雑文Part 4


目次
   No.31---棚からぼたもち(2)
   No.32---イヤなヤツ
   No.33---編み物
   No.34---思うこと色々
   No.35---運がいいのか悪いのか
   No.36---自家製シソーラス
   No.37---闘病記(1)
   No.38---闘病記(2)
   No.39---闘病記(3)
   No.40---一生もの

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No.31---棚からぼたもち(2)

 前に、同じタイトルの話を書いたが、もう一つ「おぉ...。これは棚からぼたもちだぁ...。」という経験があったのを思いだした。(笑)

 毎年、年が明けると賀状が届けられる。私はだいたい百枚前後受け取る。友達や知人からのものであればともかく、中にはその前年にタイヤを買った店やら、その他の法人名義のものだったりする年賀状もあり、そういうのはもらってもちっとも嬉しくない。

 それはそれとして、1月16日の朝刊には郵政省の年賀ハガキの「お年玉くじ」の当選番号が発表される。3年前の1月16日も、私は帰宅後、「どれどれ...。切手シートは何枚当たったかな...?」と思いながら自室で番号の確認をしていた。
 当たっていた...。1等が...。新聞に掲載されている6桁の数字は、私の手元にある6桁の数字と見事に一致している...。「おいおい...、冗談だろ...?」と(マジで)思わず呟いた。(笑)
 そのハガキは勤務先の近くにある個人経営の小さな電気屋さんからのものだった。その店ではVHSや8ミリのビデオテープ、乾電池程度のちょっとした買い物しかしたことはないのだが...。
 その年の1等の賞品は「補助機能付き自転車」、「29型ワイドテレビ」などの10万円相当くらいの4つか5つの品で、それから1つを選ぶことになっていた。たまたま、その時に所有していたテレビの映りが悪くなったりしていたんで、妻や子供たちと協議の末、ワイドテレビをもらうことにしたのだが。
 ちなみにこの話は、その賀状をくれた電気屋さんには話していない。(笑) が、妙なところで律義になってしまう私は何となく気が引けて(爆)、以来、その店で「8ミリ・VHSダブルデッキ」と「MDコンポ」を買ったので、それなりの恩義は果たしたと思う。(笑)
 50万本に1本...。これだけ考えるとかなり低い確率である。平均的な日本人(誰だ、それは...?)が1年に何枚の年賀状をもらうのか知らないけれど、仮に私が100枚、それを生涯で50年間とすれば、私は5000枚の年賀状をもらうことになる。とすれば、50万分の5千。つまり100分の1の確率である。であれば、そんなに色めき立つことではないのだけれど。(笑)

 はい、今回も実にどうでもいい話でした...。
(1999年1月書き下ろし)
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No.32---イヤなヤツ

 イヤなヤツ、ってこれから書く話に出てくる人達のことではない。私のことである。(笑) どうしてこんな風に思ってしまうのか、本当に自分でも嫌になるくらい「イヤなヤツ」と思うのだ。

 「私はこういうあけすけな性格だからはっきりと言わせてもらいますが〜」などと言う人がいる。そういう人に限って、腹黒い。(笑) 「こういうあけすけな性格」ならば直したほうがいいと思う。

 これは、確か筒井康隆も書いていたことなのだが、「ズバリお尋ねしますが〜」という口上を連発する人がいる。なんて嫌な言い方なのだ...。それを前置きにすれば、どんなことでも尋ねてよいとでも思っているのか? その前置きは免罪符なのか?

