つまんない話 PART 2


目次
---つまんない話011 名前の話(続々々篇)---
---つまんない話012 言葉の可能性と限界(続編)---
---つまんない話013 1998年9月21日の出張報告書---
---つまんない話014 てっこうとキャンプをした(その1)---
---つまんない話015 「夢見るみんな」---
---つまんない話016 タイヤ引き---
---つまんない話017 デジタルカメラを買ったのであった---
---つまんない話018 略語・外来語について---
---つまんない話019 リビングとベッドとトイレ---
---つまんない話020 てっこうとキャンプをした(その2)---

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---つまんない話011 名前の話(続々々篇)---

 同じ話題で、すでに4話目...。そんなに書きたいテーマでもないのに...。どうしても訴えたい事柄でも何でもないのに...。(ToT)
 と、勝手に自分を哀れんでますが、気にしないで下さい、いつものことです。

 親が我が子にどういう名前をつけるか、の拠り所は大体の場合、プラス思考に傾く、というか「希望・願望」を盛り込んでゆくことが多いようです。(これは経験的に、ですが。統計を取っているわけではありません。)「のぞみ」という名前など、いかにもストレートに表現したものですよね。
 一方、昔の名前となると、結構、インパクトが強いものが多いのですけれども、子供が五人いてもそんなに驚くことではなかったような時代に、「もうこれ以上子供が生まれると困る! この子で最後になるように...。」との悲痛な願いが込められると「留吉」や「トメ」「末子」などの命名がなされます...。なのに、その次にまたできてしまったら...? どんな名前になったのでしょう...?(誰か、暇な人、調べて私に教えて下さい。「留次郎」とかかな?)

 また、前に書いた「あやかる」という方法もひろく行われる命名の手段です。
 かく言う私も娘が生まれたとき、その頃の教え子の中の女の子から名前を頂きました、その女学生のようになって欲しいという期待を抱きつつ...。(笑) ちなみに、その子は、現在、とある地方テレビ局のアナウンサーとなり、何年か前に「全国 名物女子アナ大会」(全然違うかもしれません...)といった感じの番組に出てユニークなキャラクターととんちんかんな受け答えで会場を沸かせていましたが...。

 とある方からの情報ですが、(恐らく父親が)「夏目雅子」という女優が気に入っていたために「雅子」という名前を付けられ、「もっと真剣に考えて欲しかった...。」と嘆いている女性もいるとかで...。  また、その情報を下さった方(誰とは言いませんが)自身、「どうしようもなくなって寺に預けたときにそれらしく読まれるように」という涙ぐましいほどの親御さんの配慮で「芳隆」と名付けられそうな....。その方には親御さんの心配りに報いるよう一日でも早く仏門に入るようお薦めしたいものです。

 でもなかなか親の思惑通りに行かないこともあるようで...。例えば「富美子」などという名前。「あぁ、なるほど...。ぴったりの名前だ...。」という風になれば全然問題ないですが、それが極めて「反語的」になってしまったとしたら...。

 名前の流行、については以前触れましたが、私自身、古風な名前が好きです。我が家の息子も、例えば「信吉(しんきち)」などは素敵だと思って候補に挙げたのですが、妻の猛反対を受け、妻の提案による無難な名前になってしまいました...。(でも、自我の形成の障害とならない程度に息子のことを「じゅそ」や「しんきち」という名前で私は呼んでますが...。)「〜吉」や「〜郎」というのは許容範囲ですが、「〜左衛門」まで行くとちょっと時代錯誤も甚だしいかとは思いますが。

 あ、もう一つ、名前のことで。
 普通の知識で読めないような「無理な読み方をさせるな!」と文句を付けたいです、はい。「和美」、これ、何と読むと思います? え、「かずみ」ですか...? そう考えるのが普通ですよね。それが何と「なみ」...。聞くところによると、「仁和寺(にんなじ)」ってありますよね、あの「和」は「な」と読むんだから、だそうです...。
 そんなのあり、かぁ〜?! パズルじゃないんだぞっ!! 人をおちょくっているのかぁ!!(ってあまり言う資格はないですけど。)
 でも、ほんと、それじゃあ、子供が困るだろうに...。あの「悪魔」君と同じレベルだよ、そんなのは...。

