音楽の話 Part 5

目次
その41 「Without You」(1)
その42 「Without You」(2)
その43 琴
その44 定番(スタンダードナンバー)
その45 とんぼ(ちゃん)
その46 くり返す声が 今も谺(こだま)のように
その47 バンド
その48 コーラス
その49 セッション
その50 いよいよ明日...。

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その41 「Without You」(1)

 英語の曲ではよくカヴァーヴァージョンというのがある。そして、ある曲が何度もカヴァーされていくと、それはいわゆる「スタンダードナンバー」となる。さらにそれが時の試金石に打ち勝てば今度は「古典」となるのだろう。(このようなスタンダードナンバーや古典について思うところがあるが、それはまた別の機会に...。)

 で、例えばビートルズの曲の多くはすでにスタンダードナンバーとなっていると思われるし、また他にも(良く知らないけれど)ポップスの中にはたくさんの定番があるだろう。
 ニルソンが歌って全米ヒットチャートNo.1に輝いた「Without You」も、もしかしたらもうスタンダードなのかもしれない。って、カヴァーしているのはマライア・キャリーしか知らないけれど...。(笑) というか、これまた良く知らないのだけれど、ニルソンの「Without You」そのものがカヴァーだそうだ。(爆)

 前に、授業の合間に英語の曲を聞かせ、歌詞の一部を聞き取らせるということをやっているということを書いた。それらの曲というのは私の趣味で選んでおり、既にもう60曲程がストックとなっているのだが、実はこの「Without You」もそのストックに入っている。
 そして、この曲の時にはマライアのヴァージョンを(いつものように)2回繰り返し聞かせ、そしてしたり顔のHASENOBUは学生達に「きっと聞いたことないだろうけれど、実はこの曲は他の人が歌ったのをマライアがカヴァーしてるんですよ。では、そのオリジナル(本当は違うけど)の方も聞いてみましょう。」と告げ、ニルソンのヴァージョンを聞かせているのだ。
 聞かせ終わった後、私は、聞いてすぐ分かるようにマライアのアレンジは完全にニルソンの曲を踏襲していること、だけれども、使われている楽器はニルソンの場合には「生楽器」でマライアの場合にはシンセサイザーに代表される電子楽器であること、そして個人的にはニルソンの方が温かみを感じる、などのことを話す。

 さて、ここから本題。
 けれども、ニルソンとマライアで共通しているものがある。それは歌詞だ。(笑) あはは...、ま、カヴァーなんだから歌詞は同じで構わないのだけれど。
 だが、ちょっと待った!(わざとらしい...。)
 ちょっと考えれば(って考えなくったって分かるんだけど)、男性であるニルソンと、女性であるマライアのどちらが歌っても歌詞が変わらないということは、やはり英語の特色の一つ、つまり、人称代名詞(特に一人称と二人称)が男女共通ということで、発話者の性別が不明である(というか、問題とされない)ことが多い、という特色を示している。

 「Without You」の場合には 「I」と 「You」しか出て来ないから、余計に、性別不問の歌詞(?)と言えよう。
 ま、もちろん、展開される状況は異なってくるけれど。一応、この曲に出てくるカップルが男女であるという仮定をした上での話だが、やはり私としては、去ってゆくのは女性であった方が、しっくり来るような気がするのだ。 "I can't live〜!"とプライドもかなぐり捨てて去って行った恋人に追いすがろうと悲痛な叫びを上げる情けない男、という構図の方が、何か、いい...。(笑)
(1999年5月 書き下ろし)
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その42 「Without You」(2)

 ということで今回は因幡晃の話だ。(笑) 「え? それがWithout Youと何の関係が?」と戸惑う人もいるかもしれない。(いないかもしれない。) だが、前回書いたことを思いだして欲しい。Without Youは、その歌詞が歌い手の性別をあまり問題としないのだ。単純に考えれば二人しかいない登場人物の性別は4つの組み合わせが考えられる。だけれども、好みの解釈というものはあるだろうが、やはり異性間のことだと私は考えたいし、男が女性に向かって投げ掛けている歌詞だという解釈をしたいところだ。

 さて、私にとっては、男は男の視点からの歌を、そして女性は女性の視点からの歌を歌うのが、自然に思える気がする。(あくまで「私にとっては」、そう「思えるような気がする」だけで、そのことの是非を問いたいのではない。)
 ところが、これがこうならないことの多い歌の分野がある。それは演歌だ...。

