音楽の話 Part 10

目次
その91 第5回関西セッション(1)
その92 第5回関西セッション(2)
その93 おお...。やっと見つけたぞ...。
その94 第5回関西セッション(3)
その95 歌
その96 歌 その2
その97 NSP
その98 第6回関西セッション(1)
その99 第6回関西セッション(2)
その100 路上

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その91 第5回関西セッション(1)
 ...。
 今日はまだ9月6日。なのにどうして9月末に行われる「第5回関西セッション」の話をするのか、と不審に思われたあなた、あなたは立派な「くまきの部屋」の読者だ。(意味不明)
 ま、一応説明しておくと、この「関西セッション」っていうのは、とあるホームページ(って、私の所からもリンクはあるんだけれど、まゆみさん、って方の、実に素晴らしい「オフコース」ファンのためのホームページ)の掲示板をきっかけに、まず関東でファン達がスタジオに集ってオフコースの楽曲を演奏し歌う、という企画が始まり、そして「関西でもやりましょう〜!!」ってことで3年前の9月に神戸で開催されたのを皮切りに、以降、半年に1回のペースで神戸で行われているセッションなのだ。(あ〜、長い説明だ。(笑)) そして、昔、オフコースのコピーバンドをやっていた私も、これは是非とも、ってことで、毎回参加しているセッションなのである。

 さて、これまで何度も、つまり第1回の関西セッションから第4回に至るまで、このホームページで、毎回、参加後に、その様子を伝え、嘆いてきた。(笑) だが、今回は、ちょいと事情が違う。
 何と、参加するはずだったのが、不可避的な仕事のために無理となってしまったのだ...。(大粒の涙)

 あ〜...。

 もうその詳細を書くと自分でも嫌になっちゃうのだが(笑)、当初(?)、つまり、まだ開催日程が決まっていなかった頃、私は「29日だったらいいなぁ〜。そしたら参加できるけどなぁ〜。」というような調子で打ち合わせの掲示板に繰り返し(笑)書いた。そして幸運なことに、月末の方がいい、という方が他にも何人かおられ、それで、第5回関西セッションは9月29日(土)に開催!、という運びになったのであった。
 「よっしゃあ〜、今度こそ汚名返上、名誉挽回、併せて『汚名挽回』(爆)だぁ〜!」とHASENOBUが喜んだのは言うまでもない。

 毎回毎回、セッションに参加するたびに自らの至らなさを痛感し続けてきたのだ。今度こそ!!

 なのに...。(ToT)

 7月末の時点で、私の職場の行事日程表の9月29日は空白であった...。もちろん、私が携わっている部署では、ま、時期的に忙しいし9月の後半からはほとんど連日出張になるということは覚悟していた。(ま、これまた他のところに書いているように、山口県での営業(の真似事)をしなきゃいけない、って訳だ。) だが、これは、私の裁量(?)に任されており、どの日にどこに出張するのかは私が自分の都合のいいように計画すればいいのだ。
 従って、9月の最終週も、おそらく28日までは出張であちこちを渡り歩いているだろうけれど、29日だけは空けようと心に決めていたのだ。

 ところが、何と、その日に他の部署が担当責任である行事が組み込まれてしまったのだ...。しかも「他の部署が担当責任」とはいえ、私の現在の職務とは密接な関連があり、その行事を欠席する、ということは言語道断、というようなものなのだ...。

 あ〜...。(←もちろん、嘆息の声。)
 
 何でそんなのを今になって通達するんだよ〜っ!?(心の叫び)

 とある曲のハーモニカをするために、クロマティックハーモニカよりも各キー毎の小型のブルースハープを使った方がいい、ってことでつい先日、ホーナーのGを買ったのに...。(いやぁ、それにしても、昔は一つ6,000円くらいしたはずだが、今は2,800円になってる...。アルバイトを繰り返してやっと幾つか揃えて行ったあの時代(20年くらい前(笑))を思うと隔世の感があるなぁ...。)

 そして、さらには今日、フェンダーの The Strato をオークションで落札したというのに...。(爆) ま、これは今度のセッションのためじゃないんだけれどね。(笑)

 この前からリコーダー、それからオカリナ(笑)で「老人のつぶやき」のエンディングを練習していたというのに...。

 いや、こんなのはどうでもいい、ほんとは。

 マジで気になる、というか、申し訳ないのは、私が「この曲、リクエストします!」と候補に挙げ、そして、「***のパート、**さん、やってください!!」と頼んで快諾頂いた、他のセッションメンバーに対してである...。中には私が「関西セッション、楽しいよ〜。おいでよぉ〜。」とそそのかして(爆)、参加を決意された方もいらっしゃるのだ...。
 これを思うと、ほんと、言葉がない...。

 ま、私はこういう性格なので(爆)、決して多くの友人がいるわけでもない。広島に来て15年経ったけれども、職場以外の友人、っていうのは、「う〜ん...。誰かいたかな...?」というくらい少ない。もちろん、それは自分で選んだ(?)ことであり、淋しくも何ともないのだけれど(いや、マジで)、この関西セッションで知りあった人達、というのは、また格別の存在なのだ。
 つまり(インターネットってこともあるけれど)、仕事だとか損得だとか(笑)、そんなものを完全に排除した、いや超越して、「オフコースという音楽」のみで接点があるような繋がりの友人なのだ。
 だからこそ、大切にしたいし、得難い仲間なのだ。
 
 なのに、今回は、その仲間達と会って演奏を楽しむことができないのだ...。それが、心から悔しいし、残念である...。(う〜ん、何とか画策して行きたいんだけれどなぁ...。う〜ん...。難しい...。(ToT))

 あ〜あ...。だからと言って、次回こそは必ず、って約束できないような状況であるというのも、うん、本当に悲しいしやるせない...。
(2001年9月6日書き下ろし)
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その92 第5回関西セッション(2)

