つまんない話 PART 3


目次
つまんない話021 不謹慎な話
つまんない話022 言霊思想について
つまんない話023 続行宣言
つまんない話024 このホームページにまつわるどうでもいい話
つまんない話025 言えなかった言葉たち
つまんない話026 古池 レド
つまんない話027 スーパーマン
つまんない話028 言ってしまった言葉---弟よ---
つまんない話029 第29回合同研修会
つまんない話030 OSHALE KAZU

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つまんない話021 不謹慎な話

 私は不謹慎な話が好きだ。(爆) なぜかは自分でも分からないが。
 「言っていいことと悪いことがある。」というのを知らないわけではない。ある言葉があまりにも無神経で人を傷つけるとしたら、それは言うべきではない、とは思う、いくら私でも。(笑)
 であれば、特定の人を傷つけることを目的としないのであればどうだろう?
 あるいは、特定の人を傷つけることを目的としないけれども、結果的に傷つけてしまう、という場合は?
 やはり、どちらも自粛しなければならないのであろうか...? そういう話をすることが品位のないことであり、非社会的である、あるいは反社会的である、と見なされるのだろうか、常識とやらによって?

 次の話はどうだろう?

 昨夜、庭でバーベキューをした。その時、鳥の手羽先を何本か焼き、塩コショウで食べた。美味であった。
 が、食べた後、当然だが骨が残る。ふと「これは燃えるのかなぁ...。鳥肉は結構、油が多いからそれなりに燃えるんだろうなぁ...。」と思った私はそれをそのままゴミ箱へ入れずに炭の中へと放り込んだのであった。
 バーベキューが終わり、まだ炭が燃え続けているコンロに水をかけ消火し、そして今朝、片付けをした。一度燃えた炭は次回の着火の時に火がつきやすいので干して再利用することにしている。で、コンロをひっくり返し燃え残りの炭を新聞紙の上に広げた。すると、これまた当たり前だが昨夜放り込んだ鳥の骨が残っているではないか。(ま、驚くほどのことじゃないですけど。)
 その白いかけらを手に取ると中は空洞で指先の力だけでもろく崩れる。
 そして、また、ふと思った。
 「これは...。まるで火葬の後の人骨のようだ...。生後数カ月の...。」

 やはり「な、何てことを...。」と思われただろうか?(別にそれでもいいけど。)
 もちろん、この話を、生まれたばかりの子供を失ったことのある人や、つい最近肉親の死を経験したばかりの人を相手に語るのはとんでもないことだ。本人にその意思がなくとも「死を揶揄した」ことになるだろう。(というより、そういう話を切り出す根拠もきっかけもないんだけど。)

 では、次の話はどうだろう?

 その日、私は卒業式を終えたばかりの約150名ばかりの学生達の前に立っていた。とあるホテルでの謝恩会でのことである。2年間の世話(?)に対して恩師(?)を招いての宴の場である。
 外国語科所属の数人の教員が招待され、そしてそれぞれから「お祝いの言葉」がはなむけとして述べられることとなった。
 普段の学校での装いとは違い、そこに並ぶ(元)学生達は華やかなドレスや和服を身にまとい、少し違和感のある化粧を施し、一見、誰が誰なのか分からないほどであった。司会の言葉に促されて私はマイクへと向かった。「何を喋ったらいいのだろう...? 言いたいことは授業中に言い尽くしたし、これといってないぞぉ〜...。」と思いながら、そして、いつものように人の前に立つことに過度に緊張しながら...。深く息を吸い込み、私は切りだした。
 「え〜...、皆さん、御卒業おめでとうございます。
 それにしても皆さん、今日は見違えるようにきれいに着飾っていますね。まるでお人形さんみたいですね。出来るならそのまま剥製にして家に持って帰りたいくらいです。」
 会場がシーンと静まり返った...。

 どう?(何が「どう?」なんだか...。)
 これも不謹慎かな?

