音楽の話 Part 2


目次
   No.11---♪ 僕も恭子の部屋を出てゆく〜 ♪
   No.12---あの人に会える
   No.13---ファンって?
   No.14---ガロ
   No.15---Yo-Yo Ma を聴いて
   No.16---民族音楽
   No.17---民族音楽(2)
   No.18---GLAY
   No.19---民族音楽(3)
   No.20---手風琴

駄文の樹海案内板へ戻る

No.11---♪ 僕も恭子の部屋を出てゆく〜 ♪

 「おいおい、一体、その恭子さんとやらいう人と何があったのだ?」と思った人もいるかもしれないけど、これはオフコースの「やさしさにさようなら」という曲の一節で、正しくは「僕も今日 この部屋を出てゆく」である。
 別に長年、HASENOBU が、その個所を間違えて思い込んでいたわけじゃない、念のため。ただ、このように歌詞を間違えて聴き取ってしまうことはたまにあることである。
 有名なところではビートルズの "Hey Jude" をてっきり「ごんぎつね」の中の登場人物、平十、だと思い込んでいた話、賛美歌の(タイトルは知らない)「主は 主は 来ませり」の部分を「シュワー シュワー」と訳の分からない擬声語だと思い込んでいた例など、枚挙にいとまがない。

 昔、私は稲垣潤一がお気に入りだった。アルバムで言うと7枚目くらいまではよく聴いていたものだった。が、彼はあまり発音が明瞭ではない。う〜ん...、歯に衣着せず言うと、訛っているのだ。(爆)
 千昌夫や吉幾三じゃあるまいし「東北訛り」を売り物にしている訳ではないだろう。だが、稲垣潤一の歌を聴いていると時折、分からない部分が出てくるのだ...。

 彼のファーストアルバム「246:3AM」の中に「蒼い追憶」(作詞:湯川れい子)という曲がある。著作権があるのでどこまで書いていいかはっきりしないが(確か、半分以下なら良かったような...)私がかつて問題を抱いていた部分だけをここに記す。

♪なぜ?
 夜更けのドアを 叩いて
 酔ってるのと崩れた
 貴女を押し止めて
 なぜ?
 靴も脱がせないままで
 「帰ってくれ」と頼んで
 うろたえた 五月雨の夜

 青ざめた頬に
 涙ひとしずく
 「いいわ 愛されているの」と
 細い肩の鮮やかな爪跡
 わざと見せ ワッと泣いて
 駈け出したあなた
 止めも出来ず

 全体的な歌詞の流れからいうと、友人の恋人に一目ぼれしたところ、ある晩、その女性が突然現れて...、という状況のようである。
 実は引用部分の4行目も分からなかった。「あなたを押し止めて」の部分は「あなたをしとめて」なのだとばかり思っていた。(笑) じゃあ、「しとめた」相手なのに、靴も脱がせず帰したのか? 「ドアを叩いて」から「しとめた」のであれば、一体、どこで何をしたのか?(爆) これも大きな謎だった。
 さらに、11行目の歌詞が、どうしても聴き取れない。その頃は貧乏学生だったHASENOBU は、友人に頼んでそのアルバムをテープに録音してもらっていたのですぐに確かめようにも確かめる術がない...。そこで私はそのテープを携え、友人のK氏のところへ行くことにした。(このK氏は HANDORGAN の「リードヴォーカル」である、参考までに。)
 で、問題の個所をK氏と一緒に聞いてみた。繰り返し聴いたK氏も分からない、と言う。
 「じゃあ、ちょっとずつ止めて、最後に聴き取った音を繋いでゆこう!」ということになり、さらに繰り返し私たちは聞いた。そして達した結論は、
 「いい罠に されてるのと」であった...。しかし、前後の文脈からして、思いっきり変だ。(笑)
 いい罠にされている、という表現も変だし、その「いい罠」の結果が鮮やかな爪跡なのか...? 一体、どんな罠なのだろうか...? K氏と私は、悩んだ揚げ句、別のフレーズを候補に立てた。それは...。
 「いいわ 何されても」であった...。(爆)
(当時の私とK氏の潜在意識がこの結論へと導いた、とは思いたくないが。(笑)) でも、それでも、変だ。
 この女性は、もう捨て鉢になったのか? 一体なぜ、ほとんど知らない男を前にして、そんな思いきったセリフを切り出せるのか? 「何をされてもいい」と豪語しながら、どうして駆け出していったのか? あのセリフは嘘だったのか? 謎は深まるばかりで一向に解けない...。

