音楽の話 Part 3


目次
   No.21---CD
   No.22---君は何のために生まれてきたのか?
   No.23---ちょっと蛇目なラブソング
   No.24---趣味
   No.25---水越恵子、もしくは水越けいこ
   No.26---結婚式の歌
   No.27---私のギター
   No.28---泣ける曲
   No.29---最近知ったこと
   No.30---ケチャ その後

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No.21---CD

 就職するまで私には自分の自由になるお金があまりなかった。(笑)  大学時代には育英会の奨学金を貰っていなかったらもっと苦しかったし、授業料だって、家計の収入の低さのお陰(?)で「半額免除」だった程だ。って、別に自慢でもなく、かといってそのことを恥じているわけでもない。(笑) ただ、それは事実である、というだけのことだ。
 よって、私は音楽が大好きだったけれど、気に入ったからといってすぐにレコードを買ったりすることなど、まず、なかった。中学時代から井上陽水に心酔したものの生まれて初めて自分で買ったLPレコードは高校1年になってからのことだった。確か、それはセカンドアルバムの「センチメンタル」というアルバムだったが、同級生の「藤永」という人物に貸したっ切りでまだ返してもらっていない...。
 ということで、たいていの場合はラジオでエアチェックをしたり、友人に頼んで録音してもらったり、という時代が長く続いた。(レンタルのレコード屋さんなどは、少なくとも私の住んでいた地方都市では大学の頃になってやっと登場したのではなかったろうか?)
 そこで、その反動からか、自分で収入を得るようになってからは結構手当たり次第に買ってしまうようになった。とは言え、根がケチなので(笑)、中古盤やレンタル落ちでもあまり気にしない。特にCDになってからは、目茶苦茶に傷がついて聞けないものというのはあまりなく、音だけを考えれば全然といっていいほど気にならない。不法な隠し録音(?)のものであればちょっと嫌だが、海賊版でもいいし、海外直輸入盤などでも気にしない。もしもある外国人歌手のCDが日本生産盤と海外輸入盤の両方の選択肢があれば、まず、輸入盤の方が安価なので、そちらを選ぶ。外国へ出かけたときでもたいてい15枚くらいは買って帰るような気がする。

 この前、少し思い立って、一体、私は、誰のどんなCDを持っているのだろうか、いうことで、リストを作り始めた。ま、HASENOBU'S Music Library といったところだ。(今、勝手に名前を付けました、はい。(笑))
 そのリストはまだ未完成だが、自宅と職場に置いてあるものの総計はどうやら400枚を越えそうだ。手始めに邦楽篇を作り始めたのだが、ちゃんと作ると250枚を越える気配である...。塵も積もれば山となる、である。(別にCDはゴミじゃないのだけれど。)
 ま、誰も興味がないだろうけれど、HTMLファイルにしてみようと思うので、出来上がったらアップするかもしれません。約束はしないけどね。(笑)
(1999年3月書き下ろし)
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No.22---君は何のために生まれてきたのか?

 「君は何のために生まれてきたのか?」って、別に私が現在、中学生・高校生向けの思想書を執筆している、などというのではない、誰もそんなことは思わないだろうけれど。
 このところ、稲垣潤一の曲を聴くことが多い。って、そればかりではなく、タンゴ音楽にもはまっているのだけれども、車の中では彼の初期のアルバムなどを聴いていることが多い。
 昔、稲垣潤一は私のお気に入りの歌手の一人だった。彼の5枚目のアルバムくらいまではかなり入れ込んで聴いていたものである。
 が、稲垣潤一は、歌詞が分かりにくい...。日本語の曲なのに聴き取れないことがあるのだ。それは前にも書いたことがある。(音楽の話 Part 2 の最初の駄文参照。)で、これもその続編みたいなものだ。(笑)
 今回は英語絡みの話から始めよう。
 彼の英語は...、まず、聴き取れない、一言で言ってしまえば。(笑)
 NO STRINGS というアルバムの中に "The Rules of Love" という曲がある。私が英語の高校教師になった頃に車のカセットデッキでよく聴いていた記憶があるので、きっと15年ほど前に出たものだと思う。これは、確か貸レコード屋さんで借りて録音したテープであったと思う。歌詞を見たりコピーを取ったりすることもしなかったのだが。ただ、ダビングをした後、曲名をカセットのケース(の中の紙)に書いただけであった。
 が、長い間、私はそれが英語の曲だと気づかなかった。何度も聴いていたのに、である。(爆) もちろん、日本語の曲だと思い込んでいたというのではないのだが。日本語ではない、というのは分かったが、私にはなじみのない外国語に違いない、と...。きっと英語でもドイツ語でも、フランス語でもスペイン語でもなく、私の未知の、例えばエジプト語だとかの中近東あたりの外国語なのだと思っていた...。(そして数年後に、その歌詞が英語だったということが分かったときの私の驚きといったら...。(笑))

