
(2000年6月27日 書き下ろし)
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その32 互換性篇
 ちょっと強引なタイトルだが、ま、「HASENOBUは『互換性』について文句を垂れたいのだな。」と理解してもらえれば良い。(我ながら横柄。(笑))

 で、早速だが、私はS社におおいに不満を抱いている。いや、正確にはS社のVというノートパソコンにである。(あんまり名を伏せることに有効性はないだろうな...。)
 爆発的かどうかは知らないが、このS社のVというノートパソコンは売れているようであり、知名度も高い。私の家にある5台のパソコンの中でもVは2台占めている。ま、Windows機であるので妻が、ほぼ独占しているのだが。

 アップル社のPowerBookやi-Bookの方が内容的に遥かに高性能なのにS社のVが人気を集めている、というようなことで文句を言いたいのではない。(笑)

 そう、タイトルにもあるように互換性のことで言いたいことがあるのだっ!

 ま、落ち着いて話さないと(笑)何にも分からないだろうから具体的に話そう。
 
 まず最初に買ったS社のVの初代機だが、液晶が乱れる、その他の不都合はかなり数多く発生しているが、それには目をつぶろう。で、妻の話では「FDドライブが壊れた」とのこと。もちろん、変な使い方をしたとか、床に落としたとか、水に浸けたとかいうようなことはなく、ただ普通に使っていて壊れた、と言う。(爆) 
 「ふ〜ん。だったら2台目のVのFDドライブを繋いで使えばいいじゃん。」と言いたいところだが、そして実際、私はそう妻に言ったのだが、それが、使えない、と言う。
 どういうことなのか分からないが、S社のVのFDドライブは、同じシリーズの機種なのに互換性がないらしい...。(ちなみに接続の問題とかいうのではないらしい...。なお一層不思議なことだ...。)

 妻の買った2台目のVにはCD-RWドライブが付いている。いや、「付いている」というのは付属品ということではなく、別売のものを買った、ということだが。本体を買うときに「CD-RWドライブがないと、OSの再セットアップはできませんよ。」とのことらしい。「はぁ...? 何、それ...?」と思わず店員に言った私であるが(笑)、CDから立ち上げなければならない状況に陥ることは充分あり得るんで仕方なしにCD-RWドライブも買ったのだが。
 しかし、このCD-RWドライブは、そのV専用、とのことらしい...。(爆) 私のWindows機はもちろん(笑)、妻の昔のVにも使えない、という...。
 またまた「はぁ...? 何、それ...?」の世界である...。

 S社は一体何を考えているのか...? いや、別にS社そのものには恨みはない。むしろ、世界に名だたる日本の企業として好きな会社である。だけれど、このような状況は極めて腹立たしい。私の記憶するところでは、S社は随分前にパソコン製造に乗り出したものの、全然芳しい結果を得られず一度は撤退したことがあるはずだ。だから、Vを引っ提げての(?)再登場には声援を送りたいとさえ思っていたのだけれども、今はそう思っていない。(笑)

 などと言いつつ、今月中にはVの最新機種が私の手元に届くことになっているのだ...。(笑)
(2000年10月23日 書き下ろし)
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その33 不惑篇
 四十にして惑わず...。うむ...。論語は嘘つきだ...。

 しかし、そもそも「惑う」ってのはどういうことなのだろう...? この語は私の通常の語彙には、ない。使うとすれば「戸惑う」あるいは「逃げ惑う」といったところだと思う。(ちなみに後者は、頻繁に使うことはないが。(笑))

 手元の、愛用の国語辞典、『新明解国語辞典』を見てみよう。(自宅のは旧い第三版だ。第四版と第五版は職場に置いているのだ。)

 まどう 平常心・(初志)をかき乱すような事に心を奪われる。

 ふむ...。ってことは、「惑う」ためには「平常心」が必要なのか...。じゃ、もともと惑いようがない。(笑)

