音楽の話 Part 7

目次
その61 二枚のMD
その62 コピー
その63 セカンドギター
その64 ハーモニカを壊した...。
その65 スコア雑感
その66 CD洋楽篇
その67 『個人主義』を聴いて
その68 『海辺で』を作った...。
その69 第三回関西セッション
その70 神様に会った...。

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その61 二枚のMD

 今日、12月24日、私のもとに二枚のMDが送られてきた。(ん...? 何か似たような書き出しをしたことがあるような気がする...。)
 で、そのMDに録音されているのは...。

 あ、ごめん、意味なく引っ張りました...。(笑) 
 このMDに収録されているのは12月11日に開催された「関西セッション忘年会」の様子である。私が迷いに迷った揚げ句に、やはり諸々の事情によって参加を見合わせた(爆)忘年会である...。
 その時の模様を伝える音源が、とある人の御厚意によって私の手元に届けられたのである...。

 合計2時間近くの音源が収められているこのMDを聴いていると、まるでその場に自分がいるような気がする...。いや、正確には何名もの、あのセッション参加者の方々がほろ酔い気分で(爆)、私の部屋に乗り込んできてカラオケを始めた、という気分と言った方が正確かも...。(爆)

 しかし...。思うに、何度聴いてもやすさんのMIDIは、すごい...。曲の合間に聞こえてくる話からすると「一曲に、都合、6〜7時間かかっているかなぁ...。」とのこと...。具体的な作業のことは分からないけれど、緻密な作業なのだろうと思う...。(いつかこの文面をやすさん御自身も読むだろうけれど、そして「そんなことないっすよぉ〜。」を謙遜されるかもしれないけれど)マジで、すごい...。前にも書いたけど「よくぞ、ここまで...。」と思わないではいられない...。「言葉にできない」など、ヒマワリの映像が頭の中に浮かんできてしまう...。

 そしてそのやすさんのMIDIに合わせて歌いまくる人達...。和やかな雰囲気が充分に伝わってくる...。聞いていて思わずつられて一緒に歌いだしたくなるような...。(実際、何曲か歌った...。(笑))

 でも、思うに、ここに集っている人達は、9月の関西セッションで一度会ったきりの、もちろんその時が初対面の人達なのだ...。それが、どうだ。(「どうだ」って言われても...。(爆))
 完全に、旧知の中、というか、同窓会のノリである...。
 う、うらやましい...。(爆)
 やはり私も行けば良かったか...。え? HASENOBUがいなかったからこそ盛り上がったって?(笑) 確かに...。(爆) 私が行っていたら、マイクを手放さなかったかもしれない...。(って、冗談だけど。)

 ということで、やはり今度のセッション、並びにその後の打ち上げに、思いっきり期待したいところだ。(爆) 
(1999年12月24日 書き下ろし)
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その62 コピー

 ここで言うコピーというのは書類などのコピーではなく、音のコピーのことだ。いや、正確にはプレーのコピーと言ったほうが正確かもしれない。

 コピーには幾つかの段階がある。ま、もちろん人によってその手順は異なるだろうが...。
 私はギタリストであるから(笑)、これから先の話はギターに関して、であるけれど。

 まず最初の段階は音を聴き取ることである。(笑) って、これが、実は難しい。リードギターの単音のフレーズであれば、ま、何とか、それらしいフレーズを再現するのは困難なことではないけれど細かい部分までを完璧にコピーするののはなかなか骨が折れる。音源を繰り返し繰り返し聴くことが要求される。(ま、これも人によっては一回聴いただけですぐに音が拾える、ということもあるかもしれないが。) カセットテープを何度も巻き戻し、あるいは最近ではMDで曲を細かく分割しておいてリピートして聴き、丹念に少しずつ、というのが私の手法だ。

 で、一応、音が拾えたとしよう。(人によってはこの時点で五線譜に書いたりするかもしれないが私には、楽譜に書くことは難しい作業だし、他の人と共有するのでない限り不要でもある) 次は、その、出来上がった(?)フレーズを実際に弾いて、どのポジションで鳴らすのかを決めてゆくという作業である。これは、文字にするのは難しいのだけれど、普通のチューニングのギターの場合、6弦から1弦に向けてEADGBEの音になっている。で、拾った音がEである場合には、最も簡単な開放弦の第1弦でいいのか、それとも第2弦の5フレットなのか、第3弦の9フレットなのか、第4弦の14フレットなのか、第5弦の19フレットなのか、はたまた第6弦の24フレット(爆)なのか、極端に言うと6つの可能性の中から決めないといけない。
 これはその前後のメロディーの流れからおのずと決まることが多いけれども、どのポジションを選ぶかによって演奏の難易度が大きく変わってくるし、もちろん音色(と言うか、「アタック」と言うか...。)も異なってしまうのである。
 この作業と平行して、連続した2音がチョーキングなのか、ハンマリングオンなのかスライドなのか、また、ピッキングはそれぞれなされているのか、ダウンピッキングなのかアップなのか、あるいはこれらが組み合わされていないか、などなどに留意して、聞こえてくる音に最大限の注意を払わないといけない。(場合によっては、ある弦を一回ピッキングするだけで4つの音を鳴らさないといけない、というようなこともあるのだ。)

