つまんない話 Part 6

目次
その51 髪を切った...。
その52 夜明けの電話
その53 父の日
その54 面接試験
その55 一年経過
その56 髪を切った...。(2)
その57 J先生
その58 三浦
その59 三上
その60 出張から帰った...。

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その51 髪を切った...。

 私、髪を切りました。別に失恋したわけじゃないが。(笑)
 別にイメージチェンジしようと思ったわけでもなく。ただ、伸びてきて鬱陶しいから、というそれだけの理由だ。
 実は、昨年夏頃に、かなり思いきった切り方をした。いわゆる「スポーツ刈り」に近い感じにしたのだった。そして、それ以来、先月末まで伸ばし放題にしていたのだ。襟元の辺りもかなり毛が伸びていて、あともう少しでポニーテールも夢じゃない、という程であったのだが、近々、近隣の高校を訪問しなければならないため、あまり怪しい格好はできなくなったのだ。ま、高校訪問というと一種の営業、セールスみたいなものである。そこに余りにもむさくるしい格好で行くのははばかられるというわけだ。
 いっそのこと、スキンヘッドに、とも思わないでもなかったが、やはり、対外的なことを考えると踏み切れない...。(このあたりの私の苦渋については「世捨て人講座 Part 1. 」内の「08 髪型篇」を読んで下さい。)
 ってことで、ただ、短くした、というだけだけど。

 で、散髪屋さんに行ったのだが、私が「適当に短くして下さい。え? 耳の辺りですか? はい、どうでもいいです。」と言うと、その散髪屋さん(この時は40歳くらいの女性の理容師さんだった)が、「まぁ...。どうでもいいって。多いんですよね〜、男のお客さんでそう言う人って。」から始まり、しゃべるしゃべる。(笑)
 自分が美容室に行ったときにいかにこと細かに注文を付けるかを延々と話すのだ。そんなものを自慢気に私に話して何が面白いのか?
 そして、こんなことを駄文に記すHASENOBUは一体何を考えているのか?

 さぁ...?
 仕事で何か嫌なことでもあったのでは...?(爆)

 あ、そう言えば、この前、とあるところの掲示板に私のホームページ(もちろん、このくまきの部屋のことだ)を前に読んだのだが「よく分かりませんでした」との実に正直な感想が記されていた。さもありなん。(笑) その方の言う通りだと思う。自分でも「何をやっているんだろう...?」と首をかしげたくなることも、ある。(笑) それは否定しますまい! ただ、「惰性で」ということではなく、「ただ、書きたいから」ということで書いているんだと思う、自分では。(多分。)

 意味不明のまま、おしまいっ。
(1999年5月 書き下ろし)
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その52 夜明けの電話


 夜明けに突然電話が鳴った。一瞬、まだ夢を見ているのか、と思ったが確かにベルが鳴っている。「はぁ...? 誰だろ、今ごろ?」
 眠い目をこすりながら起きだす。腕時計を見ると午前5時近くだ。ぼんやりとした頭で受話器を取る。
 「もしもし...。」
 え...? 女の人の声...? そして小声の、ささやくような、消え入りそうな声が続く。
 「私、です...。」
 
 「私」と言われても見当がつかない。聞き覚えのない声だ...。一体、誰だ...? 

 ぼぉ〜っとしていた僕は何と言っていいのか分からないままでいた。さらにその女性は言葉を続ける。

 「さよなら...。」

 泣いている、この人は...。それに気づいて僕の心臓は早鐘のように鳴った。え? え?
 「間違いですよ。」と言うべきかどうか僕は迷った。どうしよう...?

 と、間もなく電話は切れた。

 明らかに、これは僕の知らない誰かからの間違い電話だった。僕には、いきなり別れ話を切り出すような女性の友達なんていない。いや、そもそも女性の友達なんていないのだ。
 再びベッドに横になった僕はもう眠れなかった。あきらめてベッドに起き上がりタバコに火をつける。
 一体、さっきの女性はどうなるんだろう? あのただならぬ気配の声からするとかなり思い詰めていた様子だ。もしかしたら、「さよなら」を言うのを一晩中ためらい続けて、そして意を決してやっとの思いでダイヤルしたのかもしれない。うん、きっとそうだろう。