 私の友人のこと。その友人、T氏は高校、大学の同級生である。彼の運転する車に乗っていた時のことだ。Tは直線道路から右折してある店の駐車場に入れようとして片側一車線の道路でウインカーをつけて止まった。ま、それは普通のことだが。しかし対向車線がなかなか途切れない。と、その時、ありがたいことに、対向車の一台がパッシングをして私達が右折できるように止まってくれた。Tは軽くクラクションを鳴らし、そしてさわやかな微笑みを浮かべながら相手の運転手に向かって左手を会釈をするように挙げ、そして小声で呟いた。「ありがとよ、頼みもせんのに。」 私はおおいに受けた。爆笑してしまった...。そして、それはいつしか私の癖になった...。(笑)

 もしかしたら、これも筒井康隆が書いていたことかもしれないけれど、若い女性で「うちの父って厳しいでしょう。だから〜」という感じの喋り方をする人がいる。ちょっと待て、私はあなたの父親とは一面識もないのだが、と言いたくなる...。

 もしかしたら、これもT氏の仕業だったかもしれない。(笑) 学生時代、よく友人と車を連ねて出かけたものである。って、別に暴走族の構成員だったのではないので、誤解のないよう。で、二台で出かけたときで先行車の後を走っているときのことだ。パッシングをして、左のウインカーを点ける。先行車のドライバーが配慮深い人物であれば「ん? どうかしたのか?」と、すぐにこちらの意図を察してくれて、スピードを落とし路肩へ車を停めてくれる。そしたら、こちらは逆にスピードを上げ、追い抜き、「ぶっちぎる」のである...。(笑) もう15年以上やっていないけど。(笑)

 イヤなヤツ...。(爆)
(1999年2月書き下ろし)
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No.33---編み物

 私の趣味は編み物だ。って、いきなりウソをつきました、ごめんなさい。(爆)

 なだいなだ氏だったか、外山滋比古氏だったか、あるいはもしかしてそのどちらでもないかもしれない(笑)が、その著作の中で編み物の精神的な効用について書いていたのを読んだ記憶がある。もちろん、ここで言う「編み物」というのは、「編まれたもの」という意味ではなく、「編むという作業をする」ということである。
 で、この「編むという作業をする」というのは(実際に私はやったことはないのだけれど)、幾つかの手法に従って着々と作業を進めることにより、精神的な落ち着きを誘う(これも「いざなう」と読んで欲しい)そうである。ま、境地に至るのかどうかは分からないが、黙々と編み進めているうちに無心になり、日々の煩わしい事柄や嫌なことを忘れさせてくれるそうである。言ってみれば、「一球入魂」ならぬ「一針入魂」だ。(こんな言葉があるのかどうかは知らないが。)
 さもありなん、である。(私はいつの生まれだ...?)
 心の乱れることの多い私も編み物を始めてみようかと思っている次第である。(笑)

 さて、それはそれとして、「編み物」というとお手製のセーターやマフラーを思い出す。信じられない、という人もいるかもしれないが、20歳までに私はその類のセーターやマフラーを7,8個(?)同級生や後輩からもらったことがある。もちろん、男性からではない。(爆) バレンタインデーや誕生日の時に、女の子から、時には名前すら知らないような女の子(笑)からもらったりしたのである。 「一生懸命、編みました。使って下さい。」などという添え書きを添えて学校の靴箱に入れられていたりしたものだった。(信じてもらわなくっても結構です、はい。(笑))

 それで思い出したのだが、いつだったか、Fさん(現在、私の妻です、はい)とのデート(笑)の時に、似た色合いのマフラーを間違えて首に巻いて出かけていったことがある。(爆) 「あ、確か、これだったな。」と思って選んで出かけていったのが、実は違う女の子からのプレゼントだった、という訳だ。
 さぁ、その時のFさんの反応、想像できますか?>読者のみなさん(笑)

 そう。(何が、「そう」なんだか...。) Fさんは激昂し、そして泣いたのである。
 「誰からもらったのっ、そのマフラー!?」と問い詰められたが、そんなの覚えているわけがない。(爆)(というか、覚えていなかったからこそ、つまり「これはFさんからプレゼントだったな。」と思ったからこそ、そのマフラーを選んだのだから...。) かくして、しばらく彼女の機嫌をそこねてしまった若き日のHASENOBUであった...。(笑)