 このようにして、無理のないフィンガリングを(暫定的に)確定したら、その次は数小節ごとに練習あるのみ、である。(笑) 右手と左手の同期が難しいような場合には特定の小節だけを数十回反復練習し、それを繋ぎあわせてフレーズ全体の「通し練習」である。この時点で、最初の「音を拾う」、あるいはその次の「ポジション決め」や「用いられるテクニック(?)」に修正を加えて行くことになる。

 で、どうにか弾きこなせるようになったら、今度は実際にアンプを鳴らし、エフェクターの設定へと進むことになるのだけれど、この「音色の決定」には、各プレイヤーの好み、というものが大きく関与してくるので、詳細は述べない。(笑)

 以上、簡単に記していったけれど、フレーズによっては僅か2小節の音の流れを再現するのに何日もかかってしまう、ということがある...。(いや、そもそも、「音が拾えない」という段階で頓挫してしまうということもある。(爆))

 と、まぁ、こんなことを書き連ねたのは、今度の神戸でのセッションに向けて、担当することになった曲をコピーをしながら、コピーってつくづく難しいなぁ、と思ったからであるが。(笑)
(2000年1月1日 書き下ろし)
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その63 セカンドギター

 1979年の夏、私は白馬岳で一カ月アルバイトをした。それは「クリーンパトロール隊」の「隊員」としての仕事であった。ま、簡単に説明すると「ゴミを散らかさないでくださ〜い。」とか「そちらの方は危険で〜す。引き返して下さ〜い!」、「高山植物を採集してはいけませ〜ん!」などと、メガホンを使って登山者に呼びかけたり、登山道に散乱したゴミを回収したりする、という仕事に励んだのであった。雇用主は長野営林署と白馬村役場だったと思う。そのアルバイトには、甲信越地方はもちろんのこと、関東や関西、さらには私たちのように九州から申し込み、やってくる者がいた。そうした他の大学の学生との交流もあり、辛いながらも楽しい仕事だった。
 そして、一カ月のアルバイトを終え、手にしたのは(はっきりとは覚えていないが)16万円ほどの報酬だった。(ちなみに、この金額は往復の旅費も含めたものである。) 当時、大学一年生だった私にはこのお金は巨額に思えた。何に使おうか、悩んだ末に、私はエレキギターとギターアンプを買った。ハードケースもついでに買って、しめて13万円近くの大きな買い物だった。

 この時に買ったギター、これが Aria Pro II の TS-800というギターであった。ネックが削り出しの木で、最終フレットの24フレットまで無理せずに弾けるほど操作性は良く、指板にはエボニーが使われ、何とディマジオ製ピックアップを奢っていた。さらには、当時流行していた B.C. Rich に用いられているアクティブサーキットやデュアルサウンドスイッチ、フェイズスイッチ、6ポジションバリトーンセレクタなどを搭載し、実に多彩な音が出せるという点も気に入っていた。
 そして、このギターを手にして、私はバンドを結成し、数々のステージを踏んだ(笑)のであった...。
      
 ということで、これは今でも大好きなギターなのだけれど「ギターを弾く」ということそのものが、この15年近くの間、私にとっては「非日常」となってしまっていた。当然、一昨年のバンドの再結成の時や昨年の「関西セッション」参加の時には(ま、もともと、たいして上手くもなかったけれど)すっかり腕がさびついていることに、我ながら愕然としたのだった...。

 「こりゃ、毎日、少しでも弾いて指を慣らさなきゃ...。」と思った私は、職場にもエレキギターを置くことにした。(爆) 職業柄、私は勤務時間が一定でない(?)し、就労時間や休憩時間も、よく分からない(笑)のだが、職場で息抜きにギターを抱えるのも悪くはない(はずだ)。

 そこで、昨年末、「ま、練習用だし...。ステージで弾くわけじゃないし...。」ということで、近所のフリーマーケットショップ(あるいはセコハンショップ、有り体に言えば古道具屋さん)でヤマハのレスポールモデルのエレキギターを、小さなアンプと共に買ったのだった。アンプも合わせて2万円弱、という金額だった。

 早速、職場に持ってゆき、以後、仕事の合間にちょこちょこっと弾いていたのだが、どうもしっくり来ない...。私のファーストギターTS-800が抜群に弾きやすいギターであるだけに、このレスポールモデルは弾きにくいのだ...。20フレットあたりなど、特に弾きづらい...。(もちろん、これは「慣れ」の問題なのだが...。)
 で、私はそのギターを買い求めた店を再び訪れ、15,000円の追加金を払って Aria Pro II のPEモデルというギターと交換してもらった。
 これは、琥珀色のトップの木目が見事なギターで、また、「ヒールレスカッタウェイ」という独自の接合方法のお陰で高音部もレスポールに較べると弾きやすいものだった。
 だが、このギターも一週間しないうちに交換してもらうことになった...。(爆) ま、理由は書くと長くなるので書かないが。(笑)

