音楽の話 Part 11

目次
その101 恐るべし、高木ブー
その102 私のMIDI制作環境
その103 NSPを観に行こうか...。
その104 セッション考
その105 懐かしい音楽
その106 続・セッション考
その107 NSPを観に行った...。
その108 とんぼ唄会 in 九州
その109 One more time, One more chance
その110 ついにAR500が...。(ToT)

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その101 恐るべし、高木ブー
 ってことで、どうして高木ブーが恐るべし、なのかはさておき...。(おい、いきなりはぐらかすなよ、オレ...。(笑))

 前にも書いたことがあることだが、アコースティックギターの場合、新品のギターよりも古いギターの方が良く鳴るということは、往々にして正しい。ただし、ただ古ければ良い、ってことではなく、きちんと弾き込まれていれば、という条件がつく。もちろん、保管状態や手入れの具合ってのも大きく関与するだろうし、買ったきりでず〜っとケースにしまい込まれたまんまだとすると「音が成長していない」ということになる(らしい)。(ちなみにエレキギターの場合でもそういうことがあるらしく、「枯れたいい音」などという表現を見聞きすることも多い。)
 
 このようなことは(私自身の場合には主観的な気もするが(笑))、実はギターだけでなく、程度の差こそあれ、多くの楽器全般に当てはまることかもしれない。例えばハーモニカ。金属とプラスティックの部品しかないようなハーモニカであっても吹き込む(笑)と明らかに音が異なってくる。演奏している人間の慣れや習熟度というものも関係するとは思うし、また、吹いているときの温度、湿度(?)の変化というものも多分に作用しているだろうが、それを差し引いても、うん、音が違ってくる。特に音の立ち上がり、響き、伸びやかさなどは、毎回手にした最初の時としばらく吹いた後というので大きく異なっている。(もちろん、後の方がいい音がするのだが。)

 で、だ。

 前に知人のホームページの掲示板で「ギターを弾いていると、並べているギターが共鳴するんです〜。」というようなことが書き込まれていて、私は「さもありなん。」(笑)と思った。響きの悪いギターならともかく、ちゃんとしたギターであれば、同じ周波数、あるいはそれの倍音の周波数に弦が共振をするのは十二分にあり得ることである。(というか、多少の差こそあれ、どんな物体でも固有周波数(?)みたいなのがあるはずだ。(笑))

 さて、「本題の高木ブーはどうなったのか?」という不安の声もそろそろ上がってくる頃かもしれないが、まだしばし待たれい。(爆)

 私が(不定期)購読している雑誌に「Acoustic Guitar Magazine」という季刊誌がある。(いつだったか、前に、ギターの新作モデルの試奏レポートのことで引き合いに出したことがあるはずだが。) その最新刊の前号、つまり2002 Winter Issue, Vol.11、「鳩が豆鉄砲喰らいました〜。」って表情の斉藤和義(ま、彼はいつもそんな「面食らった」ような表情であるが...。(笑))が表紙に載っている号の中に、実力派ギタリストだけでなく人気先行の若造ギター弾きなどたちを対象とした「アコギ周辺の愛用小物アンケート」という企画記事があった。
 「愛用小物」とはいえ、愛用している弦やピック、チューニングメーターなどに留まらず、「ギターを管理する上で気をつけていること」なども問われており、興味深い記事であった。

 その中で目を引いたのは、日本を代表するアコースティックギタリストである「石川鷹彦」氏の回答である。
ここに勝手に引用しよう:
 「自宅ではケースに入れず自然な形で置いている。さらに常に正常のチューニングのまま、他の楽器の音やCDに反応して振動している状態にしている。」

 う〜む...、我が意を得たり(笑)って感じである。私が所有しているギター14本も、1本だけはケースの中だけれども、他のものは全てレギュラーチューニングのままギタースタンドに、あるいは無造作に、立て掛けられているのだ。これはアコースティックギターだけでなくエレキギターも同じく、である。(もちろん、スペース上の問題で所有している全てのギターをそのような状態にしておくことが難しい、っていうような人もいるのは知っているけれども...。)

 ってことで、やっとお待ちかね、高木ブーの話題だ。

 どの程度の知名度があるかは知らないが、高木氏が「ウクレレの達人である」ということは、うん、結構知られたことだと思う。(と言いつつ、私はウクレレには興味が無く、ハーブオオタのCDしか持っていないが。) で、つい先日、ふらりと立ち寄った古本屋さんで、高木氏が数年前にNHKの教育番組の趣味講座、正確な名前は「NHK趣味悠々 高木ブーのいますぐ始めるウクレレ」という講座のテキスト(?)を偶然に見つけた。「ほっほぉ〜...。へぇ〜、1999年の春にはこういう講座があったのかぁ...。」と驚きつつも、(ヤフーオークションで売り飛ばそうと思って(笑))その教則本を買って帰った。

 ま、ウクレレには興味がないけれども(笑)、撥弦楽器という意味では興味があるんで、帰ってからパラパラとその本を読んでいて、思わず「おお...。」と思った記述があった。これまた勝手に引用だぁ〜!:
 「高木さんオリジナルのユニークな楽器ケア。楽器のサウンドホールをスピーカーに向けて立てかけ、いつもステレオの音を聴かせておくと、スピーカーの振動が楽器の裏板に伝わり、楽器がよく響くようになります。」

 う〜む...。この記述の横には床に置いたステレオ用スピーカーの前にウクレレが立てかけてある写真が...。なるほどねぇ〜...、その手があったか...。う〜む...。恐るべし、高木ブー...。

 ってことで、ちょっと見直してしまったぞ...。>高木ブー

 あ、でも巻末の講師紹介の欄に書いてあった「1964年、いかりや長介とともにドリフターズに加入、1966年には武道館でビートルズと共演する。」ってのは、ちょっと違うんじゃないのか...? 確かに「ザ・ドリフターズが前座を務めた」ってのは知っているけれども「共演」じゃなかったでしょうに...。(笑) (って、ビートルズの前座というのもすごいこととは思うけれど。)
(2002年5月21日書き下ろし)
 ちなみに上記の「前座」についてだが、とある方の情報によると、結局は「数分間だけ」だったそうである...。一体、何を演奏したのだろうか...?(2002年6月7日付記)
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その102 私のMIDI制作環境
 って、実につまらないタイトルをつけました、はい。