 彼女が別れを決めた、その相手は、もしかしたら彼女の会社の同僚かもしれない。もちろん、それ以外にも考えられるけれども。でも、もし、毎日顔を合わすような相手だったとしたら? あの電話を受けるはずだったその男は彼女がすでに別れを告げたつもりでいることも知らずに「やぁ、おはよう!」と彼女に声をかけるかもしれない、何の屈託もなく...。そしたら、彼女は、どうするのだろう...? どう思うのだろう...?
 「今度の日曜、映画に行こうか? ほら、この前、観たいって言っていたあれだよ。どう、都合はつく?」なんて言葉をその男が言ったら、彼女は何て答えるのだろうか...? 
 自分の出した答えを彼が拒否した、と彼女は考えるのだろうか? そして、それなら私も、と思い直したりするのだろうか? それとも、いつもと変わらない彼の態度に傲慢さを感じ憤慨するのだろうか...? それとも...?

 僕には分からない。
 あの時、すぐに「間違いですよ」と言えば良かったのだろうか?
 僕は、自分の知らない彼女と、その恋人とのこれからのことが知りたいと思ったが、どうしようもない。その電話以来、彼女から電話がかかってくることもないまま時は過ぎた。だけど、今でも時々、その二人のことを考えてしまうのだ。
------
 と、まぁ、とんぼの「夜明けの電話」という曲の一番の歌詞をもとに、イメージを膨らまそうとしましたが、見事に失敗したHASENOBUでした。(笑)
(1999年6月 書き下ろし)
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その53 父の日

 さて、6月の第三日曜日は父の日であった。私は二児の父親だが、その「父の日」を迎えても、これといって特別な感慨は感じない。妻の父も私の父もまだ健在だが、彼らに対しても特別な感慨はない。(爆) 「恩知らず!!」と罵られるかもしれないが(笑)、日頃から感謝の念を抱いているのだから、特にその日だけ、ということにならないからだ。(もっとも、妻の意見を尊重し、プレゼントを贈り、電話をかけたりはするのだけれども。) ま、このあたりの私の「記念日」嫌い(?)については前にどこかで書いたので、もう、いい。

 だが、そんな私に、毎年「父の日」になると子供たちは、それぞれに工夫を凝らして何かのプレゼントをくれる。現在小学6年生の娘の方は、かなりしっかりした女の子なので「まとも」なものを準備してくれるのだが、息子(現在小学2年生)は、ちょっとね〜、と言いたくなるようなものを用意するのだ。って、別にどうしようもない品物をプレゼントしてくれる訳じゃないが。
 息子の方は放課後「留守家庭子供会」という組織(笑)に世話になっていて、スイミングスクールに通う日を除けば、ほぼ毎日、夕方まで学校の敷地内にある「児童館」へ行く。そしてそこでは雛祭り、七夕、父の日、母の日、勤労感謝の日、などなど時節(の行事)に合わせて色んなことをしたり、ものを作ったりしているようだ。そして、昨年、今年、とじゅそ(息子)が私にくれたものは・・・。

 じゅそお手製の、革製の小型の、いわゆるキーホルダー。どこかの国の民芸品みたいだが同時にどの国とは言えない無国籍な感じのする彩りと模様...。目がやけにひっついていて、かなりデフォルメした、無気味な人間の顔だとは思ったのだが、私はそのちゃちなキーホルダーを使うことにした。が、何せ、子供の作ったもの。半年ほど経ったときに金具が外れてしまった。
 「お〜い、じゅそ。あの人間の変な顔のキーホルダー、外れちゃったよ。」
 「え? あれは顔じゃないよ。魚だよ。『ヒラメ』だよ。」

 そうだったのか...。(笑) 私はてっきり人面だと思っていたのだが...。では、間を取って「人面魚キーホルダー」ということで納得するのが賢明だろう。(ちなみに、息子のために言っておくと、そのキーホルダーはちゃんと直して今も愛用しているが。)

 そして、今年。じゅそは「感謝状」を私にくれた。感謝状、と言っても、画用紙に印刷された枠や絵にクレヨンで色付けして、そして思い思いの言葉を鉛筆で殴り書きしてあるだけのものだが。以下、引用:
 「おとうさん、いつもありがとう。でもおさけや、ビールは、おさけは、一日一ぽんで、ビールは一日3ぼんにしてね。あと、タバコは、一日2はこぐらいにしてね。  じゅん一より」

 おい...。酒は一日1本、ビール一日3本、タバコは一日2箱って...。(笑)

