ここに挙げてある雑文は、よく覚えてませんが(笑) 1991年から1994年あたりに書かれたものです。何の参考にもならないでしょうが、参考までに。(笑)

雑文---それは、ちょっと真面目な、そして時に過激な話 Part 1

目次 
   No.1---脳細胞の心中
   No.2---辞書
   No.3---どうでもいいけど…
   No.4---ワ−プロ雑感
   No.5---過激な話
   No.6---コンタクトとゲンパツ
   No.7---70年のお正月
   No.8---認識の問題
   No.9---「不敬罪だって?」

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No.1---脳細胞の心中

   以下の雑文は、何かの主張・問題提起をしようとかいうものではあり
   ません。また、言い訳めきますが、筆者の文系の頭の中で考えたもの
   で、科学的な見地からは正しくない部分もあるかもしれませんが、ど
   うぞ軽い気持ちで読んで下さい。


 先日、何かの本で(確かマンガだったと思う)次のような、周知のことだが普段は意識のレベルにはないことに触れたセリフがあった。
 「こうしている今も君の脳細胞は死に続けているのだから。」
 思わず震撼した。そうなんだ、脳の細胞は一日に何万か何千かの単位で死んでいくのだ。今まで私の生きてきた約30年の時の流れの中で、悲しいことに、私の脳細胞も数えきれないほど死んでいったことであろう。しかも、ただ死ぬのなら何の問題もないのだが、皮膚が老化して垢となって朽ち果てていくのとは事情が違って、脳細胞が死ぬということは記憶が消えるということなのだ。もう少し正確を期すれば、脳細胞が死ねば、今までに 覚えてきたことのうちの、何分の一かは消滅することになるのだ。
 一つの記憶に対してどれだけの脳細胞が必要なのか知らないが(もちろん、その対象の質・量によって異なるのだろうけれども)、ある一連の出来事の記憶を担当している脳細胞の一部分が死ぬ時には、その細胞は律儀に他の細胞に記憶の内容を引き継いでもらって死ぬのではなく、おそらくは、自分が持っていた記憶を道連れに、いわば心中するかのように死ぬのだろうから、その「一連の出来事の記憶」はどうしても不完全なものにならざるをえない。一言付け加えれば、その細胞が死んだからといって頭が痛くなることはないのだから自覚症状すらないのである。
 何と恐ろしいことだ。私のこのあまり用を為さない脳細胞にも、自分でも呆然とする程の莫大な量の情報が「記憶」として存在している。それが、恐ろしいことに、一日毎に、いや、正確には一秒毎に、さらに劣悪なものへと成り下がっているのだ。幼なじみの「新ちゃん」が振ったバットが3つ下の「健ちゃん」の前頭部を直撃して、みるみるうちに「健ちゃん」のおでこにマンガによくあるような大きなタンコブができたのを不思議な気持ちで見ていたことも、20年経ってみると、時間の面を失った二枚の写真を見ているような記憶になっていくのだ。もっと時が経てば、小学校時代の遊び仲間の特徴も、一つ一つ消えていき、名前すらも残らなくなるのだろう。
 ふと、何かの拍子に、何の脈絡もなく遥か昔の情景が頭に浮かぶことがある。あれはもしかすると、ある脳細胞が、ちょうど線香花火が消える前に一際明るく身を燃やすように、時の重さに耐えきれずに最期の藻掻きをして、その「記憶」を映し出しているからではなかろうか。
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No.2---辞書