 あ、今の二つの話、創作だとしたら?(笑) でも、創作であろうとなかろうと、そもそもそんなことを考えること自体がやはり「不謹慎」なのでしょうか...?
(1998年10月書き下ろし)
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つまんない話022 言霊思想について

 言霊、もちろん「ことだま」と読んで欲しいのだが、これはかなり幅広く受け容れられている思想である。
 結婚式(や披露宴)で「切れる」だとか「離れる」といった言葉を使ってはならない、というのもその一つであるし、呪文や祈願となればその最たるものである。
 ま、「口に出すこと」が「現実を引き起こす」ことにつながる、というわけだ、早い話が。

 だから忌み言葉やら不吉な言葉、物騒なことを口にすることが、通常の社会生活においても避けられ、良くないこととされるのだろう。そしてそれはタブーへとつながってゆく(ように私には思える。)

 しかしタブーの多い社会ほど原始的であるし、制約が多いほど熟していない社会だと私は思う。(もしかしたら、これは社会学の原則の一つかもしれない。そうじゃないかもしれないけど。)
 友人K氏が最近読んだ本によると「日本のあらゆる側面で言霊思想は根づいている」そうだ。そうかもしれない、残念だけれど。

 「思ったことをそのまま言って何が悪い?」というようなことを言いたいのではない。「相手の気持ちを慮ることなく言いたい放題」というのは幼児と何ら変わらない。(もしかしたら、自爆、かな?)

 だけれども、それを「冗談」として言うことでさえ不謹慎と見られる風潮には私は耐えられない。(って、実際には耐えてるんだけど...。)
 私の場合、「冗談」とは、その真骨頂においては「自己はもちろんのこと、他者を現実からできるだけ完全に遊離させることを前提とした言葉の遊び」なのである。(今、初めて定義しました。(爆))
 この前提が相手に共有されない場合、大変なことになる。(ここは間違いなく、自爆!)
 だから私が「ドギツイセリフ」を口にするとき、それは相手と先程の前提を暗黙の相互了解としていると私が判断した場合であるか、その前提を相手に共有することを望んだ場合である。もちろん、その際に私の言った「ドギツイセリフ」が現実となることを私は信じているわけでもないし、ましてや願ってなどはいないのである。
 言葉を換えて言うと、言霊思想とは全く異なる(というか、むしろ正反対の)立場から私は言葉の可能性を信じ、それに賭けているのである。ま、その賭けに負けてしまい苦労することも往々にしてあるのだけれども...。それでも私は懲りない、というか、信じ続けて行きたい、と思う。
(1998年10月書き下ろし)
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つまんない話023 続行宣言

 この1週間ほど私は悩んでいた。「悩み」という言葉が適切かどうか分からないが。とにかく、何か不安に思っていたことは間違いない。
 それは、「表現」「解釈」さらに、「主張」ということについて自分の中で整理ができなくなったからである。だから「つまんない話 Part 3」の後に、情けない文面を書いたりした。
 が、何人かの方から掲示板に、そして私信にて意見を賜ることができた。

 ある人は私のことを「とんがっている」と評した。それは、そうかもしれない。「伝えたいことが、ほとんど、ないんだ」と言いつつも確かに私は何かを伝えていた。それは少なくとも私にとっての正論である。別に他の人を納得させようとかいうつもりはないけれども。
 しかし、一方で「冗談がわからない人は御遠慮下さい」という入場制限(?)を自ら設けておきながら、私はその有効性をそれを疑ったりした。別に苦情が相次いだとかいうのではないが。
 これが、どうやら不安の種になっていたように思える。
 自分なりの(かなりの)精神の葛藤を経て、HASENOBU は甦った。(爆)

 そして、私は唯我独尊の気持ちを中途半端に秘めながら「くまきの部屋」を続けてゆく。自分で飽きてしまうまで。そしてその時は前触れもなく突然閉めてしまうだろうと思う。
 これから先、この部屋は私の路線をさらに進むことになる。これは宣言というより、警告かもしれない。(笑) だから、敢えてもう一度言いたい。冗談の分からない人は御遠慮下さい。見たくない人は見なくたっていい。
 と言うと「見たい人だけ見ればよい。」ということだが、かといって「批判」や「非難」や「罵詈雑言」は受け付けない、と言っているのではない。言いたければどうぞ。それらから逃げるつもりはもともとなかったし、これからも、ない。根拠のある反論などはむしろ大歓迎である。有益な議論が産まれるかもしれないし、ね。
 ということで、まだしばらくはこの部屋を続けま〜す。ま、以前ほど頻繁に更新はできないと思うけど。
(1998年10月書き下ろし)
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つまんない話024 このホームページにまつわるどうでもいい話