 実際、演歌と言われるものを自らの意志で聞こうと思うことがないので良く知らないのだが。(笑) だが、イメージとしてそんな気がする。「私バカよね、おバカさんよね」などと男が歌う、というのは私には受け入れがたい世界だし、同様に、女性歌手が「これが男の生きる道〜」(ってこんな歌詞の歌があるがどうかは知らないが)などと歌うのも背筋がぞっとするようなことだ。それは、英語(あるいは多くの西欧の言語も、か?)とは異なって日本語の場合には、男女の別によって使用される語彙や表現形式に慣習的な制約と期待があるからだが。

 で、因幡晃だ。これまた別のところで書いたのだが、「山崎まさよし」を聴いていて「これは因幡晃(の世界)だ。」と私は言い切ったが、それは取り消す。(爆)
 確かに鼻にかかった声や粘着質な歌い方など、似ている点は多い。が、二人の作り出す歌詞の世界はかなり異質である。はっきり言うと、因幡晃は「おんなごころ」を歌い、山崎まさよしは「男の世界」(...?)を歌っている。(また言い切ってる...。(笑))
 もっとはっきり言うと、因幡晃は、演歌の部類に入れてもいいかもしれない。最近になって彼のアルバムを改めて聴くことが多かったのだが、オリジナルの曲のほとんどがおんなごころを切々と歌ったものなのだ。

 厚着をしてね 夜はとても寒いわ
 私が編んだ セーター着てちょうだい (「泣かせて今夜は」より)
 
 死ぬまで君の事 離さないと言った彼
 手のひらに小指で愛してるってつづった (「思いで・・・」より)

などなど枚挙にいとまがない。(ってたった二つしか例に引いていないけれど。)
 う〜む...。どういうことだろう?(笑)
 私は、「演歌」は、はっきり言って、嫌いだ。だけれども、因幡晃は決して嫌いじゃない。彼の歌の世界が演歌という部類に入れられてもおかしくないにも関わらず、だ。

 う〜ん...。やはり音楽って趣味の問題なんだなぁ...。理屈で説明できる部分が少ないや...。
(1999年5月 書き下ろし)
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その43 琴

 「琴」ということで、「ほぉ...。また民族音楽の一つか...。」と思われた人もいるかもしれないが、そうじゃない。(笑) ま、全然違うというわけでもないけど。

 私の友人に Peter George Coates という人物がいる。以下、コーツさんと呼ぶことにするが、この人物はイギリス人で、この3月まで私の同僚だった。彼は私が現在の職場に来た翌年赴任し、以来、私の数少ない友人となった。年齢は彼の方が一つ上だが、日本の学年で言うとコーツさんと私は同学年であるということもあり、とても親しくしていた人だった。ま、外国人では私の一番の親友とさえ言っていいかもしれない。

 さて、コーツさんは、KOTO Player である。イギリスにいた頃から琴を演奏していた、というのではない。彼の琴歴(?)は10年に満たないものである。だが「日本の伝統文化のまね事をしてみました」というような接し方ではなく、彼は本格的な琴の修業を積んだのだ。
 今年の3月、彼のリサイタルが行われ、私はもちろん聴きに行った。これについてはまた稿を改めて書くつもりだが。
 それまでにも大学の文化祭や、また外国語科英語専攻の学生だけの一泊二日のサマーキャンプなどでもその腕前は披露していたコーツさんだったが、彼の先生である榊女史との共演などは鳥肌が立つほどのものだった...。

 琴、というと、どうしても「お正月」のあでやかな和服姿の女性の演奏する楽器、のどかな、心落ち着く音楽を奏でる楽器、というイメージが強いかもしれない。だが、私はコーツさんの演奏を初めて聴いた時、それまでの認識を改めずにはいられなかった。
 何と言うか...、ま、一種の「World Music」という感じなのだ。彼の属していた流派は、伝統的な技法によるものではなく(私の勝手な解釈かもしれないが)かなり革新的(?)な奏法で斬新な構成の曲をその特徴としていた。喩えて言うならば(良くない喩えだが...)まるでジャズを琴で演奏している、という感じだったのだ。
 
 コーツさんは、努力の末、外国人としては初めての「師範代」の免状を取得した。そして彼は、この春、琴を紹介するためにイギリスに帰って行った...。そしてかの地で KOTO School を開くのだ、と言っていた。

 私自身は琴を演奏したことはない。コーツさんの琴を鳴らして遊んだことはあるが。(笑) だが、ビブラートやハーモニックス、ギターで言うところのチョーキングを駆使した奏法、途中でブリッジ(駒?)を動かすという荒業(爆)などを駆使した時、琴は極めて表現力に富んだ楽器となる。それはアメリカのフュージョングループ「HIROSHIMA」などを聴いても分かることだが。