 「そのマフラー、今すぐ捨ててっ!」とさえ彼女(もちろん、Fさん)は言った。
 が、私は(別段、そのマフラーに愛着があったわけではないけれども)「そんなことはできない!」と彼女の要求を突っぱねた。誰からもらったものなのかは覚えていないけれど、そのマフラーを編んだ時の、その製作者(?)の気持ちを踏みにじるような気がしてならなかったのだ。(ま、その時の気持ち、っていうのが「怨念」だとかじゃないと思いたいけれど。(笑)) この時のFさんの反応は...、覚えていない。(笑) が、結局、破局にまでは至らず、現在へと至っているのだが...。

 ん...? 何か、自分でも良く分からない展開だったな...?(笑) ま、いいか...。
(1999年3月書き下ろし)
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No.34---思うこと色々

・「感性」という言葉を、この前、何かで使った。
 とはいうものの、ちょっと考えてみると「感性」って一体、何なのだろう...? 価値観や感受性、それから思考のパターン、好み、等々が複雑に絡みあっているようなもののように思える。いや、だから何だってわけじゃないのだけれど...。ただ、ある人の感性を素晴らしいと思ったり、自分の感性と共通する部分が多かったりする(ように思える)と、何となく、ウレシイ...。(笑) 何故だろう? 安心するからなのかな...?(笑)

・「あれはみものだよ。」だとか「これはききものだよ。」というふうに、動詞に「もの」をつけて作る名詞の中に「プラス」の意味合いを持つものが少数ある。「みもの」といった場合には、ただ「見るためのもの」というより「一見の価値があるもの、素晴らしい光景」となる、ということだ。あれは何なんだろう?(って、自分に問いかけているのですけれども。)
 多くの場合、「動詞の連用形(?)+もの」というと、これは、その用途に用いられるものを表す。「着物」「食べ物」「乗り物」「履物」「読み物」「かぶり物」(笑)などはそうだ。また「生き物」「なまもの」などではその性質・状態を表す。(「置物」はどっちかな?)
 一方、使われる動詞にも制限はあるようで、「走りもの」「起きもの」「まばたきもの」...。こんなのは聞いたことがない。「もの」にならないからだ。(笑) ちなみに「すきもの」というとまたこれは別だ。(笑) (もちろん、「漉きもの」というのはあるだろうが。)
 と、こんなことをふとした拍子に考え始めとりとめもなく頭の中で思いを巡らせていたりしていると部屋の片付けはいつまでたっても終わらない...。

・思い出したこと一つ。上の「編み物」で、冒頭に引用したのは「なだいなだ」氏の方だった。ただ、それだけ...。
(1999年3月書き下ろし)
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No.35---運がいいのか悪いのか

 以前、「棚からぼたもち」と「冴えない話」シリーズで、私の人生の中で降って湧いたようなラッキーな話と「ありゃりゃ...。」と溜め息をつきたくなるような話を幾つか書いた。その時にも結局は、最後にはプラスマイナスゼロくらいになるのだろうと思っているということは書いたが、ここ一カ月の間につくづくとそれを確認した。

 今年の2月は28日までであった。(いきなりですが。) そして、ブランド物にあまり興味のない私ではあるが、唯一、ブランド物と呼んでもいいものを持っている。それは時計だ。って言っても数十万円もするほどのものではないし、また「ブランド品だから」という理由で買ったものでもないのだが。それは、ま、いわゆる「ダイバーウオッチ」と呼ばれるもので、たとえ私が土左衛門と改名したとしても、形見として子供に遺してやりたい堅牢なものである。
 ところが、この時計、残念なことに日付の表示はいつでも31日までとなっている。で、さっきの「2月は28日まで」ということが関わっているのだ。
 充分察しがついただろうけれども、3月になって数日経ったころに、「あ、日付を修正しておかなきゃ。」と思い、竜頭を引っ張って日付を合わせた。ところが、その作業後に、どうやら、しっかりと竜頭を締めておくのを忘れていたようだ...。完全防水であっても竜頭がきちんと締まっていなければ、良くない破目になる。(当たり前だが...。) シャワーを浴びるときもお風呂に入る時も腕時計をはずさない私の「無精さ」が、命取りだった。(ちょっと大袈裟な表現だけど。)
 ふと気づくとガラスが曇っている...。しかも蛍光塗料の塗ってある針の色も少しくすんで見える...。慌てて私はその腕時計を買い求めた店へ出かけた。店員は私の腕時計を見るなり「あ〜、これは水が入り込んだんですね〜。分解掃除、針の取り換えが必要ですよ。」と言う。さらに、メーカーへ送っての作業ということで二カ月近くかかる、とも言われた。修理費用は少なくとも2万円かかる、とのことだったが、その時計には深い愛着があるので修理の依頼をしたのであった...。