 そして余白には色んな絵が描かれている。「ラーメン」「ギョウザ」「おさけ」「ビール(のジョッキ)」など、品名が書かれたものは、ま、わかる。が、どう見ても「枕」のようなものや、ボウルにストローが立っているものなど意味不明の物体が幾つかある。また、もしかしたら、お菓子の「(グリコ)ポッキー」なのかもしれないが「PHP」と書かれている物体もある...。さては「PHP研究所」がお菓子産業に乗り出したのか?
 もしもテニスのラケットが書かれていたのであれば、それは、分かる。「お父さんの好きなものを描こうっと。」と思ったのかもしれない。だが、別に私は枕が好きでもないし、PHPに特別な興味を持っている訳でもない。一体、あの図柄で息子は私に何を伝えようとしたのか? 何かの「心の叫び」? それとも「危険信号」なのだろうか...?
 どうも、じゅその考えていることは分からない...。
(1999年7月 書き下ろし)
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その54 面接試験

 今日(7月18日)は私の身分は、とある資格試験の面接委員様だ。(爆)
 ヒマな人は何の試験があったかを調べてみるがよい。(何て傲慢な口のききかただ...。(爆)) 実は規定により自らが「**の面接委員である」ということを公表できないのだ。(笑) って、ま、だいたい察しがつくだろうけれども。
 で、その面接委員の仕事はかれこれ十五年ほどやっているのだが、いつもながら、この面接というのは疲れる仕事である...。ま、それでなにがしかの報酬を貰うのだから文句は言わないが。

 この**の試験は年とともに変わってきている。つまり問題の形式や方法、そして評価のポイントなども変遷しているのだ。特に近年では「自発的な表現能力」を「attitude」という項目で評価の一部にも取り入れている。要するに「伝達しようとする意欲」を評価に加えるわけだが、これまた判定が難しい。(極端に声が小さくって「一体、この受験者は私に聞こえないことを望んでいるのか?」と思いたくなるような者さえ中には、いる。)

 受験者の大半、いや9割近くは生徒・学生である。(今日は「児童」もいた。しかもその少年は9年間の海外生活経験があり、やすやすと2級をクリアーした...。) が、いわゆる「社会人」もいる。プライバシーの侵害になるといけないのでこちらから職業を尋ねることはないものの、最初の自由会話で「自動車の部品を作る会社に勤めています」だとか「最近は外国人の犯罪者が増えているので警官も英語を話せたほうがいいと思って勉強しているんです」などと自ら言う人がほとんどだ。
 しかし、午前と午後で時には50名近くの受験者に面接していると、中には私の母親や父親と同じ年代の人がいたりして、それはそれでかなりやりづらい...。(笑) 今日も私の母よりも5つ年上の女性が受験していて問題文を老眼鏡を取りだし、たどたどしく(でも、もちろん、真剣に)読まれたりすると、何となく評価も甘くなるというものだ。(爆) って、極端に甘くするということはないけど。

 また、これはこの面接に限らず、本職の方のテストの採点の時などもそうなのだが、あまりに奇妙な英文に数多く接すると段々こちらの評価も揺るぎがちだ。(つまり逸脱の度合いに鈍感になってくるのである。) 例えば、 I can computer 〜 などと言われたら Everybody have 〜 の逸脱の度合いなんて何でもないようなものに思えてくるのだ。(爆)
 
 はぁ...。(←これはため息。)

 しかしねぇ...、何でこんなに「英語を話す」ことにこだわるのかなぁ...。って、これを言うと身も蓋もないけれど。そしてその片棒を担いでいるお前はどうなんだ、と言われると困るんだけど。(笑)
(1999年7月 書き下ろし)
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その55 一年経過

 ん〜、いつだったっけ...? 自分でも覚えてないや。(笑) ま、とにかく、昨年の海の日を過ぎたころにこの「くまきの部屋」はオープンした。前に少し触れたこともあるのだが、私はとあるところに「掲示板だけ」のページを借りていた。その節はお世話になりました。>まゆみさん。m(_)m
 だが、掲示板、というのは「書いたものが流れてゆく」という宿命を持っている。これといって言いたいことがあったわけではない私だったが、「この前書いたのだけれど」というのを繰り返すのが面倒になった。(笑) それにものぐさだし。(爆) そんなことを思っていた時、マックの雑誌を眺めていて「すぐに始められるホームページ」といった感じの特集をたまたま読んだ。その時(自宅から繋ぐことは滅多にしない私にとって、そしてこんなことにお金を使うよりも本を買うことを優先したい私にとって)すぐに無料で持てる「ジオシティーズのホームページ」というのは魅力的に映った。
 で、深く考えることもせずにいきなりホームページを開いた。もちろん、たくさんの人に来てもらいたい、というようなことは思っていなかった。(それは、今でも、あまり変わらないが。) ホームページの開設を知らせたのはほんの数人だけだった。