 願わくはコーツさんの新しいビジネスが軌道に乗らんことを、と祈るばかりである...。
(1999年5月 書き下ろし)
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その44 定番(スタンダードナンバー)


 陽炎 (Duet for 2 kotos)           沢井忠夫
 六段の調 (Solo)               八橋検校
 インプロ (Improvisation Solo)
 風衣 (Duet for koto and jushichigen)    沢井忠夫
 調べ三章 (Solo)               沢井忠夫

これは1999年3月11日、広島のとある文化センターで行われた私の元同僚ピーター・コーツ氏のさよならコンサートのプログラムである。彼のことについてはすでに上に書いたので省略。彼の琴の演奏を聴くのが最後というわけではないが、もちろん私もそのコンサート会場へ足を運んだ。
 そしてコンサートの数日後、職場の仲の良い数人だけの送別会の席で彼は私にこう尋ねた。
 「この前のコンサートのことだけれど、どれが良かった? 正直な感想を聞かせてくれよ。」
  これまでもそうであったように、私は自分の思ったことを彼に伝えた。
 「そうだねぇ〜、一番印象に残ったのは最初の琴の二重奏。コーツさんの琴は何度か聴いたことがあったけれど、一緒に演奏したコーツさんの先生、あの人のテクニックにはほとほと感心したよ。」
 実際、彼の師匠である「榊きみえ」氏のことは彼の口からそれまでに何度も絶賛の言葉を聞いていたのだが、目の当たりにその演奏を見て、その正確なタッチと強弱を意のままにコントロールし琴を操る様は、私の想像を遥かに超えるものだったのだ。
 「それから、最後のソロの分。そうだね、それから他のも良かったよ。あのインプロバイゼーションのも、ね。途中でU-2やらピーター・ガブリエルっぽいフレーズを入れてたでしょう? 面白かった。」
 私がそう言うと彼は笑って頷きながら実はその前夜、CDを聴いていたときにふと取り入れてみようと思ったのだと言った。ちなみに坂本龍一からも少しフレーズを取り入れたと言っていたが私はそれには気づかなかった。(笑)
 「でもねぇ、ほら、あの、二曲目の分。あれは、あんまり面白いと思わなかったけどね〜。」
ここで私が言っているのは、もちろん「六段の調べ」のことだ。他の曲が、それまでの(少なくとも私の、琴に対する)イメージを一新してしまうようなものであっただけに、この伝統的な琴の「定番」は味気なく思えたのだった。そのような感想を私が述べるとコーツ氏は「ふむふむ。」と頷きながら、でもね、と彼の考えを述べ始めた。
 「確かに、あの曲そのものは、僕がやっている琴の音楽とは異なるものだと思うよ、僕自身。実を言うと、本当は僕もあの曲を初めて聴いたころはそれほどいい曲だとは思わなかったんだ。取り立ててエキサイティングでもないしね。(笑) だけど、榊先生は、必ずあの曲を演奏するように薦めたんだ。彼女自身、コンサートを開くときには、いわゆる『伝統的な琴の曲』を演奏するようにしているんだよ。」
 「へぇ〜...。でも、コーツさんにしても、もちろん榊先生にしても革新的な『沢井流派』でしょう?」と私が問うと彼は次のように言葉を続けた。
 「そうだよ。確かにそうだけどね、でも、いわゆる『定番』を演奏すること、しかも、それをきちんと演奏することは、琴奏者の、一種の証みたいなものなんだよ。つまり、従来の琴に慣れ親しんだ人たちを納得させるだけの技量があるんだってことを示すためにもね。『六段の調べ』にしたって、決して簡単な曲じゃないからね。だけどそれだけじゃないんだ。」
 「ん? それは、どういうこと?」
 「つまり、『定番』を演奏することにはもう一つ、違った側面があるんだよ。例えば『六段の調べ』のことで言うならば、最初は、楽譜を見ながらただ練習し、演奏する、って感じだった。だけど、自分の技術の精度を高めるために何度も何度も練習を重ねて、それが自分の中に入ってきたら、次の段階が現れるんだよ。それをどのように自分は解釈するのか、そして限られた世界、つまりその曲の中でどれだけ表現してゆくか、というステップさ。」
 「あぁ...。なるほど...。つまり、『六段の調べ』が定番であるからこそ、それを教科書通りに演奏するのではなくて、自分なりの味付けをしよう、というわけ?」
 「その通り。さっき言ったように、限られた音の流れを崩さずに、しかも自分なりの演奏をしなきゃならないんだよ。これはこれでとてもチャレンジングなことだよ。そしてこういう風に考えたときに『定番』の意味もまた広がるんじゃないかな?」