 最後に、「おちょくっている」ということで思い出したのが、同じ町内に住む「三吉(みよし)さん」。そこの世帯主の名前は「吉三(よしぞう)」...。「三吉吉三」って、そんなぁ...。最初、表札を見た時、思わず我が目を疑いましたよ、私は...。
(1998年9月書き下ろし)
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---つまんない話012 言葉の可能性と限界(続編)---

 これは「つまんない話007 言葉の可能性と限界」の続編です。
 上の文章の中で私は最初に次のように書き、引用をしました。

つい先日、とある方のホームページで「ネット上の友人は『まぼろし』なのか」ということをテーマに一連のスレッドがありました。たまたまそこを覗いた HASENOBU は、次のような文面を投稿しました。
(以下、略)

 で、そこで引用していた文面に対してとある方(先の話に出ていたMさんとは異なるMさん)からフォローの投稿がなされ、さらに私はそれに対して次のように書きました。
(以下、引用。但し、改行位置と名前に手を加えています)

Re: 言葉を信じ過ぎたら
Mさん wrote:
> --私の文面の引用は略します--
> 言葉を信じ過ぎ、ネット上の付き合いが自分にとって大事になりすぎるひとも
> いるように思います。現実の付き合いに比べて、ネット上の付き合いは
> ひとの「純粋なもの」が見えやすい気がして・・・その「純粋なもの」を
> 信じ過ぎてしまう傾向のひともいるような気がします。

 同感です。実際、私の極く身近な人がそうでした。(そうです、かな?)「純粋なもの」の解釈がMさんと私とではもしかしたら異なっているかもしれないのですが、実際に相手を前にしての会話から「言葉」のみを取り出した場合に当然、相手の風貌・表情・その他あらゆるものが欠落してしまうわけですので、その欠落した個所を身勝手な想像で補ったりすると、問題が生じやすくなりそうですね。
 となると、ある発言をもとにどんどん妄想が広がってゆく、ということや、逆にどんどん自分の虚像を(自分の中で、そして相手の中でも)膨らませ続けるということへつながって行く破目になりそうです。

> 現実世界になんらかのモンダイを持つひとが、ネット上の「純粋な」付き合いに
> 心を傾け過ぎたら・・・そして、何らかの理由でそういうネット上の付き合いが
> 壊れてしまったら、きっと傷ついてしまうでしょう。

上記の「純粋な」に括弧がついているのを見落としてはならないですね。果たして本当にそれが「純粋な」ものかどうかは、かなり怪しいですし。ということで、Mさんの御意見に完全に同意します。

> そういうことが少し心配です。

ええ、私も心配ですし、実際、それを目の当たりにして苦しんでいます。
 でも、それは「現実世界になんらかのモンダイを持つ」ということの成り行きの一つであって、ネットの問題とは別個に考えても良いようにも思います。
 うまい比喩ではないのですが、例えば「ナイフ」などの刃物をどう使うのか、ということに似ているような気がします。「現実世界になんらかのモンダイを持つ」人が手にした場合、何らかの危ない行為に走るけれども、だからといって「ナイフ」そのものには罪が無い、というのと...。(ちょっと違うかもしれませんが。)
 ですからそういう人が「傷ついてしま」ったとしても、それは(悲しくて、つらいことだけど)仕方のないことだと思います。当人も、そして周りの人も、耐え、克服してゆかねばならないと思います。

 最後になりましたが、Mさん、貴重な御意見をありがとうございました。
(以上、引用)

 何を偉そうに...、と反感を覚える方もいらっしゃるかもしれませんが、この「くまきの部屋」の内容も含めて、私自身、上のように考えている、ということをはっきりと書いておきたかったので...。
 どこがはっきりなんだ...?、と反感を覚える方もいらっしゃるかもしれませんが(爆)、HASENOBUの「冗談の許容範囲はかなり広く、そしてシビアである」ということも明言しておきたいです、この際。(笑)
 ま、こんなことを明言する必要があるのかどうかは分かりませんが、念のため。

 本当は「冗談に絶対的自由を与えること」、言い換えれば「冗談なら何を言ってもいい!」という理想、を実践したいのですが、私は社会に完全に見切りをつけることができないので...。私一人だけが「自己、他者を問わず、常に完全に客観的に捉え、突き放して行く姿勢でいる」ことは、関わる人、全てを傷つけ不幸にしてしまうでしょうから。そうでなくとも、これまでに何度も冗談で周りの人の気分を害して来たというのに...。(笑)
(1998年9月書き下ろし)
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---つまんない話013 1998年9月21日の出張報告---