 さて...。私のことはさておき、周りの人のことを少し考えてみたい。(笑) 職場の人で四十代っていう人を今、思い浮かべている...。

 う〜む、みんな惑ってばかりだぞ...。(爆) 中には、これ以上惑ってどうするのだ、と問い掛けたくなるような人も数名...。(笑) あれ...? 五十代の人にも、六十代の人にも惑いっぱなしの人が...!(爆)

 ふむ...。考えてみると人の年齢、って分かんないものだ。(いや、見かけでその人の年齢を当てるのが難しい、ということじゃなく。)
 何を今さら、って言われるかもしれないが、年齢と、その人の識見(?)は比例しないのだなぁ...。(しみじみ)

 「男は四十を過ぎたら自分の顔に責任を持たねばならない」と言ったのはリンカーン大統領だったっけ...? (いや、別に誰でもいいんだけれど。) ま、まさしくこのような表現じゃなかったかもしれないけれど、そして、どうして男に限定するのかも分からないけれど、妙に気になる言葉だ...。
 人間、四十年も生きていれば、自ずと、その人の人生経験が顔に反映されるものなのだろうか...? う〜む、どうなのだろう...? でも、生まれつきの顔の造形、ってものもあるしなぁ...。確かに、この世の中には色んな人がいて、見るからにさもしそうな(笑)人もいれば、風格や気品、威厳を感じさせる人もいる...。しかし、それは加齢と関係があるのだろうか...?

 今の私の顔はどうなっているのだろうか...?(この文だけ取り出すと、面白い...。(笑))

 髭を剃るときでさえ鏡を見ないんで(笑)良く分からない...。全然、見ない訳じゃないが、鏡の前に立ってしげしげと自分の顔を眺めることも、もちろん、ない。見たとしても3秒程度だろう。

 うむ...。以前の、ストイックな面立ちは、もう、ないような気がする...。(爆)

 ん...? 何の話だったっけ...?(笑) あ、そうそう、論語は嘘つきってことだ。
(2001年01月13日 書き下ろし)
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その34 姓名と名姓篇
---この文面は今はなきとあるホームページに以前、私が投稿していたものです。---
 いつ頃からだろう、日本人が名前をローマ字(もしくは、アルファベット)で書き始めるようになったのは? と、いきなり疑問文で始めたが、その答えを知りたいわけではない。(なら、書くなよ...。)
 でも全ての人が苗字を持たねばならなくなったのは明治維新以降だから、ま、それ以降のことだろう。では、その時にはどういうふうに書いたのだろう? これは知りたい。例えば「松尾一彦」(笑)という人がいたとしよう。Kazuhiko Matsuo と書いたのか、それとも Matsuo Kazuhiko と書いたのか?
 中学校に入って、英語を習い始めたころ「英語では名前を書くときは姓名の順を逆にするんだ。」と習ったような記憶がある、はっきり覚えていないが。でも、それを聞いたときに「え? 何で?」と不思議に思ったことは覚えている。が、当時のいたいけな私(爆)は「ま、世の中、そういうこともあるのか...。」ということで素直にそれに従った。何も考えず教科書などにローマ字で「英語風」に姓名を逆にして記名していたほどだ。
 それから、高校、大学へと進み英語の学習を続けながらも、日本にいる以上、英語を喋る必要もないし話したいとも思わなかったし、また英語で外国の人と文通したいなどとも思わなかったので実害も何もなかった。
 ところが、だんだんと最初の印象は大きな疑問となって私の中で膨らんでいった。そして、英語を専門として学ぶようになったころには、もう無批判的に英米のことを崇拝する幼さからは脱却し(たつもりになり)、以降、「姓名」の順序のままで通すことにした。
 毛沢東が英語を話したとして「私は沢東毛です。」と名乗るか? 金大中なら「大中金」と言うのか? 同じ漢字を使う文化圏のことを引き合いに出すまでもない。(出したけど...。) 日本の文化では「姓」が先に来て「名」が後なんだ。それを何で英語にするからといって逆にしなきゃならないんだ? 日本の文化に誇りを持て、とかそんな大袈裟なことを言いたいのじゃないが、英語風に逆さまにする理由がないのではないか? 英米人(だけじゃないけど)に合わせて順序を変えるのは卑屈なことじゃないのか?
 「その方が、相手に伝わって、親切でしょう?」という人もいるかもしれない。でも、それは本当に親切なことなのか?
 「郷に入れば郷に従え」のごとく、私も海外に行ったときにはその土地の風習を尊重し、名、そして姓の語順を使うこともある。(それでも、できるだけ "I'm Mr. 〜(姓). And my first name is 〜(名)." と言うようにしている。)ちなみにサイン(署名、のことです、もちろん)は漢字でするし、もちろん、姓名の順番で、である。(聞くところによると日本人の漢字の名前は外国人にはなかなか真似できないらしい。だから変にアルファベットでサインをするよりも偽造防止の為にも漢字で書くのをお薦めしたいほどだ。)