 途中、色々とあって立ち止まったり、突っ走ったり(笑)したけれども、いつのまにか一年を過ぎた。が、これまたどこかに書いたように意味のない記念日は嫌いなので「一周年記念!」と色めき立つことはない。別に感慨深い気分でもない。「あ、一年か...。ふ〜ん...。」という程度だ。もちろん「メデタイ」という気持ちは皆無だ。(って、他の人が「○周年!」ということを祝いたい気分を否定しているわけじゃない。)

 継続は力なり...。(爆)

 ま、そうかもしれない。が、そうじゃないかもしれない。

 色んなことを書き連ねているうちに、私には「書く」という作業のまた新しい意味が生まれてきたし。ということで、別に決意しているわけじゃないけど今後も、私は私の好きに書く。(爆)
 「冗談について」の解説にも書いたように、私の文面は、事実と虚構が入り交じっている。全てが事実だと思ったら間違いだし、全てが虚構だと考えてもらうのも間違いだ。(別に構わないけど。)
 私は少しばかり天の邪鬼なので「今後とも、このホームページをよろしく!」とは言いたくない。(笑) 読みたかったら読めばいいし、読みたくなかったら読まなければよい。(爆)

 と、こんな偏屈なことを書いているのも、つい先日、とある人の掲示板(って、はっきり書くとkz氏の掲示板)に「出会いがいっぱいの私のホームページへお越し下さい。」といった趣旨のことを(たぶん、ランダムにだろうけれども)書いている文面を見たからだけれど。私は自分の守備範囲を拡げるよりも狭めることの方がいい、どちらかと言うと。(爆)

 「じゃ、とっとと引っ込めば?」と言われるかもしれない。が、それは余計なお世話だ。(爆) 私がやめたいと思ったらあっさり止める。余計な心配は御無用だ。

 今回のひねくれ度、偏屈指数はかなり高いぞ...。(笑)
(1999年7月 書き下ろし)
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その56 髪を切った...。(2)

 私、髪を切りました。別に出家したわけじゃないが。(笑)
 ただ、伸びてきて鬱陶しいから、というそれだけの理由だ。って、大体の場合、髪を切るのはそういう理由でのことが多いとは思うが。
 けれども今回は、かなり思いきった切り方だ。昨年の夏には「スポーツ刈りみたいな感じ」だったが、今回は完全に「スポーツ刈り」だ。ここまで短くしたのは大学の時、空手部にいた頃、以来じゃないかな...?

 何度も書くと変に疑われそうだが、私は髪の毛に未練はない。(爆) いっそのこと剃りたい、とさえ思っているのは事実である。が、なかなか、そこまで踏み切ることができない自分が悲しい...。
 ということで、妥協の結果がスポーツ刈り、というわけだ。

 頭部だけ写真に撮ってアップしてもいいのだが(笑)、結構、笑える。(爆) 自分でも散髪屋さんで鏡を見ながら「ぎゃはは!! これはまさにHASENOBUキャラクタだ!!」と内心、爆笑していた。
 その一方で、もともとストイックな感じのする顔立ちのせいか(爆)、何となく、僧侶っぽく見える。「曹洞宗、光明寺におります円徳です。」と初対面の人に名乗ってもほとんど全員に納得してもらえそうなほどだ...。

 しかし、この髪型(?)、子供たちには大の不評である。
 昨夜、帰宅して、娘と息子に「ほ〜ら、髪を切ったよ!」と見せてみると、娘は「きゃあ〜、イヤよぉ、お父さん!」と叫び、息子は息子で「お父さんが、お父さんじゃなぁ〜い!」と訳の分からないことを言って泣き出す始末である。(爆) 見ると娘も息子も涙を本当に流しているのだ...。
 「これから出かけるときは絶対に帽子を被ってよっ!!」と娘。そして「そうだよぉ。お母さんに毛生え薬買ってもらってよぉ。」と息子...。

 素直な子供たちだ...。(爆)