 その数日後、家に帰ると娘が「お父さん! 自転車が当たったんだって!」と告げた。私が好んで吸うタバコのキャンペーンで1月の終り頃に出した応募ハガキが当たったのだ! ま、お菓子などでもよくあるのだけれど、賞品のパッケージの一部を切り取り、それを何枚かで一口として応募するという、あの類の懸賞である。(確か、この時は10枚一口で、ハガキを25枚ほど出した記憶がある。(笑)) そして届けられたのは、変速機こそついていないものの、ブリヂストン製の銀色のオシャレな自転車である。市価2万円はするだろうと思われる品である。

 ということで「あぁ、腕時計のことでは損したけど、結局はこの自転車で、それは相殺されたようなものだなぁ...。」とつくづくと思ったのであった...。

 が、実は、まだこの話には後日談がある...。(笑) つい先日、上に書いた腕時計のことで連絡が入り、「修理費用は税込みで5万円程になりそう」だということである...。「それでも修理してよろしいですか?」という確認だったのだが、もちろんお願いした。乗り掛かった船である。(ちょっと、やけになっているかも...。)

 さぁ、右手を出して、そして小さなものを摘むときのように親指と人さし指とを軽く合わせて下さい。そして、そう、竜頭を回すようにその指を二度軽くこすって下さい。はい、できましたね? そうです、それをしそこねたばかりに私は5万円もの無用の出費を強いられる事態になってしまったのです...。(爆)
 え? 今、腕時計はどうしているか、ですか? ええ、実は、この前東京に行ったときに持って行った予備の腕時計もバンドが千切れて(笑)しまい、で、秋葉原で税込み千円の、いかにも胡散臭い時計を買いました。修理が終わって戻ってくるまではそれを使い続けます。
(1999年4月書き下ろし)
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No.36---自家製シソーラス

 というタイトルをつけたが、私がそれを編纂した、とかいうのではない。

 話は跳ぶようだが、「語彙の豊富な人」というものを、私はただそれだけで尊敬してしまう。多才な語彙を持っているということは、それだけ的確にものごとを描写し、そして巧みに文章を操れるからである。裏返して言うと、語彙が貧弱だと、どうしてもその人の文章は稚拙で表現力に乏しいものとなりがちだ。私の文章がそれにあたる。(笑) 新生児の感情が「快」と「不快」の二項対立(?)から段々と分化してゆき様々な感情(の範疇)へと枝分かれしてゆくように、語彙も年齢とともに増加してゆけばよいのだが、なかなかそうは行かないものである...。
 つい先日、私の掲示板の方にも書いたことであるが、てっこう氏の文章力の高さにはほとほと敬服する。あれだけの文章を書けるということの背後にはきっと余程の読書量があることだろう。氷山とまでは言わないが、生い茂る樹木の根は、目に見える幹や枝と相似形をなすと聞く。堅牢な礎のもとに彼の素晴らしい文芸作品は成り立つものなのだろう。