 あ、今、サインというので思い出したが、いつだったか、シアトルのパイクマーケットという大きな市場で、その市場のロゴ入りのバッグを買った(笑)時に、クレジットカードで支払いをした。するとクレジットカードの使用(金額)を確認するためにサインをしたら、その店のおばさんが "Oh! Fantastic!" と(周りに響くほどの大声で)叫んで、「ほらほら、このサイン、見て見て!」とあたりにいた数人の買い物客に紙片を見せびらかしたので焦ったことがあった。今、この文面を見ている人には気づかれることはないが、私はかなりの悪筆である。(笑) そのおばさんに言わせると、なんでも私の漢字のサインは「芸術的」ですらあったそうだ。(爆) 今思うと、もしかして、そのおばさんは市場まで買い物にくる珍妙な東洋人をただバカにしていただけかもしれないのだが。

 ま、私のサインの話はともかく、日本で外国人と会ったときはもちろん、私は日本流(?)に名乗っているし、もしも今でも中学校で「英語では名前を書くときは姓名の順を逆にするんだ。」と教えているとしたら、それは一刻も早く直すべきだと思っている。
 でもね、「日本英文学会」の論文集(『日本英文学研究』と"STUDIES IN ENGLISH LITERATURE")ではなぜか「名姓」なんですよね〜、これが...。(って載せたことがあるわけじゃないんだけど。)
(2001年05月01日掲載、書き下ろしたのは随分前。)
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その35 食べ歩き篇

 ちなみに、これは、いわゆる全国各地の名物やら珍味を食べ歩く、といったような内容ではない。食にこだわらないHASENOBUがそんなことを書くはずもないではないかっ!!(って、いきなりくまきに力まなくってもいいんだけれど。) ま、これは、知人の、とあるホームページの一画の文面を読んで思ったことだ。

 って、書いても私の読者(笑)がそのホームページの読者であるという可能性は、数学で言うところの部分集合の図式でしかないから、私が読んだその文面の内容を、ごく大雑把に述べておこう。

 私の知人が以前勤めていた会社は外資系の、もっと正確に言うとアメリカの会社であり、その知人の同僚や上司にもアメリカから派遣されてきた職員がたくさんいたそうな。
 で、その上司のうちの一人が、アイスキャンディーが大好きで、いつも歩きながら食べたりしていたらしい。そして、「どうして日本人は歩きながらものを食べたりしないのか? それは運動神経が劣っているからだろう。」みたいなことを言っていたらしい。
 で、知人が、「いや、そんなことはない。」と反駁したところ、「じゃあ、けん玉をやってみせろ。」と言って、職場のデスクからけん玉を取りだし、まずは自分でやってみたそうだ。そのアメリカ人上司は、そこそこ運動神経が発達していたらしく、小器用にけん玉を操ったそうだが、知人の方はと言うと、うまくできなかったらしい...。
 それからは、その職場に新しい日本人エンジニアたちが来る度に「けん玉をやってみて。」と頼み、そして日本人の多くは、あまりうまくできなかった、という。

 知人が書いているのは、ま、ここまでだが、きっとそのアメリカ人は、けん玉を上手く扱えない日本人(エンジニアたち)を小馬鹿にしたような目で見ていたことだろう。

 さて...。

 私は、取り立ててアメリカ人が憎いわけでもないし「鬼畜米英」と教え込まれた世代でもない。(笑)
 むしろ、彼らの「博愛主義」的なところ、いわれのない「陽気さ」など、どちらかと言うと好きな方である。

 だけれども!!