 で、私は私で、結構、気に入っているのだ、これが。(笑) 決して見た目はさわやかではないが、当人としては至極快適でさわやかなのだ。撫でてみても、心地よい。(爆) これから、ず〜っとこの髪型でいようかな...、毛が完全に無くなるまで...。(笑)

 あ、そう言えば。久し振りに鏡に映る自分の顔をしげしげと眺めた時に気づいたことが幾つかあった。まずは、面長になったなぁということ...。(笑) そして、顔が丸くなって、いや、はっきりと言うと「下ぶくれ」に近くなっていることに...!!(爆)
(1999年8月 書き下ろし)
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その57 J先生

 私の属するテニスクラブに「J先生」という方がいらっしゃる。時折、一緒にプレーすることがあるのだけれど、その度に思うのは、「あ〜、うるさい...。」ということだ。(爆)
 別にJ先生がのべつ幕無しにプレー中に奇声を発し続けている、というわけではない。(笑) また、ダブルスのパートナーの動きや配球に文句を付ける、というのでもない。だけれども、とにかく口数が多いのだ、J先生は...。
 具体的に話さないと分からないだろうから、例を挙げよう。
 J先生がリターンの構えに入る。「さぁ、来いっ。」 気合い充分だ。
 J先生がリターンの時にサービスエースを取られる。しかもノータッチエース。「いやぁ、参りましたっ! 今のは今日一番の速いサーブですな!!」
 J先生が打ったボールがネットする。「しまったぁ〜。う〜ん、面をちゃんと作らねばっ!! よ〜し、こんなミスはもうしないぞっ!!」 
 J先生が、再び同じミスをする。「あれぇ...? まだ面を上にむけなければならないのか...。」
 J先生がさらに同じミスを犯す。「いやぁ、スライス回転のかかったいい球ですねっ!! 参ったっ!!」
 
 サーブを打つ前はポイントを明瞭に言うのが(セルフジャッジのゲームの場合)ルールである。「フィフティーン、サーティ!」などのように。通常の人の場合は、これだけである。が、J先生の場合は、やはりその後にかけ声(?)が入る。
 さて、ここで問題です。(笑) 「J先生がサーブを打つ」時のかけ声はどんなものでしょう?(笑)
 レシーブをする時が「さぁ、来いっ!」なのだから、当然、(自分が)サーブをする時には「よぉ〜し、行くぞっ!!」くらいになりそうなものだが、彼の場合は、なぜか「さぁ、来いっ!」なのである...。なぜだろう...? その理由を確かめるのも変な気がするので尋ねていないけれど、ちょっと気にかかる。

 もちろん、J先生は自分の行動に対しての言動だけではなく、パートナーや相手にもコメントなさる。「すばらしいっ! 今のバック、よく肩が廻っていましたねっ!!」、「難しいロブをよく返しましたねっ!!」、「いやぁ、今のタッチ、完璧でしたね! 参りましたっ!!」などなど...。
 ちなみに、昨日、J先生と組んでゲームをした。結果的には6-1で私たちが快勝したのだが、にもかかわらず、J先生は少なくとも十回は「参った」ようである...。

 あ〜、つまらない話を書いた...。でも、なぜか、書きたかった...。自分でもなぜなのかは分からないけれど。
(1999年8月 書き下ろし)
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その58 三浦

 さぁ、つまんない話をするぞっ!!(そんな意気込まなくっても...。)

 私の友人に三浦という人物がいる。もう彼とも15年ほど会っていないのだが、あいつのことだ、きっと元気なんだと思う。
 三浦とは高校一年の夏休み頃に知りあったのだと思う。もしかして冬休みだったかもしれないが、そんなことはどうでもいい。高校は別であったが、私の中学校の時の同級生と三浦が知り合いだったというわけだ。「三浦っていう面白い奴がいるんだ」と噂に聞いており、たまたま友人宅でみんなで集まったとき(多分、トランプ大会でもしたのだと思う...。(笑))、ちょうど、その三浦もいたのだった。
 で、その場で友人から「ほら、こいつが三浦だよ。」と紹介された時のことだ。
 「やぁ。よろしく。」という感じで互いに挨拶を交わし、「どう、N高校は面白い?」などと他愛もない話をしていると、三浦が突然こう言った。
 「あれ? 何か、言葉が違うなぁ...。もしかして、自分、大阪におったんちゃう?」