 このところ、しばらくMIDIファイルを作っていない...。3月には5月のイベント(って、とある人の披露宴での演奏)のために小田和正ソロを手がけたけれどもこれはとあるMIDI仲間(と呼んでいいのか...?)が製作されたものを母体としてそのアレンジ、構成を変えただけのものであって、関係者以外には公開していないものである。(笑)
 実際には幾つか作りかけのものもあるんだけれども、4月以来、仕事でてんてこ舞いとなっていて、なかなか作業に取り掛かれないでいる。全然暇が取れないなんてことはないんだけれども、MIDIを手がけるのなら数時間はぶっ通して確保できる状況じゃないと意欲が湧かないのだ。

 ん...? タイトルは「私のMIDI制作環境」だったっけ...。(笑)

 で、私は(前にも書いているけれども)MIDIファイルを作るときはマウスとキーボードのみで制作している。
もちろんPCもだが。(笑)
 使用しているソフトは「MIDIGraphy」というマック用のオンラインソフトである。実際には(ヤフーオークションで手に入れた)Singer Song Writer Lite 3.0 というのもあるんだけれども、使い慣れた MIDIGraphy の方が思うように(?)作れるのだ。(基本的に私は「ピアノロールエディタ」を使用して入力していて、音符での入力はあんまり好きじゃないのだ...。)
 その他、Windows 機には Cakewalk Studio Home Edition と、Singer Song Writer Version 4 もインストールしているが、これらはマックで作ったMIDIファイルから楽譜を印刷する時にしか使っていない。(笑)

 ただし(これまでも嘆きつつ書いたことだが)MIDIGraphy での入力は時間がかかる...。コピーなどを使うことはあっても、基本的に他の曲のデータを流用することはしない(笑)から、でもあるが。

 などと言いつつ、少しでも入力が楽になるようにと思って買った品はいくつかある。

 まず、その筆頭に来るのは「Auto Score」というソフト。これはマイクで入力した歌声(笑)やギターなどをMIDIファイルに変換してくれるというものである。だが、これは非常に精度が低く、使い物にならない...。(笑) と言うか、MIDIGraphy は同時に複数の楽曲を扱えないため、 Auto Score から出力されたMIDIデータを読み込むのが面倒なのだ。(つまり、その度に新しいファイルを作成し、それをコピーしたあと、そのファイルを閉じ、そして別のファイルを開き、それにペーストし、そしてまたそれを閉じて、という具合なのだ。)

 それからギターシンセピックアップ付きのギター。(笑) これまたヤフーオークションで購入したもの。「MIDI出力、できます!」との触れ込みだったけれども、結局、ピックアップから出力されるデータを(別売りの)ギターシンセサイザーユニットに繋がなければならない、ということで、これまた(今の時点では)無用の長物。(笑)

 そして、ヤマハの音源、TG100。これは同僚が貸してくれたものであるが、まだヤマハがXG規格を出していないころのものらしく、TGというのは Tone Generator のことらしい。(笑) で、これは音源であるからMIDIファイルの制作そのものにはあまり関与しないようである。(って、私がわかっていないだけかもしれないけれど。) マックのシリアルポートと接続はでき、既に作成したMIDIファイルのデータを流してこれで再生することはできるけれども、音色が気に入らない。(爆) ドラム系の音は臨場感があるが、それ以外はマックの Quick Time 音源の方が私は好きだ。(笑)

 それから、最新兵器。(笑) Roland の MIDI Keyboard Controller PC-70。ま、その名の通り、MIDI出力専用のキーボードだ。(念のため書いておくといわゆる「鍵盤」という意味でのキーボードであって、PCのキーボードではない。(笑)) ま、「最新兵器」と言っても(ヤフーオークションではないけれど)中古で仕入れたものだ。
 「え...? HASENOBUって鍵盤楽器もできるのか...?」って思った人もいるだろうが、私を見くびってはいけない。(笑) 遥か昔、私はマイ・アコーディオンを所有する小学生だったのだ。(笑) しかも、大学4年の時は小学校教員採用試験受験に向けて懸命にバイエルを練習したのだ!(って、力むほどのことじゃないけれども。(笑))
 しかも、MIDIファイルの場合には「ステップ入力」という機能を使って、実際のテンポとは無関係に好きに弾いてそしてそれをPC上で好き放題に編集できる(らしい)のだ!(笑) ってことで、このキーボードを使っていずれは入力をやりたいと思っているのだが。

 ってことで、これらの機器、ソフトウェアを駆使すれば新しいMIDIファイルをどんどんと制作できるだろうけれども、う〜ん、とにかく今はまだ...。(ToT) 自分でもとてももどかしいんだけれども...。
(2002年6月7日書き下ろし)

その103 NSPを観に行こうか...。
 ってことで、このタイトルは誘いかけではない。(笑) ただの心の呟きである...。

 つい先日、偶然に、(臨時復活(?)している)NSPのコンサートが今月13日(土)に福山で開催される予定であること、しかもまだチケットに残りがあるらしいことを聞きつけた。なるほど、そうかぁ...、ほっほぉ〜...。

 一瞬、「よぉし、行ってみようかな...。」と思ったが、土曜の夜(6時半から)ってことを考えると、ちょっとためらってしまう...。もちろん日帰りできるだろうけれども...。う〜ん...。
 妻、Fさんに話したところ、「ふ〜ん。勝手に行けば?」とのこと。(笑)

 う〜ん...。そうだなぁ...。(笑)