 このホームページは御存じのようにジオシティーズの無料で持てるページである。しかも、それは4MBのサイズがある。「は? たった4MB?」と驚き呆れる人もいるだろう。フロッピーディスク3枚分にも満たないのであるから、少ないといえば少ない。
 しかし、この「くまきの部屋」のファイル数は、画像も含めて30ちょっとであるが、果してその合計でどれくらいになると思います? って、突拍子もない質問だとは思うけれど。(笑)

 実は、何を隠そう、(隠しませんが)現時点では全容量の1割にも満たないのである。もう少し言うと、40分の36くらいなのである。数多くの駄文、そしてにのさんの文、幾つかの画像を現在、掲載しているがあと9倍くらいは書けるし、載せられるのだ。

 おそるべし、4MB...。(自分でも何が言いたいのやら...。(笑))

 それから、これまたどうでもいいことだが、画像は別として、私はテキストファイルで文面を書き、そしてさらに手作業でそれをHTML文書にしている。そう、タグを打ち込んでいっているのだ!(爆)
 ワープロソフトで書いて、そしてそれをHTML変換して作ったこともあった。だが、そうすると(何故かは分からないけれど)タグが異様に多く付いてしまうのだ。その結果、ファイルのサイズが不経済なほど大きくなってしまうのである。以来、どこかで前に書いたように Jedit というフリーウェアの軽快なエディタを使って書いているのだが。

 もちろん、私はコンピュータの専門家ではないので「凝ったホームページ」は作れない。(それに、負け惜しみでも何でもなく、特に凝ったホームページを作りたいとも思わない。) あ、もちろん、だからといって凝ったホームページが悪いとか、そんなことを言っているんじゃないけれど。ただ、目指す方向が違うんだ、というだけのことである。

 じゃ、ま、そういうことで...。(おいおい...。)
(1998年11月書き下ろし)
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つまんない話025 言えなかった言葉たち


 と、意味深なタイトルですが、残念ながら深刻な話じゃないです。

 唐突でしょうが、私は「田吾作」という名前には一つの思い出があります。(笑)
 それはある日のテニスコート。私は、いつものように、とあるクラブで何人かのお医者さんとテニスをしていました。
 ちなみに私の入っているテニスクラブは「医師ローンテニスクラブ」で、会員のほとんどは医師なのです。お医者さんでもないのになぜ HASENOBU がそこに入っているのか、などと追及してはいけません。ま、成り行きです。(笑)
 そのテニスクラブは広島では格式あるクラブの一つということになっているようで、若い男女がキャーキャー言いながらテニスをしている、という風景は一度も見たことはありません。やって来る人の8割以上は私より年上の方達です。そして待つ人がいないようにと、見知らぬ人でも声をかけ一緒にテニスを楽しむ、という不文律もあるのです。
 で、その日、初めてお会いした、そうですね、60歳くらいのお医者さんが「一緒に」と申し出られました。もちろん私達は快諾し、そして、その先生は「私は30年以上テニスをやっとるんだが、フォームが目茶苦茶でね〜。」と言いつつもコートに来られました。私もコーチについたことがあるわけでもなくスクールに通ったことがあるわけでもないので、その意味では我流のテニスなのですが、自分としては正統派のテニスを身につけたと思っています。(爆)
 なるほど、彼のフォームは奇怪なものでした。(スポーツという意味ではない)「運動」の原理を無視したラケットの振りなど、今思い出しても頭をかしげたくなるような珍奇な動きなのです、はい。
 そして、ゲームをして、大敗した後、彼は言いました。「ま、私のテニスは田吾作テニスですな。わっはっは!」
それを聞いて、口に出して言うことはできなかったものの、私は心の中で呟きました...。
「私は、その田吾作さんとは一面識もありません。ですが、その言い方は田吾作さんにかなり失礼だと思いますよ。」