 結局、真相が明らかになったのはそれからしばらく経ってからであった...。そして、本当の歌詞を知った私とK氏はただただ力なく笑うだけであった...。
(1998年10月書き下ろし)
「目次」へ


No.12---あの人に会える

 あの人に会える だからここに来る
 緑につつまれた この場所へ

 これは小田和正の「ファーイーストカフェ」の最後を締め括る「あの人に会える」という佳曲の出だしの部分である。もう8年ほど前の曲だがとても好きな曲の一つだ。
 この曲のタイトルで思ったことを少し...。

 「キリストは来ないだろう」、「でももう花はいらない」、「君が、嘘を、ついた」、「地球は狭くなりました」、「僕等がいた」、「ふたりで生きている」、「言葉にできない」、「歴史は夜つくられる」、「君の倖せを祈れない」等々...。
 今、思いつくままに挙げたが、これらはオフコースの曲で「文の形をしたタイトル」のものである。(全部じゃないけど。) ここで「文」の定義をくどくどと述べはしないが、ま、言い切った表現、とでも簡単に考えておいて欲しい。「メインストリートをつっ走れ」、「きかせて」や「愛を止めないで」などの命令形、また「恋を抱きしめよう」という勧誘の表現、さらには「さよなら」という挨拶(別れの言葉?)、「心さみしい人よ」などの呼びかけも含めても良いかもしれないけれども...。
 が、曲のタイトルでこのような形になっているのは比較的、少ないのではなかろうか?

 はっきりした根拠はないのだけれど、一般的に歌のタイトルは「名詞表現」というか、体言止め、というか、そういうものが大半を占めているのではなかろうか? オフコースで言っても「愛の唄」、「ワインの匂い」、「水曜日の午後」「夏の終り」、「秋の気配」、「愛の終わる時」、「眠れぬ夜」、等々がある。(少ししか挙げてませんが。)
 ちなみに今、たまたま手元にあった稲垣潤一の「SHYLIGHTS」というアルバムの曲名を見てみたら、全て名詞のみだった。ふと思ったのだけれど(嫌いだから良くは知らないが)演歌っていうのはかなりの割合でこのパターンではないのかな...?

 それから、「連用形」で終わるものもかなりあるようだ。「歌を捧げて」、「ひととして」、「風に吹かれて」、「せつなくて」、「若すぎて」、等々...。連用形ではないけれども、英語で言うところの「前置詞句」や「副詞」の表現も「余韻を残すタイトル」という意味では同種かもしれない。「愛の中へ」、「憂き世に」、「雨の降る日に」、「君住む街へ」、「哀しいくらい」、「決して彼らのようではなく」、「愛よりも」等々...。これはオフコース、小田和正の場合、時代によって頻度は変化しているようだが。先程の「ファーイーストカフェ」では「勝手に寂しくならないで」、「春風に乱れて」、「16号を下って」がこれに相当する。

 自分でも何が言いたいのか分からなくなってきた...。(爆)
 が、まず、言おうとしたのは「文」の形のタイトルは珍しい部類だろうなぁ、ということ。なかなか斬新な感じがしていいなぁ、ということ。(笑) かなりストレートに入ってくるし。
 また、歌のジャンルによってもタイトルの形態(?)にはある程度の偏向(というか傾向)があるのではないかな?という気もする。さらに同一のグループ、歌手でも時代とともにタイトルの付け方に何らかの傾向があるのでは?とも思う。(もしかしてこれを読んでいるかもしれない Y.N さん、どうでしょう、ひとつ、分類表を作ってみては?(笑))
 だから何だ、って訳じゃないですが。

 あ、終りに情けない話を一つ。昔、Char というギタリストが、なぜかアイドル路線で売れてしまい、「気絶するほど悩ましい」という曲などがヒットしました。が、あるとき、音楽雑誌だったか何かで、その曲名が「気絶するほど悩ました」と誤植で出ていておおいに笑ったことがあります...。うっ...、ごめん、ただ、それだけ...。
(1998年11月書き下ろし)
「目次」へ


No.13---ファンって?