 思い返してみると、私は陽水から始まって(?)、いわゆる「ニューフォーク」の世代である...。オフコースは完全な別格として(笑)、ふきのとう、NSP、因幡晃、バズ、シグナル、クラフト、さだまさし、チューリップ、ガロ、とんぼちゃん、などなど、1970年代中頃から1980年代初めの頃の音楽は実によく聴いていた。(ま、前にも書いたけれども。)
 ただ、その頃(中学生〜大学生)はお小遣いも少なく(笑)、コンサートに行く、なんてことは、まず、できなかった...。(唯一の例外は、高校時代に行った井上陽水のコンサートだった。) 九州の片田舎とはいえ、県庁所在地に住んでいたため、それなりの機会はあったはずだけれども、取り立てて観に行きたいとは思わなかったし...。

 で、NSPの話だ。(笑)

 考えてみると彼らのアルバム全てを持っているわけでもないし、特に後期(?)については今でも知らない曲の方が多い。だが、今、じっくりと考えてみると、彼らの曲をあちこちのステージでやったり、ってこともあったのだ...。
 高校時代の文化祭のステージでやった「夕暮れどきは淋しそう」や「さようなら」、そして大学時代のバンドでやった「夕凪の池」を筆頭として(笑)、臨時のユニット(?)で「白い椅子の陰」その他の曲をやったりもした。自作のデモテープでは多重録音で「バースデーカード」をやったりもしたなぁ、そう言えば...。(笑) 高校時代に妻Fさん(って、もちろん、その当時は結婚していない(笑))にせがまれて「線香花火」を弾き語りしたこともあったぞ...。(爆) それ以外にも、一人で「弥生つめたい風」だとかを一人でギターを抱えて歌ったりもしていたなぁ...。>20年以上前(笑)

 う〜ん、何だか、だんだんとあの頃のことが走馬灯のように浮かんできたぞ...。(爆)

 きっとこれが最後のチャンスだろう。>生のNSPを観ること 

 よぉ〜し、観に行くぞっ!!<たった今、決心しました〜。(爆)
(2002年7月2日書き下ろし)

その104 セッション考
 唐突だが、私はとあるセッションと深い縁がある。(ま、わざわざ「とあるセッション」なんて書かなくてもいいかもしれないが。)
 セッションの主人公は参加する人達全員であるのだが、世話役の真似事もしているって意味では、私は(傲慢な言い方になるかもしれないけれども)そのセッションの主宰者的な立場にあると言ってもいいかもしれない。

 しかし、この立場は、うん、結構微妙(?)である。何かの発言をする時に、自分は参加者の一人としてなのか、それともまとめ役(あるいは窓口係、小間使い)的な見地での発言なのか、気を遣ってしまう。
 
 ま、それはさておき...。

 セッションの形態、そして目指すものというのは色々あるだろう。私が関わってきたこのセッションも既に6回を数え、そして次回は7回目となる。そうして、その流れの中で、いわば自然発生的に出来上がった(暗黙の、あるいは明示的な)了解もあるし、また方向性というのもあると思う。

 その了解や方向性を完全に無視した言動の人が出て来たらどうすべきか...? 一参加者としての私なら、相手にしない。ただただ関わりたくないと思うだろうし、被害(?)が多くの人に及ばなければいいなぁ、と思う。しかし、同時に私はある意味、そのセッションの運営に携わってもいる。となると、放置できない...。
 もちろん、そのセッションを自分の思う通りにしようなんて思ってはいない。だけど少なからぬ人達が迷惑を被るような状況が予想され、また実際にそうだったという苦情を耳にしている以上、放っておけないというのも事実(?)なのである。

 音楽の楽しみ方が人それぞれであるように、セッションのあり方もそれぞれだろう。適当にやってただ楽しむってのも「あり」だろう。軽装でそのへんの小高い公園に出かけて騒ぐようなものだ。それはそれで結構なことだ。やりたい人はすればいい。(私だってそうすることもある。)
 また、一方では遥かなるゴールを目指して真剣に取り組むようなセッションってのもあるだろう。(このあたりは完全に主観的なものだが)私が関わっているセッションでやっている音楽は、はっきり言ってそのような努力に値するような高い音楽性のものだ(と思う)。みんな「真剣に遊んでいる」のだ。それは、難しいから簡単にするというような(悪く言えば妥協だらけの)セッションではない。そびえ立つ頂上を目指して頑張って、それでも挫折して、というようなストイック的な側面のあるセッションなのだ。(って、勝手に言い切っていますが。)
 
 って、こんな風に書くと「じゃあ、初心者は来ちゃいけないのか? 下手っぴは受け容れないのか?」と言われそうだが、そんなことを言っているのではない。その人が、これはセッションである、自分一人ではなく、バンドの中で演奏するのだ、という意識さえしっかり持っていれば、ゴールを目指して手を取りあい一緒に進むことになる。同じ音楽を愛する者たちの絆は強い。そしてそこにアンサンブルの醍醐味がある。

 さて...。そのようなセッションに参加しているとある人物が、別のセッションに行き、そして次のような感想をそのセッションのBBSに書いていた(以下、人名は伏せてある):

> ○○さん、お疲れ様でした。
>
> それにしても、「今だから」は面白かったですね。
> FO(フェイドアウト)の曲なので、どうしょうかとみんなが尋ねたら、
> ○○さん曰く「私の方を見てください」。
>
> 本当に、アイコンタクトでその場(ノリ)を大事にしようとする気配りは最高でした。
> セッションって、こういうのが大切だなと改めて知りました。
>
> あるところでは、FO処理の為に、
> わざわざ掲示板に書いたり、MDを送ったりするらしい。
> 不安な人もいるけど、私個人としてはあまり決め事をしない方が面白いです。

 ちなみに上記の「 ○○さん」というのはドラムス担当の人だそうだが。
 しかるに(?)、この書き込みをした人物は私の関わっているセッションでは、この内容に全く反する行為をしていた。曲が終わろうとしているのに、一生懸命ドラムス奏者がが合図の視線を送っているというのに、完全に自分の世界に入りギターをジャカジャカとかき鳴らし続けたのだ...。