 う〜ん、私は思わず唸ってしまった...。(笑)
 それまで、あまり定番やらカヴァーソングというものについて深く考えたことがなかった私はそのような考え方をしたことはなかったのだ。(笑) 確かにそう言われるとそうだ...。

 もちろん、ある歌手が別の歌手の歌を歌うという場合が全てそうだというのではないのだろうが。もっと現実的な側面もあることだろう。(例えば、その歌がとても気に入っていて歌ってみたい、ということもあるだろうし、売れない歌手の場合には自分の持ち歌だけでは客を満足させられない、などのような理由などもありそうだ。) だけれども、コーツさんの言葉に私はいたく感動し、これからは「定番」をもっと真剣に扱ってゆこうと思った。定番、おそるべし...。
(1999年5月 書き下ろし)
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その45 とんぼ(ちゃん)

 ここ数日、私は「とんぼ」にはまっている。って、もうこのグループのことを知る人も少なくなっているのではないか...。
 私自身、実を言うと、そんなに彼らのことについては知らない。私が持っているのは数本のミュージックテープと数年前にCD選書で再販された彼らのデビューアルバム「貝がらの秘密」だけで、時折引っ張り出しては聴いていた。「とよ」と「よんぼ」のハーモニーがとても心地よい。この頃のフォークソングは、うん、とても私を和ませてくれるのだ。ガロやふきのとうなども、だ。(ちなみに、私にとってオフコースは別格だが。)

 メジャーであることや「売れる」こととは関係のない位置で音楽をやっていたというのではなかろうが、思わずそう思いたくなるほどのモノが彼らの中にある(と私は思う)。

 とんぼ(ちゃん)の一番のヒット曲って何だったのだろうか...? 私は良く分からない。曲の善しあしとは別の要因で売れてしまうこともある日本の音楽事情だ。
 「貝がらの秘密」、「ひと足遅れの春」、「白い夏の詩」、「遠い悲しみ」、「雨の一日」、「まわり道」...。
 これらがいわゆる「売れ筋」の曲だったのだろうけれど。それ以外にもいい曲はたくさんある。個人的には「冬ざれの舗道」、「秋の気配の中で」、「君の彫刻」、「道」、「遅すぎたラブソング」、「OK」なども大変好きな曲である。

 そして、この前、とある方の御厚意により、これまで私が持っていなかった音源をたくさん手に入れることができた。彼らのラストオリジナルアルバム「よろしくさよなら」(1982年3月)など、とてもいい曲がたくさん入っている。(ちなみにこの度初めて知ったのだが、稲垣潤一のファーストアルバムに入っている「月曜日にはバラを」という曲は、とんぼの伊藤豊昇の作曲であった...。そして、この曲は違う歌詞で「スクリーン」という曲となってとんぼの曲でもあるのだ。)

 オフコースと較べても意味がないのだが、とんぼの場合は、非常に素朴なハーモニー、シンプルな曲の構成で聴く人の心を掴んで離さない。(少なくとも私にとってはそうだ。)
 
 1974年 とんぼちゃん、デビュー。
 1977年、とんぼちゃんから「とんぼ」へと改名。
 1982年、その活動が終わる...。(1982年8月、LP「ありがとう とんぼ ラストコンサート」発売)

 私は彼らの最初から最後までをみつめ続けてきた訳ではない。実を言うと、いつから彼らの歌声を耳にすることがなくなったのか明確には覚えていなかった。そして、解散(活動停止?)の理由も正確には知らない...。ただ、ラストコンサートを収録したアルバムのMCでは、とよ(伊藤豊昇)が、よんぼ(市川善光)に向かって、「よんぼ、早く病気、治せよ」と言っていたんで、きっとそれが原因だったのだろうと思う...。(詳しいことはよく分からないが。)

 透き通ったヴォーカルが魅力のよんぼ、そして活動の前半では、どちらかと言うとハーモニーパートの多かった、とよ。初めてとよがリードヴォーカルを取ったのは1977年3月発売のシングル「まわり道」からだと、私の持っている楽譜集には書いてあるが。この、とよのヴォーカルもとても魅力的だ。飛び抜けて声がいいとか、歌が上手いというのではないが、心に思いが伝わってくるようなヴォーカルだ。

 う〜ん...。いいなぁ...。「みなさんも聴いてみて」と軽々しく言えないのが残念だけど。
(1999年6月 書き下ろし)
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その46 くり返す声が 今も谺(こだま)のように

 これはこの前、私の掲示板にも、そして他の、とある方の掲示板にも記したことだけれど。
 村下幸蔵氏が亡くなった...。

 6月25日、金曜日、朝。いつものように私は、自分で淹れた珈琲を飲みながら新聞をパラパラとトップから読んでいた。神宮球場での対ヤクルト戦で広島カープがほぼ2年ぶりに試合に勝ったということで「赤ヘルやっとヤク払い」との、相変わらずの浅薄なタイトルにため息をつきながらページをめくって行くと社会面に、「踊り子」「初恋」ヒット 村下幸蔵さん死去、との見出しが...。

 ええっ!?