言葉を、一般の人が知っている引きやすい順序に並べて、
その発音・意義・用法などを書いた本

 三省堂の「新明解国語辞典」の第四版が昨秋出た。
 私はこの辞典を前の版から愛用しているのだが、見事な語の定義にはいつもながら敬服する。ちょっと考えればわかる事だが、かなり限定された意味の語はともかく基本的な語の定義は作り易そうで意外に難しい。例えば動詞の「ある」を考えてみよう。この動詞を定義するのは並大抵の努力では適わない。「学校がある」と言う場合には「学校の建物がとあるところに存在する」という意味の他に「学校の授業が行なわれる」という意味があり、むしろ頻度から言えば後者の方が勝るであろう。「新明解」ではまず一番目の定義として「見聞きしたり感じたり考えたりなどすることによって、その物事が認められる(状態を保つ)」と揚げている。こうしておけば、抽象的な事物、例えば「不安がある」などもカバ−できるのである。その他の語義については是非御自分で手に取って御確認頂きたい。
 また、この辞典の優れている点はアクセントをも示している点である。これは重宝である。つまり「新明解」が一冊あればアクセント辞典など買わなくてすむのだ。ちなみに、私は別段、広島のアクセントが嫌いなわけではないが、先日某テレビ番組で地元のアナウンサ−が「どんぶり」を「ど」に高いアクセントを置いて言ったのには腹が立った。(それではまるで「どんぐり」である。)地元の新聞が広島の方言で記事を書かないのと同様、音声を使うマスコミでは、やはり正しいアクセントを使うべきである。
 関西と九州で長い間過ごしてきた私は、こちらに来てしばらくは、広島の言葉を聞いているとまるで雲の上を飛び跳ねながら歩いているような気分になったものであった。今では大分慣れてきたのだが、それでも授業中に「ぶ」に異様に高いアクセントを置いて言われると「文法」のこととは一瞬気づかない。やはり「文法」は頭低型のアクセントで言わないとしっくり来ない。そういえば、先日も面白い例に出会った。全部の人がそうというわけではないようだが、広島の言い方では「紫色」は初めの「むらさ」までが低く「き」でいきなり上がってなだらかに落ちてゆくアクセントになるらしい。これなど広島のアクセントの特徴をよく表していて興味深い。つまり、通常の東京アクセントの「第一拍と第二拍の高さはいつも違う」という大原則とは完全に異なっているのである。(急いで付け加えておくが、私は東京アクセントが正しいと言っているのではなく、ただ相違を問題にしただけである。決して優劣を論じているのではない。)
 話がそれてしまった。要は「新明解」が日本語の辞書として優れているということを言いたいのである。お手元の辞書を御覧あれ。「事態」を「事のありさま、成り行き」とただ言い換えているだけで満足されますか。ならば何も申しませんが…。
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No.3---どうでもいいけど…

 いつの頃からか、言葉にからむようになった。別に人の言葉尻を捕えるというわけではなく(無い事もないけど)ただ自分の信念めいたものとして「語彙は豊富に、表現は的確に」という意識が常に働いて「あ、今の言い方で十分だったろうか?」と自分勝手に気に病むのである。こだわってしまうのである。講義の際にもこのこだわりは如何なく発揮され、きっと多くの学生が「**の話はくどい」と思っていることであろう。しかし、結果としての「くどさ」はともかく、言葉に「こだわる」ことそのものは別段悪いことではない(と思う)。