 いやぁ、実に久し振りのような気がする、ホームページの更新をするのは...。
 ということで(?)、とうとう第五回関西セッションも終わった...。今までの関西セッションも、それぞれに想い出深いものであったけれど、今回のもそうだった。

 ま、他のところに書いているんだけれど、この春から私は多忙が予想される部署の任務を与えられることになっていて、そしてそれはもちろん「専従」ということではなく、今迄の仕事に加えてのものだ。(爆) それ迄も「あ〜、ヒマだ。することがない〜。」(笑)ということはなく、それなりに雑多な仕事に振り回されていたけれども、今回の部署の仕事ってのは学内でも最も忙しいと言われるだけのことはあり(笑)、私の予想・想像・期待(笑)を遥かに凌ぐものだった...。
 それで2月に開催された第四回関西セッションが終わって、打ち上げの後のカラオケ屋さんのソファーで、私は「もしかしたらこれからは参加できないかもしれない...。」とポツリとYさん(って、名前を伏せる理由はないが(笑))に洩らした。するとYさんは「HASENOBUさん、そんな悲しいこと言わないでくださいよぉ。」とおっしゃった...。
 その言葉を聞いた私はじ〜んと来た...。(笑) そうなんだ、Yさんこそ、連日の残業で心身ともに疲れ果てているだろうに、それを押して毎回参加しているんだ...。前にYさんも、これを最後に、って思ったことがあったのだけれど、その時には私も引き留めたのだった...。(爆)
 そんなこんなで(?)、私としては、「うむ、やはり次回も参加するぞぉ〜!」と、内心(笑)、堅く心に誓ったのだった。
 
 で、少しずつ話は進展して、第5回関西セッションの開催日は9月の末辺りに、ということが決まった。 それ以外の(土日の)日程は、上に書いた部署絡みの仕事が入っていて、もしも私が参加できるとしたら22日か、あるいは29日のどちらか、ということだったため、私は「月末開催推進案」(笑)を支持し、そして思惑通り(爆)、その日に決定したのだった。

 これまでの経験からすれば、自分が関与する(?)曲は10曲以内に収めなければあぶはち取らずになる、ということは分かっていた。(いや、10曲以内なら大丈夫、ということでもなく。(笑)) だけれども、誰かがやりたいと希望してギターパートが埋まらない曲を没にする、ということは、私の性格上、気が引ける。でも、だからといってあれもこれも引き受けると、悲惨な結果に陥るということは、特に第三回のセッションで十分に実証済みだ。(そんなことを実証するなよ!>オレ)
 しかし、今回は上記のYさんが優れた投票システムのプログラムを組んでくれた(ね? 名を伏せる理由はないでしょ?(笑))おかげで演奏(候補)曲数も自然に歯止めがかかり、それは(私の勝手な理解では)担当パート数の抑制にも繋がった。
 私にとっての今回の新曲は(当初)「あなたのすべて」と「HERO」だけであり、それ以外のは、いわゆる「リベンジ」ということであって、さして苦痛ではない。しめしめ...。(笑)

 と、思わぬことから、全然違うセッションに参加する、という事態が生じた。(笑) 詳しくは書かないけれど、最初は日程上参加できないはずだったのが、急遽、別の委員会関係の出張が入るということで、関東で開かれるそのセッションに参加しようと思えばできる、ってことになったのだ。
 ま、そのセッションでは、以前に合作MIDIで作った曲の演奏もあるということで、それなら参加しよう、ということになったのだった。で、そのための練習、ってのが、実に時間がかかることだった。(天衣無縫というか、とにかく32分音符の嵐、7連符やら16分音符の部分的3連符などなど、何でもあり、って感じのサックスソロをギターでやるのだから、その練習には四苦八苦して、どうにか弾けるようになったのはいいのだが、本番ではSGPとして大活躍!(笑))

 そして、さらに私が顧問をしているロック部(笑)が10月初めの大学祭のステージ演奏で、人数が足りない、と相談を持ち込んできた。ステージのプログラムで1時間、割り当てられているものの、1年生が「やっぱりできませ〜ん。」と辞退したため、2年生の2人(!)しかいない、ということだ。で、一人はピアノは弾けるけれどギターの超初心者、もう一人はドラムスの初心者、である。(すごい編成だ...。) しかも、これは想像に難くないと思うのだが、今迄にバンドをやった経験はないという...。「お願いだから手伝って下さい。」と言われても、という状況だが放っておけはしない...。で、彼女達が選んだ曲を幾つか、そして私とほぼ同年齢の敬愛する同僚(ヴォーカル専門(笑))とで何曲か演奏する、ということになった...。

 そうこうしているうち、9月の初めになって、突然思わぬ部署からのアナウンスで9月29日の午後にとある行事が組み込まれたことを私は知った...。あわわ...、である...。しかも、これは対外的な行事であって、立場上、欠席できないものなのだ...。ううう...。
 悩みに悩んで私は、やはりここは仕事を優先すべきだと判断し(ま、普通、そうだろう。(笑))、関西セッションの掲示板に書き込んだ。他の参加者の方からは残念だけれど事情を理解して下さったことを表わす返事がいくつかあり、私としては、大変申し訳ないと思うばかりだった...。(って、これは上の「その91 第5回関西セッション」で書いた通りだ。)

 だが...。(笑)

 やはり絶ち切れない思い(笑)が残った。最初の予定では午後6時に演奏終了、機材の撤収開始、ということだったのだが、裏ドン(笑)のK氏(って、これも名前を伏せる理由はないのだが)に私信で、その時刻をもう少しあとにすることの可能性について問い合わせたところ、「午後7時20分までは可能」という返事を頂いたのだ。
 そこで二転三転したのだけれど、やはり「参加したい!」という気持ちが先に立ち(笑)、他の参加者の方々には迷惑をかけることになるが、私の関与する曲を後にまとめてもらうことで、そして、何とか午後6時あたりには会場入りできるように画策(笑)することとなったのだった...。(本当にありがとうございました...。>みなさま)