 そして、今日、例の店を訪れた私は、その店に展示されている20台近くのギターの中で、燦然と輝きを放っていた Gibson Les Paul Standard (1995モデル)を、妻に相談することなく(爆)ほとんど衝動的に買ったのであった...。
 現在、新品で同等のものを買うと税込みで30万円近くするギターだ...。それが半値以下で買えたのだから、自分としては満足している。(笑) 何と言っても、ギブソンのレスポール。しかも本物!(笑) ギタリストであれば一度は恋い焦がれるという(ほんとか?)名品である...。私も20年以上、「あぁ...。いいなぁ...。」と思い続けていたギターなのだ。
 Honey Burst のフィニッシュもなかなか渋い...。ボディの裏には僅かながら傷が付いているが、前の持ち主は丁寧に扱っていたようだ。専用のハードケースの中に納められた姿も、どことなく気品が漂うような感じさえする...。(笑)

 でも、やはり、私には、まだ今のところ、弾きにくい。(爆) これからも私のファーストギターはTS-800なのかもしれない...。(愛着もあるし...。)
(2000年1月5日 書き下ろし)
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その64 ハーモニカを壊した...。

 ということだ...。(爆) タイトル通りの話である。

 私はハーモニカマニアではないけれど、おそらくハーモニカを10個は持っている。ホーナーというドイツの会社のブルースハープを確か、7つ(C, D, E♭, F, F#, G, B♭の各キー)、マリンバンドを1つ(Aのキー)。これらは10穴のもの。それから、ヤマハの普通(?)の(二段式になっている)分、同じくトンボのハーモニカ(これは54穴)。それから、スライド式(?)で半音階が出せるトンボのハーモニカ(17穴)とホーナーのハーモニカ(12穴)。あ、12個か。(笑)

 ブルースハープ、ならびにマリンバンドの分は高校時代から大学時代にかけて、コツコツとお小遣いを貯めて買っていったものである。(ちなみに、当時、1個が5,000円くらいしたような気がする...。いや、6,000円だったか...? もしかしたら3,000円かも。(笑)) しかし、これらのハーモニカは純フォーク(笑)をやらなくなってからはあまり使うことがなかった。バンドを始めてからはむしろ、クロマティックハーモニカ(ま、半音階が出せるもの)を使うことがおおくなったのだ。

 ハーモニカの哀愁を帯びた音色、その他のことは、ま、置いておいて...。

 いつだったか、駄文の中にも書いたかもしれない(いや、書いてないや。(爆))けれど、3年ほど前、車で太田川沿いの道を走っている時、無性に「松尾一彦が使っていたのと同じホーナーのクロマティックハーモニカ」が欲しくなって、そのまま楽器店へ行き、衝動買いをしてしまったことがあった。それが一番最近買ったハーモニカだ。確か15,000円ほど払ったかと思う。
 ちなみに少し解説すると、これは12穴だけれど、一つの穴で吸うときと吹き込むときで違った音階が出るものだ。(ま、ブルースハープもそうだが。) さらに、これはスライド式、つまり、ボタン(?)を押すことで、半音階も出せる仕組みになっていて、小さいながらも3オクターブをカバーしているのである。
 
 しかし、このハーモニカは、はずれ、だった。(笑)
 というのも、低音部で、非常に鳴りにくい音が数個あったのだ。「ま、アコースティックギターが、年を経るに連れて枯れたいい音になってゆくように、このハーモニカも『吹き込めば』いいのかもしれないなぁ...。」と納得して、私はできるだけ毎日少しでも吹くように心がけた。
 ところが半年ほど経っても響きが良くならない...。業を煮やした(笑)私は、そのハーモニカを購入した楽器店へ行き、事情を説明した。すると店員さんが説明するには「それは、リードの部分の具合が良くないからでしょう。カバーを外して少し動かしてやると響くようになりますよ。」とのこと。
 ハーモニカが鳴る仕組みは知っていたので、その説明は充分に納得できるものだった。(あれもリードと呼ぶとは知らなかったけれど)音階ごとに長さの異なった薄い金属の共鳴板が、息の流れによって振動し、音が鳴る、という訳だ。
 自宅に帰った私は早速、ハーモニカを分解(?)し、問題の個所を少しドライバーで調節してみた。すると、少しだけだが、響きが良くなった。何度か調整を繰り返したものの納得の行くレベルにまでは行かなかったが、どうしようもない、というほどではない。という訳で「ふむふむ...。では、これでしばらく吹き込めば、また良くなるかな。」と淡い期待を抱きつつ、私はそのハーモニカを使い続けることにしたのだった。