 研究日を除けば大抵8時30分迄には研究室に入る。そして最初にすることは、ポットで湯を沸かしてコーヒーを入れることである。大抵はインスタントで間に合わせているのだが、その時にいつも気になることがある。つまり、陶器のカップに入ったコーヒーを金属のスプーンで掻き混ぜていると当然ながら、カップの淵や底に当たる。当たると音がする。当たり前である。ところが、である。当たる度に音が高くなっていくのだ。不精者の私は前もってカップを温めたりなどせずに冷えたままのカップに湯を注ぐ。すると、その冷たいカップが湯によって温度が上がり(確か)「分子のブラウン運動」とやらが活発になり、その結果、振動の伝わる度合いが高まり、音の周波数が短くなるということが目に見えないレベルで(非生産的に、そして律儀に)行なわれているのであろう。
 いやいや、こういうことが不思議なのではない。問題にしたいのはその時の音の変化をどう表現すべきかである。すぐ思いつくのはカ行の「カン」「キン」「コン」、あるいはタ行で「チン」。この中のどの擬音語をどの順番で使えばいいのだろう?これが気になるのである。私の語感では「コン」「カン」「キン」「チン」の順で低い方から高い方へと並べられるようだ。が、これは(大切ではあるが)単なる語感でしかない。では何故その順の様に感ぜられるのか?考えられるのは関わっている母音であり、つまりは口の開き具合、舌の位置であろう。(まあ、これは「コ−ン」「カ−ン」「キ−ン」「チ−ン」と長音にするか、「ゴ−ン」「ガ−ン」「ギ−ン」「ヂ−ン」と濁音にして伸ばせば何となくわかると思う。それでも納得のいかない興味のある人は図書館で音声学の本でも調べてみてください。)
 問題はまだまだ続く。たとえば「コン」と「カン」の境目についてはどうだろう?同じ音でもある人は「コン」と言い、また別の人は「カン」だと表現するかもしれない。文字通り「感覚の違い」である。一度いろんな金物を教室に持ち込んで叩いてみせて何と聞こえるか学生に統計でも取ってみようかという気にすらなる。(きっと面白い調査になるだろう。)
 「ドン」とか「ダン」など他にも実に多くの擬音語があるがそれらについてはどうだろう?何故「*ン」というように「ン」で終わる擬音語が多いのだろう?よく知られたことだが「ニャ−」と鳴くネコは英語では「ミュ−」と鳴いてると感ぜられ、「コケコッコ−」も違った音で表現される。それに関してはどうだろう?背後に何かの交替規則が潜んでいるのだろうか。あるいは世界のあらゆる言語で、共通の鳴き声しか認められないような(?)動物はいるのだろうか?
 どうでもいいことかもしれないが悩みは拡がり深まるばかりだ。コ−ヒ−を一杯飲むのも大変である。
(HASENOBU註---なお、現在は、お湯を沸かした後、コーヒー豆を電動ミルで挽いて朝の一杯を飲むことにしております。念のため...。)
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No.4---ワ−プロ雑感

 (以下の文は5年程前(1989年)に書いたものですが今でもその「思い」は変わりません。)
[その1] 3月にワ−プロをH堂から買った。薄給の僕にとっては10万円以上の出費は大決断を要した。集めに集めたパンフレットを比較し、既にお持ちの先生のアドバイスを請い、今の時点で買うべきか買わざるべきか、買うならどの機種を選ぶか、悩んだ挙句の購入であった。
 ところが…。何と届いて1週間しない内にその姉妹機種が、同価格でより優れた機能を備えて登場したのである。「計られた…。」と思った。早速、H堂に電話して抗議し粘りに粘って8月の終わりになって1万円もの追加金を払って交換してもらった。ちなみに、今でも僕を失意のどん底に陥れるに余りある程の機能を装備した新機種が続々と、これまた驚くべき低価格で発売され続けているということは言う迄もない。

[その2] 漢字が書けなくなった。「ユウウツ」なんて滅多に書くことはなかったもののそれでも以前は辞書で確かめていたものだが、打ち込んで変換キ−を叩けば一瞬のうちに「憂欝」に早変わり。「ああ、何て便利になったもんだ。」と思いきや板書の時に大弱り。筆順なども目茶苦茶になった様な気がする。又、悪筆が隠せるとも思っていたが、ひとたびワ−プロから離れれば以前にも増して劣悪な(記号としての役目は辛うじて保っているとは思うのだが)文字列しか書けなくなっていることに気付き呆然とすることが度々ある。

[その3] ワ−プロを打っていると時折(というより頻繁に)わけの分からない文字列が並ぶことがある。「披露宴」と書くつもりが「疲労怨」となったりするのだ。このままで手紙を出したりすると悪い冗談では済まされない。こういった、文脈には無関係の語を、ワ−プロが与えてくれるささやかな笑いの贈り物として僕は受け取っている。(苛立つことの方が多いけど。)複文節変換のワ−プロともなれば何の躊躇もなく「文型」を「分毛胃」等と頼みもしないのに平気で変換してくれるので遥かに楽しめる。