 件の(頼むから「くだんの」って読んでね。(爆))アメリカ人上司、やな野郎である...。

 知人は、最初に「日本人は、ものを食べながら歩くことは行儀が悪い、としつけられているのだ。」と答えたそうだが、そしてそれは、至極もっともなことであるのだけれども、それを聞いても納得しないという、その傲慢さが、まず気に入らない。
 いいか、ここは日本なんだ。「郷にいらば郷に従え」ってのも分からないのか...、そいつは...?
 アイスキャンディーが大好きなのは、いい。個人の勝手だ。毎日でも、毎食でも好きなだけ食べれば良い。そんなことには口出しはしない。だけれども、それを「歩きながら食べる」というのはいただけない、少なくとも日本においては。
 家の中などの、完全にプライベートな所であれば、そりゃもう、好きなだけ、そして好きなふうにアイスキャンディーを食べれば良い。一日に数十本と言わず、数百本単位で食べてもらって結構だし、シャワーを浴びながら、テニスをしながら、水泳しながら、トイレで用を足しながら、もう好きにするが良い。
 だけれども、公の場でそんなはしたない真似はしてもらいたくない。(って、「はしたない」なんて言葉も、その意味も、そしてその社会的な拘束力も、きっとそのアメリカ人上司には理解できないことだろうけどね。) やるなら自分の家の中か(庭付きの家であるなら庭で)うろうろしながら立ち食いすれば良い。

 しかも、行儀が悪いから「やらない」日本人を見て、「運動神経が鈍いのでは?」と考えるなんて、これまた愚の骨頂だ。

 その上司が、箸をうまく操れたかどうかは知らないけれど、ちゃんと箸で小豆を一粒ずつ摘めるのか? その上司が書道に秀でているのかどうか知らないけれど、例えば、目隠しして(爆)筆で、例えば「私は未熟」とかの文言を書けるのか? 小さな針に墨汁をつけて米粒に般若心経が書けるのか?(意味不明) 日本人なら小学生でもできることだぞ、こんなことは。(できるわけないけど。)

 しかも、けん玉と来たもんだ...。
 一体全体、何で、そんな玩具を神聖なる職場に持ち込んでいるのだ、そいつは...? 何を考えているんだか、って感じである...。そればかりか、仕事でやって来た訪問者に「さあ、やって。」と頼むという、その傲慢さ...。発想が最初から違う...。

 この際、言い切ってしまおう。そのアメリカ人上司は「子供」である。と言うか、精神年齢8歳前後、と評するべきか...?

 そもそも他国に来て、そして、ただ観光目的だけならともかく、一定の期間の逗留(?)、あるいは、短期間ながらもそこに住居を構える、ということであるならば、その国の文化を尊重すべきではないのか...? って、こんなことを言っても、きっと「何で?」という間抜けな応答しか返ってこないだろうけれどもね...。

 え? HASENOBUは、立ち食いあるいは歩き食い(?)をしないのか?、って?
 しますよ、もちろん。(爆)

 でも、少なくとも咀嚼を必要とするようなものはやらないし、やるとしても飲料を、歩きながら飲む、ってことくらいで、ましてや、それをやらない人に向かって「お前は運動神経が鈍いのだろう?」なんて思ったりもしないし、言いがかりをつけたりしませんけどね。(笑)
(2001年07月27日書き下ろし)
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その36 互換性篇 その2
 ふ〜む...。
 MS-DOS 3.1 の頃からパソコンを使っているとはいえ、コンピュータの内部や構造に関心があるわけじゃないんで、その意味では素人同然の私の戯言、第二篇だ。
 