 突然の訃報にびっくりすることは今までの人生に、もちろん、何度もあった。けれども、芸能人の死亡記事で驚いたのはジョン・レノン、フレディー・マーキュリー、ジェフ・ポーカロくらいのもので、他の場合は「あぁ、そうかぁ...。」くらいの感慨しかないのが(私にとっては)普通だ。ところが今回の村下幸蔵氏のニュースは、かなりの衝撃だった。
 これといって彼の熱烈なファンではない。だけれども、いつぞや「大好きな曲」という駄文(音楽の話 Part 3 の No.4)を書いたときには、氏の「初恋」を入れているし、それ以外にもとても気に入っている曲は、今思いつくだけでも10曲ほどある。

 村下氏についてはあまり多くのことを知らない。が、熊本県出身、そして高校卒業後(新聞によると父親の仕事の関係で、19歳の時に)広島に。ということで、何となく親近感を抱いていた。
 声の質から言うと、実は私の趣味ではない。だけれども、とても暖かく、味わいのある深みのある声だ。曲について言うと、その歌詞は決して明るくない。むしろ暗い方だろう。描かれる情景も、どちらかというと照りつける太陽よりもそぼ降る雨が似合う...。そして、そのメロディーは、耳に馴染みやすい親しみやすいものだ。オフコースのような斬新なコード展開はないものの、聴いていて落ち着ける、そしてふっと口ずさみたくなる、という印象が強い。ワインやジンではなく、なんとなく、日本酒を傾けながら聴きたくなるような...。

 彼のCDは復刻されていて、在庫切れでないかぎりは、少なくとも8枚くらいはまだ入手可能なはずだ。よし。

 リードヴォーカル氏も「村下孝蔵氏の訃報は仕事で巡回中の車内で聞きました。その後に初恋が流れました。不覚にも泣けてきました。」とのこと。うん、分かる。私は職場に来て彼のベストアルバムを何度か繰り返して聴いたのだけれど、「春雨」の前奏のストリングスでじ〜んと来ました...。記憶違いかもしれないけれど、「春雨」が私にとっては最初の村下孝蔵だったのかもしれない...。まだモノラルのラジカセで録音した記憶がある。

 また一つ、何かが、その何かって何なのかは分からないけれど、変わった、と思う。大袈裟な表現を好む人であれば「また一つの時代が終わった」なんて書くのかもしれないが、私にはそこまで書く勇気はない。

 村下孝蔵氏の御冥福を祈ります...。
(1999年6月 書き下ろし)
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その47 バンド

 バンド、か...。(遠い目...。)

 小学校の時の鼓笛隊は別として(笑)、私の最初のバンドは中学2年生か、3年生のことだった。私はリードギターで、同級生がサイドギター、そしてドラムスが一人。それはビートルズのコピーバンド。

 のはずだったが、このバンドは一回もセッションをしていない。(爆) ベースギターもいなかったし、それにそもそも誰一人楽器を持っていなかったのだ!(爆) 「バンド、やろう!!」と盛り上がって、そして担当楽器まで決めたというのに、それは「話」のままで終わったのだった...。(だったよな、リードヴォーカル君よ?(笑))

 その次は、高校生になってから、であった。もう記憶が錯綜しているのだが(笑)、「ハンドオルガン」、そして「みじんこ」というフォークグループだ。(あぁ、懐かしい...。)
 このハンドオルガンは中学の時の同級生で仲の良かった甲斐氏(後の、リードヴォーカル氏)と彼の幼なじみの鳴瀬君(現在、熊本でフリーのDJ、タレント(?)として活躍中)と私の三人で結成された。が、この(第一次)「ハンドオルガン」は、ポプコンの予選でステージに一度だけステージに立ったのが最初で最後の活動だった...。(爆)
 また「みじんこ」という、今思い出しても情けない名前を持ったこのグループは高校の同級生で結成されたものであり、高校の文化祭で1年、2年の時の秋だけ結成されたものだ。(笑) かぐや姫、N.S.P. の曲のコピーを中心にしていた(ような気がする...)。このメンバーの一人が、私が生まれて初めて買ったLPレコード、井上陽水の「センチメンタル」を借り逃げ(爆)した「藤永」という人物で、もう一人は「ココア鼻」と勝手に名付けられたF氏である。(このF氏は東京大学に進み、卒業後、超大手の製鉄会社に勤務している。) 
 高校三年生の文化祭の時には、上の二人からは敬遠されたのか、私は一人でステージでフォークギター一本で歌った。(爆) 井上陽水の曲を中心に歌った記憶がある...。確か、その時は、模擬店の喫茶店でも歌った記憶が...。(爆) 一体、何を考えていたのか、17歳の頃のHASAENOBUよ...?