 で、その前の週からは一種の営業で山口県内を転々とする仕事につき、道中は、このために編集した特製CDを流しながらイメージトレーニングに励んだ。(笑) また、宿泊先にはエレキギターを持ち込んで(笑)ひっそりと練習を重ねた。但し、ハーモニカや笛などの「鳴り物」については他の人の迷惑になるんで練習はできなかったが。(笑)

 そして迎えた29日。午前中は山口の高校を数校訪問する営業。そして焦って広島に戻り午後の、例の憎むべき行事に参加。で、頃合いを見計らって脱走。(爆) 午後3時過ぎのJRに乗り、新幹線、地下鉄と乗り継いで、午後5時50分頃、会場入り...。

 と、ここで一旦終了。(笑) 会場である神戸西区民センター地下一階「音楽室」の扉を開けた時に私を迎えたのは...。(と、意味なく引っ張る。次にいつ書けるかは不明。(笑))
(2001年9月30日書き下ろし)
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その93 おお...。やっと見つけたぞ...。
 う〜む...。感無量だ、今日は...。
 って、何がかって言うと...。長い間探し求めていた本が、とうとう入手できたのだ...。

 ものすごい稀覯本って訳じゃないのだけれど、とにかくどこを探し回っても見つからない、10年以上探しても見つからなかった、そんな本なのだ...。
 私の趣味(?)の中に、古本屋さん巡りってのがある。これは、最初(?)は絶版となった学術書やら新品だと高すぎて手が出せない書籍などを買うのが目的だった。例えば、学生時代に神田の古書街でオクスフォードが出している、当時は新品であれば二巻本でしか入手できなくなっていた Shorter Oxford English Dicitionary の一巻本を見つけたときの喜びなど、今でも鮮明に覚えている...。(笑)
 それはともかく、前々から本は大好きだったし、別に「中古」やら「古本」ってのに何の違和感も持たない性格も手伝って(?)、古本屋さんに行くのは極々普通のこと(?)だった。
 
 ふむ...。一体、何の本なのか、って思うだろうから書いておくと、元オフコースの鈴木康博氏の『時代を超えて、今・・・』という本だ。(「時代」のところは「とき」と読んでね。)

 これは1989年3月に出版されたもので、その本が出たときには(音楽との縁(?)は薄れつつあったんで)鈴木氏がそういう本を出したことを知らず、知人から聞いて、それでは、ということで早速、書店に行って探したが見つからない。それならば注文、ってことで注文したものの在庫なし、という状況であった...。
 ま、知人が持っていることだし貸してもらえばいいやと自分自身を納得させたものの、鈴木氏のオフコース脱退理由が、その時の心境が赤裸々に綴られていて、う〜ん、これは欲しい、との思いが強くなるばかりだった。

 そして、それ以降は機会があれば古本屋を巡り探したのだけれども、とにかく、ない。(笑) ま、大手の出版会社の本でもないし、もともとの発行部数も少なかったようだ...。古本屋の芸能関係、あるいは音楽関係のコーナーなどは特に熱心に探したけれども、ない...。(ちなみに、こういうコーナーには、「ほっほぉ〜、この人も本を出していたとは...。」と驚くものも多かった...。その中で一番印象に残っているのは「笠智衆写真集」だ...。かくしゃくとしたこの男優については私は好印象を抱いているのだが、ちょっとたじろいでしまったぞ、あの写真集には...。もちろん、氏の若い時のものではなく、見事な「老人」の写真ばかりで構成されているものだった...。)

 で、話を元に戻して...。
 とにかく、見つからないこの一冊は常に頭の片隅にあって離れない。(笑) そういうわけで、仕事柄(?)時々出張にでかけることもあり、時間が許すかぎり目についた古本屋さんには立ち寄り探すのだが、オフコース関連の書籍は見つかっても、お目当ての本は、ない...。

 これまでに何件の古本屋さんを廻っただろう...? いや、そんなのは数えてもいないけれど、数十軒ってのは間違いないと思う...。「もしかしたら、この店には...。」と淡い期待を抱きつつ入り、そしてがっくりと肩を落として店を出る...、この繰り返しだった...。

 そして、今日、子供達を連れて出かけたとある大手古本屋チェーンの100円均一コーナーに、その本はあった...。(ToT) 見つけた時には我が眼を疑った...。「我が眼を疑った」なんて表現すると大袈裟に聞こえるかもしれないけれど、いや、本当だ。心の中で「え...? 嘘だろ...?」と呟いたのも本当だ。(笑)

 ってことで、「はっきり言って、俺の意識の中じゃ、サザンオールスターズとかオフコースとかは同じレベルなの。だから、特に愛着があるっていうわけじゃない。」などと、のけぞってしまうようなことがのっけから書かれているこの本は、うん、やっぱり貴重だ、オフコースファンにとっては...。一読、いや再読の価値がある本だと思う。

 で、さらに感慨深くなりながら、これでおしまい。
(2001年10月13日書き下ろし)
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その94 第5回関西セッション(3)
 ってことで、丸1カ月以上のスパンをおいての報告記の続きだ。(笑)
 前回は「会場である神戸西区民センター地下一階「音楽室」の扉を開けた時に私を迎えたのは...。」と、ほんと、意味なく引っ張ったのだけれど、ほんと、意味はない。(笑) (ただ、駄文を書き連ねるだけの精神的・時間的な余裕がなかっただけだ。)