 ほとんど衝動買いに近いのだけれども、ヤフーオークションを眺めていて iMac が欲しくなり、落札した。(笑)
 ま、これは個人のものであるから、当然、自宅で使うためのものであり、となれば、これまた当然ながら、現在使っているマックからデータの引っ越しをしなければならない。
 アプリケーション関係は再インストールすればいいだけだから問題はないが、自分で作ったファイルは大切だ。いくら出来栄えが良くないとはいえ、今までに作ったMIDIファイルも無くなると大変だ。(って、インターネット上にアップロードしているものはまたダウンロードすればいいのだけれどもね。)
 ま、とにかく、そういうことで、自宅のマックと職場のマックのファイルの同期、バックアップで活躍しているZIPディスクを経由してこの「データ引っ越し作業」をやることにした。私の扱うファイルの種類は、ワープロのデータ、さらにサイズの小さなテキストエディタのデータ(笑)、そしてMIDIファイルくらいのものであり、極端に大きなサイズのものはなく、メールのデータなどを含めても300MBほどであるため、ZIPディスクは3枚で事足りた。
 自宅のパフォーマはSCSI接続のZIPドライブだが、VAIO用に買っておいたUSB接続のものがiMacでは使用できるはずだ。

 と思っていたら...。

 なぜか認識されない...。(爆) いや、iMacのコントロールパネル内にはちゃんとUSB Iomaga ZIP Drive用の機能拡張書類もあるし、それも作動していて、システムプロフィール(ま、ウィンドウズで言うところのプロパティ)でも、ちゃんと繋がっているのにも関わらず、デスクトップ上にZIPディスクのアイコンが出ない、という良く分からない状況なのだ...。

 実は、全然分からない、ってことはないのだけれど。(笑) そのUSB接続のZIPドライブを買ったときに専用の「ドライバインストールCD」が付いていたのだけれど、それを使っていない(笑)から、なのかもしれない...。(というか、これ以外に対処の方法はないような気もするが...。)

 しかし...。

 USBってのは、Universal Serial Bus の略ではなかったのか...? 一体、どこがUniversalなのだ...? Plug & Play ってのも良く耳にするけれども、あれだって、ただただ繋げば使える、ってものではない。それなりの「ドライバ」をそれぞれのコンピュータに予め用意しておかねばならない。
 そんなの、当たり前でしょ、って思う人の方が多いかもしれないが、そしてもちろん私もそれは分かるのだけれど(笑)、それでも声を大にして言いたい。「まだまだですな...。」(爆)

 いや、その人達が「まだまだ」認識不足だ、ということではなく(笑)、コンピュータがまだまだ、ってことである。

 本当の意味での Universal、Plug & Play であるためには、どの機種でもどの機器でもただ繋げば使える、ってことじゃないといけない、ということだ。(無茶な望みかな...?)

 ちなみに妻のVAIOについていたUSB接続のフロッピーディスクドライブ、言うまでもなくiMacでは使えない...。やれやれ...。
(2001年12月24日書き下ろし)
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その37 テレビ篇 その2
   さて...。これまでにも「私はテレビ番組を観ない」ということは何度か書いた。
 とは言っても、絶対に何があっても観ないと心に決めているわけではなく、何かの機会に観るということはある。
 たとえば私の家の夕食の開始時間は普段、午後9時を過ぎている。私も妻も仕事の帰りが午後7時前、ということは滅多にないし、息子じゅそが(小学4年生なのに)塾に通っている、というようなことも原因であるが。
 で、娘は娘で、音楽番組やらドラマ、その他のバラエティ番組などを観たいようで、曜日によってはテレビを観ながら夕食、ということもあるのである。(ま、「のである」と言うほどのことじゃないけれども。(笑))

 で、この年末年始にかけての帰省では、思いの外、テレビ番組を観る羽目になった。(笑) もちろん、記録をつけていた訳ではないが、12月31日から3日にかけて、合計で5時間は観たのではなかろうか...。自発的な(笑)年間視聴時間が(恐らく)6時間未満の私には、もう、1年分観てしまったような、そんな気分だ。