 大学に入学してからは、前にも書いたことのあるフォルクローレの音楽をやろう、ということで結成したグループがある...。が、これも(前に記したように)一度もセッションをすることがなかった...。(笑)
 
 そして、(第二次)「ハンドオルガン」の結成である。このバンドの活動は華々しかった!!(だったよな、リードヴォーカル君よ?(爆)) 大学祭はもちろんのこと、自主サークルを乗っ取って(爆)のステージ、佐賀県に遠征してのステージ。途中、キーボードの女性2人が交代するという事態を乗り越えつつも2年ほど、その活動は続いた。が、それぞれが大学を卒業し、そしてリードヴォーカル氏が横浜に移ることになった時には再会して「Studio Live」の収録が行われた...。
 井の中の蛙、大海を知らず、とは言うが、当時、熊本の、いや、九州のバンドでオフコースをやらせたら私たちハンドオルガンの右に並ぶものはいなかったのではないか?(笑) ま、上を行くものはいただろうが...。(爆)
 あ、そう言えば(第二次)ハンドオルガンの前に、私は「北田バンド」に所属していたこともあったなぁ...。(笑) ビートルズやポール・マッカートニーの曲をやったぞ、そう言えば...。(さらに遠い目...。)

 そしてハンドオルガン消滅後、私は別のバンドに招かれた。これまた、恥ずかしい名前だが「星友」(ほしとも、である...)というバンドのリードギター、サブ・ヴォーカルとしてスカウトされたのである。(爆) このバンドもオフコースのコピーが中心だった。ヤマハ系のPepperlanndという小さな会場、熊本産業文化会館大ホール、そして熊本県立劇場センター小ホール(笑)でそれぞれコンサートを開いた記憶がある...。(しかも、その県立劇場でのコンサートはプロのカメラマンによって映像として記録されているのだ!! まだ一般家庭にビデオデッキが普及していなくって、もちろん、ハンディカムなどもない時代のことだ。)

 ん...? あ、まだあった!!(笑) これは第二次ハンドオルガンと併行しているが、「天理教東肥大教会」(!)というところで、一回は単独で、そして一回はハンドオルガンのベーシスト、俗称「みぎた〜ら」ととのフォークデュオで演奏したこともある!(笑)

 え〜っとぉ...、う〜ん、他には...? あったっけ...? あ、これはコンサートじゃないけれど、大学生の頃、Fさん(現在の妻)の前で何曲かギターで弾き語りしたことがあったっけ...。(爆) 一体、何を考えていたのか、20歳の頃のHASAENOBUよ...?

 う〜ん、こうやって思い出すと、結構、私は、目立ちたがり屋なのだろうか...?(私のことを良く知る人は、「いや、そんなことはない。HASENOBUほど奥ゆかしくて引っ込み思案の人を私は知らない!」と言うだろうが...。)

 何なんだろうなぁ、一体...? と、自分でも思う、今となっては。いわゆる「若気のいたり」なのか?(笑) う〜む、そうなのかも...。
 どうしても自分の歌・演奏を聴いてもらいたい、と思っていたとは思えないのだけれど...。ただただ、(下手なんだけど)歌いたかった、演奏したかった、という「純粋」な気持ちのなせるわざだったのか...?(どう思う、リードヴォーカル君よ?(笑))

 と、まぁ、エレキギターを背に自転車に乗る高校生を時折見かけると思い出してしまうHASENOBUでした...。

 ♪ 誰の為にでもなく 僕等がうたい始めて〜♪
(1999年7月 書き下ろし)
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その48 コーラス

 私が合唱が得意だ。

 いきなりウソをつきました。ごめんなさい。(爆)