 今日はなかなか有意義な出張の日であった。詳しく書くとかなり長くなりそうなので、簡単に。
 11月28日...。この日が何の日か知っている人、います? えへへ...。何を隠そう、(隠しません、はい。)この日は「税関の日」なのです。
 今日の午後は、とある関係で「広島空港」の見学へ行きました。そして、色々な空港内の施設を見て回ったのですが、一番インパクトが強かったのはそこの「税関」関係の部分でした。
 地味な印象の部屋に通された私たち一行は、まず係員から「税関の働き」についての講義を受け、広島空港の税関は神戸税関の管轄下にあることなどの調べれば分かることから、広島空港にいる二匹の麻薬取り締まり犬のうち一匹は「ルーブル」という名の雄で一歳半であること、などの、到底、よそでは聞きたくても聞くことのない希有な情報まで得ることができました。
 さらに、引き続き、その部屋の中で私たちが見たのは...、税関の役目・重要性を一般民間人に周知させるための一本のビデオでした。残念なことに正確なタイトルは失念しましたが、「**さんとカイくん」という感じのものだったと思います。
 そのストーリーを全て書くつもりもないのですが「**さん」といううら若き女性が、海外旅行から帰り成田空港で税関の前の長い行列を見て「もう...。こんなにくたびれているのに...。税関なんてなくなってしまえばいいのに!」とわざとらしくうんざりした表情で呟くところからこのビデオは始まります。(ここは実写。)
 すると、何と、彼女のスーツケースの上に突如として現れたのは...。合成のアニメ(?)のキャラクター、「カイくん」だったのです。「あなたは誰?」とわざとらしくあげた**さんの驚愕の声に対するカイ君が発する台詞がふるっている!!
「僕、税関の妖精、カイ君だよ!」...。
 税関の妖精...。今まで色んな語の結びつきを考えては楽しんでいた HASENOBU でしたが、これには度肝を抜かれました。「時計仕掛けのオレンジ」という言葉を初めて聞いたときよりももっと強い衝撃を受けてしまったのでした...。まるで後頭部を金属バットで殴られたような...。って、実際にそんなもので殴られたことはないんですが...。
 ま、とにかくそういう調子で物語は進み、税関の伝道師カイ君によって教え導かれる**さんとともに、いかに税関がこの社会の中で重要な働きを担っているのかを私たちは知ったのでした...。(ついでに11月28日が「税関の日」だということも。)

 ついでに、もう一つ。今日は、税関当局の特別の計らいで「パスポートなしで出国審査を通り抜け、そして入国審査も受けずに戻ってくる」という想像を絶する経験もしました。今までの十数回の渡航経験から「出国審査のゲートをくぐり抜ければ、そこは日本であって、日本ではない、いわば治外法権の対象となる場所なのだ」ということを知っていた私は、「おいおい...、本当にいいのかよぉ...? 今、ここで麻薬に手を出したり、人を刺したりしたらどうなるんだろう...?」などと不謹慎なことを考えながら、妙なスリルを感じてしまったのでした...。
(1998年9月書き下ろし)
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---つまんない話014 てっこうとキャンプをした(その1)---

 「てっこう」を漢字で書くと「徹光」である。これは初めてネットで知りあったとき(昨年の10月)に聞いたことである。それ以来、「徹光」という漢字から、私は勝手なイメージを膨らませていた。はっきり言うと「徹」という文字のせいである。「若き日の星一徹」を思い描いていたのだ。この話は彼には面と向かって言っていないので、きっとこれを読んで大笑いすることでしょうが。
 え? 実際のてっこう氏はどんな人だったか?
 それは、秘密、です。どうぞ、各自でお確かめ下さい。
 などと言いつつ、てっこう絡みの話を...。