 演奏や歌の上手・下手は問わない。(私だって人のことは言えないって自覚している。) だけど、「アイコンタクトでその場(ノリ)を大事にしようとする気配り」という、バンド演奏の最低限の、実に基本的な事柄に今さら感動していてどうするの?、って思う。
 
 また、この人の書き込み(最後の3行)からすると、どうやら、曲の完成度を高めようとする努力は不要のものらしい。(確かに、時間がたっぷりあって、何度もその場で繰り返して仕上げていくような場であれば事前の取り決めも決め事もいらないだろうし、また、適当な演奏で満足できるのならばそれでいいだろう。)

 ということで、この人物にはそちらのセッションの方がふさわしいようだ。私が関与しているセッションにはスタンス的に合わないのは間違いない。こういう人に来られてもみんなが困るだけである。(って、前者の方も、それなりの腕前がないと実際にはできないことだけれどもね。) 

 うむ...。話がずれてしまったか...?(笑) いや、そうでもないか?(爆)

 ま、とにかく、言いたいのは、参加者それぞれが忙しい中を時間を割いて練習し、そして時には入念な(?)打ち合わせをして臨むセッションに、バンド演奏の初歩の初歩も理解できていない人は(厳しい言い方だが)無用ということだ。それぞれの人の努力を台無しにするような心構えしかなく、自分の世界に閉じこもりそういう演奏しかできない人は御遠慮願いたいのだ。

 う〜ん、こんな自明なことを改めて書く必要などないような気もするが、少なくとも私は参加者の一人として(そして思い切って書くと、セッションの世話役として)このように考える次第である。
(2002年7月12日書き下ろし)

 サーバーの障害でアップすることができなかった駄文だけれど、そして、今日(2002年7月15日)現在、この駄文をアップする意味はあんまりないという状況になったけれども、私自身の考えとしてこんな風に思っているということで、やっぱりアップする。(笑)
(2002年7月15日 付記)
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その105 懐かしい音楽
 さて...。時期柄(?)、私が「懐かしい音楽」ってことで書くとすれば「ほぉ...、さてはこの前行ったNSPのコンサートのことだろうな。」と思う人も3人くらいはいることだろう。

 だが、あにはからんや。(笑)

 今日記したいのは中村章三というミュージシャンのことだ。え? そんな名前、知らないって?(笑) ま、それもちっとも不思議じゃない。と言うか、知っているほうが不思議とさえ言いたいくらいだ。

 この中村章三というフォーク歌手、かなりマイナーであった(と思う)し、一体その名前は全国区であったかどうかも私は知らない。
 知っているのは彼がデビュー当時、熊本在住の人だったということ、そして確か「電気屋」さんを営んでいたこと、間違いなく発売されたのはアルバム1枚、そして恐らく少なくとも2枚のシングルを出したことくらいだ。

 彼の名前を知ったのは、う〜ん...、記憶に自信がないけれども多分、私が高校2年生の頃、つまり1977年くらいだったかと思う...。地元のフォークシンガーということでNHK-FM熊本がひいきにしていたのか、何度か彼の音楽を聴く機会があり、「ほぉ〜...。いいじゃん!!」と思って好きになり(笑)、エアチェック(これは、もう死語だろうな...。(笑))で「あれから君は」という曲を録音したのだった...。
 そして、私の音楽生活(?)に絶大なる影響を与えた友人Kももちろん、この中村章三のことは知っている。(どちらが先だったかは覚えていないが)「これ、いいよ。聴いてみて。」「ほぉ〜、いいねぇ〜!」というようなやり取りが私とK君との間で交わされたはずである。で、K君は中村章三のファーストアルバムを買い、そして私は彼に頼んでカセットテープに録音してもらったのだった。

 また、覚えているのは、NHK-FM熊本の公開放送の番組に中村章三がゲストで出る、ということで放送局に観に行ったことだ。
 少年のような、透明感溢れる歌声とは裏腹に(爆)、12弦ギターを抱えて登場したのは(少なく見積もっても30歳は越えている)うだつの上がらない風体の中年男だった...。(爆) しかし、ひとたび彼がギターを奏で歌い出すと、うん、まぎれもなく、あの「中村章三」だった...。

 で、いきなりどうして中村氏のことを書いているのかというと、実は、今日、とある所(って、正確に言うと、とんぼ(ちゃん)関係のサイトだが)で、彼の名前を見たのだ。いやぁ、まさか今頃、中村章三の名前を見るとは...。実に驚きである...。何でも、その人は中村氏のとある曲を「ン十年探し続けています」とのことであった。それで、懐かしく思い、自宅に帰って(15年以上聴いていない)カセットテープを探し出したのだ...。

 うわぁ〜...、懐かしい〜...。(ToT)

 で、懐かしさのあまり(笑)私はK君に電話をかけた。(笑) ま、彼は昨日の夜、広島空港で見送ったばかりであるが。(笑)
 そうして、まだ中村章三のアルバム「あれから君は」は持っているということで、彼にも探し出してもらった。(笑) で、分かったのは発売が1976年のことで、(確か大手のレコード会社だったように記憶していたが)CBSソニーの発売。当時の低価は2,200円。そしてバックミュージシャンには日本を代表するようなミュージシャン(ベース:後藤次利、エレキギター:水谷公生、アコースティックギター:石川鷹彦などなど)が名前を連ねており、製作は中村氏だけれども編曲は全曲、石川鷹彦氏によるものだとのこと...。ふ〜む...、道理で...。

 で、K君から聞いたところでは、レコードの「帯」には「つぶれそうなやさしさよ 遠すぎる想い出よ...。幻のシンガーソングライター ここに登場!」という文言があったそうな...。

 さて...。そういうことで(?)実に久し振りに彼の音楽を聴いて、ほんと、感動してしまった...。しかし、きっと彼のアルバムなどはCDで復刻、なんてことはないんだろうなぁ...。う〜ん、今度時間があったらパソコンでWAVEファイルにしてCDを焼こうかな...。(爆)