 彼のファーストアルバムの中に「バハマ・エアポート」という曲がある。その歌を聴いていると「プーサンビーチを〜」という一節が聞こえてくる。で、この「プーサン」というのは何なのだろう、とかなり疑問に思ったことがある。まさか、熊のプーさんにちなんで名付けられたビーチ? いや、もしかして「釜山港に帰れ」のあの「釜山」のことか? でも、「バハマ・エアポート」というタイトルなのだから...。そのエアポートから韓国にバケーションで来た、というのもかなり常識を無視した設定である。その「ビーチ」を「抜けた風が 君の髪 揺らしたら〜」と続くのだからやはり地名のようだし...。では、「プーサン」ってどこの...?
 そして、これが「Blue Sand Beach」であった、というのが分かったときの私の驚きようと言ったら...。(笑)

 J.I. という彼のアルバムの中に "MARIA" という非常にノリのいい曲がある。しかし、この曲の中にも落とし穴は潜んでいたのだ...。サビのあたりに来ると「ほ〜まへ〜」という歌詞が出てくる。(言い切ってますが...。(笑)) もう少し言うと「ほ〜まへ〜 マリア」という風になっているのだ。サビの所で3回繰り返される「ほ〜まへ〜」って、一体...? 例えば「チャオ!」や「アディオス!」といった感じの別れの言葉なのか...? それとも何かの「呪文」?
 もしかしたら「お〜まえ〜」(つまり、「お前」)なのかもしれないと思ったものの、ここで「お前 マリア」という同格の呼びかけというのも変だ...。それに、やっぱり何度聞いても最初の音は「お」ではなく「ほ」なのだ...。
 これも、かなり長い疑惑の時を経て「Hold my hand, Maria」であった、というのが分かったときの私の驚きようと言ったら...。(爆)

 実は他にもたくさ〜んあるのだが、もう、それはやめにして...。
 この駄文のタイトルの「君は何のために生まれてきたのか?」の種明かしを...。(笑)
 どのアルバムのどんなタイトルの曲は何だったかは...、忘れた。が、バラード調の、とてもいい感じで始まるイントロの後に聞こえるのは
 「君はきょんのためにうまれてきたのか」
という歌詞である。「は...? きょん...?」
 「きょん」というと、私の年代以上の人であれば、山上たつひこだったか、そういう漫画家のシュールなギャグ、「八丈島のキョン!」というのを思い出すことであろう。私も「きょん」というと、それしか思いつかない。(ちなみに「キョン」というのは、詳しくは知らないけれど、鹿みたいな動物で、恐らくは八丈島だけに棲息する天然記念動物に指定でもされてる動物だろうと思う。調べる気にもならない。)
 ま、「キョン」のために生まれてくる人って、生まれながらの動物愛護協会員か獣医なのかもしれないけれど、それをテーマに稲垣潤一がバラードを歌うこともないだろう。
 あ、もちろん、正しくは
 「君は今日のためにうまれてきたのか」
だと思う。確かめていないけれど。
(1999年3月書き下ろし)
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No.23---ちょっと蛇目なラブソング

 さてさて、どう切り出したものか...?(笑)

 これまでに書いたことと関連することである。そして、それは「日本人にとっての英語」という事柄とも関わってくることなのだが...。

 これは、何年か前、黛なんとかという音楽家が司会をしている「題名のない音楽会」だったか、なんとかいうテレビ番組でも取り上げられていたことでもある。日本の歌謡曲の中にちりばめられている外国語、特に英語はどうにかならないのか?