 さて...。
 2月に行われる関西セッションの曲目のうち、ハーモニカが使われる曲を担当することになった私は、昨年末からちょこちょことハーモニカの練習を始めた。しかし「言葉にできない」という曲の後半のハーモニカのソロの中の最低音はE♭であるのだが、実は、この音も、上に記した響きの悪い音、つまり、出ないことはないけれど、とても情けない音になってしまうという音なのだ...。

 今日も、何度も繰り返し練習しても満足のゆく響きが得られない...。唇が痛くなるほど、数時間(って、二時間くらいだけれど)吹いてみても、だ...。

 仕方なく私は、再び、調整を行なうことにした。共鳴板の角度を少し変え、吹いてみて、また少し変える、という作業を一時間ほど続けた...。しかし、極めて微妙な調整で鳴ったり鳴らなかったりする。もちろん鳴っても満足できる音ではない。
 共鳴板を上げたり下げたりという作業を繰り返していると、とうとう、恐れていたことが起きた。折れたのだ...。(爆) もちろん、もう、取り返しのつかない事態である。(笑) 折れた金属片を眺めながら「お、ぱっきゃらまど、ぱっきゃらまど♪」と歌いたい心境だった...。

 あ〜あ。(←もちろん、溜め息だ。)

 ということで、全く使い物にならないわけじゃないんで捨てはしないが、一番大切にしていたハーモニカを自らの手で壊したからには、もう、新しいハーモニカを買う気分にはなれない...。今度のセッションの「言葉にできない」では、トンボの大きなハーモニカ(ちなみに、これは友人のリードヴォーカル氏がくれたものだ)を使うつもりである。そっちのハーモニカの方が遥かに響きがいいし。(爆)

 やれやれ...。 
(2000年1月30日 書き下ろし)
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その65 スコア雑感

 実は、あんまり「音楽の話」という感じではないのだけれど、ま、ジャンルとしては音楽関係かな、ということで...。

 音楽に強い興味を持ち始めたのは中学2年生の頃のことだったような記憶がある。ま、それまでにも音楽には興味があった。ハーモニカを吹きながら木琴を叩いたりして遊んだ(爆)のは小学3年生の頃のことだし、高学年の時にはマイ・アコーディオンを所有する珍奇な児童でもあったし。(笑)
 中学に入学した直後に、クラシックギターを入学祝いに買ってもらった友人のギターを借りて(笑)、見様見まねでギターも始めた。熊本に引っ越した後は、叔母の持っていた「東京音楽アカデミー」のギター通信講座のセットを一式、そして叔父からクラシックギターを借りて独学でギターの練習にいそしんだ。

 おっと、違う方向に話が進んだ。(笑)

 で、中学2年生の頃は友人のリードヴォーカル氏(本名、甲斐圭介氏)や松島和寿氏などの影響(?)で井上陽水や小椋佳などなどのフォークミュージックやビートルズ、ポルナレフ、その他の洋楽にも関心を持つようになった。
 当時は、今よりもお小遣いに困っていたためレコードなんか買えなかったし、また楽譜集なども買えなかった。『明星』やら『平凡』だったかの雑誌の付録の歌の本(?)を友達に借りてそれをノートに写したりしたものだった...。時には五線譜に丸々転写したこともあった...。

 さて、そろそろ本題に近づいてきた...。

 その、いわゆる「〜〜全曲集」などの楽譜には(出版社によるけれども)演奏上の、あるいは歌唱上(?)の注意書き、というのが載っていることがあった。「あった」と書いたけれども、この伝統は連綿として現在も続いているようだが。
 それは「ややゆっくり目の16Beat」やら「速めの8ビート」といったような愚にもつかないものから、かなり詳細なものなどもあって、良く見てみると意外に面白い。(ちなみにフュージョン系のギタリストの楽曲などになると演奏解説、サウンド(設定)解説などかなり入念なものも見られる。)
 もちろん「速めの8ビート」などのようなものは何のヒントにもならないけれど、たいていの場合は「ふむふむ...、なるほど。」と思いたくなるようなコメントである。
 「前半8小節のコード進行が半音転調して後半となるのだが、転調が自然で美しい。ギターは少々難しいフィンガリングのコードパターンなので、しっかり練習してもらいたいところだ」などと書かれると、「そうかぁ...。よぉ〜し、しっかり練習しようじゃないか!」と励まされたりもする。「Piano伴奏のきれいなバラードです。あまりテンポにこだわらず自由に自分のテンポで演奏して下さい。叉、抑揚もつけて。」という心配りも、なかなか心憎い。(笑)
「[G]の部分でその前までとは対照的に楽器の数も減り静かになりますがその区切りを意識して、明確にするようにして下さい。シンセが[D]のところから出てきますがこれはポリフォニックシンセを使っていて、例えば、はじめの音を弾いてから次の音を弾いてもはじめの音は消えずに残っているようにします。この残っている時間をRelease time といいますが、これを少しかけてやります。モノフォニックシンセの場合はこれが出来ませんのでエコーやリバーブ等を使ってカバーして下さい。」
 ...。ま、今どきモノフォニックシンセを使うことなどないだろうけれども、この解説を書いた人の思いやりが伝わるとともに、これが書かれた1980年代初めの頃の音楽事情が期せずして見えたりもして興味深い...。