 彼のセカンドシングル「裏町ライフ」は、う〜ん、ジャケットの絵が脳裏に焼き付いている...。持っていたような気がする...。九州の実家にあったような...。確信はないけれど。
(2002年7月15日書き下ろし)

その106 続・セッション考
 これから書くことは以前「アドリブ」ということについて書いたことと内容的に重なっている部分が多いのだけれど、そして上の「セッション考」の本編で書いたこととも関わるんだけれど、書きたいんで書く。

 ある人は言う。「コピーをして何が面白い? 普通に歌ってもつまらないだけ。オリジナルをくずしてこそのセッションではないか?」と。

 それは、ある意味、頷けるし、そういうセッションがあるのも十二分に理解している。

 だが、これは(私に言わせれば)かなりの技術の裏付けがあってこそのものである。オリジナルの歌、演奏をさらりとこなし、それだけじゃ飽き足らないからさらに上を目指す。うん、素晴らしいことだ。(「定番」ということでも書いたけれども)オリジナルに、自分自身の味付けをし、よりすぐれたものにする。そう、それこそセッション!

 だが...。繰り返して言いたい。それは高度な技術、オリジナルを凌駕するだけの技量があることを大前提としている。そうでなければ、どうなるか...? 結果は明白である。ただの雑音、あるいはそれ以下だ。ある意味、原曲に対する冒涜と言っていいだろう。自らの力量を顧みず、そういう方向を目指すのは愚の骨頂である。
 これが単独のもの、つまりギターやピアノなどの楽器を使っての弾き語りであれば、ま、それはそれで一つの「スタイル」と呼べるかもしれないが、これがアンサンブルとなると話は異なる。
 一人であれば「自分はある楽曲をこのように解釈し、そしてそれを再表現した!」と言い張ることもできる。しかし、バンドの中での演奏となると、それははた迷惑そのものである。

 演奏の際に緊張で舞い上がって他の音が聞こえない、そしてとちってしまう。これはよくあることだ。しかし、最初から他のメンバーのことを無視し、自分だけ違う方向を目指す...。とんでもない話である...。
 メンバー全員が「よし、これはパンクロック風にやってみよう!」と前もって了解しているなら、それはそれでいい。だけど、一人だけがパンク路線に突入する...。言語道断である...。バンド演奏の基本の基本が分かっていない...。
 他のメンバーはそれぞれ一所懸命に練習し、さぁ、その努力を披露しようという姿勢である。その時に、一人でもそんな非常識な行動に出たらどうなるか...? 頼まれて泣きつかれて引き受けて忙しい中を練習した労力、時間はどうなるのだ...?
 努力して、頑張ってみても届かない、それで妥協してしまうのならまだ話は分かる。目指すものが高いほどそうなることが多いのも事実だ。しかし、そういう理由での「不発」(?)と、先に述べた「冒涜」とは根本的に異なるのだ。

 ある人は言う。「ガチガチに決まったセッションなんて面白くない。完全コピーはつまらないし、息が詰まるだけ。こんなセッションは変えなきゃ! それが私の使命なんです!」

 これもまさにその通り! 時間が豊富にあって、そしてそれぞれが卓越した力量をもってその場の「ノリ」でインプロヴァイズできるのであれば、それこそスリリングな面白いセッションになるだろう。いつかはそんなセッションに参加できるほどの腕を持ちたいものだと私も思う。
 
 だが、これが、(さっきと同様)技術も何もない人が、しかもバンドの中で単独でそういう方向に進んだらどうなるか...? その人だけは「あ〜、快感!」と満足するかもしれないが、他のメンバーにとっては屈辱であろうし、また、聞いている人をうんざりさせるだけである...。
 どうぞ、そういう人には他のところでやって欲しい、好きなだけ、好きなように。それを制止しようとは思わない。すでに回を重ね、自ずと方向性が出て来たセッションを(自分の勝手な信念で)変えようなどと思って欲しくない。そんなのは使命でも何でもない。ただの妨害だ。

 ある人は言う。「私が選んだ曲があまりにもマニアックなんで誰もついて来ない。」

 笑止千万とはこのことだ。その人が出した曲はマニアックでも何でもない。音源だって簡単に手に入るものだし、バンドスコアだって作ろうと思えば作れるものだ。その人の言う「マニアック」がどんな意味なのかは分からないが、セッションの参加者には筋金入りのマニア達、そして「強者」がゴロゴロいる。
 そういう人達がその選曲に乗ってこない理由は次のいずれか。「それを言い出した人に関わりたくない。」あるいは、「セッションでわざわざ演奏する価値が見出せない。」
 
 その中のある曲について、見るに見かねた篤志ある人がアレンジを変えたシンプルバージョンでなら手伝おうと申し出たにも関わらず、それを蹴ってあくまでバンド形式にこだわる...。だけど、バンドの基本が分かっていないから悲惨な結果を迎えることになる...。

 ある人は言う。「新人が入ってこれない雰囲気だ! だから私が新人を歓迎し、一緒にやろうと誘うんです!」

 確かに「セッションメンバー、募集します〜!」と広告を出している訳でもないから新人が殺到することはないセッションもあるだろう。だからといって、それでそのセッションが排他的ということにはならないはずだ。
 様子の分からない新人さんも哀れである。知らない世界(?)に初めて足を踏み入れたところ、さっと手を差し伸べてくれたら、その手を取らない訳には行かないだろうし...。そして(私から見れば)取り込まれてしまい、セッション当日になって毒牙にかけられたことに気づく...。

 もうこういう光景は見たくない...。上に記した「ある人」には、きっとふさわしい場所があるのだろう。そういう場所で大きく羽ばたいてもらいたいものだ。

 以上、あるセッションの一参加者として思ったことを、今さらながらではあるけれども、書いてみました。
(2002年7月18日書き下ろし)
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その107 NSPを観に行った...。
 さて、満を持しての稿である...。(意味不明)

 で、NSPのコンサートに行く、ってことで前に書き、そして「HASENOBUの気紛れ日記、改め、HASENOBUの日々汲々日記」でもそのコンサートに実際に行ったことは既に記したことでもあるが、今日は、その音楽的な側面について書きたい。(ま、コンサートの話なら普通そうだろうが。(笑))