 ちなみに、黛氏はその番組の中で、確か杏里の「キャッツ・アイ」(もしかして正しくは英語表記だったっけ...?)を例として、その歌詞の中の英語を日本語に直訳したらどうなるか、というのを実験(?)していた。名前は覚えていないけれど、そこらの歌手よりも遥かに歌唱力のある無名の(失礼な...。)歌手がそれを歌っていた。当然、字余りでまともな歌詞にはなっていない。よって、そんな英語を歌詞の中に入れるのは間違いなのだ、というのが黛氏の結論だった。
 が、そんな実験(?)こそが間違いなのだ。そのときに「晒し者」にされた杏里のその曲の作曲と作詞が誰の手によるものなのかは分からないし、どういうふうに曲として作られたのか(つまり、歌詞が先にあって曲が付けられたのか、曲が先にできて歌詞をはめ込んだのか、それとも同時進行なのか)も分からない。
 が、「キャッツ・アイ」という、それだけで完成体(?)となっているものの一部だけを変えて、「ほ〜ら、変でしょう?」とやるのは変な話(笑)だ。
 喩えれば、シルクハットとステッキを持ったイギリス人紳士のスーツだけを脱がして天才バカボンの着ている寸足らずの浴衣(みたいなもの)を無理やりに着せて、「さぁ、どうです?」と問うようなものだ。(かなり強引な喩えですが...。) 黛氏の音楽上の業績がどのようなものなのかは知らないけれど、歌詞とメロディーの拍数との密接な関係を無視するなんて、音楽家としての常識を私は疑ってしまった次第である。(もっとはっきり言うなら、この一件だけから判断すれば、たいしたものじゃないと思う。一度も聞いたことはないけど。(爆))

 ま、それはそれとして。
 だけど、私自身は意見としては黛氏と似たようなものを持っている。(笑)

 私はオフコースのメーリングリストに入っているのだが、昨年秋に、元オフコースのメンバーである鈴木康博氏が出した「最後の約束」という曲の歌詞のことについて、ある人が「曲そのものは大変気に入った。しかし、どうして Many Days やら Any Times という言葉が入っているのだ? あれは気に入らない。」という趣旨のことを投稿されていた。全くの同感、である。

 訳がわからんのだ、私には。(笑) どこにそういう必然性があるというのだ...?

 具体的な例を出そう。またしても稲垣潤一だ。(笑) (あ、念のため書いとくけれど、私は稲垣潤一は大好きなのですよ。だけど「大好きだから何でも受け入れる! 批判めいたことなど言わない!」なんていうふうには考えないので...。)
 稲垣潤一の英語のひどさについては前回も書いた。(英語どころか、彼の場合、日本語さえかなり不明瞭であるのだけれど。) が、「あぁ、なるほど。」と思えるのもないわけではない。彼の「ロングバージョン」という曲のことだ。
 この曲はボサノバのリズムの曲である。なかなか渋い味の名曲だ。その歌詞の中に「似たもの同士のボサノバ」という個所があり、その「ボサノバ」などは、充分、判る。何て言ったって、この曲自体がボサノバの曲なのだから。なのにわざわざ稲垣潤一は bossa nova の「v」の音もちゃんと見事に発音している。(つまり、下唇を上の歯の先で軽く噛んで響かせる見事な「歯擦音」となっている。) 聴いていて、あぁ、なるほど、と思う。
 なのに、それなのに、それに後続する歌詞では「ちょっと蛇目(へびめ)なラブソング」となっている...。
 ラブソングは、いい。それはもう日本語になっているのだから。「ラブレター」にしたって、「ブ」の所をちゃんと v の音にして最後は巻き舌で r 音を響かせなくったっていい。(日本語の普通の会話でそんなことをする人は、嫌いだ。(笑))
 もちろん、「ちょっと heavy 目な」だということは、察しがつく。だけど、ボサノバの「バ」を「ヴァ」(?)という感じで発音するのなら、「蛇目(へびめ)」でなく「heavy 目」と発音してもらいたいっ!(って感嘆符をつけるほどのことじゃないんだけど...。)
 あ〜、まだ結論まで行かない...。(多分、続く。)
(1999年3月書き下ろし)
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No.24---趣味