 ま、とにかく、このような(有効であるかどうかは別として)良心的なアドバイスが数多く見られる訳だ。ところが、つい先日目に留まった解説は、ちょっと異色であった。それは以下のようなものであった。

 「ピアノの4分(音符)がしっかりとリズムをきざんで全体をリードしていってほしい。その他は力がはいりすぎないように。全員で4分を強く打つのはナンセンスだ。」

 指摘するまでもなく、最後の一文が効いている...。完全に言い切っているところが嫌みを通り越してすがすがしささえ漂わせている...。

 今まであまり脚光を浴びることのなかったであろう、この「曲の演奏・歌唱のアドバイス」の文面。これらもじっくり研究すれば「提案スタイル」、「助言スタイル」、「言い切りスタイル」や「脅迫スタイル」(笑)などのカテゴリーに分けられるかもしれない。(分けたからって何にもならないけど。)

 ふむ...。ちなみに先程の異色の文面はオフコースの「眠れぬ夜」につけられていたコメントである。

 あ〜、低調だ...。駄文として名に恥じない仕上がりとなった。じゃ、そういうことで。
(2000年2月14日 書き下ろし)
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その66 CD洋楽篇

 ってことで、長い間手つかずのままにしていた「HASENOBU所有のCD 洋楽篇」をアップすることにした。(ま、誰も待っていなかっただろうとは思うが。(爆))
 で、何でそんなものを作るのか、というと、実は、これが結構切実な理由によるものなのだ...。
 この前の「不幸の手紙 from カナダ」にも書いたのだけれども「既に買っているCDを、間の抜けたことに重複して買ってしまう」という情けない状況を少しでも減らそう、ということなのだ...。(爆) 年齢を重ねるに連れ、このような「ボケ」をかますことが多くなっているHASENOBUなのである...。
 
 前にも書いたけれど、昔、お金がなくて思うようにレコードやCDが買えなかったツライ思い出があるため、その反動で、最近では店頭で見かけて「あ、欲しい...。」と思ったら、ほぼ即決(笑)で買うようにしている。その結果、CDが溜まっている。(ま、当たり前だが。) で、毎日毎日違うCDを聴く、とは限らないんで「買ったけれども、滅多に聴かない」というようなものだって出てくる。
 で、上記のような情けないことに繋がるのである...。

 ということで、「自分が持っているCDをちゃんと把握する」という目的のため(笑)にも、何らかのリストがあった方がいい、って訳である。
 で、今日、ほぼ半日を費やして自宅に置いてあるCDの「邦楽ではないもの」をファイル化したのである。クラシック音楽のものはさておき、(できるだけ自宅には置かないようにしているものの(笑))200枚ほどのCDがあった。その中で「邦楽ではないもの」は80枚くらい。でも職場には、多分、この倍以上ある...。ま、それらについてはぼちぼち暇を見て入力してゆくつもりだが、完成するのはいつになることやら...。

 あれ、何か日記風になってしまったぞ。ま、いいかぁ(笑)。
(2000年4月2日 書き下ろし)
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その67 『個人主義』を聴いて

 ってことで、極めてタイムリーな話題である...。まだ発売されて1週間という小田和正氏の『個人主義』が今回のテーマなのだっ!!(って、そんなに力むほどのことじゃないが...。)
 と言いつつ、予め断っておきたいのは、私は決して批評家でも評論家でもない、ということだ。(笑) (ま、皆さん御存じのように、ただの音楽好きなおっさんだ。)

 今回の『個人主義』は、小田氏のアルバムとしては実に6年半振りだとのこと。ふ〜む...。ま、そう言われれば確かに途中でベストアルバムというのはあったけれども、オリジナルアルバムとなると、うん、随分久し振りのような気もする。

 ちなみに、とある方からの情報(?)では、「オフコースは好きでも小田ソロはちょっと...。」と感じる人達にも好評である、とのこと...。ふむ...。そうかぁ...。

 ま、別に他の人達の評価・感想を聞いて自分の判断(?)を決めたわけじゃないけれど、はっきり言って私にとっては、期待外れ、である...。ここで「期待外れ」という(取り方によっては、かなり)強いことばを使ったのは、私の、小田氏に対する期待が、極めて高い、ということの裏返しでもあるのだが。
 前にも書いたように、既に私の中で(5人時代までの)オフコースは神格化されたと言っていいほどのものであるし、当然、ソロになってからの小田氏や鈴木氏のアルバムや楽曲も、大好きだし、感動するような楽曲も(全てではないにしても)数多いというのは事実、そうである。