 もちろん、「紅白歌合戦」などは観ていない。もう20年以上観ていないような気もするが...。もちろん、レコード大賞の番組(って、あったよね?)も、この20年くらいは観ていない。

 ま、それもさておき、今回観た中で心に残ったのは高校生のサッカーの試合(地元の高校が出場していたのだ)と、そして題名は知らないが、体力を競う(笑)番組だ。これらは、家族とともに、思わず真剣に観てしまったものである。

 だが、いちばん強烈な印象を残したのは昨夜(2002年1月3日)、妻の実家で観た番組だった。家族に加え、義母が観たい、ということで夕食後、う〜ん、これまたタイトルは知らないが、「早食い、大食い」を競う番組を観ることになったのだ...。

 この類いの番組があることは、知っていた...。お寿司だとかラーメンだとかを、それこそ流し込むように食べ、その量(の多さ)や時間(の短さ)を競うという、愚にもつかない番組である...。
 何が悲しく正月早々、てこんなつまらない番組を観なくてはならないのか...。(笑) いたたまれず私は一人、別室に行き、文庫本を取り出して読んだ。
 だが、娘が「もうすぐ終わるよ! 決勝戦だよ!」と呼びに来て、そして私自身、義母や義父に「家族の和に加わらない偏屈父親」だと(これ以上(爆))思われるのも癪なので、しぶしぶ、テレビのある居間へと移動した。
 その「決勝戦」とやらは、「勝ち残った3名の男がカレーライス10Kgを食べる早さを競う」というものだった...。

 あまりにもつまらないが、「カレーライス10Kg」というのは驚異的だ...。「愚にもつかなさ」にも程度がある...。というか、ここまでくれば、う〜ん、呆れた、というのを通り越して、意味不明の感動すら覚える...。 「一体、何を思ってこんなことを...?」という、答えのない疑問が頭の中を駆け巡る...。

 今回の、この決勝戦では、一皿500gのカレーライスを20皿、早く平らげた者が優勝、ということで、確かに、その優勝者は掻き込むように20皿を平らげてみせたのだが...。

 うむ...。

 だが、何だか生理的に(?)私には受け入れられない企画である...。いや、カレーライスを20皿食べる、ということではなくて...。

 そりゃあ、まあ、食べたい人ならいくらでも食べれば良い。前に書いたけれど、歩き食いを好むアメリカ人がアイスキャンディーを常食としようがどうしようが、ほんと、好きにすればいいことだ。
 だけど、(いくら「食」に重きを置かない私でも)ああいうような食べ方、というのは生理的に受けつけられないのだ...。いや、「食べ方」と呼んでいいかどうかも分からないが...。

 別に「食べ物を粗末にするのは良くない!」なんて良識めいたことを言いたいんじゃないけれども、とにかく、「あ〜、いやだ、いやだ...。」と思ってしまう...。

 強引なたとえかもしれないけれど、大きなポリバケツにカレーライスを20皿、次々と捨ててゆく光景を見たような不快感かもしれない...。

 そして、こういう番組を喜んで観る人たち(それは私の家族も含めてだが(爆))の気が知れないなぁ、とつくづく思うのである...。
 妻なども「でもすごいじゃん!?」と言うのだが、「すごい」以前の何かがあるような気がしてならない...。何だか腹立たしいのだ。(いや、私がその優勝者に太刀打ちできないということじゃなくて。(笑))

 ふ〜む...、新年最初の駄文がこんなつまらないものか...。ま、いいか。この一年を暗示しているのだろう、きっと。

 それはさておき、この国は、まもなく滅びるだろうなぁ...。
(2002年01月04日書き下ろし)
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その38 テレビ篇 その3
   ということで、いわゆる「大食い番組」については不快感を示す人はきっと数多くいることだろう。

 上の文面を書いた後も私はまだ「もやもや」とした気分が拭えなかった...。確かに食べ物を粗末にしているということもあるんだけれど、それだけじゃないような気がしていたのだ...。>もやもやの原因

 そして、先日、テレビから流れてきた言葉をたまたま耳にして合点が行った。それは「飢えに苦しむアフガン難民を救うための寄金」についての案内だった...。

 そうか...。片方であのような番組を大量生産し、そして片方でこんな「慈善事業」を謳う...。その欺瞞が根っこだったのだ...。

 私は一度も観たことがない(数分間ならあるかもしれない(笑))のだが、意味不明の「愛は地球を救う」というようなスローガンのもとに(多分)定期的に企画される「24時間テレビ」だとか、あの類のものもかなり胡散臭い...。観てないんで突っ込みようもない(笑)が、あれはテレビ局が「贖罪」のためにやっているものなのだろうか...?