 で、続きだ。

 もうすでに「馴染み」すら感じるこの音楽室。(笑) 「ここを会場とするのももう3度目だなぁ...。」などと思いつつ、靴を脱ぎ(笑)、部屋のドアを開けると...。(爆)

 何と、「あ、HASENOBUさん!」と迎えてくれるではないか!(笑) 私は、投石はもちろん火炎瓶が投げられたり、あるいは「帰れコール!」の大合唱が発生するのでは...?、と危惧していたのだった...。(爆)
 ま、冗談はさておき(笑)、そこに(つまり、音楽室内に)いる人の半数ほどは、もう顔見知りの人だ。というか、懐かしい顔触れだ。(ま、2月に会ったっきりだから。) もちろん、私にとっては初対面という方もたくさんいる...。

 上に書いた通り、その日の私は午前中、高校を幾つか訪問し、そして職場に戻って「オープンカレッジ開講式」に参列(笑)し、そして記念講演の途中を抜け出して来たため、和やかなセッション会場には場違いなスーツ姿である...。(笑) 非常にインフォーマルな(?)雰囲気にはそぐわない姿だ...。で、すぐに上着は脱ぎ捨てた。(笑) ついでにズボンも、と思ったが、女性の参加者も多数いたし、それこそ「帰れコール!」の呼び水となることは間違いない。(何を書いているんだか...?)

 で、冗談はさらにさておき(笑)、丁度「一億の夜を超えて」をやろう、という状況だったようで、まずは、それを聞きながら息を整える。(笑)

 何と言っても約5時間の遅刻だ。(爆) で、そのために、私が関与する曲を最後に集中させてもらうという身に余るような御配慮を頂いているのだ...。(ありがとう、みなさん...。)
 で、「一億の夜を超えて」が終わると、私の出番だ...。(笑)

 ええ〜っとぉ、ハーモニカは、うん、ある...。リコーダーも、よし万全だ。(笑) ギターは私は持って来られない状況(?)だったため、今回は他の人の愛機をお借りするのだが、エフェクターは自前(?)の分を用意しておいた。うん、これもある。(笑) あ、スコア。(笑) うん、あるある。(スコアを見ないと演奏できない、というのは、かなり情けないが...。)

 ということで、まずは「潮の香り」から。
 この曲では今回、ひょんなことから知りあいになったS.Tさんが数多く所有するギターコレクションの中からオヴェーションのクラシックギターを用意していただいて、それを使わせてもらう。ハウリング防止のアポーレット(だったっけ...?)も用意してくれている...。(感激...。) アンプを通した音も、う〜ん、さすが。やっぱりヤマハのAP-X(私が所有するギター)とは一味違う...。弦も、うん、これは張り替えて下さったに違いない響きだ...。(ToT) 途中、ちょっとコードを間違えてしまったが、私としては、ま、まずまずの出来。

 続いて「ひととして」。これはハーモニカだけの演奏参加と考えていたのだけれど、リードヴォーカルを取る予定だったT氏が病気のため参加がかなわない、ということになった曲だ。で、当初、予定になかった(笑)のだけれど、練習をしているうちに、気に入って(笑)、「よし、どうせだ。(爆) 歌おう!」と思ってリードヴォーカルを私が取るということになった。で、歌うことを決めて以来、車の中で(笑)それなりに練習したのだが、やはり付け焼き刃である...。歌詞は間違えるし、音程も不安定な結果に終わってしまった...。

 それから、次は「生まれ来る子供たちのために」だ。長島さんの弾き語りにハーモニカ&コーラスで参加、という曲だ。だが、この曲ではコーラスに気を取られて(笑)間奏のハーモニカの出だしを間違えるという大失態をしでかしてしまう...。(爆) うう、情けない...。

 ショックが抜けきらないまま次の曲「ことばにできない」。この曲では、長島さんが、例の1982.6.30の(私にとってはオフコースの本当の最後のコンサート)小田氏の(途切れ途切れの)ヴォーカルの再現をしてくれる。(笑) 会場は「そっくり!」と、おおいに盛り上がる。
 で、私は途中のハーモニカの間奏は、ま、吹いたけれども、最後の方のハーモニカは、入れ忘れる。(爆) ギタリストY氏が先だって購入された秘密兵器AR-1200の弾きっぷり、その音色に「ほっほぉ〜!!」といたく感心しているうちに完全にフレーズを(もちろん、タイミングも)失ってしまったのだ...。こうして、かつてのSGP(=Silent Guitar Player)の汚名を返上し、新たにHASENOBUはSHP(=Silent Harmonica Player)として力強く羽ばたいたのだった...。

 続いては鈴木康博氏のソロアルバムの中からの選曲「瑠璃色の夜明け」。因縁の曲である...。(爆) 前回のセッションでは、新兵器AR-300を持ってきたものの、心理的な焦りからチューニングを確認しないまま演奏に臨む、という大愚挙をやってのけた私である。(爆) だが、今回はS.Tさんがきっちりと準備してくれたAR-550CSを使わせてくれた...。(今、現在、私のホームページのトップを飾る写真がそれだ。) 使い慣れたギターではないため、そのコントロールに戸惑ったというのもあるが、それ以前に「ギターでフレーズを弾きながら歌う」という器用なことができなくて、どちらもいい加減という結果に終わる...。ま、前回よりはマシだったが...。
だけど歌に入るタイミングを間違えたり、歌詞を間違えたり、ってことで、これまた不本意な結果に...。そもそも「大人の雰囲気が溢れる渋い曲」なのに、台無しにしてしまったという罪悪感にさいなまれる(笑)結果となってしまった...。