 てっこう氏は、よく動く人である。別に、何らかの小動物に似ている、などというのではなく。調理にしてもテントのセットアップにしても実に手際が良い。さすがにアウトドアの達人である。こういう人が傍にいれば無人島へ漂着しても快適な生活が送れるだろう、と思わせるほど、である。別に、無人島で彼と二人きりで暮らしたいと望んでいるわけでもない、念のため。
 私は何をしたのだろう...? と思いたくなるほど、私はほとんど何もしなかった。「呼吸もしなかったのか...、え?」などと突っ込まないで欲しい。一泊二日のキャンプにおいて、それを快適にするために有効なことは、ほとんど何もしなかった、のである。強いて言えば、簡易バーベキューセットを持参し、スーパーマーケットで買った焼き鳥とウインナーを炭火で焼いただけ、かな...?
 しかも、この焼き鳥とウインナーを肴にジンを飲み始めたのだが、それだけで私は満腹になってしまった上、焼き鳥の(買ったときからついていた)調味料いっぱいのタレで気分が悪くなる、という有り様であった。
 「ほな、ぼちぼち晩ご飯にしまひょか?」とてっこう氏はすこぶる元気が良い。そしてあれよあれよと言う間に彼は中華料理を6品ほど作り上げてしまった。その間、私はといえば、ただただ、椅子に腰掛け、星の見えない空を眺めてはジンをちびちびやりながら、タバコを吸っていただけである。
 せっかく作ってくれたのに箸ひとつつけないというのは余りにも礼儀知らずである。もたれた胃を無視し、私は食べ始めた。が、やはり身体は正直である。一向に箸が進まない...。
 てっこう氏に、今一つ体調がよくないので残りは明日の朝に食べるからと告げた HASENOBU は敢え無くリタイア...。その後は、記憶が定かではない。(おいおい...。)
 気づくとテントの中でシュラフに潜り込んでいた。そして「うわ、これはまるで棺桶みたいだ!」と言ったのは覚えているが。(多分、まだ9時にもなっていなかったのでは...?)
 そして「あぁ〜、よく寝た!」と気持ち良く目覚め、時計を見ると午前2時40分...。その後は中途半端に目覚めたり眠ったりしながら翌朝、5時過ぎに起きだしたのでした。
(1998年9月書き下ろし)
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---つまんない話015 「夢見るみんな」---

 訳なく、絡みます。(何て書き出しだ...。)

 醒めたことを HASENOBU が言う。すると、
 「だってその方が夢があるじゃないですか?」に近い応答や、「また、そんな夢のないことを言うんだから...。」というたしなめのセリフ、さらには「あなたには夢がないのね。」と断定口調の言葉までも言われたりする...。
 場面がそれぞれ違い、先行する会話の内容も異なるのだから十把一からげにするのは良くない、と思いつつも...。
 「それは本当に『夢』なのかい? もしそうだとしても私にはその程度の夢はいらない! そして、このことで私に『夢がない』と決めつけないでくれ!」と叫びたい衝動に駆られる。(ま、温厚な性格の持ち主ですので叫んだりしないですけど。)

 もう一つ。
 「だってみんなそうですよ。」やら「ですが、みなさん、やってますよ。」などのセリフについて。

 時折、東京の聞いたことのない会社から個人名で電話がかかってくる。しかも職場に。たいてい、その会社というのは横文字で訳の分からない名前である。交換手から「どうしましょうか? 不在だと言っておきましょうか?」と言われるが、居留守を使うのは嫌いなので、その電話に出る。
 すると、そのほとんどは「節税のためのマンション購入」か、「株の取り引き」の話である。やれやれ...。そんなものには興味がないので断ると、上のセリフを言いだす始末...。ため息しか出ない。
 それ以外でも、このセリフは時折耳にすることがある。
 真剣に絡みだすとかなり長くなるので、反論だけ。
 「『みんな』って誰のことなんですか? その『みんな』の一人一人に確かめた上での発言なのですか? まさかその『みんな』の中に私を含めようとしてはいないでしょうね? 『自分がそうだからみんなもきっとそうだ』というような幼い考え方は持ってはいないでしょうね? 『みんな』がそうだからといって、それだけの根拠で受け容れたり、またそれを他の人への説得の材料にしているのではないでしょうね?」

 ま、そんなセリフを平気で(そして本気で)口にできる人にこんな反論しても無駄なのですが。
(1998年9月書き下ろし)
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---つまんない話016 タイヤ引き---

「タイヤ引き」...? あなたはこの言葉を聞いて何を思うのだろう...?