 ファンって何だろう...?
 ということを最近考えることがあった。とあるオフコース関連のサイトのとある方の掲示板でのことだ。その掲示板はとても充実していてマニアックな話題も展開されることが多く私はとても楽しませてもらっている。
 最近、そこでは「オフコースBOX」なるCD集のことが話題になることが多かった。私は良く知らないのだが、確か、オフコースのオリジナルアルバムを全てセットにし、そして何らかのブックレットかなんかをつけて東芝EMIが企画したものだと思う。以前、私の掲示板の方にも、そのような東芝の金儲け主義の再発CDは嫌いだということを書いたことがあるが、私は、このオフコースBOXを買う気などさらさらないし、もちろん買っていない。
 ついでに言うと、このBOXにはシリアルナンバーが付けられているらしく、購買欲をそそろうとしているのがありありとしていて、とにかく嫌だ。つけこまれているようで腹が立つ。(笑)

 が、その掲示板に「私はオフコースBOX、まだ買ってません。ファンの風上にもおけません。」ということを書いた人がいて、何か、情けなくなって笑っちゃいましたよ、私は...。

 ま、ここでそのことをぐだぐだ書くつもりはないのだが、私はその記事に続けて「私もオフコースBOX、まだ買ってません。もし店頭で見かけても買うつもりもありません。でもファンの風下くらいには置いてくださいね〜。」と書いたけれど。(笑)

 ある歌手を好きになったとする。もちろん、純粋なことで言えば、その音楽・歌がまずは第一の理由だ。しかし、次いで、その歌手のことをもっと知りたくなる。生まれ育った環境のことやら、他愛もないことまで。そしてその歌手関連のもの、全てを手に入れたいと思うようにもなる。その歌手に関する書物はもちろんのこと、雑誌の記事やポスターや、その他諸々。その人がギターを弾く人であれば同じモデルのギターが欲しくなる...。私はオフコースのファンである。だから、今、書いたようなことも自分自身の体験と照らし合わせても頷ける。
 だけれども、今は、彼らの音楽に興味の中心は移っている。彼らの曲を聞き続け、今では彼らをアーティストであるとまで思っているほど、入れ込んでいる。(笑) 時間の長さが優先権を持つわけではないが、高校2年生の秋にラジオから流れてきた「秋の気配」を聴いて以来、ず〜っと彼らの音楽を聴き続けている。飽きることもなく。
 そして、私は、それはそれでいいと思っている。たとえ「オフコースBOXを買わない=オフコースのファンではない」と考える人がいたとしても。お金がなくって彼らのレコードを一枚も買えず友達に頼んでダビングしてもらったテープを繰り返し繰り返し聴いていたあの頃の私はオフコースのファンだったし、そして今でも。

 ファンクラブって何だろう?(爆)
 私の掲示板にとある人がファンクラブのことに触れられていたので、今、これを書いているのだけど。
 私はオフコースのファンクラブに入っていなかったし、ソロになってからの鈴木氏、小田氏のファンクラブにも入っていない。「入るつもりがないから」というのが理由だ。(爆)

 別にファンクラブに入ることが悪い、とか意味がない、ということを言いたいのではない。ただ、察するにファンクラブ、というのは何となく「仲良しクラブ」という感じがしてならないのだ。
 もっと具体的に言うと、例えば小田和正のファンクラブに入ったとしたら、おそらく彼に関することで否定的なことは言えないような気がするのである。というか、少しでも批判的なことを言ったりしたら、それは悪口に取られてしまうような気がするのだ。ま、思い過ごしだろうと思いたいけれど。
 でも、何となく、そんな妄信的なファンの集まりがファンクラブ、という感じがしてならないのである。(ひそかに「全体主義」的な危なさを感じているのかもしれませんね、私は。(笑))

 まとまりがなくってごめんなさい。
(1998年12月書き下ろし)
「目次」へ


No.14---ガロ

 何とも捻りのない、ストレートなタイトルですが。(笑)
 さて、ガロというフォークグループ、ある年代よりも上の人であれば知っていることが多いことと思う。
 彼らの曲の中で一番売れたのはきっと「学生街の喫茶店」だろう。レコードがどれくらい売れたのかは知らないが、小学5年生か6年生の頃のHASENOBUさえ知っていたのだから大ヒットしたのだろう。もしかしたら何らかの(レコード大賞とかの)賞を貰ったのではなかったろうか。ま、そんなことはどうでもいいのだが。