 で、タイトルの「自家製シソーラス」だ。
 これは、これまでの私の駄文の中に何度か登場したことのある、というか私が勝手に話の中に持ち出したことのある、私の敬愛する上司が作ったものだ。
 彼が博覧強記の人物であることは既に述べた。彼の専門は英文学なのだが、彼の関心の対象はそれに留まらず、実に色んな分野の書物を取りそろえ愛読されているのだ。
 そして、読書の合間にふと気にかかる語句や言い回しなどを大学ノートに記されて来たそうで、そのノートは数十冊となっているようだ。「ヒマだったからちょっとまとめてみたんだが」と言って私に手渡されたのは「〜然」や「〜乎」、「〜々」、そして「三文字熟語」「四文字熟語」等々に分類された「日本語の表現集」の原稿であった。
 A4判で一ページに約100の表現が並び、そしてそのページ数は優に200を越えている。(しかも、それでも彼の資料の一部分であるそうだ...。) そこには「翻然と悟る」、「牢固たる習慣」、「怏々の夜を重ねる」、「醇乎として純な下戸」、「虚論家」、「大鬱懐」、「弥縫策」、「怨恨十畳」、「慷慨憂憤」等々、今までに見たことも聞いたこともないようなフレーズがこれでもかと言わんばかりに並んでいる...。恐らく私にはその二割弱しか理解できない代物である。ま、中には「喧騒狼藉の極に達す」など、漢字を見ればその意味が推察できるものもあるが。

 しかし、いやはや、漫然と本を読むことしかしない、しかも、人間の感情の機微を描いたようなものを滅多に読むことのない私には、彼の「自家製シソーラス」は猫に小判なのである...。いかに私の語彙が貧弱であるかをつくづくと思い知らされ、発奮するどころかげんなりとしてしまうのである...。(笑)
(1999年4月書き下ろし)
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No.37---闘病記(1)

 おいおい...。かなり深刻なタイトルだぞ、これは...。(笑)
 だが、何のことはない、この週末(4月24,25日)に私が寝込んでしまった、という話だ。ちなみに今(26日夜)も少し、ふらふらしているが、ほとんど平熱に近いと思う。
 土曜(4月24日)の夜、自室に閉じこもって、今春めでたく退任することになった「公衆衛生推進協議会」絡みの最後の仕事の一つ、「協議会規約」を作成しながら、日本酒の冷やをあおっている(笑)時のことだ。背中が「ゾクッ」とした。

 「誰か、この部屋にいる...。」
 何か、右後ろの方から、私の首筋に向けて、冷たい視線のようなものを感じる...。

というのはデマカセで...。いや、ただ「悪寒」を感じた、というだけだ。
 実は、夕方頃から、タバコを吸っても何かおいしくない、と思っていたのだが...。母屋(?)に戻り、体温を測ってみる。37度ちょっと...。ふむ...。

 ということで、その晩は早めに床に入った。ま、一晩ぐっすり眠れば大丈夫だろう。
 ところが、翌朝、起きだしたものの、昨夜よりもひどい。身体中の関節、筋肉は痛む、頭は重い、顔は火照っている...。体温を測る。38度を少し越えている...。
 規約の仕上げ、カリキュラム運営の素案作り、その他、書かなければならない幾つかの文面...。あ、庭のアイビーが元気ないんで根元に油粕をやらなきゃ...。
 だが、それらは全て断念して、再び横になって安静することにした。

 だが、ちっとも眠くはない。とは言え頭痛はひどく、本を読む気力もない...。呼吸も苦しくなってくる...。
 犬のように口を開け、「う〜ん、う〜ん」と唸り続ける...。「う〜ん、う〜ん」じゃ面白くないので、「F〜,F〜,Fさ〜ん」と妻の名前を口にしながら節をつけてみるが、それでもしんどい。(当たり前だ...。)
 それを聞きつけた妻がやってくる。
 「どうしたのよ、一体?」
 「ん...? いや、ただ念仏替わりに...。」
 「止めてよ、気味が悪いから。」
そして私はまた「う〜ん、う〜ん」に戻る...。
(1999年4月書き下ろし)
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No.38---闘病記(2)

 いつしか、呼吸は「ハァ...、ハァ...。」と虫の息だ。(笑)
 頭はガンガンしている。顔色は、妻に言わせると「赤黒い」そうだ。なのに、ブルブルと寒けがしてならない。シャツにプルオーバー、そして厚手のトレーニングウエアを着込み、毛布を二枚、そして布団を被っているのにも関わらず、だ。
 体温を測る。38.5度...。
 妻が近くのお医者さんに電話をしたところ、休診時間だが今すぐおいで、とのことだ。妻の運転するRAV-4に乗り込みお医者さんに行く。車中、強がりの毒舌を私は吐く。妻は「はい、はい。」と軽く受け流す。実は、私は「注射されるのではないか?」と内心ビクビクしていたのだ。(爆)
 私は注射が大の、大の苦手なのだ...。(いいよ、思いっきり笑っても。)