 「趣味」というのは、ここでは「音楽の趣味」と解して欲しい。
 好きになれない音楽がある。私の場合、例えばユーロビートだとか、ラップ系の音楽は、あまり好きになれない。やけにせわしいリズムも嫌だし、抑揚のないラップも聞いていて落ち着かない。
 やはり、歌であればメロディーが表情豊かでなければ。そして、特に日本語の歌であれば歌詞も重要ポイントである。さらに歌手の声質(?)、歌唱力も、曲のアレンジも、そして演奏の質の高さ(念の入れよう)などなど、ある音楽を気に入るかどうかの基準となるものはたくさんある。もちろん、これは好みの問題である。(ちなみに、私の場合にはオフコース、小田和正の音楽はほぼ全分野においてほぼ完璧である。)
 ん...? こんなことを書こうと思っていなかったのだが...?(笑)

 で、唐突だが、松原正樹、鈴木茂、今剛のギターが入っているものであれば、ほぼどんな曲でも「あ、いいな、この曲!」と思うし、井上鑑がアレンジャーであれば、まず間違いなく「う〜ん、かっこいいなぁ...。」と思ってしまう。初期の稲垣潤一が良かったのは井上鑑が手がけていたからだと私は思う。
 加藤和彦も、実は大好きである。彼の歌は、はっきり言って下手だ。(爆) 私の歌と同じくらいではないか?(笑) だが、彼も(鈴木茂のヴォーカル同様)、とても味があって好きだ。独自の世界を造り上げている感もある。独自の世界を造り上げているという点では、佐藤隆も、とても味わい深い曲を書いている。何か「妖しい」感じがして、大好きだ。

 最近、父の勧め(笑)で「山崎まさよし」の最新作を手に入れた。「僕はここにいる」という曲はいいと思ったが、その他は何度か繰り返して聴いたものの訴えるものがない、私には。聴いていると往年の(笑)因幡晃を彷彿とさせないでもないが。(笑) というか、どこかで流れていた「僕はここにいる」(あるいは別の曲かもしれない)を聞いたときには、「おお、因幡晃、まだ頑張っているんだ...。」と勘違いしたほどである。ちょっとねちっこい歌い方、そして鼻にかかる(?)ような声など、とても良く似ている。

 う〜ん、まとまらないなぁ...。(って何も考えずに独り言をそのまま文字にしているような気もするが...。)

 人間は年をとるに連れて保守的になるとよく言われる。ま、表現の仕方にもよるのかもしれないけれど、それぞれの「考え方」やら「趣味」というもの確立し固定化してしまうことなのだろう。決して最近の音楽に対して耳を塞いでいる訳じゃないし、全然聴かないということもないのだが、やっぱり80年代までの音楽の方が私には落ち着けるものが多いなぁ...。ということで、独り、納得しておしまいっ。(笑)
(1999年3月書き下ろし)
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No.25---水越恵子、もしくは水越けいこ

 ということで、両者、同一人物です、はい。「漢字が平仮名に変わっただけ?」と言うなかれ。(本当に、一体いつの生まれなのか、私は...?) シャネルズがラッツ&スターに変わったことよりも私には大きな意味を持つ。(ほとんど強がりだ...。)

 さて、気を取り直して...。
 この前、私の所有しているCDの「邦楽篇」を作成し、それはすでにアップしてある。きっと見た人も多いだろう。(って、ほとんどいないと思うけれどね、本当は。)
 その中で、同一の歌手で数多くタイトルが並んでいるものが幾つかある。ま、オフコースが多いのは当然(?)として、他に「稲垣潤一」「浜田省吾」「Dreams Come True」「ふきのとう」、そして「水越恵子(けいこ)」が、そのような範疇に入る。容易に想像がつくだろうけれど、私のお気に入り、というところだ。