 そして「老人のつぶやき」。これは基本的にヴォーカルだけ、ってことで歌に集中できる曲。それに随分前から歌っていた曲だから気が楽だ。以前にもこの関西セッションでやったこともあるし...。で、M.T氏と共に歌う。
私見だけれど(笑)、M.T氏とのユニゾンというのは歌っていて何だか気持ち良い。(笑) ピアノ、それからアコースティックギターも雰囲気ばっちりだ。
 だけれども、曲の後奏のリコーダーでは最初間違えたのが尾を引いてしまい、前半部はメロメロ...。ごめん、長島さん&まさおみさん!!(爆)

 で、休む間もなく(笑)「あなたのすべて」に突入。(笑) 私自身の歌でだんだんリズムが走っていった感じがあるけれども、軽やかなドラムスが心地よい。この曲ではY氏のマーチンD-28を使わせてもらう。(う〜ん、何だか信じられないなぁ、あのマーチンを自分が弾くことがあるなんて...。(ToT) って、前にもY氏にお願いして弾かせてもらったことはあるけれど。) この曲あたりから、喉の調子が悪化。(というか、あまり喉は丈夫ではないのだ...。「ガラスの喉」と呼ばれる所以である...。)

 そうして「哀しいくらい」。この曲では、何と、あの(?)、鈴木康博氏のサイン入ギター、AR-550PWをK氏に貸してもらう。雪辱を果たすべく(笑)ギターソロだったけれども、コントロール部の使い勝手が分からずまたまた少し不本意な結果に終わってしまう...。(ま、SGPには変身しなかったけれども。)

 そしてやっと迎えた(笑)最後の曲、「HERO」。またまたY氏のマーチンD-28を貸していただいての弾き語りである...。途中、ハーモニカのソロも入れたけれど。
 この曲は、リズムの変化、曲調の変化がとても激しい、難しい曲だ。リズム感の乏しい私には難関である...。特に「走る車に〜♪」のあたりのリズムは難しい...。それに加えてファルセットを駆使しなければならない、というのも音感に乏しい私にはつらいものがある...。ってことで、リードヴォーカルが、歌の途中でコーラスパートをあちこちと彷徨うというひどいものとなってしまった...。う〜ん、いつかまた再挑戦したい曲だ...。

 ってことで、今回も今回で色々と残念なことの多いものだったけれど、これはこれでいいかなぁ、とも思う。次回の課題を残したということで...。(笑) でも、これは毎回思うことなんだけれど、それぞれの参加者は事前に各自で練習をして、そしてセッション会場で(基本的に音合わせせずに(笑))「せ〜の」で一斉にやる、となると、やはり難しいなぁ...。(バンドの時は部室で時間をあまり気にせずに「ちょっと、今の間奏の前から〜!」と曲を止めて(笑)、繰り返し練習していたのだ。)

 ふむ...。
 色々と考えることはあるけれど、次回は恐らく2002年の2月に開催されるだろう...。よぉ〜し、今度こそは!(←これは毎回思っている。(笑))
(2001年11月07日書き下ろし)
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その95 歌
 ふむ...。これまたかなり大きなタイトルだぞ...。もう、意味不明、って感じだと自分でも思う。

 このところ車の中ではオフコースを聴いていることが多い。ま、来年2月に開催される第6回関西セッションのため、である。
 今の時点ではまだ数曲にしかエントリーしていないけれど、前回がとても慌ただしい参加となったため、今回は本腰を入れて、ギター、ハーモニカ、そして歌の準備を周到にしようってことである。(ま、毎回、これは思うのだけれど。)
 で、今回、「思い出を盗んで」という曲を歌うことになった。いや、「歌うことになった」というよりは、私が「はいっ、はいっ! 歌いますっ!」としゃしゃり出たからであるが。(笑) ま、そこでじっくりとこの曲を聴いているのだが、う〜ん、なかなか...。これは、難しい...。

 何がか、って言うと、文字にして説明するのは難しいのだけれど...。

 まず、声、そのもの、である。小田氏のあの美声と私の声とを較べる術もないのだが(笑)、アルバムの曲は、もちろんスタジオ録音であるため(笑)、メインヴォーカルが重ねられているのである...。完全に別録音かどうかは分からないけれども、とにかくコーラス効果がかけられていて、ユニゾンって感じなのだ...。
 従って(?)、少々高い声でも、ささやくような声で、歌われている...。
 しかし、私が歌うとなるとそういう訳には行かない...。(ToT) 力を抜いてあっさりと、だと、歌えないのだ...。で、叫ぶように(爆)歌うとなると、当然だが原曲のイメージとは懸け離れたものになってしまう...。
 さて、どうすべきだろうか...。

 それから、「音程」の問題がある...。(爆)
 いや、私が目茶苦茶音痴でどうしようもない、ってことではない。(と思う。いや、そう思いたい。(笑)) 問題は、スラーで音が変わっていくようなところのことだ。例えば、「不安な気持ちは〜」のところなど、「きもち」の「ち」で「ソ」にはならずに、「もちぃ」という感じで「レ→ファ#→ソ」という感じで小田氏は歌っているのだ...。こういう個所が歌の随所にちりばめられていて、これを無視すると、これまたかなり印象が変わってしまう...。(これはMIDIなどでヴォーカルを入力しているときにも痛感することであるが...。)

 これが意図的なものかどうかは分からないが、とにかくそういう「歌い廻し」なのだ...。

 歌の一番の終わりのあたりの「行かないで〜」ってところも、「ラ→ファ#→レ→ラ→ファ#」とスコアではなっているが、よ〜く聴いてみると「ない」のところは「ないぃ」って感じで「レ→ソ→ラ」って感じでぐぐっと(笑)音が上がっているのだ。素直に歌ったほうが私には歌いやすいけれど...。(「い」という、母音の中でも特に喉を緊張させなければならない音で、発声後、さらに声帯を絞めて(笑)調音するのは、う〜ん、難しい...。)