 観客の9割以上は女性、しかも年齢層が高い、ということ(爆)で、開場前、整理券をもらったにも関わらず45分以上、並んでいたときから、何か、今日は普通と違う(笑)という印象を持っていた...。

 実際にコンサートが始まり、天野氏率いる総勢3名がステージに上がると、平均年齢45歳くらいの女性達の「天野さ〜ん!」、「中村さ〜ん!!」、「キャー、平賀さ〜ん!!」という、黄色いと評していいかどうか分からない声援、絶叫、断末魔(爆)が会場を包む...。(あ、こんなこと書くとカミソリが送られてきそうだ...。(爆))

 ま、それはさておき...。

 この日のコンサート、最初から最後まで3人編成の「アコースティックライブ」であった。(って、ベースはエレキベースだったが。) その前に行われた岩手でのコンサートでは途中からバックバンドが付いて、との噂を耳にしていただけに、この3人だけというのは、うん、なかなか楽しめた。

 演奏されたのは20曲ほど。数曲は知らなかったけれど、ほとんどの曲が「おお!」と懐かしく思ったり、「あ、これ、確か聴いたことがあるぞ!」という曲だった。

 こういった(?)1970〜80年代の人達が「再結成」というような場合、(これまた前にも書いたけれども)長い間のブランクを感じさせたり、あるいは「あ〜...、あの歌声はどこに行った...?」と悲しくなったりすることが往々にしてあることだが、このNSPに関してはそんなことはなかった。
 天野氏の歌いっぷり(?)は相変わらずだったし、ベースの平賀氏など、以前(レコード化されている)よりも歌がうまくなっていると感じられた。
 天野氏のリードギターも(少し間違ったりもしていたけれど)「ほぉ〜...、なかなかっ!」と思うようなものだった。PA、そしてコンサートホールの音響のせいもあるだろうけれど、ギターの音色も満足できるものだった。

 ん...? こんな風に書くと、NSPは良くなかった、下手だった、と言っているように思われるかもしれないが、そうじゃない。確かに「おお、うまいっ!」と思うことはなかった(爆)けれど、それがNSPなのだ。(爆) (いや、馬鹿にしているんじゃないんだってば!!) 彼らの持ち味は、そう、あの頃のまま、だったのだ。
 
 ある人が前に語ってくれたことだが、NSPが日本の少年・青年たちに与えた影響はどのミュージシャンよりも大きかったのではないか...? 例えば井上陽水やかぐや姫(あるいは、南こうせつ)、グレープ(あるいは、さだまさし)、ガロ、チューリップ、ま、何でもいいけれど、その頃売れっ子だった歌手達は「う〜ん、うまいっ!」と思わせる人達ばかりだった。(もう、オフコースなんて別格!(爆)) そんな中、NSPの場合、「お。これなら私でも!」と思ってギターを始めた、歌を始めたという少年たちを、それこそ想像できないくらい産み出したことだろう。本来の意味での「フォークシンガー」と評してもいいはずだ。

 あ〜、これでも誤解を受けそうだな...。(ま、誤解されても構わないが。(笑))

 とにかく、NSPは、やはりNSPだったのだ...。
 天野氏の、あの朴訥とした歌い方(?)、そして、お決まりのNSP風味の(?)コーラス。もう、1970年代中頃にタイムスリップ、である...。

 コンサート終盤、アンコールの頃にステージ前に殺到し、握手を求める女性達...。(しつこいようだが)推定平均年齢45歳くらいの彼女達、心の中はすっかりセーラー服時代の乙女なんだろうなぁ、ということで親友K氏と一緒に見つめた私であったが、私自身、今よりも20キロくらい痩せていた詰め襟姿の中学生・高校生気分だった...。(爆)

 ということで、再結成したNSPは、今のところ新しい音楽性を求めて、という方向には進んでいないようである...。(今後のことは知らない。熱烈なファンじゃないんで(笑)、彼らが新曲を出すのかどうかも知らない。)
 
 さて、ここから堅い話になるんだけれども、長い間を経て、そして「再結成」した場合、当然ながら、以前やっていたモノとは違うモノを音楽に求めるというミュージシャン(もしくは、アーティスト)もいるはずだ。ただのノスタルジア、リバイバルでは納得できない、という考えであれば、そういう方向に行くのは間違いない。グループ解散後、それぞれがソロとして活動し続けていたとしたら尚一層、そういう傾向は強いことだろう。(それがどうした、って訳じゃないけれども。)

 ミュージシャン(あるいは、アーティスト)にとって、独自のカラーというのは、永遠の問題だろうと私は思う。多くのファン達が聴けば「ああ、この人(たち)か。」と安心し、納得してもらえる世界。そして「おお...。こういう方向も...?」と意外性を感じさせる場合。後者の場合、その「期待値」(?)との格差(より正確には「乖離度」)が大きければ大きいほど、冒険の度合い、もっと言うなら「賭け」の度合いが高くなる...。

 いや、これまた、それがどうした、ってことじゃないんだけれども、元オフコースの鈴木氏の最新作を聴いて、私は、おおいに戸惑った...。一時期(?)鈴木氏はアコースティックに回帰していったように思えたのだけれど、また違う方向に、それも前に通った方向に進んでいるのではないのか...?(って、偉そうなことを書いているけれど...。) 彼が求めていたのはこういう音楽なのか...?、という思いがしてならない...。
 
 う〜む...、よく分からない...。

 だけど、奇しくもNSPと鈴木氏の(もちろん、全然、置かれている状況は異なるんだけれど)音楽を聴いて思ったことでした〜。
(2002年8月1日書き下ろし)
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その108 とんぼ唄会 in 九州
 このところ、とんぼ(ちゃん)の音楽と縁が深い私である。ま、このホームページの中にも彼らのコーナーを置いていることからも分かる(?)とは思うが。
 私自身、とんぼ(以下、「ちゃん」なしで表記)の音楽については、さほど良く知らない、だけども気に入っている、という状況が長く続いていた。高校生の頃、ラジオから流れてくる彼らの曲を何曲か知り、「ほぉ〜...。いいなぁ。」と思ってはいたけれども、いつの間にか彼らのことを耳にすることもなくなってしまっていた。(ま、このあたりのことについては以前書いたんで省略。)
 