 しかし...。

 いつ頃からだろう...? どうも小田氏の曲が、いや、曲というより歌、歌い方が、何となく私にとっては違和感を覚えさせるものになった...。今回のアルバムも、聴いていて「ん...?」と首をかしげたくなるような個所が何度も...。

 彼のシングルの順番も空で言えないくらいだけれど(爆)、多分「ラブストーリーは突然に」あたり、からか...? 「伝えたいことがあるんだ」では、まず間違いない(?)のだが「ちょっとねぇ〜...。」という気がしていた。(くどいようだが、どちらの曲も好きなんだけどね。)

 彼の年齢のことを考えて「うわぁ、すごいや...。」というのは、確かに、ある。本当にすごい、と思う。紛れもなく小田氏は一流アーティストだ。彼に匹敵するようなヴォーカリストは、少なくとも日本では、私は思いつかない。(海外では、元イエスのジョン・アンダーソンあたりか...? ま、他にもいるだろうが。)
 伸びやかなヴォーカル、天性の歌声。うん、素晴らしい。

 だけれども...。

 一体、このブレスの多さは何なんだろう...? いや、本当に「息継ぎ」なのかどうかは分からないけれども...。(笑) たくさ〜んあって嫌になるくらいなんで今思いついたものだけ。

 1曲目---「忘れてた 思い出のように」:
 「きっ・みっ・にであえて」って...? 「にっ・じっ・のように」って...?
 この曲が、とてもリズミカルなものであり、それに乗せて歌っているのは、もちろん、分かる。だけど...。そこまで「弾んで」歌うのがいいのだろうか...?

 2曲目---「また、春が来る」:
 この曲は1曲目よりもゆったりした曲だが、だけど、どうして「やわらっ・かな」なのか...? 何でまた「はれたごっ・ごは」なのか...? 

 3曲目---「the flag」:
 再びアップテンポの曲。もう、予想通りだ。「いまもゆっ・れている」だ。「やがていっ・つのひか」もだ...。

 4曲目---「woh woh」:これは最新シングル。(このアルバムを買ったのはこの曲が入っていたからだが。) スローバラードの、うん、名曲だ...。それなのに、どうして「いつかそのきみのかっ・なしみは」になるのだ...? あの肺活量(?)の小田氏なのに...?(オフコース時代のアルバム「over」ヴァージョン「ことばにできない」の最後の方の「Woo〜」の所など、超人的な声量、息の長さ(?)である...。)

 あ〜、虚しい。5曲目以降も似たようなものだからもう書かない。

 このようなスタッカート気味の歌い方が現在の小田氏のスタイルなのか...? 行き着いたスタイルなのか...?
 だとしたら、私には解せない。(ま、理解する、しないの問題じゃないのでしょうが。)

 うむ...。既にこのアルバムは通して十回ほどは繰り返して聴いたが、やはり何度聴いても違和感が残る...。耳障りだ...。(おい、何てことを...。(爆))

 ついでだ、もうちょっと書こう。(爆)
 今回のアルバムは、「小田ソロ」が1枚増えた、だけのものだ、私にとっては。(これもすごい書き方だ...。)
 聴いてみて「あ、小田ソロだ。」という印象。(ま、当たり前だが(笑)...。) 良くも悪くも、既に確立された世界を踏襲している...。もっと悪く言うと、守りに入っている。さらにどぎつく言うと、マンネリの兆しさえ見える。(爆) これまでのアルバムで聴いたような音楽だ...。「あぁ、うんうん、なるほどね...。」というだけで、聴いて「おおっ...。」と思うことは、ない...。
 今までの小田ソロアルバムの参加ミュージシャンを確認して言っているのじゃないが(笑)、最初の頃は、うん、素晴らしかったと思う。けれど、おそらく「sometime, somewhere」あたりから、サウンド面での進展は私には感じられない。
 ま、私はギタリストであるので(笑)どうしてもギターに耳が行くのだけれど、何年か前はスリリングに思えたギターのフレーズも、似たものが繰り返されるとちっとも新鮮味が感じられない。(もちろん、私には弾きこなせないけれど。(爆)) 意表を突かれた思いは、全くない。
 リズムセクションでも、ほとんどの曲でマラカスみたいな「シャカシャカ」のオンパレードだ。

 良く言えば「小田ワールド」の定着化であろうし、そしてそれを聴いて安心感を味わいつつ歓迎する人もきっとたくさんいるだろう。中には「小田さんだから」という理由だけで手放しで歓迎する人もいるだろう。ま、それはそれでいいし、私もそういう人達に対して文句をつけたいとは思わない。(と同時に、私が、このような印象を抱いたことにも文句をつけないで欲しいが。(笑))