 唐突だが、私は、女性のヴォーカルはあまり好きではなかった。って、別に性差別をするわけではなく。
 そもそも音楽にのめり込んだのは、フォークソングがきっかけ、ということもあり、どうしても、「自分でギターを弾いて歌うもの」というのが、一種の選択基準になっていた(ような気がする。) そしてこれは「刷り込み」のように、以後の私の好む音楽の方向を決定したのであった。(かなり大袈裟に書いてますな...、私は...。)
 ということで、高校生の頃などは特に女性歌手にはほとんど興味を持っていなかった。唯一例外があるとすれば、それはザ・リリーズである。(爆)
 おっと、話がそれそうなので、元に戻して...。ユーミンや中島みゆきなどは、時代から言って「良く聴いていた音楽」の部類に入ってもよさそうだが、ユーミンの歌う声、歌い方が好きになれなくって、そして中島みゆきは中途半端に暗かったので聞いていない。もちろん、山崎ハコや森田童子などで何曲か好きなものはあったけれども。(ん...? 意味なく理由付けしてしまいましたが、ま、いいでしょう。)
 だが、大学に入って、そして本格的にオフコースに入れ込んだ一方で、私は友人から勧められて聴いた「水越恵子」に、強く惹かれたのであった...。たとえどんなに明るい曲であっても、何故か翳りというか、哀愁を感じさせるような彼女のヴォーカルに魅了されてしまったのだ。
 彼女の歌うバラードは、もう、絶品である。(少なくとも私には。) 「Too far away」など、前奏を聴いただけで胸が苦しくなるほどだ。彼女の歌う「アフリカ」は、TOTOの名曲「Africa」に勝るとも劣らないほどだと思う。(って、これもかなりひいき目ですが。)
 8年ほど前の私の誕生日の時、私は自分のためのバースデープレゼントとして、その時に入手できるかぎりの水越恵子(けいこ)のCDを注文し、買い集めた。彼女のオリジナルアルバムのほとんどは揃えたつもりである。その数年後、つまり今から数年前に、彼女のアルバムが、いわゆるQ盤シリーズで復刻された...。もしかしたらまだ店頭にあるかもしれない。特に Aquarius はお薦めです。見つけたら、即、買いましょう。
 ということで、あまり具体的な話までしないけれども、ま、そういうことで。(笑)
(1999年3月書き下ろし)
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No.26---結婚式の歌

 しつこいけれど私はカラオケが嫌いだ。(笑) 先だっての東京でのオフコースファンの集いのような場合はもちろん話は異なるが。

 さて、結婚式、いや正確には披露宴の時にもなぜかカラオケが登場してしまう。雰囲気を盛り上げるための、あるいは和やかにするためのBGMはうまく使えば効果的な演出の小道具である。
 私は、自分の時の結婚式(いや披露宴だ)はどうだったのかはっきり覚えていないけれど、オフコースの曲を昔のバンドの仲間と余興で数曲歌ったことは覚えている。(もちろんカラオケで、ではなく生演奏(笑)で、だ。) 私の兄の時には「新郎新婦入場」ではオフコースの「愛の中へ」をBGMとして選んでいて、ちょっとだけ兄のことを見直した記憶がある。(笑)
 先月末に妻の従兄弟が結婚し、HASENOBU一家は総出で結婚式にも披露宴にも出席した。もちろん、途中からはカラオケタイムとなったのだが、私は式場を出てホールでタバコを吸っていたりしたのでどんな曲が歌われたのかは知らない。
 いつまでも席を外すのも失礼なので、もう終わったかな、と思いつつ式場に戻ると残念ながらまだカラオケタイムは続いていた...。(笑) しかも、「謡」が始まるところだった。曲名は、そのものズバリ「結婚を祝う」という...。そしてかなりの御高齢の婦人がしずしずと前で出て、そして、唸り始めた...。(「唸る」と評しては失礼だとは思うが...。(笑)) 真剣に聞いていないので私には歌詞は意味不明だ。できれば、そういうのは宴の席では歌わずにカセットに録音しておいて後で新郎新婦にこっそり渡して二人だけに聞いてもらう、ということにして欲しいものだ。
 歌の原始的な成り立ちを否定してしまうようなことを書いてしまった(爆)が、その時は本当にそう願った。

 もう一つ、披露宴での歌、ということで思い出すのは数年前の友人の式でのことだ。その新郎は大学の同窓生でとても仲の良い間柄の5人の1人だった。そして、やはりここでもカラオケタイムはあり、私の仲間のうちの1人がカラオケを歌った。その曲は「愛はかげろう」...。(爆)
 若い人は知らないかもしれないが、この曲は1980年頃のヒット曲である。だが、その曲名から充分容易に推察できるように、その歌詞は愛の終焉をうたったものである。(笑)
 はっきりと覚えていないけれども「別れ言葉を切りだすあなたの〜」だとか「愛はかげろう つかの間の命」だとかの、およそ結婚とは懸け離れた言葉のオンパレードの歌なのである。これを熱唱した友人Yの英断をここで讚するとともにその勇気(もしかすると「蛮勇」なのかもしれないが...)に敬服の意を表したい。(って、嫌みではなく。)
(1999年3月書き下ろし)
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No.27---私のギター