 だが、とんぼのメーリングリストに入って、そのお蔭でとある方の御厚意により彼らの音源を入手し、またオフコース関係で知りあった方からも貴重なライブ音源などを頂き、私のとんぼ環境は大きく前進した。また、(にも関わらず(笑))更新が止まったままの私のコーナーを引き継ぐ(?)ような形で、とある方が専用のホームページを開いて下さってからはさらに事態は急展開した。
 それまでは時々、私のところにとんぼ関係の問い合わせメールが舞い込むくらいだったのが、その方のホームページを中心にぐぐっと全国のとんぼファンが名乗りを挙げたのだった。(何だか変な書き方だけれど。)

 で、話を先に進めると、そういう人達が意気投合し、とんぼの唄会を開こう、ということになった。まずは関東近辺の人達で東京で唄会が開かれ、そして名古屋、新潟、福岡で、という話が持ち上がり、時節柄(?)帰省しているであろう関係から私は福岡での唄会に参加することになった。

 しかし(?)、これまた前に書いたことだが、とんぼの音楽ははっきり言ってマイナーであり、カラオケ屋さんに行っても「ひと足遅れの春」があるだけ...。他にもいい曲はたくさんあるのに、「いい音楽」=「売れる音楽」とは限らないところが(敢えて使うならば)芸能界の不可解なところだ。(って、まず、私が「いい音楽」と言うのも完全に趣味、好みの問題だってことはあるけれども。)

 ってことで、そうなるとMIDIの出番だ。(笑) 幸いにも、とんぼの音楽は二十数曲がMIDI化されている。(って他人事みたいに書いているけれど。(笑)) それを使わない手はない。(意味不明)

 ま、そういう訳で「とんぼ唄会 in 九州」の前半はMIDIをカラオケ代わりに、後半は私とO氏とのギター演奏をバックにしての唄会となった。

 とんぼの曲では、遥か昔に「雨の一日」と「曲がり角」の2曲をギターで歌い演奏したことがある。最近では(先程触れた)「ひと足遅れの春」をカラオケで歌ったこともあるが、それ以外は未体験である。MIDIを作るときにはそれこそ何度となく聞き込むが、歌うことはない。出来上がったMIDIをバックに歌うこともない。軽い気持ちで鼻歌ならいくらでもやっているが、人がいるところで歌ったことはない。(笑)
 そこで、唄会の開催が決まってから、「よぉ〜し、唄も練習するぞ!」と意気込んだものの、結局はあんまり練習できなかった...。(ギターの練習は少ししたけれども。) とんぼの後期のアルバムの中の曲となるとギターのコードも拾ったことがほとんどないし、「知らない」に等しい状況だったんで、その音取り(?)に苦労したのだ...。他にも法事や同窓会に出席したり、テニスをしたり飲んだくれたりと、何かと忙しかったし...。>帰省中

 ま、言い訳はこれくらいにして(笑)、唄会当日は、うん、楽しかった...。すでにインターネット上では2年以上前から知り合いだったO氏やTさん、Eさん、そして、つい最近になって知り合ったMさんともお会いできたし...。残念ながら参加できなかったA氏やKさんとは電話で、また同時開催されている新潟唄会の人達とも電話で連絡を取ったりして楽しかった。

 これまたオフコースの小さな部屋の関西セッションに関しても書いたことだけれど、お名前の他は「とんぼの音楽が好き」ということくらいしか知らない人達、それまで何十年(?)も知り合うことのなかった者たちが一堂に会し、そして同じ時を過ごす。う〜ん、昨今の殺伐とした社会(?)、しがらみの多い世の中(?)にあっては、こういう「音楽だけの結びつき」ってのは、いいなぁ...。(ToT) (←ま、何も泣かなくてもいいんだけれども...。)

 今回、参加したくてもできなかったという人もいるようだし、よぉし、来年もやるぞ〜っ!
(2002年8月19日書き下ろし)
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その109 One more time, One more chance
 またこの季節がやって来た...。
 って、この時期にこういうことを書くと「ああ、例のオフコースの関西セッションか...。」と思う人もいるかもしれないが、いや、実はそうじゃない。(今年は、日程上の問題で参加できないのだ...。(ToT))

 では、何の季節かというと(笑)、実は「大学祭」の季節なのである...。(笑)

 御存知の通り(いや、知らなくたって一向に構わないのだけれど)私は大学の「テニス部」、そして「ロック部」の顧問をしているのだ...。で、昨年もそうだったけれども、今年も中途半端な部員の盛り上がり、という状態なのである...。(いや、「中途半端な部員」ということではなくて(笑)、部員は盛り上がっているけれども、実質的に活動しているのは3人(ヴォーカル、ベース、ドラム)だけ、という意味でバンド形態が取れないという意味だ。)
 当然(?)、学生は私に助っ人を求めてきた...。
 だが、彼女達の選曲は、うん、はっきり言って良く分からない...。と言うか、知らない人達の聴いたことのない音楽だ...。Garnet Crowなんてのは知らない。ましてやその人達の「Mysterious Eyes」なんて曲、耳にしたこともない。Glayは(名前だけは知っているけれど)「またここであいましょう」なんて曲、全然知らないぞ...。しかも、前者はアコースティック1本、プラス、エレキギター2本、そして後者はアコースティックギター1本に、エレキギターが少なく見積もっても3本はオーバーダビング(?)されている...。それをギター1本でやれと言うのか...?(爆)
 どちらも(オフコースなどに較べれば)単純極まりない曲だけれども、複数のギターパートを1本で、となるとちょっとややこしい...。少し練習しなきゃいけないぞ、これは...。

 さて、それはさておき...。
 どうせなら(?)、私の選曲も入れたいところだ。(笑) ってことで、今、密かに思っているのが「woh woh」の(アコースティックギター1本での)弾き語りと、そして山崎まさよしの「One more time, One more chance」(のフルバンド形式)だ。

 今回の持ち時間は40分ほど、ってことだけれど、う〜ん、私のリクエストを入れても4曲...。いっそ、HASENOBU独壇場コーナーを強行してみようか...。(爆)

 あ〜、でも、これから仕事は仕事で忙しくなりそうなのに...。大丈夫なのか...?