 その方の専門が外科なのか内科なのか歯科なのか眼科なのか(もっとあるけど、略)は知りません。 ですが、はっきり言えることは一つ。あの方の患者となっても手術だけは受けたくない...。
 ごめん...。これだけの思い出です...。(笑)

 と言いつつ、もう一つ。

 テニスのテクニックの中に「ドロップショット」というのがある。これはバレーボールの「フェイント」と似ていて、例えばラリーをしていて相手がベースライン辺りにいるときに、突如としてネット付近でバウンドし、しかも弾まないようなボールを打つことである。当然、ドロップショットを放たれた相手は慌てて前にダッシュし何とか打ち返そうとするが、うまいドロップショットが決まれば打ち返せないし、仮に何とか追いついて返球したとしてもフワ〜っと上がるだけのボールで、それはスマッシュの餌食になってしまうのである。
 だが、このドロップショットを放つのはなかなか難しい。ラリーの中で、それなりの勢いを持った相手のボールの勢いを殺して、ポトリとバウンドしても弾まないボールを打たねばならないのだから手加減、というか、ラケット捌きが微妙なのである。下手にドロップショットを打つと、中途半端な球となってしまい、かえって相手の強打の餌食となってしまうのだ。言ってみれば両刃の剣なのだ。いかにうまくボールを殺すかが大変重要なポイントなのである。
 さて、私が時々行く上記のテニスクラブでもこのショットを得意技の一つとしている方達が何人かいらっしゃる。相手ながら実に見事である。
 そんなとき、いつも頭に浮かぶのだが、決して一度も口に出したことのないフレーズ...。
 「おぉっ! さすが、****先生! 殺し方が上手いですねっ!!」

 まだ、あのテニスクラブ、辞めたくないので...。(笑)
(1998年12月書き下ろし)
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つまんない話026 古池 レド

 以前、とあるネット上の場所で「軽い読み物」の話題が続いたことがあって「HASENOBU さんのお薦めはどんなものでしょう?」と、ある人から尋ねられたことがあった。
 その時に自分で何と書いたかははっきりと覚えていないが、確か次のような趣旨のことを私は述べた。

 「お薦め、というわけではないのですが、ナンシー関や泉麻人、景山民夫、中島らも、わかぎえふ、などのは好きです。また、古いけれど、なだいなだなどもよく読みます。」

 すると、その私の発言に応答して、その質問をした方は次のように書かれた。

 「あ、その人達のは私もよく読むんです! ただ「古いけ」さんなどは知らないですが。」

 私はそれを読んだとき、一瞬、「は?」と思ってしまったが、すぐに納得が行った。私は「なだ いなだ」を導入するのに「ちょっと、これは古いかもしれないけれど」という意味で「古いけれど」と書いたのであったが、その人は「こいけ れど」といった名前だと思ったらしい。ま、「中島らも」や「わかぎ えふ」といった少し奇妙(?)な名前を書いたりしたものだから、きっとその人は「小池 レド」といったような名前のエッセイストがいると思ったのであろう...。
 はい、つまらない話にぴったりの話題でした。
(1998年12月書き下ろし)
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つまんない話027 スーパーマン

 いつもながら「は...?」と思われるようなタイトルを付けては一人、悦に入っておりますです HASENOBU ですが...。
 小学校の先生は、スーパーマン。もしくはスーパーウーマン。ただただ、頭が下がります。(マジで、ですよ!)
 音楽、家庭科、体育の場合には専科の先生もいらっしゃるが、基本的に小学校の教員は全教科をこなせる...。本当にすごい、と思う。これは私自身、小学校教員養成課程を主専攻としていたし、小学校で教育実習もしたし、妻も含めて現職の小学校教員の知人が多いから、よ〜く知っているつもりである。

 が、私は小学校の先生にはなれなかった。その簡単な経緯は別の所に記しておいたことだが。私は「自分が小学校の先生には向いていない」とそこに書いたのだが、そう確信した時のことを書こう。