 私はギタリストである。(笑) と言ってもプロの、ということではない。歌を歌う人なら誰でも「シンガー」だし、盆踊りであろうが、踊る人は誰でも「ダンサー」であるというのと同じ意味においてである。

 ということで私の所有するギターについて書こうと気まぐれに思い立ち、実際、書き始めたのであるが、ふと、昨年、とある人に私が書いたメールに似たようなことを書いたのを思い出した。で、少し修正を入れ、ただ、何となくそれを以下に再掲。(笑)

> こんにちは。
>
--ちょっと略--
>  えっ!! 5本もお持ちなんですか?
>  何と何を...たしかHASENOBUさんはGibsonに夢中なのですよね。

あのお〜、「今度買うと5本目」ってことなんで...。で、今所有しているのは4本です。買った時期順に言うと以下のようになります。

1. K.Yairi YW600 (1979年製)
2. Aria ProII TS-800 (1980年製)
3. Meiko(多分、「名工」) M. Matano作 (1967年製)
4. YAMAHA APX-6C (1996年製)

1.のギターはいわゆるドレッドノート型のもので、当時の価格で定価6万円でした。実際には知人から譲ってもらったので半額ぐらいで手に入れたはずですが。で、材質も(今の6万円のアコースティックギターでは望めないほどの)いいものを使っているようです。全体のバランスもよく、非常に気に入ってます。(本当は高校2年ごろにモーリスの4万円のギターを買ったんですが、大学1年の時の大学祭で盗まれてしまいました...。ものすごく悲しかったです...、はい。ちなみにリードヴォーカル氏が最初のセッションで持ってきたのと同じタイプのギターです。)

2.は大学に入って夏休みに白馬で一ヶ月アルバイトしてためたお金と家庭教師のアルバイトのお金で買ったエレキギターです。アクティブサーキット内蔵で、ピックアップも DiMazio製で、スルーネック仕様と相まって伸びのある音がします。形でいうとストラトに近く、24フレット仕様で、また重量もさほどないのでとても扱いやすいギターです。大学時代、そして大学院生の頃のバンドで使っていた愛着のあるギターです。

3.は5年ほど前に誕生日のお祝いとして、自分で自分にプレゼント(?)したクラシックギターで、広島の中古品店で購入しました。(多分3万円くらい払ったと思う...。) もともと私はクラシックギターから始めましたので(独学ですけど)是非、きちんとしたのが欲しいと探してたのですが、これは作りもコンディションも申し分なく、即決で購入したものです。M. Matanoというギター職人のことは知りませんが、いかにも手作り、って感じで、自分では一種のヴィンテージギターだと(勝手に)思ってます。

4.のギターはつい最近入手したもので、いわゆるエレアコという分です。1.のギターほどの深みのある音はしませんが、ヤマハらしい歯切れの良い音が特徴的です。またシングルカッタウェイのボディなので高音部が弾きやすいし、重さも1.よりは大分軽いです。アンプに繋いで本格的に鳴らしたことはないのでピックアップの性能は良く分かりません。

 以上の4本のギター、いつでも弾けるように自室にスタンドに立てて並べてますが、なかなか弾く時間が取れません。ちょこっと弾いては止め、を繰り返してますので...。まあ、これからは人前で弾くなんてことはないでしょうし、老後の楽しみの一つとしてぼちぼちやっていこうと思ってます。(おいおい...。)

う〜ん、ギターの話となるとついつい饒舌になってしまう...。多謝!

--また略--
> あの辺はいろいろとバリエーションがありそうなので..

確かにテールピースなども年代によって違うみたいですね。昨日、ギターマガジンを久しぶりに買ったら、その中にミュージシャンのギターコレクションの紹介が載っていて、次のような記述がありました。
「ES-355TDは60年からコントロール部横にステレオ・バリトーン(VARI-TONE)スイッチが装備され、ES-355TDSVとなるが、〜」(ギターマガジン1998年1月号44ページ)
 ここで触れられているスイッチが、私が先に触れたセレクタのことかどうか、確信はないですけど。

>  HASENOBUさんはダブルネックはお持ちですか? 