[その4] 推敲が億劫でなくなった。聞くところによれば俳句・和歌等を詠む際にワ−プロは大変重宝であるらしい。僕にはそのような高尚な趣味はないのだが、卑近な例として試験問題作りのときはワ−プロが本領を発揮する。無愛想な英文タイプに慣れ親しんできた僕にとっては、日本語の文までが自由に削除・追加変更でき、しかもごく短時間で文書の保存・呼び出しができるなどということは夢のような事である。
 とまあ、夢うつつとなったところで、まとまりのない駄文を終わらせることにする。
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上にも書いたように、特に[その4]のところ等に関しては今でも思いは同じであり、僅か3.5インチの薄っぺらな物体に論文の下書き、清書、資料などが収まっているのは、今なお信じ難いことである。何日もかけて練った発表原稿が入ったフロッピ−を踏ん付けたりして壊したらと思うだけで「あわわ…。」である。その意味ではワ−プロは危険物である。物事は何でも多かれ少なかれそういった面を持ってはいるが。
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No.5---過激な話
8月15日を迎えるにあたって

お断わり…以下の文は筆者の独断と偏見に満ちておりますが、かといってその考えを他人に強制するつもりなど毛頭ありませんので御安心ください。「こんな考え方をする奴もいるのか」程度の気持ちで軽く読み流してください。

・「アヤノミヤ」と「カワシマキコ」なる人物が夫婦になったらしい。そのこと自体は何の問題もなく、「風が吹き込むから窓を閉めに立ち上がる」ことよりも私にとっては特別意味を持たない。新聞にその関連の記事があれば飛ばし、テレビでそのニュ−スが流れ出すとチャンネルを変えていたので詳しくは知らないのだが、その夫婦の為に少なく見積もっても億単位の金が、我々庶民の血税から使われ、そしてこれからも使われていくとしら黙ってはいられない。「エリザベス女王」は「英国で最も裕福な生活保護を受けている」と評されたことがあるそうだ。(以下、一文自主削除) だから税金を払うのは嫌なんだ。(「日本軍」にも莫大な金が注ぎ込まれているが、その件はまた別の機会に扱いたい。)我々の納得の行くように税金が使われているのなら、今以上に課せられても喜んでそれを受け入れよう。
・「アヤノミヤ」は以前は「コウシツ離脱」するとかなんとか言っていたらしい。それを聞いた時には「なかなか見どころのある奴」と思ったりしたのだが、その件は一体どうなったんだろう。甘い汁を吸い続ける生活に慣れてしまったからには、自ら汗水流して働こうなんて気にはならないんだろう、きっと。
・「コウシツ・コウゾク」は差別語である。マスコミは躍起になって「言葉狩り」をしているくせにそんなことにも気付かないのだろうか?言葉の問題以前にそのものの存在自体が問題なんだろうけど。
・韓国への謝罪について色々論議がなされた。中には「長い間植民地化していたことに対してエリザベス女王が各国を陳謝しながら廻ったことがあるか?」等という暴論を吐いて「何故、日本の天皇だけが頭を下げねばならぬのか?」と開き直ったたわけ者もいたらしい。私自身としてはあの恥知らずのヒロヒトが仮に腹を切っていたところで何の償いにすらならなかっただろうと思う。
・しかし私は日の丸が大好きである。「忌まわしい侵略のシンボルだから捨て去ろう」等というのは愚かな考えである。そんなのは何の問題解決にもならない。日本人はあの血塗られた「日の丸」を国旗として、見るたびに心を痛め、自らの過ちを思い起こし、深い懺悔の気持ちで満たされなければならないのだ。その為の義務教育への導入なら私は諸手を挙げて賛成する。
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No.6---コンタクトとゲンパツ
−−強引な並列−−