 教育学部の学生、特に小学校教員養成課程を主専攻とする学生は色んな教科、というか、小学校にある教科は全て学ばなければならない。当たり前だ。「これがどう小学校での授業と結びつくのだろうか...?」と不思議に思わないではいられないような授業もあったが、基本的には小学校で授業をするために身につけておかねばならないようなことを何でもやらねばならない。
 「小学体育」というのもそうだった。先生が「開脚前転」ができなければ児童には分かってもらえない。やって見せないことには話にならないのだ。だから、当然、体育実技の授業が大学3年生頃になっても組まれているのだ。(ま、想像つくこととは思いますが。)

 現在の体育の中に「表現運動」というのがあるのを皆さんは御存じだろうか? そう、時には音楽に合わせ色々なものになりきって跳んだり踊ったりして身体を使って何かを表現する、というものである。
 これが、私には、致命的だった。(ちょっと言葉が違うかも...。(笑))

 20歳を過ぎた男女数十人が、それぞれの役目を果たし一つの光景やストーリーを造り上げる...。ある者は「レンゲの花」、ある者は「妖精」であったり...。そして私は「ミツバチさん」だった....。いい歳をして、両手を地面に水平にして、それをバタバタさせて「ブ〜ン、ブ〜ン」と唸りながら体育館の中を走り回るのだ...。ふと目をやると硬式野球部のエースが「汽車ポッポさん」になりきって一心不乱に走っている...。みんな目が真剣だ...。

 私も私なりに頑張ったが、その時悟った。「こりゃ、無理だ...。」

 人にはやってできることとできないことがある。と書くと少しずれてしまうかもしれない。言い直そう。人には向き、不向きがある。(笑)
 私は「自分が小学校の先生は向いてない」と常々思っていたが、この時点でそれは決定的なものとなった。
 以後、小学校の先生になるための授業に熱が入らなかったのは言うまでもない..。(笑)

 あ、関係ないけど、熱が入らなかったため「青年心理学」の単位を落としてしまい、翌年、一年下の学生のクラスで再履修したのですが(笑)、その時、「斉藤慶子」と一緒の授業に出てました。だからどうしたって訳じゃないけど。(爆)
(1998年12月書き下ろし)
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つまんない話028 言ってしまった言葉---弟よ---

 繋がらないタイトルだと思われたかもしれません。

 前に「言えなかった言葉たち」というタイトルの駄文を書きましたが、これは、その姉妹編です。ですが、兄弟絡みの話です。

 私には一つ年上の兄がいます。実の兄です。この言い方は問題ありかもしれませんが、兄は長男、私は次男です。私達は二人兄弟で、私が末っ子(?)というわけです。
 で、その兄と私は大変仲が悪く(爆)、物心ついたころからケンカばかりしていがみ合っていました。兄は、何でもそつなくこなす弟に妙な嫉妬心を抱いていたのでしょう、きっと。(笑) ま、私が25歳くらいの時に兄との間に和平交渉がまとまり、今は、少なくとも以前よりは仲良くしています。

 いつも兄からケンカを吹っかけられてばかりいた私は、下に妹か弟がいれば、本当に可愛がってあげるのに...、と思ってました。ですが、それを父母に言っても取り合ってもらえず哀しい思いをしたものでした。(笑)

 さて、そういう私にも妹ができました! って、これだけ書くとかなり危ない中年男、って印象を与えるかもしれませんね。(爆) そうです、(は?)、結婚した相手に妹がいたのです!(って、こう説明しても危ないヤツと思われるかも...。) そしてさらに、その義理の妹が結婚したので、弟までも!!(って、義理の、ですけれど...。)
 一緒に暮らした経験があるわけでもないので、その二人の結婚式の日には「妹の花嫁姿を複雑な心境で見守る兄」になりきることはできませんでしたが。
 ま、とにかく妻の妹が結婚し、私にとって妹と弟ができた、というわけです。