 あはは...。何か、ぼろくそに言っているように思われただろうなぁ...。(笑) ま、そう思ってもらっても構わないけれど(笑)、実を言うと、何と言っても小田氏だ、とても完成度の高い上質な音楽であるのは間違いない、と私は思っている。このアルバムも私の愛聴盤になるのは間違いない。(爆) ただ私の(勝手な)期待とは異なっていた、というだけのこと。それだけのことだ。(もちろん、私がこれから先、いらいらしながらこのアルバムを聴き続けたとしても放っておいて欲しい。(爆))

 ま、いずれにしても今年あたりはコンサートに足を運ぼうかと思っていたが、多分、それは取りやめになることになりそうだ...。(笑)
(2000年4月25日 書き下ろし)
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その68 『海辺で』を作った...。

 ということで(?)、帰国後(笑)、「いつかは自宅のマックでMIDI作品を作るぞ!」と心に決めていたのだが、インターネットで見つけたソフトウェアは余りにも高機能すぎて、そしてマニュアルも初心者向けではなく何度読んでも今一つ使い方の分からないものだった...。で、音量の調整はおろか、音色の変更さえできない(爆)、という段階から始めて試行錯誤の末、何とか作り上げた...。少なく見積もっても20時間は費やしたと思う...。(笑)

 音符で入力できるならばもっと手間はかからなかっただろうと思う。(ま、きっと正しい方法があるのだろうけれども)ピアノロールの画面で入力できるのは4分音符のみ、である。(笑) で、ゲートタイムなどを無視し(笑)音符の長さ(4分音符=480)を入力して、それを選択して適宜調整してゆくという、しかも拍の頭の位置が固定できない(爆)ため、画面を拡大しながら頭を揃えなければならない、という極めて効率の悪い、手間ひまのかかる入力方法しか(私には)使えなかったため、とてつもなく苦労した...。おまけに最初のうちは試奏するのにも、曲の最初から再生する方法しか分からず、これでもかなりイライラさせられた...。(笑)

 ふぅ〜...。

 コーラスやリバーブといったエフェクトも、イコライジングも、設定できていない...。ベロシティ、テンポ、パンポットの設定だけはかろうじていじることはできたけれども...。(笑) ってわけで、かなり粗削りな仕上がりになってしまっているが、今の私にはこれ以上は、ちょっと無理だと思う...。
 ま、近いうちに、ちゃんとパッケージソフトを購入し手直ししたいとは思うけれど...。

 あ、それにしても思うのは、再生する場合に、その時に使うPC、そして選ぶ音源(?)によって大きく仕上がりの印象が違う、ということだ...。(ま、当たり前なのでしょうが...。) マックの Quick Time の音源と、ウィンドウズ機の音源(?)でも大違い、って感じである。ヤマハのソフトシンセサイザー(?)を音源にした場合とその他のものとを選んだときでもかなり違っている...。統一規格であるはずのスタンダードMIDIファイルにしている、というのに...。(ま、私が分かっていないだけかもしれないけれど...。)

 前にも書いたけれど、ギターの音には常に不満が残る...。元の曲(?)のような、なんというか、爽やかなギターの音色もマイルドな(カントリー風の)エレキギターの音も、いくら頑張っても再現できない...。腹が立って(爆)、ギターの替わりに「琴」を、エレキギターの替わりに「フレットレスベース」の音を使ったりした。(笑) もう、何でもあり、って感じだ...。

 ふぅ〜...。(笑)

 あ、それから、今回手がけた曲は楽譜がなく耳でコピーしながらの作業となった。別に完全なコピーを目指してなどはいないけれど、曲の途中で、サビの終わりの方の一個所で、大きくつまずいた。(笑) Em→ Em7→?→Cm7→D→C という流れの中でどうしても「?」のところが分からないのである...。9thコードやmaj7th、はたまたm7-9thなどなど考えうる限りの様々な特殊コード、テンションコードをギターで鳴らしたのだが、分からない...。
 このコード一つだけで1時間以上浪費し、そして行き着いたのが...、C...。(爆) もちろん確信などないけれど、結局は何の変哲もないCが、一番可能性が高いみたいだったという...。別にCを軽んじるつもりはないけれど、何となく、拍子抜け...。(笑)

 ということで...。とにかく疲れた...、今回の作品では...。愚痴を聞いてもらいたい訳じゃないけれど、うん、なぜか書きたかった...。(笑)
(2000年5月2日 書き下ろし)
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その69 第三回関西セッション

 ってことで、第三回関西セッションがいよいよ具体化してきた。
 ま、まだ3カ月ほど後の話ではあるけれど、今から楽しみである...。
 実際、どう転ぶか(笑)分からないし、前回同様、私にとっては自分の不出来に落ち込むことになるかもしれないが(爆)、それでも、とっても楽しみである。太宰ではないが、夏まで生きようと思った、と言っても良い。(爆)