 私は、合唱は、不得意だ...。(笑) ちょっとでも気を抜くと「つられて」しまうのだ。だからバンドをやっていたころにはメンバーには大変迷惑をかけたことだと思う。でも、ま、運命だと思ってあきらめてくれ。>特にHANDORGANのメンバー達
 さて。
 ここで俎上に上げたいのは「オフコース」「ふきのとう」「とんぼ」そして「リリーズ」だ。(爆) もちろん、最近のシンガー達にだってデュオ、トリオ、カルテットなどなどいるのだろうが、ほとんど知らないんでパス。ちなみに「SMAP」だとか「V6」だとかの、いわゆるアイドルグループは、耳にすることがあるが、論じるに値しない。ただ一緒に歌っているだけで絶妙なハーモニーなど期待できない。(また言い切っている...。)

 で、まず、オフコース。これについては、もう言うことなし。

 と言い切ってしまうと話が続かないので...。彼らのコーラスは、絶品だ。初期の頃は、小田氏と鈴木氏の声は良く似ていてどちらが主旋律を歌っているのか、どちらがハーモニーなのかが分からないほどだった。ユニゾンで歌っていた曲など、ほんと、区別がつかないくらいに似ていたように思う。
 が、時を経るに連れて小田氏と鈴木氏の声は違ってきた。鈴木氏は年を重ねるに連れ中音域の深みが増してきたように思う。(とは言え、彼のファルセットは、鳥肌モノだ...。) 一方、小田氏の方は、ソロで活躍しているので多くの人が知っているように、ほんの少しだけしゃがれた声になってきたものの、高音のシャウトなど、伸びやかで力強い。
 ん? ちょっと話を戻して。
 オフコースのコーラスの話だ。「冬が来る前に」という曲がある。興味のある人は聴いてみて欲しい。クィーン顔負けの多重録音による素晴らしいコーラスワークを聞くことができる。また「あなたのすべて」などもお薦めだ。ま、あげて行くといくらでも出てくるが。
 彼らの場合、かなり似ていて、だけれども、ほんの少しだけ声質が違う、というところが、何とも言えぬ味を出していた格好の例である。
 続いて「ふきのとう」だ。これは、オフコースとは異なり、最初から異質の声の絡みあい、というものが売り物だった、と私は思う。細坪氏の透明な、少年の様な歌声。そして、悪く言うならダミ声とも評しても良い山木氏の声。これら、全く正反対の声が重なったときに、これまたとても奥行きのあるハーモニーが産まれるのである...。自分の語彙の貧弱さが嫌になるほど味わい深い響きなのだ。何故なのかは、もちろん、説明できない。(爆) でも、ただ、ただ、心地よいのだ。(少なくとも私にとっては。)
 そして、「とんぼ」だ。これはオフコースとふきのとうの中間に置いていいような気がする。(勝手に決めているけれど...。) 「よんぼ」の、ともすれば、フラット気味の甘い歌声、そして「とよ」の力強い、少ししゃがれた感じの声。これらが、またうまく溶け合うんだなぁ...。一種の「掛け合いソング」(何だ、それは...?)とも言える「遅すぎたラブソング」など、二人の持ち味がうまく出ていてとても心に残る佳曲である。

 最後に、ザ・リリーズだ。(爆) って、こんなのを引き合いに出しても、分かる人は極く少数だろうが...。
 一応、解説しておくと、彼女達は一卵性双生児の姉妹である。ヒット曲としては「好きよ キャプテン」というのがある。が、彼女達のアルバムを聴いてみるが良い。(って、もう廃盤だってば...。) 初期のオフコースを彷彿とさせるハーモニーが味わえること、請け合いである。(笑) ま、双子なんだからそれはそうなんだが。(自慢じゃないが、このHASENOBU、彼女達の歌を聴けばどちらが姉の奈緒美でどちらが妹の真由美なのかはすぐに分かる...。(笑) あ、ちなみに「自慢じゃないが」という前置きがあれば、その後に続くのは、まず間違いなく自慢である。(爆))
 しかし、これだけ声が似ているとハーモニーの美しさは損なわれるのだ、不思議なことに。ユニゾンであれば、ただの「重ねどり」と感じられても仕方のないほどだ。
 ソロのシンガーが多重録音によって声を重ねる、というのはよく使われる手法だが、確かに音の厚みは産まれるものの、奥行きが感じられないのだ。(と、分かったようなことを書いたりして...。)