持ってないですし、別段、欲しいと思ったこともないですが...。(^_^;) でも12弦ギターは一つ、欲しいなあと思います。

--またまた略--
>  ブリッジが3本なのですよね。僕もこれがイヤなんですよ。
>  小田さんは52年式ですが、ブリッジは6本のものを使っています。
>  ここ最近では、あのNATカラーで6本のものは売ってないですが、昨日知り合いが
>  近くの楽器屋でNATで6本、フェンダーJapanのものがあったとのことで..
>  今日、帰りに寄ってみようと思っています。

だったらいいですね。テレキャスターは軽くて、リズムを刻む時のあのシャキシャキした感じの音も好きです。

では、また!!
(1999年3月書き下ろし)
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No.28---泣ける曲

 泣ける曲かぁ...。う〜ん、困ったなぁ...。(自分で書いたくせに...。(笑))
 あるんですよね、それが。
 別に、特定の思い出と密接な関係がある、ということじゃないんですけれども、ね。ただ、何となく聞いているとず〜んと沈んでしまうような、あるいは胸を締めつけられるような曲っていうのは、ありますよね〜、(多分、きっと)誰にも。何故か、なんていうのは分からないのですけどね。
 で、私の場合、今すぐに思い出せるものだけを順不同で書き並べると:
 「夏の終り」 オフコース
 「NEXTのテーマ 〜僕等がいた〜」 オフコース
 「やさしさとして想い出として」 ふきのとう
 「まわり道」 TOMBO
 「バス通り」 甲斐バンド
 「Love Song for You」 水越けいこ
 「TOUCH ME in the memory」 水越けいこ
 「Too far away」 水越けいこ
 「初恋」 松山千春
 「最終案内」 さだまさし
 「夏色の思い出」 チューリップ
 「冷たい部屋の世界地図」 井上陽水
 「雨のリグレット」 稲垣潤一
 「弥生冷たい風」 NSP

 う〜ん、他にもまだあるんだけど、すぐに思いつくのはこれくらいかなぁ...。(誰に話しているのだ、私は...? 危ない独り言か...?)
 しつこいけれど、別にこれらの曲を聴いたときに特定の状況や人物を思い出す、ってことじゃないのです。ただ、何となく、なのです。自分でも不思議だけど。とは言うものの、これらの曲のほとんどが1970年代後半から1980年代前半の頃、つまり私が高校生〜大学生の頃のものだ、というのは、恐らく偶然じゃない。(笑) 今思うと、多感な年頃だったのでしょうね。
 歌詞で心が揺り動かされる、って訳でもないです、はい。むしろ、前奏や間奏のメロディーに、言い様のない寂しさを感じてしまうという...。
 そして、恐らく「ほぉ...。それでは聴いてみようか。」と思って誰かが聴いてみても、まず間違いなく「は...? この曲のどこが...?」という印象を持つのじゃないかと思います、はい。このあたりが、音楽の、理屈や論理や技術を超えた力、あるいは魅力・魔力(?)なのかもしれませんね〜。(強引に結論に持って行っていますが...。(笑))

 はい、ただ、それだけ...。
(1999年4月書き下ろし)
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No.29---最近知ったこと

 今月の初め頃のある日、妻も私も帰宅が遅く、それで一家で食事に出かけた。
 行く店の候補はいくつかあったが、結局、ある中華料理屋さんになった。
 店に入ると、大きなテレビが置かれており、ダウンタウンの二人が画面に映っていた。最近は彼らの番組を見ることもなかったので「ほほぉ...。久しぶりだなぁ...。」と思いつつ画面に目をやった。だが、どうやら「コント」でも「お笑い」の番組ではなさそうな雰囲気だ。
 で、見ていると、歌手が出てきて歌い始め、その時点でそれがどうやら音楽番組であるらしいことに気づいた。(特別番組なのか彼らのレギュラー番組なのかは知らない。)

 その時に、私は「安室奈美恵」という女性歌手がテレビで歌うのを初めて見た。かねがねから名前だけは知っていたし、何かで写真を見たこともあるとは思うが、確信はないが。確か、この人はかなりの人気者だと聞いている。(変な書き方だ...。) いわゆるアイドル、あるいはスターってやつなのだろうが、歌を聴いても姿を見ても訴えるもの(笑)が、私にはちっとも感じられなかった。