 う〜ん、こんなことを書き連ねるといかにも私は良識派(笑)って感じられるかもしれないが、そんなことは断じて、ない。(笑)
 人間の社会には毒もあるし悪もある。それらを無くしたいとも思わないし、否定したいとも思ってはいない。かといって、もちろん、それらが社会の前面に出てくることを望んでもいないし犯罪の増加を祈ってもいないのだが。あくまでそれらは「社会の陰」のままでいて欲しい(?)と思うのだ...。

 それなのに(?)、大食い番組や24時間テレビなどが大手を振ってまかり通っているところに、何となく無気味なものを感じてしまうのかもしれないなぁ...。違うかもしれないが。

 う〜む...。
(2002年01月22日書き下ろし)
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その39 資格篇
   ほほぉ〜っ! このコーナーの前回の更新は1月だったのか...。いや、ま、いいんだけれど。

 さて、「資格」ということで書きたくなってしまったんで、書く。

 昨年の春から私は職場でとある職務を言いつけられ、その任務に当たっているのだが、その重要な仕事の中に「進学相談会に出席する」ということがある。もちろん、私が自分自身の進学先に悩んで良いアドバイスを請いにそういう相談会に出席する、ということではない。全くその逆の立場での出席である。畏れ多くも、この私が、迷える高校生に助言をするって訳だ。

 綿密な記録は取っていないが、各地で開催される業者主催のもの、あるいは高校内で開催されるもの、さらには私の職場を会場として行われるものなど、これまで出席したのは20回を軽く越える。

 もちろん面白い仕事ではない。(笑) (ま、逃げ出したくなるほどつらいことでもないが。) だけど、何だかうんざりすることが多い。

 特にうんざりするのは次のような質問を受けたときだ。
 「***学科の***コースではどんな資格が取れるのですか?」
 「***の資格があればどこに就職できるのですか?」

 お〜い...。何でそんなに資格にこだわるの...? そりゃあ、今が不況の時代だし、就職難だってことは十分私も認識してますよ...。だけど、「資格さえあれば安泰。就職もバッチリ!」だなんて考えるのはどうなんだろう...?

 私自身、いわゆる「世の中」や「一般企業」の厳しさを知らない甘ったれだと思うけれども、会社が求めているのは「資格」なのか...?(誰か、答えて〜っ!) 要は「人間そのもの」じゃないのだろうか...?(もちろん、「医師免許」などの、その保持そのものが他者の生命に大きく関わるものはさておき。)

 資格は持っているけれども同僚と良好な人間関係が築けないなんてことはないのか...? 資格が主で、人間が従なのか? 資格を使うのは人間であって、資格が人間を動かしているんじゃないだろうに...。

 う〜ん、他にももっと強烈なことを言いたいのだが(笑)、ま、抑えておこう...。

 ってことで、しり切れとんぼの駄文でした〜。
(2002年10月09日書き下ろし)

その40 皇族篇
 さて、この「世捨て人講座」ってのは、普段はあんまり自己主張をしない、極めて平和的な人物である私が、極く稀に「ここだけは譲れない」と思うようなことを書き記すコーナーであり、当然、その温和な性格からして滅多に更新されることのないコーナーでもある。事実、このページの最初、つまり「その31 幸福篇」を書いたのは3年前の6月のことだ。

 で、今回取り上げたいのは「幸福篇」と一音しか違わないけれど、内容的には全く異なるものだ。

---以下、考え方の推移により削除---
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