雑文 Part 9

目次
その81 新品
その82 文は人なり
その83 とても嬉しかったこと
その84 What can I do?
その85 とても嬉しかったこと(続編)
その86 一体、どういうこと? その87 英語なんて、英会話なんて、どうでもいいじゃん...。

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その81 新品
 娘や息子が時々学校から書類(学級通信やら給食の献立表、給食費の未納通知書(笑)だとか、実に色々)を持って帰ることがある。ま、このこと自体は取り立てて言うべきことはないが。(笑)

 じゅそが昨日持って帰って来たのは「裁縫セット申込袋」だ。ま、家庭科で使うのだろう。(と言うか、それ以外には考えられないが。)

 詳しく説明するまでもなく、こういったものは学校指定の教材会社が学校を通じて販売するものであり、通常(?)生徒・児童は、その申し込みで同じ物品を購入する、って訳だ。(何を書いてんだか...?(笑))
 
 その「裁縫セット申込袋」を見ると、例えば裁縫箱にしても「Wウイング式(学納価 560円)」というのや「ラップトップエース型(学納価 730円)」なんてのがある。ま、どちらもどういうシロモノなのか良く分からないが。(特に後者。「ラップトップ」はともかく「エース」って一体...?(笑))

 で、思い出したのが30年ほど前の自分のこと。(笑)

 私には一つ違いの兄がいて、当然(?)小学校も同じだった。(ん...? 今、ふと思ったけれど、兄と私は小学校、中学校、高校、大学、全部一緒だぞ!(笑) ま、大学では何故か同級生だったけど。(爆)) で、何かと兄の「お古」が与えられたものだった。幼い頃の私の「衣食住」環境において、さすがに食べるものは違ったが(笑)、ほぼ、お古だったような気もする...。 (下着も違ったとは思うけれど(笑))着るものにしても、おもちゃにしても(笑)、兄が使ったものを与えられていたのだ。

 新品が買い与えられることがなかった訳ではない。(ま、そりゃ、そうだろ。) 今でも良く憶えているのは小学4年の頃に当時流行していた(?)スティール製の学習机を買ってもらったことだ。それまでは、昔の文机みたいなものを使っていて、それが大型の(笑)学習机に取り替えられた時の喜びは、うん、今でもしっかりと憶えている。しかも鍵付き!(爆)

 ま、それはそれとして。

 で、裁縫セットの話だ。
 学用品となるとあまりお古、って訳には行かない。参考書ならともかく、ノートなどは論外だし、ソプラノリコーダーやハーモニカなども共用できるとは限らない。
 その点(?)、裁縫セットは流用(?)できるものである。だが(理由は忘れたけれど)、多分、兄の時には裁縫セットは不要だったのか、うちには「お古」になるものがなかった。となれば、新しく裁縫セットを買ってもらえるっ!(笑)

 だが、和裁の得意だった母は、私が持ち帰った裁縫セットの購入申込書を見て言った。「何でこんなに高いの? 竹の物差しだって家にあるよ。裁ちばさみも糸切りばさみも何もかもあるよ。」
 我が家が決して裕福でないことを知っている私(笑)はそこで新品の購入を強要することはしなかった。「針」だって「針山」だって「指ぬき」だってあるんだから...。それを使えばいい...。
 ただ無いのは「裁縫箱」だけだった。母は(記憶が定かじゃないけれど)父が作った大きめの木製の裁縫箱を使っていた。それを持ってゆくわけにはいかない。
 そして買い物のついでに母はセルロイド製の(厚めのお弁当箱みたいな)裁縫箱を買ってきてくれた。だが、そのフタには「純日本調」というイメージの図柄がついていた。いや、浮世絵とかではなかった(笑)けれども、花やら蝶やらが描かれているものだった...。(爆)

 そして家庭科の時間。(全員じゃなかったかもしれないが)他のみんなは、こぎれいなビニールバッグにそして頑丈そうなクリーム色の裁縫箱。かたや(笑)私は、母がささっと縫ってくれた巾着みたいな袋から蝶が舞っている図柄の安っぽい裁縫箱。何だかとてもみじめな気分になった...。学童用の(?)スマートな裁ちばさみを横目に、超本格的職人用大型裁ちばさみ(笑)を左手で操りながら、少し恨めしい気持ちになったものだった...。
 
 とまぁ、こういうことを、この「裁縫セット申込袋」を見て思い出しました、はい。ちょっとタイトルとはずれているかもしれないけれど。(笑)
(2002年02月16日書き下ろし)

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その82 文は人なり
 「文は人なり」という言葉がある。ま、改めて解説するまでもなく、その人の書いたものを読めば、その書き手のことが良く分かる、ってことだ。(ま、これはかなり控え目な解釈であって文言通りに受け取れば「その人が書いたもの、すなわち、その人そのもの」なのだろうが。)