 ってことで(?)、ま、最近の素っ頓狂な(ほとんどの)歌手達の雰囲気のない歌はさておき(笑)、オフコースの歌は、う〜ん、やっぱり、味わい深いなぁ...。さてさて、本番までにどこまで、その「歌い廻し」を会得できるか、できないか...。(爆) どこまで雰囲気を再現できるか、それとも、ぶち壊すか...。楽しみだぞ...。(爆)(おい...。) あ〜、それにしても泣き言が良く似合うなぁ、私は。(意味不明)
(2001年12月20日書き下ろし)
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その96 歌 その2
 ってことで、よもや、と思っただろうが(笑)続編だ。

 上にも書いたように私は趣味でMIDIファイルを作ったりしているのだけれど、これは完全に自己満足のため、である。(笑) (あ、だからと言って完成したファイルの仕上がりに満足している、ということではない。ほとんどの場合が「あ〜、もうだめだ。これ以上はうまく再現できない、コピーできないや...。」という妥協で観念した結果である。)
 そして、これらのファイルは一般公開せず(笑)、一部の(?)限定されたメンバーにだけ、その完成通知が届けられる。そして時折私のところにお礼の文面を送ってくれる人もいらっしゃって、「一緒に歌っています。」と書かれていることがよくある。つまり、私のMIDIファイルをカラオケとして使用している、ということなのだ。(いや、ちっとも構わないのだけれど。)
 だが、実を言うと私は自分のMIDIをバックに歌ったことは一度もないのだ...。もちろん、制作の過程でリードヴォーカルやコーラスのライン(の音)を取るために「フフフ〜ン♪」と(笑)鼻歌で歌ったり、試聴の時に(符割りの確認のため)軽く口ずさむことはある。しかし、出来上がったMIDIファイルを利用してカラオケ状態で熱唱、ということは一度もしたことがない。(多分、これからもしない。(笑))

 で、つい最近(って昨年末)、とある人からのリクエストに応じてとんぼちゃんの「ひと足遅れの春」を制作し完成した。この曲は彼らの曲の中では大ヒット(と思われるもの)であり、よくある「懐かしのフォーク大全集」の企画モノCDセットなどにとんぼ(ちゃん)が収録されているとすれば、まず間違いなく、この曲だ。
 ということで(?)、街中のカラオケ屋さんの曲目の中にとんぼ(ちゃん)の曲が収録されているとしたら、やはり、この曲だけなのだ。

 さて、ここからが本題。(笑)

 昨年の忘年会の二次会で行ったとあるスナック。(笑) ご多分に洩れず、そこは、いわゆる「カラオケスナック」であった。
 私はカラオケが嫌いで(笑)自ら出かけたり、マイクを握ったりということもないのだが、このときは酔って陽気になった私は大好きなオフコースの曲を同僚にせがまれるままに(笑)歌ったりした。そして「今度は何でもいいから好きなのを歌って。」と渡された分厚い曲集の中に「ひと足遅れの春」を見つけた。
 「おお...。やはりあったか...。」

 そして果敢にも(?)私はこの曲を歌ってみることにした。

 す、すると...。

 と、意味なく引っ張ったところで、今日はこれにて。(爆)
(2002年01月08日書き下ろし)
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その97 NSP
 今夜(2002年1月26日)、NHKの衛星放送BS2で午後8:45から90分間の「フォーク大集合」という番組が放映された。ちょうどその時間は娘が観たい番組があるとのことでビデオに録画して、夜中にこっそりと(笑)観た。

 普通、この類の番組はあんまり観ない。いや、全然観ない訳じゃないけれども、いつだったか(これも前に書いたけれども)同様の番組で、元「かぐや姫」、元「風」の伊勢正三氏が出ているのを観て、その歌唱力の衰えにとても哀しい気持ちになったことがあったりして、私としてはあの頃の音楽に対して、何だか、「そっとそこにそのま〜まで♪」という思いを抱いている、ということもあるかもしれない。

 さて...。それはさておき、今夜、その番組を観た理由はただ一つ。あの(笑)「NSP」が出る、ということで、だったのだ。

 ここでNSPのことを詳しく記す理由もないが(これまたどこかで書いたように)昔、私が高校生だった頃、文化祭のステージでNSPの曲をやったり、また大学生の頃にも、当時組んでいたバンドのメンバーの一人と臨時のユニット(笑)を組んでコンサートに出演した時にもNSPの歌をやったりしていて、70年代半ばから80年代初期のあたり(笑)に私が好んで聴いていたフォークグループである。だけど、ふと気づくと(とんぼ(ちゃん)と同様)いつしかその名前を聞くこともなくなっていたグループであった。
 今日の番組内での発言からすると、1986年に活動を停止していたそうな...。ふ〜む...、知らなかった。別に「解散」ということではなく、ただ自然に、ということらしい。なるほど。

 う〜む...。ステージに登場する3人。考えてみれば「動くNSP」ってのは見たことがあったっけ...?(笑) 当時のフォークシンガー達の中には「テレビには出ない」ことを方針としている人もいたけれど、彼らはどうだったかな...?
 天野氏、中村氏、平賀氏、ともに(レコードなどのジャケットで20年ほど前に見たのとは違って(笑))「あ〜、おじさんになっちゃって...。」という風体だ。(ま、人のことは言えないが。(爆))
 しかし、演奏、歌についてはあまり変わっていないと思う。
 どうしても天野氏に視線が行ってしまうのは仕方がないところだが(笑)、彼の、あの、丁寧だけれどもたどたどしい歌も、あの頃のまま、である...。ギターについては「ん...? 大丈夫?」という感じもしたけれど、サポートに、かの吉川忠英氏がいるから安心できる。(笑) (ちなみに、どうでもいいことだが、吉川氏は中川イサト氏と並んで、Martin 社から、「日本人初のシグニチャーモデル」を作ってもらったばかりだが、このステージでもそのギターを使っていた。12フレットのインレイが彼のトレードマーク(?)である眼鏡になっているのがとてもユニークだ。)
 そして、天野氏の素朴なヴォーカルのバックに入ってくる、彼らのお得意の「トゥルル〜♪」って感じの(笑)コーラスも健在だ。