 眼鏡を使うようになってからかれこれ15年ほどになる。そして10年ほど前からコンタクトレンズと併用している。(併用といってもコンタクトをしたうえで眼鏡をかけているわけでは決してない。)
 眼鏡も最初のうちはそれなりに煩わしいものであったが、いつから始終かけてているとさして気にはならなくなってくるものである。むしろいつの間にか自分の顔の構成要素の一つであるような気にすらなったものであった。それは、いつも眼鏡をかけている人がたまたま眼鏡をはずしている時に出会って、一瞬「何かが違う」と思わず身構えることを思い起せばお分りかと思う。
 それに対して、コンタクトは少し事情が異なる。通常、「眼鏡が似合う人」というのは表現としても正しいし、実際そういう人間もいる。だが「コンタクトが似合わない」と言うことはまずないし、言ったとしたらそれは「あなたの顔は造りが変だ」という意味でしかない。これはもちろん、ある人がコンタクトを装着しているかどうかが(よほどその人の顔に迫ってしげしげと見つめない限り)分からないことによる。したがってコンタクトの場合には少なくとも外見上は「顔の構成要素の一つ」とはならず、他人には普通気づかれないことから、眼鏡よりも格段に「個人的」な代物と言えよう。
 ま、それはともかく、コンタクトは慣れないと非常に痛いものである。言葉通り、「異物感」にさいなまされるのである。ひどい時には目が充血というより、血走ってしまい、見る人に思わぬ不安感を植え付けることにもなりかねないのだ。コンタクトと角膜の間にゴミが入ったときの痛さ、悔しさ、情けなさといったら言葉にできないぐらいである。ところが慣れてさえしまえばこっちのもので、夜空の星の輝きに、月で餅をついている兎の 姿に新たな感動すら覚えるのだ。しかも、水泳を除けば少々のスポ−ツなら付けたままでできるので非常に快適である。
 しかし「慣れる」ということは「神経がそれまでの異物感を感じなくなった」ということであり、もっと言えば「鈍感になった」ということである。「快適さ」と引き換えに「敏感さ」を失ったのかと思うと何か一抹の悲しさというか、不安を感じてしまう。
 ところで、最近、原発関係の本を数冊読んだ。以前は「生」にあまり執着心を持っていなかった(ような気がする)。虚無的な考えをしていた訳でもないが、日本の未来だとか、世界の自然環境の変化などに対してはこれっぽちの関心もなかった。考えたとしても数年後の自分の姿くらいのものだった。だが、一児の親となってから急に、人類の行く末というのが気になり始めた。今まで気にすることもなかった様々な事柄が、あたかも支払 わなければならいはずだった債務がいきなり天井から音を立てて落ちて来たかのように、切実な問題として目の前に迫って来たのである。環境汚染、温暖化、人口問題、食料危機等、今や人類の抱え込んだ問題は山積である。しかし、中でもこの「ゲンパツ」は脅威だ。
 「原子力はきれいなエネルギーです」などという大嘘の宣伝をテレビで何度も聞かされると知らないうちに額面通り受け取ってしまう人がいないとも限らない。「慣れて」しまって人々の思考は徐々に「鈍感」になってしまいはしないか?
 ああ、不安がますますつのっていく。
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No.7---70年のお正月

 70年というと大阪で万博が開かれた年である。(その頃大阪に住んでいた私は家族と共に、また小学校の遠足で少なくとも3度は会場に足を運んだ記憶がある。)その頃の大阪は、いや、日本全体がそうだったのかもしれないが、今よりも遥かに活気にあふれて、何か常に新しいことがどこかで生まれつつあるような、一年中、歳末であるかのような慌ただしさを感じさせるところがあったように思う。もっとも、子供の頃の記憶とは誰にとっ てもそんなものなのかもしれないが。
 しかし、お正月の、特に三が日というと、話は別だった。
 元旦になると、まるで昨日までの喧騒が嘘であるかのようにまわりの世界全体が静まりかえるのだった。うやうやしく父母の前に正座して、年始の挨拶を述べた(述べさせられた)あと、やっと授けられたお年玉。(当時は1日10円のお小遣いで、お年玉は何と200円!だったような気がする。)ところが元日早々から開けている店なんて皆無に 近かった。ましてや年中無休などという節操のない駄菓子屋なんて自転車をいくら走らせようと も、無かった。
 子供達はすることもなく退屈だったに違いない。午後になると何とはなしにいつもの遊び場にたむろし、ビー玉や“べったん”(いわゆるメンコのこと)に興じ、どこかの子が持ってきた、元日には貴重な凧を交替で揚げたりして過ごした。夕方からはテレビの特別番組が目白押しで、決して見逃すことはなかった。恐らく今の子供たち以上にその頃の子供達はテレビを見ることに情熱を傾けていただろう。
 忘れてならないコマ廻し。
 コマそのものは年末から売られてはいたが、年が明けるまではそれを持って外で遊ぶことはなぜか御法度だった。「正月でもないのにコマで遊ぶ」なんてことは不粋なことだと いう暗黙の了解が子供の中にあったのだ。
 コマ廻しにもいろんな遊び方があったのだが、ここでは触れない。ただ70年代初めはまだ、少年達はお正月には凧を揚げたりコマを廻してたりしていたということだけは、はっきりと書いておきたいと思う。
 ちなみに、竹馬も正月の風物ではあるが、実際に本物の竹を使った竹馬に乗るような酔狂な奴は私の近所にはいなかった。