 しかし、私は「学生街の喫茶店」や、その後、同じ路線の「君の誕生日」などは、実はあまり好きではない。と、こう書くと誤解されそうだが、ガロの曲の中では好きな部類には入らない、ということで、嫌いだと言っているのではない。
 実際、彼らのレコードは一枚も買ったことがないが、10年ほど前にCDで「ベストアルバム」というのが出ていて、それは見つけ次第すぐさま買った。熱烈なファンではないので良く知らないけれど、彼らの真骨頂が発揮されているのは「たんぽぽ」という不思議な雰囲気を醸し出している佳曲である。決して派手ではないし、盛り上がる曲でもない。が、サイモンとガーファンクルの「スカボローフェア」を彷彿とさせる程の絶妙なコーラスだ。記憶に間違いがなければこれは彼らのレコードデビュー曲ではなかったろうか...?

 あと「一枚の楽譜」や「ロマンス」なども好きだ。前述の「学生街の喫茶店」や「君の誕生日」などの「売れ筋」の曲ではあるが、彼らの持ち味が良く出ているように思える。
 う〜ん...。彼らのアルバムがCDで復刻されている...。全部買おうか、どうしようか...。今回、一枚だけ買った「ライブアルバム」は、期待外れだった...。カセットテープで「GARO 4」は持っているが、それだけでも買おうか...。悩んでいるHASENOBUである...。
 ってことで、訳の分からないまま、おしまい。(笑)
(1998年12月書き下ろし)
「目次」へ


No.15---Yo-Yo Ma を聴いて

 今回も何とも捻りのない、ストレートなタイトルですが。(笑)
 先日来、「ヨーヨーマは素晴らしい」との賛辞をよく耳にする(というか目にする)ことが多く、「是非、一度聴いてみて」という推薦を受けたりすることがありました。私は極めて自閉的な音楽環境にありますので、その「ヨーヨーマ」という名前を聞いてもどんな音楽なのか、全然分かりませんでしたが、彼がチェロ奏者であること、タンゴを題材にした CD は、大変、できがよい、などのことを知るに至りました。
 そこで、物は試し、とばかりに、ヨーヨーマのCDを一枚買い求めました。「YO-YO MA SOUL OF THE TANGO PIAZZOLLA」という CD です。
 繰り返し十回くらい聴きましたが、私には「馬の耳に念仏」、「豚に真珠」のようです。(笑)

 チェロの表現力の高さには驚きを禁じえませんでしたが、このような音楽を自らの意志で聴くことなどはこれまでになかったことなので、果して、彼の技術がどの程度素晴らしいものなのかは、比較材料がなく、判りません...。あ、別にランク付けするだとか、品定め(?)を、という意味ではなく。このような音楽、もっと広く言うとクラシック音楽を日頃からたくさん聴いているならばヨーヨーマの演奏のどういう部分が際立っているのか、彼独特なのかが分かりやすいだろう、ということです、はい。
 ま、音楽は理屈の問題じゃないので、別にどうのこうの述べるものでもないでしょうけれど。(笑)

 しかし、むしろ耳は伴奏のギターやバンドネオンの方へと...。(笑) 特に2曲目の「Andante」などのギターは、ジャコ・パストリアスあたりを彷彿とさせるようなメロディアスな「う〜ん、いいねぇ〜...。」としみじみ思わせるもので、3曲目の「Allegro」などは一瞬、アル・ディ・メオラ達のスーパーギタートリオのライブを...。(笑)
 バンドネオン、というのは、一種のアコーディオンですよね。写真で見ると形状もちょっと異なっていますが、どのようにアコーディオンと違うのかは詳しくは知らないけれども。「タンゴでよく用いられるアコーディオンの一種。哀愁を帯びた深い音色が特徴」というふうに私は聴いていて勝手に定義しました。(笑) あの蛇腹の部分(名称は...、忘れた...)のお陰で強弱のニュアンスが実に微妙に表現される楽器ですね〜。

 ということで、ヨーヨーマのチェロそのものについては取り立てて言うことはこれ以上できませんが、CD 全体を通して言うと、「聴くならば真剣にひざ元を正して、目を閉じてお酒を飲みながら。」というのがいいかな、という風に思いました。ただ漫然と流すような BGMにはしたくない、という。