 いやぁ、いいなぁ...。

 これは昔から思っていたけれども、NSPの場合、リードヴォーカルはもちろんのこと、コーラスワークや演奏など、「おお、これはうまい!! いやぁ、素晴らしい!」と感じさせるような要素は何一つない。(爆) 楽曲そのもののメロディー、歌詞は、(これまた語彙、表現が貧困でもどかしいけれど)とても素直で心に染み入るものだとは思うが。

 だけど、何でだろう、全体となると、とても素晴らしいのだ...。

 このあたりが音楽の面白さ、不思議さなのかもしれないが...。そしてそれを説明付けたくもないけれど(笑)、いやぁ、NSPもいいなぁ...。

 最後にどうでもいいことを一つ。次回の私のMIDI作品はNSPの曲の予定。 ただし、シングルカットされた曲ではないが、やはりファンの中では名曲の誉れ高い楽曲だ。昨年末あたりに作りかけてそのままにしているのだが、いずれ完成させるつもり。(笑)
(2002年01月26日書き下ろし)
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その98 第6回関西セッション(1)
 ふぅ〜...。
 と、いきなり溜め息で始めたが、別に否定的な溜め息(?)ではない。肩の荷が下りたような安堵感と、ハイテンションになっていた(笑)のがほどけたような心地よい疲れの溜め息である。

 ってことで、2002年2月23日(って昨日だけれど)、第6回関西セッションは賑々しく(笑)催され、無事に終了した。(いや、無事ではなかったかもしれない。創設時以来のメンバーのうちのお一人が縁者の訃報のために急遽、不参加となってしまったということはあったが...。)

 前回は(上の方で書いているように)どうしても抜けられない仕事のためにかなり遅い時間になっての参加だったため、その鬱憤を晴らすべく(?)今回は自分でもかなり多いと自覚しつつも(笑)たくさんの曲にエントリーした。(爆) きっと「HASENOBU、好き放題しているなぁ...。」と呆れられた人もいただろうと思うけれど、せっかく参加するならやらなきゃ、楽しまなきゃ損(笑)というのが本音だ。

 ま、損得はともかく。

 回を重ねるごとに、うん、だんだんと一体感(?)が出て来たような気がする。一体感というとちょっとずれるかもしれないが、精神的なもの、というよりは演奏・歌のまとまり、ということで、である。
 それぞれが各自で自分のパートを練習し、それを持ち寄って(?)(基本的に事前の音合わせはなしで)「いっせ〜のぉ〜」(笑)で、ぶっつけ本番、というスタイル(笑)は変わらない。それゆえ、思わぬ行き違い(?)などもないわけではないけれども、それでもやはり回を重ねてゆくと(たとえそれが初挑戦の楽曲であったとしても)まとまってきているように思う。(そんな気がするだけかもしれないけれども。)

 14→27→39(爆)→33→33→33。ちなみにこれはこの関西セッションで演奏した曲数である...。
 う〜む...。どうだろうか...。って、その多さについてだけれども...。このあたり、見直したほうがいいという意見もあるのだが...。
 実際、今回のセッション後の二次会では25曲あたりが妥当なところではないかという声もあったけれども、私見では(笑)、33というのは決して少なくはないが多過ぎるという程でもないように思っているが...。(もちろん開催時間(?)次第であるけれど。)

 ってことで、まずは簡単ながら終了したことの報告。追って、私が関わった曲についての愚痴めいたコメントを展開してゆく予定である。(笑)
(2002年2月24日書き下ろし) 

その99 第6回関西セッション(2)
 う〜む...。
 今日(3月6日)、注文しておいたMD&ビデオが私の手元に届いた。実際には私自身、ビデオカメラを用意し録画しておいたのだがこれは会場の隅っこに設置したもので画像を撮影することを目的とするのではなく(笑)、録音のためである。だけどカメラの内蔵マイクを使用していること、設置場所(観客席(笑)の後)などの問題があってあまりいい録音とはなっていない。しかも固定撮りであるためまるでコンビニエンスストアの防犯用監視カメラの記録画像、って感じだし。(あ、でもその管理(スイッチのオン&オフ)をしてくださったTさん、ありがとうございました!! いきなり面倒な役目を押し付けちゃってすみませんでした。)

 ってことで(?)、前回、「追って、私が関わった曲についての愚痴めいたコメントを展開してゆく」と約束したが、その気力は...、あんまり、ない。
 歌に関しては、う〜ん...。(ことばを探している...。) もっとちゃんとしようよ、オレ、って感じだ。(笑) 「思い出を盗んで」では声が上ずっているし、かなり音程がふらついている...。とにかく丁寧に、を心がけた「夏の日の午后」では出だしをしくじってしまって失笑を買ったし...。それからそれから...。(以下、省略(笑)) コーラスも然り。(笑)
 またギターにおいても、まだまだまだ、って感じで...。一番練習した「恋を抱きしめよう」でも、途中でもたついたのが最後まで尾を引いてしまって散々な結果に。唯一、「幻想」だけが、まぁ、納得できるかな、ってところだ...。