 その通りだった。私は少年時代を大阪で暮らしていたのだった。父の仕事の都合で九州に帰るまで丸10年、守口市というところにいたのだ。だが、九州に行ってからは、家庭内はさておき、友人達と話すときには、できるだけ自然な熊本弁を喋るように日頃から注意していたのだ。語彙はもちろんのこと、アクセントもできるだけ平板化したものを使うように心がけていた。(ちなみに、関西を離れても、誰彼構わず関西弁を喋るというのは私にはできないことである。)

 なのに、この三浦は二言三言、言葉を交わしただけで私が大阪出身だということを見抜いたらしいのだ!! しかも、相手を指して「自分」という言葉を使うとなると、三浦もきっと関西、いや、大阪の出身だ。

 「え〜? 分かるぅ? できるだけ分からへんようにしゃべっとったつもりやけどなぁ。」
 私は大阪弁で応じた。
 「そんなん、すぐに分かるで〜。」と三浦。

 二人はすっかり意気投合した。三浦は岸和田に住んでいたそうだ。私は淀川に近いところに住んでいたんで、岸和田やら貝塚のあたりのことはよく分からない。だが、九州から見れば守口も岸和田も同じだ。(笑) 「そうかぁ...。そうやったんかぁ。」「そやねん。」などと二人の話は盛り上がった。

 思わぬ出会いに気を良くしながらも夕食の時間が近づき、私が家に帰ることにした時だ。三浦に声をかけると、
「ぜ〜んぶ、ウソ。」と言う。
「は? 『ウソ』って何がやねん?」と私。
「さっきの、大阪の話。オレ、ず〜っと熊本。」

 何てヤツだ...。私はまんまと三浦の作り話に引っ掛かっていたのだ...。
 だが、別に腹を立てる気にはならなかった。(笑) むしろ、初対面の相手にして、あれほどの作り話をしてみせる三浦の手管(笑)に、ほとほと感心したのであった...。
 
 現在、三浦は自動車関係の営業の仕事をしているらしい。あの達者な話術で客を丸め込んでいるんだろうなぁ、きっと...。(笑)
(1999年9月 書き下ろし)
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その59 三上

 普通に考えると「三浦」の次に来たのだから「三上」というのは「みかみ」という人名だ、と思ったかもしれないが、実は全く違う。(笑)
 これは「さんじょう」のことであり、順番は違うかもしれないが「馬上、厠上、枕上」のことだ、自信はないが。つまり、考え事をしたり、あるいは妙案が浮かんだりする状況を述べたものだ。

 ま、現在では「馬」に乗って出かける、ということはないだろうから、「馬上」というのは「車上」と読み替えてもいいかもしれない。というか、「車中」と考えてもよいだろう。

 さて、前置きはこれくらいにして...。
 車中、というと、これは結構、プライベートな空間だ。もちろん、満員電車の中だとかいうのではなく、自家用車で、しかも同乗者がいないような場合のことだが。実際に車が動いているというような場合も含め、新号待ちの時に、あるいは、渋滞に巻き込まれた時など、常に前方を凝視し、ハンドルに両手をかけている、ということは少ないように思われる。
 人によってはラジオを常にオンにしている人もいるだとうし、好みの音楽をCDやカセットテープで流している、という人もいるだろう。さらにはそれに合わせて歌う人もいるだろうし、新聞や雑誌、文庫本を片手にする人もいることだろう。また、最近では携帯電話かなんかを使いながら、という人も決して珍しくないようだ。
 かく言う私は、ほとんどの場合、車に乗っている時にはCDで音楽を流している。大体の場合、静かに耳を傾けているが、気分次第では鼻歌を歌うこともあるし、時には真剣に歌ったりもする。(爆) 熱唱、絶唱とまでは行かないが。

 これは昔、知人から聞いた話なのだが、彼は車の中で「歯磨き」をしていた人を目撃したそうだ...。もちろん、歯を磨くという行為に文句を付けるつもりはないが、一体、その後、どうしたのだろう...、と、他人事ながら心配になる...。うがい用の水をちゃんと用意していたのだろうか? 窓から水を吐き出すのはかなり非常識だろうから、車内にバケツでも用意していたのだろうか...? って、そのためにバケツを用意するというのも、決して普通のことではないだろうけれども...。