 以上、真価の判らない私のさしあたっての報告でした。またいつか思いは変わってくることと思いますが。
(1999年1月書き下ろし)
「目次」へ


No.16---民族音楽

 私は演歌を除いてほとんど無節操なほど多くのジャンルの音楽が好きだ。クラシック音楽も好きだがあまり聴かない。音楽を聴くと、ついどんなふうに演奏しているのかを追ってしまって(?)交響曲などは大変疲れるのだ。(笑)
 さて、今回のタイトルにある「民族音楽」も私の好きな、そして聴くことの多いものである。
 大学に入学して「フォークソング研究会」というのに入ったのだが、そこで中南米の音楽に目覚め、友人とトリオを組もうとしたほど入れ込んだ。「よし、じゃあ、3人でアンデスの音楽をやろう!」というわけだ。先輩の中にもそういう音楽をやっている人はいない。私達は異色のグループになれる!
 個人的には弦楽器(特に撥弦楽器)が好きなのでチャランゴが欲しくてたまらなかった。(ちなみにチャランゴというのはウクレレに似た感じの小さな楽器で、胴体がアルマジロの皮でできているという中南米の伝統的な楽器。) かなり金属的な音がしてとても気分を高揚させる魅力的な楽器だ。だが、そんなもの九州の片田舎の楽器店には置いてあるはずもなく、店員に尋ねると、取り寄せることはできるが、安いものでも10万円はすると聞き、あきらめた...。
 そこで、河原から竹を何本か切って、それを材料として「シーク」を作ることにした。これはパンパイプの一種で長さの異なる筒状の棒(ん...?)を何本も並べて紐でくくったような楽器である。(ほら、子供の頃に空き瓶などの飲み口のところで息を吹き掛けて「ボォ〜」って音を鳴らして遊んだりしたでしょう? あれと同じ原理です。) 理論的には管の長さでピッチを設定できるはずだが、なんといってもそこいらの竹が素材であるので、太さや管の内径が異なり、製作作業は困難を極めた...。やっと出来上がった代物はそれでも調子っぱずれであった...。
 来る日も来る日も部屋に閉じこもってそういう作業に没頭し、出来上がった楽器らしきものをテープに合わせて吹きまくる息子...。その姿を私の父母はどういう思いで見つめていたのだろう...?(笑) もし、今の私がその時の私に会うことができるならば「いい加減に目を覚ませ!」と殴りつけてやりたいほどだ...。(爆)
 結局、友人はケーナを楽器店で購入したのだが、彼は自分で演奏するよりも聞くほうの音楽、そして野球や麻雀に傾倒してゆき(笑)、またもう一人の友人はブルースやラグタイムギターの方へと関心は移り、私達3人はアンデスの音楽を奏でることは一度もなかった。ついでに言うと、その秋には私はオフコースのコピーバンドを結成し、エレキギターを懸命に練習していたのだが。(笑)
 はい、話がずれました。(笑)
 ま、このように民族音楽に深い関心を持つ私は、ある時、ケチャのことを聞いて、いたく感動した。残念ながらまだケチャダンスを眼前にしたことはないのだが、非常に興味をそそられる...。ということで、今回、縁あって(ちょっと意味不明)「ケチャの秘密!」コーナーをくまきの部屋に設置することとなった。御参考までに。(何の参考になるのかは分からないけれど。)
 で、民族音楽の話はまたいつか稿を改めて...。(笑)
(1999年1月書き下ろし)
「目次」へ


No.17---民族音楽(2)

 いや、驚いた。本当に驚いた。

 って、何がかというと、ガムランだ。ってこれでも「は...?」と思われる人もいるだろう。(笑) 「あ、あれか...。」と「くまきの部屋」の「ケチャの秘密!」に出てきた楽器だと思いだした人、あなたは偉い。(笑) そう、ガムランというのはバリ島はもちろんのこと、ジャワ諸島、インドネシアのあたりの伝統的な楽器、及びその楽曲のことである。
 「ケチャの秘密!」にも、本当はMIDIファイルをつける予定であった。(あのページのオリジナルには BGM としてガムランの曲が流れていたのです、はい。) だが、ブラウザによってはジャバやプラグインの起動に手間取る可能性もあるし、何よりも、その音源が著作権フリーのものかどうかは分からない。で、今日、例の「さくぽん」氏と話す機会があって、そのことを確認したのだが、その音源はどこかのサイトからダウンロードしたもので、その出所がはっきりしないし、もう見当たらないとのことであった。