 自分としては今回、内心、まあまあ満足できるくらいだったと思っていた。ま、確かにフレットを間違えて素っ頓狂な音を出したりもしたけれど、SGP(Silent Guitar Player)にも変身しなかったし、ってことで、セッション終了後はかなり気分良く、満足していた。
 で、今回はU氏の御厚意のおかげでライン録音でハードディスクレコーディング、そしてそれをミックスダウン(?)した音源が頒布されたのだが、それを聴くと鮮明に録音されている分、ミスやアラも浮き彫りとなっているのだ...。で、現実を眼前に(と言うか、耳元に)突きつけられたような気分でMDを聴いているところなのである...。非常に生々しい...。久し振りに使う言葉だけれど、まさに「打ちひしがれた」気分である...。ま、 実際の会場においては室内の残響音などあったはずだから、体感的(?)にはもう少し全体的に良かった(?)ような気もするのだが...。

 いずれにしても、まだまだ精進の余地あり、である...。いや、余地どころかこれまで来た部分の方が圧倒的に少ない...。目指すところは遥かかなた、高いところだ...。よぉ〜し、頑張るぞ〜。

 あ、それからこれはセッションとは直接の関係はないのだけれど、今回はギターを4本積んで愛車「骨折セリカ」で神戸まで往復した。走行距離は615kmだった。で、何と、消費したガソリンは38リットルほど! 往路はほとんど山陽自動車道、復路は神戸〜福山は(少し自動車専用道も走ったが)概ね国道2号線経由である...。スタッドレスタイヤを履いているためスピードも決して150km/hを超えることのない控えめな走りだったこともあるのかもしれないが、この燃費(16km/l強)には感動した...。
(2002年3月6日書き下ろし)
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その100 路上
 路上、っていっても、路上生活者の話、あるいはその体験談(?)ではない。このコーナーは音楽の話なんだから勘違いしないで欲しいところだ。(意味不明)
 
 さて、本来ならば「第6回関西セッション(3)」ということで、自己糾弾、自己弁明がさらに展開されることになっていたのだが、余りにも非生産的なのでやめておく。だからと言って、この話が生産的であるということでもないことも筆者としては御承知願いたいところである。(ますます意味不明)

 ってことで、音楽における「路上」というのは、いわゆる「ストリートパフォーマンス」(?)を意味する。駅周辺や公園などの公共の場でギター(多くの場合はアコースティックギターだ。)を伴奏楽器として単独で、あるいは複数名で人目憚らずに放歌する、ということである。

 話は変わるようだが、私の息子(現在小学5年生)は学習塾に通っている。もちろん無理強いして通わせているわけじゃない。「食堂があるから」という実にじゅそらしい理由で「お姉ちゃんの通っている中学に行きたい。」というのだ...。
 で、その塾は私の職場から広島電鉄で二駅離れたところにあって、その「お迎え」で夜の8時半、あるいは9時半頃に近辺の駅に週に3回ほど行くのが私の役目となっているのであるのだが、駅前の駐車場に車を停めて息子が駅から出て来るのを待っていると、結構、こういった「路上ミュージシャン」がいるのだ...。
 あまり近くで見たことはないが、察するに高校生か、近辺の大学に通う学生って感じだ。(って、男だから私の職場の学生ではないが(笑))
 お世辞にも上手とは言えない(笑)し、また、歌っている歌も(きっとオリジナルだろうけれど)冴えないものばかりである。この前など「島根は田舎だけれどぉ〜♪、広島みたいにぃ〜♪、暴走族もいないしぃ〜♪、空気はきれいだあ〜♪」って感じの歌をがなり立てていた...。もっとましな歌はないのか?

 ま、それはさておき...。

 かく言う私も路上経験者である...。(爆)
 って、もちろん、上記の最寄りの駅で、ではない。(そんなことをして学生に目撃され、そして密告されたら、所属長から訓示を受けてしまいそうだ...。(笑))

 ということで(?)、正直に告白すると(笑)、これまで私は3回、路上を経験(笑)した。そして、その全ては「神戸」で、である...。もちろん、「路上での演奏・歌のために神戸に出かけた」というのではないので、その辺のところ、よろしく。(笑) ま、たまたま(どこが...?)オフコース好きな人達と一緒になることがあって(笑)、意気投合して、飲んだ後に、ただ繰り出した、というだけのことだ。

 で、その時のことを振り返ってみると、うん、何だか、楽しい...。(笑)
 ま、通常の(?)ストリートミュージシャンの場合と違って、私の場合には仲間内で盛り上がって、ということではあるけれども...。(つまり、遠巻きに観客が見守っているというのではなく、一緒になって歌っている、ってことだが。(笑))

 昔、つまり私がまだ現役でバリバリ(笑)にバンドをやっていた頃(と言うと20年くらい前になっちゃうんだが)には、「人の往来のある公共の場でギター(その他)を弾いて歌う」なんてことは夢にも思わない振舞いであり、もっと言うなら「言語道断」って感じであった。(と思う。) そういう意味では、この齢になって(笑)「路上」体験をするとは...。(笑)

 だが、(酒に酔っていたということもあるかもしれないが(爆))なかなか気持ちの良いものである...。いや、別に病みつきになったとかいうんじゃないんだけれど。
 確かに、場合によっては「寒風吹きすさぶ中」(笑)ってこともあるだろうけれど、屋外(もしくは「野外」(笑))で歌ったり演奏したり、ってのは、何だか心地よいものがある...。(爆) 自分では決して「目立ちたがり屋」とは思わないけれども...。
 で、自分なりに勝手に推測してみたのだが、この「心地よさ」ってのは、PAやアンプを通さない自然さ、ってのと大きく関係しているような気がする...。(気がするだけだが。) 「歌」の起源とかを云々するつもりはないけれども、そもそもは「肉声」そして電気による増幅回路を介さない楽器の自然な響き、ってのがあったはずだ。(ま、当たり前だけれど。)
 
 う〜ん、ただ、それだけ〜。(意味不明)
(2002年4月20日書き下ろし)
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hanko

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