 思うに(?)、読書と音楽にしか興味を持たない私にとっては、このようなセッションに参加することは、実に楽しいことである。そりゃまぁ(笑)、そのためだけに遠くまで出かけ、時間的にも金銭的にもそれなりの負担を強いられることになるのだけれど、そんなのは二の次なのだっ!(って、そんなに力むことじゃないけどね。(笑))

 前回が、ほんと、私にとっては自分自身の演奏に極めて不満足な結果になってしまったものが多かったんで「メラメラ」と「リベンジ」に燃えているのだけれど(笑)、あくまで「楽しむ」ことを最優先にして臨みたいところだ。(ま、きっと普通、そうだろうけど。)

 ってことで、極端に短いけれど、以上、所信表明、ということで...。(笑)

 あ、もう一つ。(笑) あんまり関係ないけれど、7月12日、広島厚生年金会館での小田和正氏のコンサート、結局、ひょんなことからチケットが入手できることになり、行ってきます。(笑) オフコース絡みの「ナマ」は初めて...。(笑)
(2000年6月21日 書き下ろし)
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その70 神様に会った...。

 と、また宗教関係者から石が投げつけられそうな比喩を使ったが、気にしなくてもいい。(笑)

 今日、私は神様に会った...。(まだ言っている...。(笑)) そう、小田和正氏のコンサートに行ってきたのだ...。
 別にこの文は「コンサートレポート」というものではないんで、詳細は略する。
 とにかく、たまたまネット上で知り合った広島のY.Sさんが、ファンクラブ優先販売で購入されたチケットを「譲りますよ〜。」と御自身の掲示板に書かれているのを、これまたほんの偶然に見かけたのが先月の半ば頃の話。で、すぐさまメールをY.Sさんに送って「もしよかったら私に譲って下さいな〜。」と頼んだところ、了解、とのこと!!
 で、今日、Y.Sさんと並んで広島厚生年金会館での小田氏のコンサートを観た、というわけだ。

 かれこれ四半世紀前(爆)、ラジオから流れてきた「秋の気配」をきっかけにオフコースにのめり込み、そして以来、のめり込みっぱなしの私である...。(前にも書いたけれど)私にとってはオフコースは、彼らの音楽、つまりラジオやレコード、あるいはCDが全てであり、それだけで満足だった。コピーバンドをやっていた時に彼らのツアーがあったけれども、取り立てて行きたいとは思わなかった。そうこうしているうちに鈴木氏が抜け、もうオフコースはオフコースでなくなっていた。4人になってからのアルバムも持ってはいるが、それまでほど真剣に聴くことはない。そして気がつくと、その4人オフコースも解散していた...。

 そういう次第で、私にとっては I love you までの、彼らが残したアルバム、音源が全てだったのだ。

 その後、小田氏が本格的にソロ活動を始めてからも私は別にコンサートに行きたい、と思うことはなかった。CDがあれば、それで良かったし、氏の映画作品にも(こう言っちゃなんだが)興味はない。(れれ...? 何だか変な方向に話が向かっているぞ...。(笑))

 ってことで(?)、もしかしたら今回のツアーが最後になるかもしれない、という(信憑度は不明だが)そうんな噂を耳にして、「そうかぁ...。だったら一度は観ておきたいなぁ...。」と、さして強くもない希望(笑)を持っていたのだが、新しいアルバムを聴いて少し不満を感じ、「ま、行かなくてもいいかぁ...。」と思い直したりしていた。広島公演がいつあるのかも知らず、ましてやチケットの販売がいつだったかも知らず(笑)、気づいたときには、もう売り切れになっていたみたいだった。
 そこへ(?)Y.Sさんの文面。

 で、既に私の中で神格化されていた小田氏をナマで観たのだった...。

 小田氏がピアノで「言葉にできない」を歌う...。「♪あなたに会えてほんとに良かった♪」 思わず、武道館1982.6.30.のビデオのあの画面を思い出し、じ〜んと来てしまう...。

 その小田氏がステージで跳ねている。(笑) ギターを抱えて歌っている...。私の座った所からステージまでは10メートルもない...。神様が、すぐそこにいるのだ...。とても、とても不思議な気持ちだ...。「我が目を疑う」というのは陳腐なフレーズだけれど、何だか現実ではないような、そんな気分。

 ということで、感動だとか、そんな言葉は合わないような時間、およそ2時間半、だった...。

 ちなみに(?)、「御当地紀行」のビデオの後、つまりコンサートの後半からのほとんどは全員総立ち。(笑) で、私も手拍子を打ちながら、小田氏と一緒に歌いまくった...。Far East Cafe Bandの演奏をバックに小田氏とHASENOBUとの夢の競演、ミレニアム記念デュエット(意味不明)であるっ!!(爆) って、私が観客席からステージ上に殴り込みをかけマイクを奪ったわけじゃないが...。(←ま、当たり前だが...。)

 あ〜、いつもに増して書き殴った独りよがりな文面だな...。ま、いいか。

(2000年7月12日 書き下ろし)
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