 もう二昔も前の話である...。
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No.8---認識の問題
あるいは「気づくこと、わかること」

 子供が物を食べる。(もちろん私も食べはする。)
 隣の部屋で袋を開ける音、そしてポリポリ、カリカリ。見なくても子供が煎餅の類を食しているのはわかる。念のため隣の部屋に行ってみる。今度は耳をふさいで、見る。やはり子供が物を食べているのが、目で見て、わかる。
 次に物を食べたままの子供を抱き寄せ、あごを子供の頭の上に乗せる。目を閉じ、耳をふさいで。(もちろん自分の目、耳である。)すると、骨を通して、正確に言えば音響と振動によって、子供が物を食べている(厳密には、噛み砕き、飲み込んでいる)のが、わかる。
 家内はそれを見て「ナニシテンノ?ヘンナヒト。」と言いたげな顔をしていたが、私は私で、大げさに言えば、「あることがらに対しては違った形態の認識の仕方が可能である」ということをまざまざと実感していた次第である。
 このことは(あたり前のことだが)「認識の仕方によって、その認識の度合いも異なる」こととも関わっている。もちろん、この場合の「認識の仕方」というのはその手段だけではなく、気構えとか集中度等も含めて、である。

 定期試験の採点する度に「多少の欠課、遅刻の差はあるかも知れないけど、同じ授業を受けておきながら、どうしてこんなに点数の差が出るのだろう?」と思う。点数が全てを反映しているとは思わないが、同じ物を見ても、聞いても、教えられても、それぞれに得るところに差があるのだ。もちろん各人により予習、復習、試験勉強に違いがあるのは明らかだけども、それも含めて、学生が自分で「わかった」と思っていることが実際には「わかっていない」からに他ならない。
 このことは何も学生に限ったことではない。教える側にしてもそうだし、この社会で生きていく者にとっては等しく当てはまることだろう。
 人間、よっぽど隠遁していない限り、一日過ごせば実に多くのことがある。その一つ一つに細心の注意を払っていくことは無理だろうし、またそうする必要もないが、大事な何か(それが何なのかはその人次第である)は看過してはならない。

 かく言う私は、鈍感である。他人のしたことだけではなく、自分のしたことにも。これではいけない。

 先に「得るところ」と書いたが、それに関して。
 よく「〜して(〜に行って)得るところが大きかった」などと聞くが、天の邪鬼な私は 「では、それをして失ったものについてはどうですか?」と、尋ねてみたくなる。常に損得勘定をしろという事ではなく、物事には違った側面からの評価が可能ではないか、それによってもっと正しい認識に近付けるのではないかということである。
 かつて、一浪して東大の法学部にパスした友人が言った。「周りは皆、良かったねって言ってくれるけど、このことで失った道も数えきれないぐらいある。」
 「なるほど」と思った。
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No.9---「不敬罪」だって?

 1993年9月29日発行の「くみあいじょうほう」を読んで思ったこと。
 私はただの人間である。当たり前だが父と母がいて私が生まれた。そしてその母や父にしてもそれぞれの父母がいて生まれた。何を分かり切ったことを、と思われるかもしれませんが、まあ、もう少し付き合ってください。で、その私から見れば祖父母にあたる人物にもそれぞれの親がいて、またまたその前は、という具合に行けば(系図なんてないので名を特定はできないものの)絶対にその繋がりは途絶えることなく人類誕生のあたりまで行くはず、ですね。もちろんこれは私に限った話ではなく、今これを「何なんだ、いったい?」という気持ちで読んでいる方についても、今地球上にいる全ての人間に言えることだと思いますが、間違ってますか?

---以下、考え方の推移により削除---
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