 では、「サンプル」のような著作権フリーのものがないか、と goo パワーサーチを使ってガムランをキーワードに日本語のサイトを検索してみた。「ま、ガムランなんて、ちょっとマイナーだよなぁ...。検索結果も数件程度かなぁ...。」と思いつつ検索してみると! あるある!! 800件以上!!(爆) しかも、この時はカタカナで「ガムラン」と入力して検索したのだから、この800件というのは日本語のサイトなのだ。

 これには、事実、かなりびっくりした...。ガムランの紹介はもとより、演奏会や講習会の案内まで実に多くの「ガムランサイト」があるのだ...!(ちょっと言い過ぎですが。) 中にはジャカルタ在住の日本人の極めてマニアックなページも...。

 世の中に、こんなにガムランに興味を持っている人がいるとは...。おそるべし、ガムラン...。

 さくぽん氏も「数多くのガムランの生演奏はなかなかのものだよ。感動するよ。」と言っていたが、それは充分想像がつく。あの不思議な音色。単体だけではただの騒音に近いかもしれないが、たくさんのガムランが微妙なリズムで独特の音階のメロディーを奏でる...。丹念に描かれた錦絵を少しずつ広げてゆくような趣があるだろう。そして広げ終えたときには、思わず息を飲むような一つの完成された世界がそこに...。あぁ...、いつか絶対行くぞ、バリ島!!(笑)

 ま、私の旅行計画は、いいとして、ともかく、井の中の HASENOBU、大海を知らず、という気分である。私の「民族音楽」に対する興味なんかまるで表面的なものなのだと思い知った次第です、はい...。

 あ、それで、結局、ガムランのファイルは載せないことにします。興味を持たれた方は御自分で検索エンジンで検索してください。(笑) なお、さくぽん氏のホームページの「更新履歴」からは「ケチャの秘密!」のオリジナルページへと辿って行ける(!)そうで、そこに行けばガムランの曲が流れてきますので...。
(1999年1月書き下ろし)
「目次」へ


No.18---GLAY

 民族音楽の次は GLAY か...。(笑)

 これまでに他の駄文で何度か書いたように私はテレビを見ることもあまりなく、ラジオなどもまず聞かない。よって、最近どんな歌手がいるのかも良く知らない。決して最近の音楽がつまらないという先入観は持っていないつもりだし、保守的になったわけでもないと自分でも思っているが。
 だが、自分の意志に反して(?)最近の音楽を耳にすることは、当然ある。喫茶店(って最近は全然行かないけれど)や CD 屋さんなどに行くと BGM として流れてくる。また、時折、奇特な学生が「先生、これ、いいですよ。是非一度聴いてみて下さい。」と言って CD を無理やり貸してくれたりする。(笑)
 「グレー」という名のグループが人気であるということは、どういう理由からか知っていた。昨年末に帰省したときには私の父(今年71歳)が聴いていた...。彼、って私の父のことをこう言及するのはためらわれるけれど、は、異常に最近の音楽に詳しい。彼はいまだに仕事をしているのだが、通勤の車の中で、そして仕事場でもラジオを一日中つけていて、特に音楽番組を好んで聞いているそうだ...。
 その父に、親思いの息子から(自分で言ってりゃ世話ないな...)せめてものプレゼントということで MD コンポを贈ったというのも前に書いたことだが、その時に GLAY の「Review」という CD も併せて贈った。実は、私はそのグループの曲はそれまでに一度も(自分の意志で)聞いたことがなかったので、MD にダビングした。で、それをさっき取り出して繰り返し聴いてみたのだが、今一つピンと来ない...。
 もちろん、彼らの音楽が悪い、とかいうのではなく、ただ私の感性(笑)に訴えるものが何一つない、というだけのことであるのだけれど。ま、「お、なかなか...。」と思える要素がないのだ...。

 どういう根拠なのか、そしてそもそも論理的に説明できるものでもなさそうだが、少し聞いただけで「おお...。これは...。」と大好きになってしまう歌手、曲や音楽があり、そして何度か繰り返し聴いているとじわじわと良さが分かってきて大好きになるもの、そして何度聴こうが全然好きになれないもの、がある。GLAY は私にとってはこの最後の部類に入る。二番目の部類には松尾一彦、スピッツやヨーヨーマなどが入る。最初のにはオフコースなどが入る。
 また、ついでに言うと、ある人(歌手やグループ、プレイヤー)の曲であればほとんど漏れなく最初の部類に入ってしまい、次に中には「ま、この曲は好きだけどね...。でも、あれは...。」となるもの、そして最後にこの人のだったら聴きたくはない、という分類方法もあるようだ。これは先程のものとほとんど重なる傾向があるとは思うけれど。で、GLAY は、私にとってはやはり最後の部類に入る。(笑)
 以上、完全に趣味の問題で「好きだから好き」あるいは「嫌いだから嫌い」という、理屈を受け入れにくい問題であるので発展性に乏しいお話でした。って、このコーナーの話は全部そうなのかもしれないけれど。(笑)
(1999年2月書き下ろし)
「目次」へ