 ということで、無理に結論。
 やはり、コーラス、ハーモニーの素晴らしさという点では私としてオフコースを筆頭に位置づけたいと思う。もう、これは言わずもがなのことだが。(笑) 声が溶け合う、というような印象、とでも言おうか...。
 その他、洋楽の分野では、またまた秀逸なコーラスワークを聞かせてくれるものはたくさんあるけれど(私のお気に入りとしては 14 KARAT SOUL, ALL-4-One, TAKE 6, BOYZ II MEN などなど...)、それらについては、またいつか、気が向いたら...。
(1999年8月 書き下ろし)
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その49 セッション
 もうお気づきだろう。え、気づいていない?(笑) ま、いいけど...。今回のセッションについては、期間限定でホームページにもコーナーを設けたんで、この部屋の熱心な読者なら気づいているはずだが。
 とにかく、丁度一カ月後に、私は、とあるセッションに参加する。(笑) 今から楽しみでならないのだ、私は。
 元来、人見知りが激しく(笑)、知らない人に会う、というのは好まない私だが、事情があれば、別だ。(笑) そう、「オフコース」ファンが集まって、演奏しよう、という心躍る企画なのだ!!
 実は、このようなセッションは東京では既に(確か3回)実施されているのだが、その度に私は、ギターを抱えて参加することを、かなり真剣に考えたのだった...。だけれども、それだけのためにギターを抱えて広島から東京まで出かけるというのは、ちょっとためらわれた...。私が、ギタリストとして一流であるのなら、ま、出かける甲斐もあろうが...。(爆) しかし、すでに何人ものギター担当者が名乗りを上げているのにしゃしゃり出るほどの技量は、ない...。人数が不足して猫の手でもHASENOBUのギターでも、ないよりはまし、という状況でないのに、のこのこと出かけるというのは客観的に見て、かなりのモノズキである...。(笑)
 だが、今回は開催場所が神戸だということで、参加しやすい。新幹線「のぞみ」は残念ながら新神戸には止まらないけれど、「ひかり」で広島から一時間半で行けるし...。

 それにネット上で知りあったY氏も参加予定ということで、ウレシイ...。氏は、以前、仕事の関係で島根県にお住まいだったが、隣の県なのに会わずじまいであったので物悲しく思っていたのだ。また、今春、東京でお会いしたN氏もお忙しいなかを神奈川から駆けつけて下さるという...。あぁ...、ありがたい...。
 他にも、オフコースのメーリングリストで頻繁にお名前を拝見していたK氏、また比較的、最近お名前を知ったCさんやYさんも参加されるということでとてもウレシイ...。

 だが(爆)、問題は、私のギターだ。もちろん楽器そのものではなく、私のギターの演奏(技術)、ということだ...。
 参加を表明して以来、毎日、少しずつギターを弾いているのだが、自分でも、その腕前に愕然としているのだ...。(爆)
 バンドをやっていた頃は、当然ながら毎日ギターを弾いていたが、バンドをやめ、そして就職してからは、時折、本当に「思い出したときに」、ふとつま弾く程度になっていたのだから当然といえば当然だが...。
 しかも、今はテニスをすることが多く、重症ではないけれども肘と手首が慢性的に痛み、あまり左手に力が入らないのだ...。(ちなみに私は左利きであり、ラケットは左手で持つが、ギターの演奏は普通の右利きと同じであるのだ) テニス肘や腱鞘炎といった深刻な事態ではないのだけれど、ネックを持つ手に、何となく力が入らずとても歯がゆい...。
 それに、何と言っても、ギターから遠ざかっていたから弦を押さえる指先が完全に柔らかくなってしまっているのだ...。前は角質化していたのに...。もちろん、右手の方もピッキングがおぼつかなくなっている...。(ToT)

 ん...? 何か、ただの泣き言になってきたぞ...?(笑)

 う〜ん、とにかく練習あるのみ、だっ!! 頑張るぞ!!

 ということで、このセッションの模様についてはいずれ詳しくレポートする予定。(別に楽しみにしておいて欲しいとは思わないけれども...。)
(1999年8月 書き下ろし)
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その50 いよいよ明日...。

 この上の文を書いてほぼ一カ月が過ぎた...。
 そして日付で言うと明日がそのセッションの日だ...。
 確かに練習は、した。つもり、だが。(爆)
 仕事の合間をぬって、そして出張の時にはギターを抱えて行き、宿で深夜まで...。(爆)
 あぁ...。だけれども、まだまだ不充分だ...。色んな意味で...。
 
 とは言え、もう、今の時点で不参加を表明するわけにはいかない。(爆) ということで、開き直るしかない状況だ。ま、後はなるようになるだろう...。ならないときはならないときだ、とまで言うと無責任に聞こえるかもしれないが。ということで「関西セッション報告」シリーズを何回か書くことになるかと思うんで、異様に短いけれどもこれはこれでおしまいにする。さぁ、エフェクターの調整をしなければ...。(実はまだアンプで鳴らしていないんで余計に気掛かりだ...。が、なるようになるだろう。)
(1999年9月 書き下ろし)
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