 で、その後だったか、今度は「T. M. Revolution」というのが出てきた。この名前も聞き覚えがあったが、どんな曲を歌っているのかは全然知らない。(どこかで流れているのを聞いたことはあるのかもしれないけれど、自分の意志で聞いたことはない。) 私は、てっきり、T. M. Revolutionというのはグループだとばかり思っていたが、紹介されて登場したのは男性歌手一人(のようだった)。(T. M. Network という名前も耳にしたことがあるが、それとどのように関連があるのか、私には定かではない。別に知りたいとも思わないのだけど。)

 あ、ちなみにこちらの方の歌手(T. M. Revolution)は、いいと思った。だからと言ってファンになったわけじゃないしCDを買ってみようという気には全然なっていないが。
 こりゃ、「つまんない話」に書くべきだったか...。(笑) ま、いいや。
(1999年4月書き下ろし)
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No.30---ケチャ その後

 民族音楽の奥深さについて、そして私が「似非」民族音楽ファンであること(?)についてもすでに記した。が、それでも書く。(笑)
 リードヴォーカル氏は(前に書いたように)ケチャの迫力に魅せられた一人である。そしてこれも前に書いたことだが、バリ島の民族音楽のCDを買い求めていたのだが(「音楽の話 Part 2 No.19 民族音楽(3)参照)、さらにケチャ専門(?)のCDを新たに購入していた。
 またか、と思われるかもしれないが、聴いて実に驚いた...。う〜ん、表現に困るくらい、壮大なのだ。複雑なリズム、全編50分近くに及ぶ一連の流れの構成などなど、何をどう書いたら良いのか分からないほどである。興味のある方は「JVCワールド・サウンズ [バリ(インドネシア)] 神々の森のケチャ バリ島シンガパドゥ村の呪的合唱劇」(VICG-5027)を是非、注文して聴いていただきたい。「百文は一聴にしかず」である。

 このCDに付けられているブックレットの解説が、また、すごい。英文も含め25ページに渡るこのブックレットは、録音・解説・写真を一手に引き受けておられる「大橋力」氏の熱意がうかがわれるものである。
 このブックレットの内容をすべてここで紹介するのは気が引けるが、幾つかのことを記しておきたい。
 「芸能の宝庫バリ島でも最高峰の呼び声の高い呪術的芸能”ケチャ”は、いま大きな危機に直面しています。」と、気になることがのっけから書かれている。その原因は「バリ島を激しく襲う近代化、そして観光の波」だと大橋氏は述べる。そのために「現在バリ島における決定的な交通機関になったモーターバイクの排気音が、あらゆるケチャ空間へ侵入してしま」い、「観光客相手の手軽なアルバイトとして、神々と交信するあの神秘的感動の片鱗もない、ひどく気の抜けたケチャが横行」するということになっているのだと氏は嘆く。
 「ケチャ空間」、「気の抜けたケチャ」など、私は今まで想像だにしたことはなかったが、氏のおっしゃる状況は容易に察しがつく。そして、その結果、ケチャの質が落ちてしまうというのも。
 そこで、今回のCD制作にあたっては「ギャニアール県ウブド村の奥深く」の「猿の森」の一角にある「死者の寺」という壮麗な寺院の前庭をケチャの場として選んで収録を行なったそうである。そのお陰で「深いしじま、虫の声、木々のざわめき」はもとより、ケチャの叫び声の元となった「神々の使い猿」の叫びも随所に聞かれる、非常に臨場感溢れる作品となっている。目を閉じて聴いていると、本当に密林の中の広場にでもいるような感覚を覚えてしまうほどだ。
 「ケチャの持つ神々しいまでの原初的感動によって、これを太古の昔から行なわれている芸能だと感じる人が多いよう」だと大橋氏は述べている。そう、私も、そうだとばかり思っていた人の一人である。(笑) だが、現在のケチャは1930年代に登場したものである、とのことだそうだ。もっとも、いきなり「ケチャ」が生まれた訳ではなく、その源流は(推定)2世紀半ば頃に発生したと思われる「サンヤン」という一種の儀式的な合唱であるとのことだ。う〜ん、そうだったのか...。

 その他、ケチャの複雑なリズム編成、西洋音楽とは全く異なるアプローチ方法など幾つもの興味深い点を大橋氏は指摘しておられるが、もうそれには触れまい。興味のある方は、是非、上記のCDを入手し解説を読まれることをお薦めする次第である。
(1999年4月書き下ろし)
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