 待望の弟...。とは言え、ついこの前までは顔も知らない人間ですから、初対面で、いきなり兄貴風を吹かすわけには行きません。(笑) 「今日から私がお前のお兄ちゃんだ。何か困ったことがあったらいつでもお兄ちゃんに言え!」だとかいくら言いたくっても、言うと変でしょう、きっと。(爆) ですので、そのセリフは言いませんでした。「ま、よろしく。」と素っ気無く言うのが精一杯でした。(笑)

 で、その妹夫婦がヨーロッパでの新婚旅行を終え、妻の実家に夫婦揃って遊びに来ている、ということで、私も妻と子供と揃って、そこへ向かいました。着くと、そこには、いるいる、私の弟と妹が...。(爆)
 どうやら旅行の時の写真を持参していたようで、それを見ながら話が弾んでいるようです。
 「へぇ〜、ヨーロッパか...。いいねぇ〜。ちょっと見てもいい?」と私は妹に言い、何枚か写真を受け取り、「ほぉ...。これ、本当のレース場? ふ〜ん...。」などと言いながら見入っていました。そして妹夫婦に見終わった写真を渡しながら、一枚の写真に写っている人物を指さして私は尋ねました。
 「で、Y美さん(妹の名前)、この中年のおばさんは誰? 他の写真にも何枚か写ってて、ちょっとずうずうしいよね〜。ツアーで一緒だったおばさんで、旅行中に仲良くなった人なのかな?」
 妹の顔がこわ張りました...。「そ、それは...、T哉さん(弟の名前)です...。」

 次に顔がこわ張るのは私の番でした...。(爆)
 あぁ...、弟よ、こんなお兄さんを許しておくれ...。
(1998年12月書き下ろし)
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つまんない話029 第29回合同研修会

 で、何の「合同研修会」かというと、以前、どこかで書いた「広島市公衆衛生推進協議会」の「推進委員」の研修会である。

 私は今住んでいる地区の公衆衛生推進協議会の会長職を務めて2年目だ。それで時折、上位団体である区・市・県の公衆衛生推進協議会から色んな行事へ参加するよう文書が届けられる。しかし、それらの行事の時間というのが結構突拍子もない。(笑) 早朝から開催される平和記念公園の清掃活動などはまだいい方で、平日の午後1時から「**区民文化センター大ホール」であったり、平日の午前10時から「**区役所5階第一会議室」であったり...。できるだけ都合をつけて参加・出席しているのだが、どう考えても普通の、つまり、いわゆるサラリーマンの勤務時間を度外視した設定である。一体、どうしてそんな時間帯に会合を持つのか?
 答えは簡単明瞭だ。一度でもそういう所へ足を運べば分かる。そのような推進委員の9割以上が、既に定年を迎えた年齢の方なのだ...。一人一人に確かめたわけではないが。この前、各種協議会の名簿が郵送されてきたが、見ると昭和一桁、あるいは大正生まれの方がほとんどなのだ。
 従って、彼らの多くは職を退き年金をもらう歳になり、さぁ、後は地域の人々の暮らしに何らかの形で貢献しようという意志を持たれてこの公衆衛生推進協議会の委員に進んでなられた方達なのだ。町内の各班の当番制で集まりへのこのこと出かけ、そしてジャンケンで負けて会長職を引き受ける羽目になった私とは大違いである。(笑)
 で、ここまでが前置き。(爆)

 話は「合同研修会」である。研修会は毎年、何度も開かれているのだが、1月の研修会は一味、違う。(少し意味不明) この1月の研修会は一泊二日で近隣の保養地・観光地で行われ、往復時にはなぜか各地の名所巡りまで設定されているのだ。昨年も案内は届いたが、日程(もちろん週末とかではなく、ごく普通の週日)が合わず泣く泣く断念した。が、今年、というか、今回はどうやら日程的には問題はなさそうだ。(もちろん平日だけれど、深く追及しないでね。)
 今回の行き先は、なぜか香川県の琴平温泉である。瀬戸大橋経由である。善通寺の観光や屋島山頂、栗林公園などにも寄るようだ。非常にそそられる...。
 ただ、少し気掛かりなことが...。推定平均年齢70歳前後という人達の集団の中で果して HASENOBU はうまく立ち振る舞えるのか...? 元来、人付き合いが少ない私が、ここまで年齢の離れた人達に仲間として受け容れてもらえるのであろうか...?
 が、今回は申し込んでみようと思う。これも人生勉強の一つだ。ほとんど面識のない父親が140人ほどできたと思えばよいではないか、HASENOBU よ。(って、無茶苦茶な話ですが。)