No.19---民族音楽(3)

 GLAY の次は民族音楽か...。(爆)

 さて、それはいいとして。先日、民族音楽絡みの話題を書いたところ、畏友リードヴォーカル氏が異常に興味を示した。(笑) 正確に言うと、彼もかねがねからケチャには関心を抱いていたようだ。ケチャ、というのは人間の魂を揺さぶるような、根源的な音楽だ、と私同様、彼もにらんでいたようなのだ。
 音楽の起源、というものを考えたとき、それは言語の起源というものも大きく関わってくる。実際、人間の言語の始まりの一説として、力仕事などで声を合わせるものだ、というのがある。(例えば大きな石を動かすのに「せぇ〜のぉ〜!」と声を合わせるような場合。) それは有意味な音の連続ではなかったかもしれないが、何となくうなずける学説だ。
 リードヴォーカル氏とは中学校2年の時からの付き合いであるが、私の音楽の趣味は彼の音楽の趣味に負うところが非常に大きい。井上陽水や小椋佳、ポルナレフ、ビートルズの世界へと誘ってくれたのは彼である。そして氏はとても歌がうまい。高校の頃の第一次ハンドオルガン(なんだ、そりゃ?)では彼を含めヤマハのポプコンの地区大会に出て、あのオフコースも立ったことのある熊本郵便貯金会館のステージに立ったこともある。(って、申し込めば誰でも出場できる第一次予選だったけど。(笑)) その後も私が大学1年の時に結成した HANDORGAN に当時、浪人生だった氏を無理やり迎えたほどである。(笑)

 ん...? なんでこんな話に...?
 とわざとらしいボケはやめにして。「CDが増えすぎて困る。しばらくは新しいのを買わないことにした。」と、ついこの前、私信で寄越していたリードヴォーカル氏であったが、どうやらケチャの魔力には勝てなかったらしく、先日ケチャのCDを買ったそうである...。しかも、余程感動したのであろう。氏は私にそのCDをMDにダビングして送ってくれたのである。(って、CDを買うようにそそのかし、そしてダビングして送るように頼んだのは私なのですが。(爆)) きっと彼自身も前々から深い関心を持っていたからそのCDを買ったのだとは思うけれど。(私の掲示板にも買おうかどうか悩んでいる文面が寄せられておりましたし。)
 で、彼が買ったのはキングレコードから出ているCDのようで、次のような曲が収録されている。
---以下、氏のメールからの引用---
はじめて聴く民族音楽
彩りの島 バリ

1、(ケチャ)アノマンの登場              ボナ村ガンダ・サリ
2、(チャクプン)シノム・インバランとジュプン     チャクプン・ブダ・クリン
3、(ガムラン・スロンディン)レンテ          トウン・ガナン村プグリンシンガン
4、(グンデル・ワヤン)スカル・ギノタン        グンデル・ワヤン・スカワティ
5、(ゲンゴン)ドンカン・ムネック・プニヤン・ビュ   ゲンゴン・パトゥアン
6、(キドウン)ワルガサリ               バンジャール・ナギ家族福祉育成会合唱団
7、(ガンバン)パンジ・マルガ             ブダ・タパ
8、(ティンクリック)軍艦マーチ            ティンクリック・スカワティ
9、(ジェゴック)タンギス・アリット〜ムバルン     スアン・アグン&プンドゥム
10、(ガムラン・ゴン・グデ)タブ・トゥル        ガムラン・ゴン・グデ・バトゥール
11、(ガムラン・スマル・プグリンガン)リアル・サマス  グヌン・ジャティ
12、(ガムラン・ゴン・クビヤール)パクシ・ングラヤン  エカ・チタ青年団
13、(ガムラン・ブルガンジュール)ギラク        クマラ・ブダヤ