 強引なタイトル付けと話の持って行き方とで苦情が次々に舞い込んでいますが、ま、いいでしょう。(あ、これもデマカセです、念のため。)

 私は昨年、そして今年と、町内の「公衆衛生推進協議会」の会長を務めています。もちろん立候補したわけではなく、単にくじ運がなかったから、であるが。本当は一年でお役御免でしたが、現在の連合町内会長に慰留されたのです、はい。
 この協議会の役目などについて書き始めると、本当にものすごくつまんない話になるので、それは省略。

 で、本日は町内にある小学校から運動会への御案内が届けられ、たまにはこんな役得があっても良かろうと、来賓席の一番前の席を陣取って娘や息子の姿をビデオカメラや写真機におさめるつもりでいそいそと私は出かけました。
 が、町内会の寄り合いなどですでに面子が割れている HASENOBU なものですから、小学校の校門をくぐった途端、PTAの役員さん達に呼び止められプログラム第14番「PTA競技:タイヤ引き」へ強引に参加させられることになったのです...。

 ところで、この競技、今までに聞いたことがないなぁ...。「古タイヤにロープをつないで、その端を腰に巻いて、グラウンドを半周」なのかなぁ...、と昔のスポ根(あまりこういう略語は使いたくないんだけど)もののアニメの1シーンを想像したりしたのですが、軍手が一組ずつ手渡され...、3人一組にさせられ...、そして競技は始まったのでした...。

 相手は平均年齢30そこそこ、といった感じのヤングパパ3人。そしてこちらは、どうみても中年トリオ(平均年齢40過ぎ?)。で、この6人で何をするかというと、それぞれの組が一本のタイヤを文字通り満身の力を込めて奪い合い、引き合うという...。相手を引きずってでも自分の陣地までタイヤを移動させれば勝ち、というわけ。そうです、要は綱引きのタイヤバージョンなのです。
 実に安直な発想、至極明快なルール、単純な挙動。これだけで成り立っているものの想像を絶する程の体力を要する競技だったのです。
 ですが、大の男6人が顔を真っ赤にしながら古タイヤを奪い合う、その姿といったら...。踏ん張りながらも、肩が脱臼するのではないかと心配し、同時に、我が身の情けなさに笑いたくなりました、あはは...。
 結果は引き分けでしたが、もっともっと有効なエネルギーの使い方があったのでは?、というのが無念でならない私です。
(1998年9月書き下ろし)
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---つまんない話017 デジタルカメラを買ったのであった---

 家内はウインドウズ派である。Windowsと書かず、Windozeと書いてもいいんだけど、別に敵愾心を持っているわけじゃないのでカタカナで書く。
 以前は私もEPSONの、98互換機(PC-286U)を使っていた。今から十年ほど前の話で、MS-DOS Ver.3.1の頃である。(多分ね) もっぱら英語のコーパスを色々と検索して色々な語法を調べるのに使っていた。CPUは確か、16MHzだった記憶がある。もちろんハードディスクなどついていなくて5インチのペラペラのフロッピーディスクと現在も生き残っている3.5インチのフロッピーディスクを取り換え引っ換えしながら仕事をしていた。
 その後、職場で文豪ミニ7Hというのを買ってもらったので、そっちの方が印刷もきれいだし、データのコンバートもできるのでそちらを主に使うようになり、さらに自宅用にラップトップの文豪ミニ7SXを購入した。ワープロ専用機とは言え、仕事の書類作り、論文作成にしか使わないので、やはりこれで満足していた。(ただ、印刷が遅いのには閉口していたが。)
 ところが、次いで、勤務先でパソコンを買ってもらえることになり、所属の関係からアップルのコンピュータをあてがわれた。(外国人教師は全員マックを使っていたので。) もう4年ほど前のことだが、初代の Power Macintosh (6100/66)と、17インチモニタ、B4まで印刷できるレーザプリンタを買ってもらった。それは今もまだ現役である。ま、内蔵ハードディスクは350MBなので外付けの2GBの増設ハードディスク、それからメモリを当初の16MBから72MBへと増やしたこと以外には手を加えていないが、特別なことをするわけではないのでそれで充分である。(欲を言えばきりがない...。本当はG3アップグレードカードが欲しいけど、10万円も出さなきゃならないし...。)
 一方、自宅では EPSON の PC-486MU かなんかを買ったが、これは妻の専用機になってしまっている...。これもメモリを増設し、ブースターをつけて今でも使っているが、私は滅多に使わない。さらに妻はソニーの VAIO の初代機を買った...。Pentiumの166MHz(良く知らないけど)のCPUがついているらしいが、私は使ったことがない...。
 とか言いつつ、私も自宅用に Macintosh Performa 5430 (CPUは160MHz)を買って、自宅での仕事、あるいはホームページの記事作り(?)にはこれを使用している。モニタ一体型なので場所を取らないのは嬉しいが、15インチモニタなのはちょっと残念。でも、その次のモデルが発売されてから買ったので12万円ほどで買えたので自分では「お買い得」だったと思っている。メモリは48MBを実装しているがいずれもう少し増やすつもりである。
 なお、自宅でインターネットに接続できる環境にあるのは前述の PC486MU と VAIO である。が、私は自室に籠るのでどちらもまず、使うことはない。