 幸い、注射はされずにすみ、3日分の薬をもらう。「どうやらインフルエンザのようですね。」との見立てであった。

 帰ってまたベッドに潜り込む。昨夜はただの「ベッド」だったのが今は「病床」という名前になっているベッドだ。(意味不明)
 頓服剤を服んだのだから、いずれ熱は下がるはずだ。

 娘が心配げに病床にやって来る。
 「お父さん、大丈夫...?」とか細い声が聞こえる。
 「ごめんよ...。おみゃあのおとっつぁんはダメだねぇ〜...。こんなになっちまってよぉ...。身体が言うことをきかねぇや...。心配かけてすまねぇ...。」
 「何言ってるの? 本当に大丈夫?」
 「違うぞ、いずみ。(←娘の名前だ) こういうときには『それは言わない約束でしょ、おとっつぁん。』って答える、って相場が決まっているだろ?」
 「は...? 勝手にそんなこと決めないでよ。変なお父さん!」
そう言って娘が出てゆく。階下で娘が妻に「お父さん、いつもより増して変になってるよ...。」と訴えているのが聞こえる...。

 そうこうしているうちに、今度は息子が病床を訪れる。
 「お父さん、しんどいの?」
 「あぁ...。」
 「じゃ、さっさと入院したら?」
と事も無げに抜かす。(って言っても、じゅそ(←息子のあだ名だ)を知っている人にしか、この時のニュアンスは通じないかもしれない...。) この涼しげな物言い、一体誰に似たのか...?(笑)

 薬のせいか、昼食に食べたうどんのせいか、どんどんと体温は上がり、39.5度に至った。多分、これが峠だろう。
 暑い...。汗が額に吹きだしてくる。腕も背中も足も発汗でじとじとしてきた。この汗がひとしきり出てしまったらきっと平熱に戻る...。これまでそうであったように。
 暑くて堪らない私は娘を呼び、ベッド際の窓を開けさせた。心地よい風が入ってくる...。体温は...、37.6度だ...。しめしめ...。(笑)
 さっきまで痛くて堪らなかった背中も関節も筋肉もほとんど痛みが取れている! うむ、日頃鍛えているだけに私の回復力も捨てたもんじゃない。後は、首の辺りが若干痛むだけだ。よし、間もなく全快だ!!
(1999年4月書き下ろし)
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No.39---闘病記(3)


 汗は止まらない。額からはテニスをしたときのように粒のような汗が滲み出ている。背中もじっとり。思わず布団や毛布を蹴りのける。
 開いた窓から「すぅ〜」と穏やかに流れてくる四月の空気は肌に心地よい。肌の湿り気と熱を奪っていってくれる。スポーツの後に木陰で横になっているみたいだ...。

 などと思っているうちに、睡魔が私を襲った。今朝から7時間以上横になっていたのに全然眠れなかったのに、やはり先ほどのんだ薬の作用だ、きっと。「あ、タオルで汗を拭かなきゃ。窓を閉めて、せめて毛布を一枚でも...。」
 ぼんやりとそう思いながら、私は眠ってしまった...。

 そして午後6時頃。私は激しい悪寒を感じて目覚めた。(爆)
 以下、「闘病記(1)」の真ん中あたりへ戻る。(爆)

 というような紆余曲折を経つつも、月曜の朝4時過ぎには何とか平熱近くにまで戻った。月曜は午後に2コマ授業があるのだ。時期が時期だけに「ほぉ...。HASENOBUはひと足早くゴールデンウイークに突入か...。なるほど。」と思われるのが癪だった(笑)から、絶対に休講にしたくはなかった。
 そして早々に起きだし、書かなければならなかった文面や書類を幾つか仕上げて出勤した。職場にまで体温計を持参してはいないが、ま、微熱程度であったと思う。持参するつもりだった薬は忘れてしまったが。
 で、月曜もいつもより早く寝て、そして火曜の朝には、ほぼ完調、と相成った次第だ。