 ちなみに、先ほどGlayの曲を聴いていたら「おっ、珍しく最近の曲を聴いているね、お父さん!?」と娘(現在15歳)が城にやって来た。で、「まぁね。でも、このGlayってのはこの前解散したんじゃないのか?」と言うと、「何言っているのよ。それはルナシーでしょっ?!」と嘲笑されてしまった...。
 れれ...? 誰か死んだ人(?)がいたんじゃなかったっけ...? あれれ...? ヒデって誰? 尾崎豊って誰(爆)だったっけ...?(もう、意味不明)
(2002年9月8日書き下ろし)
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その110 ついにAR500が...。(ToT)
 今回(ま、別のところにも書いたのだけれど)念願のギターを入手した。そのいきさつ(?)を記しておきたい。

 具体的な話に入る前に(笑)、一応、言明しておきたいのは(これまたこのことについても散々色んなところで書いているんだけれども)私ことHASENOBUは長い間AR500を求めていたということだ。って、その存在(?)を知った20年ほど前から寝ても覚めても「あ〜、AR500欲しいよぉ〜!!」と思い続けてきた訳ではない。最初は「欲しいなぁ〜...。」と思っていたけれども、当時貧乏学生だった私には到底手が出せない高嶺の花だったし、九州の片田舎の楽器店には陳列さえされていなかった。ってことで、実物を目にすることもなく、ただ(オフコースの鈴木氏がARを弾いている)写真を見ては「あ〜...。このギター、かっこいいなぁ、ほんとに...。」と思うだけ。
 そして、何しろ、その時にはすでに違うメーカーの違うギター(ま、これはこれでかなり多彩な音が出せるギターだったけれども)を持っていたし、さらにエレキギターを買い足すなんて贅沢なことは夢のまた夢でもあったのだ。

 それから就職し、バンド現役を退いてからというものの、もう、ギターを真剣に弾く、ということはなかった。そして1985年から1998年(?)くらいまでの十数年は私のギター暗黒時代に入る。時々思い出してはポロポロとつま弾く程度の関わりだった。(ま、30歳の誕生日だったか、「いいギターが欲しいなぁ。」と思ってガットギターを買い、クラシックのギター曲を弾いたりすることもあったけれども。)

 そうして...、昔のバンドの一時的なリユニオン(笑)をきっかけにまたまたギターを手にすることが多くなり、そして「オフコース小さな部屋 関西セッション」が1999年に開催されることになったあたりから、またまた昔の「ギター熱」が。(笑)

 それから(詳細は略すが)インターネット上での楽器の売買に走り(笑)、ずっと前は欲しかったけれども買えなかったギターなどを見つけると買い込むようになった。(笑) (ま、これまた私のコレクションのコーナーを見れば分かることだが。) そうして、とうとう(?)ARシリーズのギターも入手するに至ったのだった...。(このあたりも上記のコーナーに詳しく記している。)

 かつて夢見ていた、鈴木氏が使っていたきれいなパールホワイト(と、その頃は信じていた)のARも入手できた。だが、これはスペックの面で私が理想とするものとは若干異なっていた...。AR550ではなく、AR500の方こそ私が求めていたものだったのだ...。
 しかし、300や550が売りに出されている情報は時々見かけても、500が出ているという話は、ついぞ(笑)聞いたことがなかった。(少なくとも、この3年くらいはなかったと思う。>インターネット上)

 ところが...。まさに降って湧いたような話が私の元に届くことになる...。

 話は変わるようだが(笑)、やはりオフコースの音楽仲間であるY氏がオフコースのアルバムのスコアを捜しておられ、そのY氏のところに、とある方から、ほぼ全シリーズをごっそりと(?)譲りますよ、という話がとある方からあって、実際、彼のところに送り届けられたという話を聞いて私は「ほぉ〜...。いやぁ、世の中には奇特な方もいらっしゃるものだ...。」といたく感動したことがあった。
 そのY氏は(私にとってはとても嬉しい(笑))急な転勤で9月に広島に移住され、そして彼の歓迎会、それから、とあること(?)で一緒に飲んだりすることがあり、その時にY氏は「実は、ですね...。」と前置きをして、
そのバンドスコアを送ってくれた方がAR500を所有されていること、そしてそれを手放してもいいとお考えだということを話してくれた。

 そうして、Y氏を仲人として、その方(以降、「K.I氏」と表記)と私との間で具体的な話が進んだのであった...。

 K.I氏は20年ほど前にAR500を新品で購入されたそうで、実際には550を注文したところ500が届けられた、とのことである。K.I氏も(容易に推測されることだが)かつてはオフコースに傾倒(?)しバンド活動もされていたそうであるが、すっかりバンド活動から離れてしまい、500も押し入れにしまいっぱなしになっていたとのこと...。
 「弾かれないギターほど哀れなものはない」というのは私の持論(爆)であるが、K.I氏も同じように感じられたようで、せっかくのギターだけど、自分はこれから先、あまり弾くこともないから、ということでY氏のような人に使ってもらいたい、ということだった(らしい)。だが(?)、Y氏はその話を(実は私にも不明なのだが)私に持って来てくれたのである...。

 ってことで(?)、ついに、あのAR500が私の手元に、という運びになったのである...。(ToT)

 う〜む、K.I氏はもちろんのこと、Y氏にも大きな恩義が生じたと考える私である。 
(2002年10月12日書き下ろし)
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