 で、タイトルのデジタルカメラについて...。
 妻(ちなみに小学校教師)が「欲しい、欲しい、欲しいぃ〜。」と以前から強く主張するので買った次第である。オリンパスのなんとかという機種で131万画素、だそうだが、どの程度のものなのか全然見当がつかない。もしも Macintosh にも簡単に接続できるのであれば何かの写真(私の愛用の灰皿、お気に入りのワイングラスとかの写真)をもしかしたら実験的に載せるかもしれない。載せないかもしれない。間違っても私自身の写真など載せることはないので御心配なく。
 ということで、「つまんない話」を地で行きました...。(爆)
(1998年9月書き下ろし)
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---つまんない話018 略語・外来語について---

 ...。

 いきなり無言で始めました...。
 表現に困ってます。(爆)
 が、端的に書くと、私は略語・外来語があまり好きではありません。もちろん、既に確立してしまっている言葉に対してはそのかぎりではありませんが。例えば、この前、どこかで書いた「スポ根」という言葉。嫌いだけど、「スポーツ根性」と書いたり言ったりしても分かってもらえないことでしょうし、「マスコミ」だって「マスコミュニケーション」とは異なった意味合いを持っているようですから言い換えても、言い換えたことにならないような場合もあるので。
 私が好まないのは、そのような単語(略語・外来語)が、どことなく「隠語」を連想させるような場合です。具体的に言えばネット上で「この前の『書きこ』ありがとー!」などのようなもの。無性に腹が立ちます、私は!
 確かに、昔のモールス信号(!)やテレックス(良くは知りませんが)などのように、できるだけ通信時間やスペースを短くするために用いられる、というのであればまだ分かります。が、すでに「無料で最大4MBのサイズのホームページが持てる」というような「通信時代」(?)に、少々のスペースをけちったところで何になるのでしょう? あと一文字、「み」が何故、書けないのかぁ〜? 何故、ちゃんと「書き込み」と書かないのかぁ〜!? という気分なのです。
 HPという表記も、実はあまり好きではないです。というか、私自身はそういう表記はしない。それだったら「それはヒューレッドパッカード社?」と嫌みの一つも言いたくなるんです、はい。(これを読んでいる人達の中でホームページをHPと表記する人の方が圧倒的に多い、っていうことは知ってるのですけど...。ごめんなさいね、決して、それが「悪い」というんじゃないんです。ただ、私は嫌いだ、というだけなんですが...。分かって下さい。)
 もちろん、略語、というものが「いちいち全部書かなくても伝わるのならば少しでも労力を省くために用いられる」という面があるのは重々知っていますが、だからといって、それが「誰の目に触れるかもしれない場面」で用いられるのは、何か、ねぇ〜...。(「何か、ねぇ〜...。」とか言われても困るでしょうが...。)
 一対一の会話で「やっぱり」を「やっぱし」と言う、のとは異なるんじゃないでしょうか...?

 外来語についてもほぼ同じようなことが当てはまります。言っている本人だけがいい気になって使っている、という...。
 最近の外来語は英語がほとんどですから、もちろん、私はその人の言わんとするところが、ほぼ分かります。(笑) が、何か、ねぇ〜...。(爆)
 「そのプランをブレイクダウンしてそれぞれのアイテムをもう少しディスカッションすればオブジェクトもクリアーになるんじゃないかな?」なんて言われると...。(誰もそんなことは言わないかもしれないけど、ね。)
 「アニメ」や「テレビ」などの言葉が悪い、なんて言ってるんじゃないですよぉ〜! ただ、相手を煙に巻こうとしているのか?と思われるような使い方は止めようよぉ〜!、ということなんですよ、はい。

 また愚痴ってしまった...。私らしくないなぁ...。(笑)
(1998年9月書き下ろし)
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---つまんない話019 リビングとベッドとトイレ---