 英語に spoonerism という言葉がある。これは、ま、言語学の専門用語であるけれども、「スプーナー誤法」というものだが、これじゃあ何のことか分からないだろう。むしろ、漢字で「頭音転換」と書いたほうが分かりやすいかもしれない。(ああ、ほんと、漢字の効力を実感するなぁ...。) で、読んで字のごとく、(特に二語以上の隣接する単語の)最初の音が入れ替わってしまうというものだ。
 これなども、実際には「深層心理のなせる技」というような解釈もできるらしい。つまり、言い間違ってある言葉を使うことは、あるいは使わないことは、心のどこかでそう思っている、あるいは、その言葉を口にしたくないからだ、というのだ。ふ〜む...。英語の中の「言霊思想」って感じで興味深い...。

 さて、前置きはこれくらいにして...。

 とあるところのホームページに、上記の内容と関わるようなことが書かれていた。つまり、ある人がとある言葉を使ったとしたら、そこにはその人の持つあるもの、あるいは、その言葉を使ったときのその人の精神状態、深層心理みたいなものが現われている、というようなことだ。

 どうやら、そのホームページの作者(?)さんは「毒牙にかかる」という言葉を、どこかの掲示板で目にしたことがあったそうで、そしてそれを見て古めかしい言葉だと思うと同時に、そこに「弱くて善良なる女の人」対「悪らつで乱暴な男」という単純な図式を感じたそうである。
 
 ふ〜む...。そういう単純な図式を思いつくことそのものが単純であるけれども、きっとその人には「A、だったら、B」というパターンがあるんだろう、無意識のうちに。それをこの「毒牙にかかる」という表現を目にして思ったんだろうなぁ、多分。

 そして、さらにその人は、想像力もたくましく、当該の人物(つまり女性と男性)の周りの人達がみんなしてそのあくどい(とレッテルを哀れにも貼られた)男性に対して憎悪の気持ちを持っているという暗黙の了解が(このフレーズが使われる裏には)あると思っているらしい。

 ついでに言うと、その「毒牙にかかる」というフレーズを使った人は(恐らくは、ただそのフレーズを使ったという理由だけで)正義を守るために悪に立ち向かう人である(あるいは、そう信じ込んでいる)とのことだ...。(ま、中にはそう思っている人もいるでしょうけれど、そんな傲慢なことを思っていない人もいるんじゃないかなぁ...、って気もするんだけれど。)

 さらには、このフレーズを使った人の精神(あるいは深層心理)の中には、古めかしく、そして叙情的で、なおかつ、非常に単純で明快な思惑がある、とのことだ...。(そうであると単純明快に決めつけることそのものが非常に短絡的だって思っちゃうんだけどなぁ、私は。)

 と、このようなことを書いたのは、ちょうど私自身、極く最近「毒牙にかけられる」という表現を偶然にも使っていたためである。
 私にしてみればこの表現はさりとて古くさいものでもなく、(その意味からして)かといって日常会話で頻出するようなものでもない、普通の言葉である。
 もちろん、上に記したホームページの作者のような性差別的な意味合いをそこに感じることもない。(女性が女性の毒牙にかかる、男性が男性の毒牙にかかる、はたまた、男性が女性の毒牙にかかる、ってこともあるんだけれどなぁ...。ついでに言うなら、か弱いのは女性、女性ならか弱い、凶暴なのは男性、男性なら凶暴、だというようなステレオタイプのイメージは私には、ない。)

 当該の人物を取り巻く人達がみんなその男のことを憎く思っている、と決めつけるところも、なかなか...。

 まさに、メタ的な意味で、その人が使っている言葉の中にその人の何かが現われているんだなぁ〜...、と妙に納得した私であった...。

 ちなみにその人は(先ほどから私が「そのホームページの作者」と言及している人)は「毒牙にかかる」という表現を生涯使うことがないように思うとのコメントを残しているが、(もしも万が一)その人がこんな単純明快な図式と古めかしい性差別意識を持っているのなら、使わないほうがいいと私も思う。

 さてさて、このように私がしたためた駄文。どんな私がいるのかな?(笑) かなり嫌なヤツだろうなぁ。(爆)
(2002年07月18日書き下ろし)
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その83 とても嬉しかったこと

 インターネットを「する」と言っていいのかどうか良く分からないけれども、強引にそういう言い方があると仮定して話を進める。

 インターネットをするようになって(笑)それなりの年月が過ぎた。(って、まだ4,5年くらいだと思うが。) その間、色んなことがあった。
 ある時期はチャットルームにのめり込んだり、掲示板でいろいろとやり合ったり(笑)、また、私信においても。

 で、私自身はインターネットの世界はヴァーチャルな世界だとは思っていない。そこも一つの、現実の社会であると認識している。(だからこそ面白いと思うのだが。(笑))

 さて、そうは言うものの、普通の意味での社会とは異なった点も多々ある。(ま、これも改めて言うことでもないのだけれど。) 