 だが、時々、思う。
 車の中でハーモニカを吹いていたら...? ヴァイオリンを弾いていたら...? ま、そんな人を見たわけじゃないが。
 「車を運転しながら〜をする」というのは一体、どこまでが許容範囲なのだろう...? 木魚を叩く、念仏を唱える、般若心経の写経をする、パンやおむすびをほお張る、珈琲やお茶を飲む、などなど。
 やっていいことと悪いことの線引きはどのあたりにあるのだろうか...?
 バックミラーを見ながらヒゲを剃る、というのは極端に奇異な行動ではないように思える。「爪を切る」というのも、さして突拍子もないことではなかろう。
 普通に考えると、この「やっていいことと悪いことの線引き」というのは「即座に中断できるかどうか」が、まず第一のポイントとなりそうだ。
 とは言うものの、やはり運転席の人がハーモニカを吹いていたりタンバリンやトライアングルを打ち鳴らしていたとしたら、同乗者でなくとも、かなり不安になる...。歌うのはいいけれども楽器の演奏はダメなのか...?
 内職の袋貼りは?(って、そんな内職が今どきあるのかどうか知らないが。)
 編み物だとか手芸だったらいいのだろうか...?

 あ〜、自分でも分からなくなってきたぞ...。(笑) 一体、どこに境界線はあるのだっ!?
(1999年9月 書き下ろし)
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その60 出張から帰った...。

 ふぅ〜...。走行距離650Kmの旅だった。いや、「旅」という言葉は風情がありすぎる。観光や気晴らしが目的ではないのだから。ま、そのものずばり「出張」だった、と言うべきだろう。だからこそタイトルにはそう書いたのだが。(笑)

 ということで、二泊三日の出張から今日、戻ってきたところだ。一種の「営業」のようなことをしてきたのだが、単独で廻るのはそれはそれで気楽でもあるし退屈でもある。
 特に夕方以降、飛び込みの客として宿に入った後は。夕食を済ませ、そして予め用意しておいたアルコール類をちびちびとやりながら...。テレビを見るわけでもなく、夜の街に繰り出すということもしない。で、普通ならば読みたいと思っていた本を携えて行くのだが、実は、今回、私はギターを車に積み込んで来た...。(爆)

 もちろん、ギターといっても、クラシックギターやフォークギターではない。エレキギターだ。念のため言っておくとアンプまで積み込んではいないが。私が持っているのはセミアコやフルアコと呼ばれるような共鳴部を持ったエレキではなくソリッドタイプの(ま、一番、普通の)胴体のエレキギターであるから、弾いても隣室の宿泊客への騒音になることは、まず考えられない。

 察しのついた人もあろうが、ミュージシャンでもない私がギターを抱えて宿にチェックインするという、ま、常軌を逸した、というか、かなり酔狂な行動を取ったのは、間近に迫っている「関西セッション」のためである。(笑) ついでに言うと、MDを聴くためにMDウォークマンも、このために用意したのだが...。別途、買い込んだ折り畳み式のヘッドフォンをつけ、MDを操作しながら、部屋に籠って酒を煽りつつ(笑)、ギターを弾く浴衣姿の中年男...。それが、一昨日と昨日の夜の私の姿だ!(爆)

 あ〜、意味がないことを書いているなぁ、いつもながら...。

 え〜い、ついでだ、もっと意味のないことを書いてやれっ!!(爆)

 予定していた訪問を全て終え、広島への帰途についたときの話だ。その時、私は防府市の北、およそ20Kmの徳地という所にいた。そして徳地インターから中国自動車道へ入り、そして広島市内へと戻ろう、という訳だ。 午後5時。ま、都会ならば夕方のラッシュ、ということになるのだろうか?
 高速道路...。人によっては慢性的に渋滞している首都高を思い浮かべる人もいることだろうが、今回の私が利用した区間は、ある意味、想像を絶する...。
 徳地インターから広島北インターの近くの分岐点までの間。距離にして約100Km。時間にして約1時間、という、この高速道路。さて、ここで、いきなり問題です。私の車を追い抜いていった車の数は、さていくつ?(笑) そして逆に私が抜いていった車の数は?(爆) ついでだ。途中、鹿野サービスエリアで5分ほど休憩したときに、そこの駐車場には何台の車があったでしょう?

 え? そんなのをHASENOBUはいちいち数えてたのか、って? ええ、そうですよ。(笑)
 答えは、いつか、気が向いたら...。(爆)
(1999年9月 書き下ろし)
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