 ということで、1月末にこの合同研修会は行われる。追ってこの研修の顛末は報告しよう。(笑)
(1998年12月書き下ろし)
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つまんない話030 OSHALE KAZU

 OSHALE KAZU...。一体、何語だろう...?

 今夜、娘のヤマハ音楽教室の迎えの時に駐車場から何気なく眺めた所にその店はあった。その店の軒先、というか屋根の位置にその「OSHALE KAZU」という言葉は書かれていた。大きな黄色のアクリルの看板に誇らしげに青くブロック体で...。
 好奇心に駆られた私はその店へと足を向け、それが「散髪屋さん」だということにすぐに気づいた。明りは点っていないものの例の螺旋状に描かれた「赤と青と白」の線が中で廻る物体(何というのだろう? 標識でもないし...)があったのだ。「カット&パーマ」という言葉もガラスに書かれていたから間違いはない。
 「もしや...。『おしゃれ かず』?」
 そうだ、それ以外には考えられない...。(爆)
 私は言い様のない虚脱感に襲われた...。ついこの間まではあんな看板はなかったはずだ。きわめて最近できた店なのだろう、きっと。でも、一体、何を考えて「OSHALE KAZU」などと書くのだ? 誰に読んでもらいたくってそんな表記をするのだろう? もちろん、OSHARE KAZU と正しく(?)書いたとしても、だ。

 巷にはローマ字が溢れている。外国から来た人達の便宜を図って公共の物に添えられるローマ字表記は、ま、うなずける。海外へ輸出される商品に書かれている、というのも、ま、目をつぶろう。だけれども、そうではない、はっきり言うと、「何となくアルファベットを使うと洒落た感じがするから」というような理由によるとしか思われないようなものが極めて多い。うんざりするほどだ。

 先日、帰省したときに父親にMDコンポを買った。父は音楽が好きで、もう70歳を越えているのに私の知らないような若手の曲をよく聴いているらしい。 GLAY など、私は名前だけは知っていたが、一度も聴いたことがなかった。(正確には、もしかすると、どこかで流れていたのを聞いたことはあるかもしれないけれど。) 今回、父の持っていたCDで初めて聴いたほどだ。だが、そういう系統の音楽に異常に詳しいのだ、父は。(笑)
 で、父は、昨年、夏に買い替えた車にもMD、CD、ラジオ、カセットテープ、全てを聴くことのできるカーコンポをオプションでつけていた...。が、MDに録音するためのMDデッキ(もしくはMDコンポ)はまだ持っていない、ということだったので、親思いの HASENOBU は「じゃあ、父さん、僕が買ってあげるよ。」ということになった次第である。(泣かせる話である...。)
 ところが、電気屋に行って父に使いやすいようなものをと思ってもなかなかないのである。つまり、日本語表示で「止まる」だとか「録音」だとか「再生」だとかの操作方法が日本語で書かれているものがほとんど皆無なのだ。ラジカセの中にはそういう「高齢者向け」の日本語表示のなされている製品もあったが、MDコンポとなると一つもない...。結局、英語でしか書かれない製品を購入する破目になった...。(もちろん、取扱い説明書は日本語だが。)
 何なのだろう、一体? という気がしてならない。もちろん、こういうことはその時に初めて思ったことではないが、つくづく嫌気がさしてしまう...。この「無意味な英語、アルファベットの氾濫」については言いたいことはそれこそ山ほどあるけれど。また気が向いたら。(笑)

 ちなみに、私のこのホームページの玄関の所にある幾つかのローマ字や英語による表示は、そのあたりのことを意識しつつ、ふざけて自嘲的に書いているのだということに気づいて下さいね。(笑)
(1999年1月書き下ろし)
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