13曲入りのMDをあなたに!
すべての曲は全曲より一部収録したものです。
ケチャだけでなくガムランも聴きたかったのでこのCDにしてみたんだ。
曲名全部書くのも疲れる。
---以上、勝手に引用---

ということで、早速このMDを自宅で聴いてみた。
 すごい...。
 この貧弱な語彙しか出て来ないのが自分でも悲しいが。(笑) 「ケチャケチャ...」と果てしなく続く、と聞いていたが、一曲目からぶっ飛んでしまった。私の想像を遥かに超えた複雑な構成である。もちろん「ケチャケチャ」と繰り返すバックコーラスは予想(?)していたものと大差はなかったが、日本の歌舞伎を思わせるようなヴォーカル、そして複雑に絡みあうサブヴォーカル...。残念ながらケチャは一曲目だけで、しかも2分32秒しか収録されていないのだが、これが延々と(って長くても一時間もないとは思うけれど)続くのだとしたら、確かに「トリップ」するような雰囲気になるのだろうと思う。

 日本人の起源についても良く知らないのだが、私にもきっと北方系、南方系、大陸系の血が流れていることだろう。そして、ケチャ音楽の歴史についても知らないのだけれど、先程書いた「魂が揺さぶられる」ような気がしてならない。気のせいかもしれないけど。でも、私の祖先が「ケチャケチャ」と繰り返し叫びつつ踊っていた可能性は決して否定できないものだ。これを読んでる、そう、あなたにも。(って、いきなり振ってますが...。)

 音楽、というと、どうしても西洋の音階、平均律の世界だけを思ってしまいがちな私ですが、改めて音楽の「ものすごさ」の一端を垣間見たような気がしますです、はい。「報告書シリーズ」に続き、この駄文もリードヴォーカル氏に捧げましょう。(笑)
(1999年2月書き下ろし)
「目次」へ


No.20---手風琴

 手風琴...。この言葉を聞いて、「あぁ、あれか。」と思いついたあなた(ん...? 誰だ...?)、決して「若い」年齢じゃないですね!(いきなり失礼な...。(爆))

 さて、若いかどうかはおいといて...。「手風琴(てふうきん)」というのは一種の「死語」になったと言ってよかろう。私自身、この言葉を使うこともないし、この20年以上、聞いたことさえない。(って、今、使ってますが...。)
 ま、早い話、「アコーディオン」のことだ、手風琴というのは。なかなか味わい深い単語である。「手」で「風」を起こして奏でる「琴」...。って、アコーディオンは琴じゃないけどね。(笑)
 で、唐突だが、私はアコーディオンを持っている。(爆) 小学校の5年生の頃だったか、学校の鼓笛隊に入り、担当した楽器がソプラノアコーディオンだった。もちろん、アコーディオン担当者(?)は私の他にも何名かいた。特に女子(笑)などは幼い頃からピアノを習っていた、などという者がいて鍵盤さばきが見事である。私自身、小器用な方であったとは思うが、やはり鍵盤を長く触ってきた者とのテクニックの差は歴然としている。昼休みには音楽室に行きアコーディオンの練習をしたものであったが、どうしても欲しくなってしまった...。(笑)
 決して家が裕福ではない、いや、むしろ貧しかったと分かっていたものの、私は何度も何度も両親に頼み、生活態度も改め(爆)、やっとのことで買ってもらったのである。その当時いくらしたのかまでは覚えていないが、普通の(?)クラシックギターであれば3台は買えたであろう金額だったのだけは覚えている。(「本当にアコーディオンでいいのか? クラシックギターなら手軽に弾けて持ち運びも楽だよ。」と言う父の言葉を覚えている...。)

 これまでの人生の中で、色々と後悔することがあるが、このアコーディオンの件は筆頭に来るほどである。(爆) その後、アコーディオンというと、6年生の秋に、教育実習の先生のお別れ会の時に弾いたことが思い出される...。その時に、幼なじみの「亀井光浩」君がクラシックギターで華麗な小曲を奏でてくれたのを見て「あぁ、ギターっていいなぁ...。」と早くもアコーディオンを買ったことを後悔した私だった。ちなみに人前で私のアコーディオンを弾いたのはそのお別れ会が最初で最後であった...。(笑) 私のかなり親しい友人でさえ、私がアコーディオンを所有しているという希有な人物の一人であるということを知らないはずである...。(爆)
(1999年2月書き下ろし)
「目次」へ

inserted by FC2 system