 やれやれ...。

 あ、ちなみに、この二度の高熱にうなされている間、次々と湧いてくる妄想のネタ(笑)をもとに幾つかのストーリーを思いついた。いずれ駄文にしてまとめようと思っているが、問題なのは熱とともにそのアイデアも消えていったということだ。惜しいっ、う〜ん、実に惜しいっ!(笑)
(1999年4月書き下ろし)
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No.40---一生もの


 一生もの...。「いちなまもの」ではない。「いっしょうもの」だ。(また、つまらんことを...。)
 実は、この話は私の昔の掲示板で少し触れたことのある話なのだけれど。もうそろそろ一年くらい前になるであろう頃に少し書いたことのある話だ。

 ネット上で知りあった、とある方が「マーチンのギター」を購入された。「マーチン」と言えば、アコースティックギターの名品である。その音色は深く、そして鈴のような、珠玉の音と言われる。とても羨ましい...。
 さて。
 ヴァイオリンで言うならばストラディバリウス(だったっけ...?)等のように、マーチンのギターのいわゆるヴィンテージモデルなども人の手から人の手へと世代を超えて受け継がれてゆくものである。今回、この人が買ったのは新品のギターだが、これもきちんと手入れをされれば彼の子供へ、そしてまた他の誰かへと受け継がれるものだろう。言ってみれば「ヴィンテージギターの赤ちゃん」ということだ。

 誰だったのかはもう忘れてしまったが、やはりマーチンのヴィンテージを手に入れたあるギタリストがどこかに次のようなことを書いていた。
 「今、このギターは私の手元にある。長年、欲しいと思い続け、やっと私のものになったのだ。だが、考えてみると、このギターの前の所有者は、このギターを手に入れた時には、やはり今の私と同じような思いをしたことだろう。そしてこのギターを大切にすれば、きっと私よりもこのギターの寿命の方が長いはずだ。私はこのギターを購入するにあたって少なからぬお金を費やしたのだが、それでこのギターが私のものになった、というよりも、その代金は私が一定期間使うための料金だったとも考えられる...。」
 
 なかなか味わい深い話だと思う。
 もちろんギターだってそれなりの補修や部品交換をしなければならないこともあるにはあるのだけれども。だが、そういう観点に立って「もの」を眺めてみると、意外にも「これは自分のものだ」と言い切れるものは少ないような気がする。
 私の住んでいる家、そしてその土地は、妻と私の共有物であるが、特に土地などは、本当に私たちのものなのか? 私たちは「土地を買った」と思っているだけだが、ただ「その土地を使う権利」をお金と引き換えに手に入れただけではないのか?
 また、例えば、今、私がジンを飲んでいる時のこのマグカップ。(笑) これは妻とお揃いで買った唐草模様(?)みたいな柄のついたどこにでもあるような品物だが、これだって落として割ったりしない限り、きっと優に百年は持つだろう。私が死ぬときまでにこれが無事にその形をとどめ使われ続けるのだとすると、このマグカップは「所有者」である私の意図(?)や存在とは無関係に存在しうるものなのだ。

 一方で、「形あるものはいつか壊れる」とも言う。これはこれで頷ける話だ。裏返していうなら、「形のないものは永遠を秘めている」ということになるだろう。
 人間の生活の物質的な側面(つまり身体や衣類や住居などなど)は、確かにもろいものだし、いつか壊れたり役立たなくなったりするものだ。だが、その精神的な世界、これは理念や主義といった堅苦しいものではなく、子を愛する親の気持ちなどや隣人への思いやりなども含めてだが、それは媒介を変えながら、そして自身も変容しながら伝わってゆくものなのだろうなぁ...。
(1999年5月書き下ろし)
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