 やれやれ...。(って、別にお囃子でも声援でもない。ため息である、念のため。)
 今朝のことだ。いつものように私は新聞を斜め読みしていた。と、その時、新聞の下の方の広告欄の文に目が留まった。
 それは、ある本(どうやら、一種の自己啓発・啓蒙書)の広告で、「アメリカで500万部突破の大ベストセラー!!」とあり、さらに次のような一文が...。
 「アメリカではリビングに一冊、ベッドに一冊、トイレに一冊の必需品です。」

 おいおい...。またまた大袈裟なことを...。
 一体全体、それは本当なのかい? どういう根拠でそんなことを? アメリカの全世帯を対象としたアンケートでも?
 ま、それほど売れていることを強調したいのはわかるけどね...。確かに、中には物好きな人がいて、その本を3部購入して、仰せの通りリビングとベッドとトイレとに配置している人もいるかもしれない。でも、仮にいたとしても、ほんの極く一部の酔狂な人達じゃあないですか、そんなのは?
 まさか、この広告を見て「そうか...。アメリカさんではそんなに売れているのか...。では、我が家では3冊と言わず5冊買おうじゃないか!」なんて考えるおめでたい人はいないだろうと信じたいけどね...。
 でも、アメリカで売れているから何だっていうんだろう...? アメリカで必需品なら、日本でも必需品なのか? そもそも何でアメリカを引き合いに出すのだ? サンマリノ共和国ではどうなんだ? リヒテンシュタイン公国ではどうなんだ? 教えてよ。(って、これは無作為に引き合いに出しただけで、実はこれらの国がどこに位置しているのか知らない...。それに、その国々でこの本が出版されているとしても、どれだけの売れ行きなのかなどは本当は知りたくもない。(自爆))

 でも、それでも、この広告を見た人の中には早速本屋によって一冊買って帰ろうと心に決めた人もいるんだろうなぁ...。ま、いいんだけど。

 広告は、往々にしてそういうものだとは知ってますが...。「今、***が静かなブームを呼んでいます!」とかの常套文句...。「あ、そうですか。願わくば、そのブームがこれからも静かであって欲しいですね。」とか心の中で呟いてしまう HASENOBU って、やっぱり偏屈者? でしょうね...。今度から「くまきの部屋」の看板を改め「偏屈者の集う部屋」にしましょうか?(笑)
(1998年10月書き下ろし)
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---つまんない話020 てっこうとキャンプをした(その2)---

 「私とキャンプをしたのが『つまんない話』なのかぁ〜!?」とてっこう氏に怒られそうですが...。(笑) 冗談です、彼はこんなことで腹を立てるような度量の狭い人物ではないので。(と、さりげなく言い訳...。)

 以前にも書いたように、彼はアウトドアの達人である。何につけても動きに無駄がない。ほとほと感心するばかりである。
 その中でも心に残るてっこう氏の言葉を一つ。片づけをするてっこう氏に対して HASENOBU が「へぇ〜、念入りにするんですね〜。」と、呟く。すると、てっこう氏は
 「こうやっとくと次に使うときに、気持ち良く使えますからね。」と。
 う〜ん...、重みのある言葉だ...。

 そのてっこう氏の言葉を聞いたとき、英語の諺の "A stitch in time saves nine." というのがあるのを思いだした。「今日の一針、明日の十針」ということで、蛇足ながら説明すると「適切なときに一針縫っておけば、あとで十針縫わずにすむ。ほころびが広がらないうちにちゃんと手を打っておけば、後になって苦労することはない」というような意味である。
 そんなの当たり前じゃん、という方もきっといるだろうけれど、その当たり前のことがなかなかできない私だ...。
 自宅の庭で時々、バーベキューをする。が、バーベキューコンロは、使ったらそのまま、である。もちろん、永久にほったらかしにするわけではないが、時には一カ月近く野ざらし、雨ざらし、である...。(爆) 当然、錆がついたりするのだか、それすら気に留めない、実にいい加減な HASENOBU なのである。

 てっこう氏の自宅を訪れたことはない。が、きっとどんな時でもきちんと整理整頓されていることだろう。突然の来客があろうとうろたえることのないほど家の中は片づいていることと思う。是非、彼には私の自宅に来てもらいたい。そして私の部屋、そして私の家全体の片づけをお願いしたいものだ。(爆)
 あまり、というか、滅多に人のことを羨ましがったり、身習おうと思ったりすることのない私であるが、てっこう氏の几帳面さにはいたく感動し、身習いたいと思う。思うだけかもしれないけれど。(笑)
(1998年10月書き下ろし)
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