 例えば日本にいる人達の中で「寺尾忠彦」という人物を知っている人を探そうとするとどうだろうか...? ま、どうだろうかと問われても困るだろうが、全国を行脚して「知っていますか?」と出会う人、一人一人に尋ねてゆくわけにもいかない。日本の街角全てに赴き、プラカードを掲げてもダメだろう。これは、気が遠くなる話である。
 いくら有名な有力新聞紙に「たずね人」として掲載しても、恐らくは誰にも気づいてもらえないかもしれない。ま、全面広告を打ち出す、ってのは効果的かもしれないが、全国一斉にそんなことをすると一体いくら費用がかかるのか想像もできない...。(数千万円、いや、さらに桁が上がるか...?)
 テレビという手段もあるが、これまた一介の市民には利用できないモノだ。ま、バスを乗っ取って、人質をとり、「寺尾忠彦という人物を知っている人を探してくれ〜!」という訳の分からない声明を発表すれば、全国ニュースに流れて手がかりを得られるかもしれないが、そんなリスクを背負いたくはない。(意味不明)

 おっと、話がずれてきた。(笑)

 だが、インターネットであれば、検索エンジンを使えば、たちどころにヒントが得られる可能性が高い。試しに、強力ロボット型検索エンジン「Google」で「寺尾忠彦」をキーワードとして検索すれば、瞬時にその名前を含むサイトが見つかるはずである。(ちなみに、そうすると私のところが見つかるはずだ。(笑))
 
 そして見つかったサイトを開いてみれば、この「寺尾忠彦」という人物は、HASENOBUと名乗る男の小学校時代の恩師の名前であることが分かる。

 つい先日、この作業をしてくれた人物がいらっしゃる。そしてその方は、丁寧なメールをHASENOBUに送ってくれたのだった...。
 以下、概要を記すと「私も寺尾忠彦先生の教え子の一人です。インターネットで検索してみたらあなたのホームページが出て来ました。近々、先生のお宅にお邪魔するのですが、何か伝言はありませんか?」。

 もう、涙、涙、である...。30年間、音信不通だった、あの寺尾先生の話題(?)を聞くことがあろうとは...。

 今、ここで寺尾先生のことを色々と書き連ねるつもりはないけれど、私が今の職業に就いているのは、寺尾先生の影響が少なからずあるのだ...。

 その親切な方が教えて下さった情報によると、寺尾先生は現在70歳になられており、大阪府郊外のN市にお住まいだとのこと。教員生活の最後は校長先生としてお過ごしになられたそうである。電話番号などの連絡先も教えていただいたけれども、いきなり電話をして何を喋れば良いのか...? 「ほんとに寺尾先生ですか?」などと失礼なことを思わず口走りそうだ...。(笑)

 う〜ん、でも...。お会いしたいなぁ...。

 おっとっと...、また話が少しずれてしまった。

 ま、とにかく(あ〜、便利な言葉だ)、インターネットをするようになって(笑)、今日ほど嬉しいと思ったことは、う〜ん、あっただろうか、と思いたくなるような、そんな出来事だった。その特性・威力をつくづくと感じた次第である...。
 ってことで、こんなところに書いても意味がないだろうけれども、連絡をして下さった**さんのやさしさを私は忘れない。
(2002年07月30日書き下ろし)
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その84 What can I do?
 唐突に英語のタイトルをつけたけれども、深い意味はない。気にする必要もない。

 私はあまり自分の教え子のことを書かない。ま、職務上知り得た事柄であるから、というのもあるけれど、溜め息が出そうになるから、ってのもある。

 だが、久し振りに書いてみたいと思う。いや、書きたくてたまらない訳では決してないが。(笑)

 今年、私の属する言語文化学科の入学生の中に7名の中国人留学生がいた。(いや、「いた」というのじゃなく(笑)今もいるんだけれど。) そしてそのうちの1名は私がチューターとなっているコースの学生である。彼女の名前を、以降、便宜上「ZF」と記す。
 
 彼女の素性は、ま、担任だからそれなりに知っているが、年齢は20代前半、日本語はまだまだたどたどしいが熱心に授業を受ける真面目な学生だ。はるばる日本にまで来て学ぼうというのだから当然と言えば当然かもしれないが、留学生たちの学習意欲には差があるようだ。

 夏休みが始まって間もないころ、ZFが私の研究室に来た。そして、何でもいいから日本の音楽のCDを貸して欲しいと言う。私は迷うことなく(笑)オフコースのCDを薦めた。彼女は「ありがとうございます。」と何度も言いながら、私の貸した「オフコース シングルス」(3枚組)を大事そうに抱え部屋を出ていった。

 それからおよそ2カ月が過ぎ、後期の授業も始まって慌ただしくなった今日、ZFがまたやって来た。

 「先生、ありがとうございました。」と言って彼女はCDを私に返し、そして、カバンから封筒を取り出した。「感想文書きました。ありがとうございます。」 そう言って彼女は部屋を後にした。

 ほほぉ〜。今までたくさんの学生達に色々なCDを貸してやってことがあるが、返却時に簡単なコメント(笑)以外を受けたことはない。「へぇ〜...。」と内心感心しながら私は、「N先生へ CDを聞いた後の感想」と表に書かれた封筒を開け、手紙を読んだ。

 以下、本人の了承なしだが(爆)、ここに転載する:

「先生
 このCDは観賞しました。これはいいCDです。日本の文化がわかりたいですから、このCDを借りました。
 聞き取れないですが、何が歌っているのが、わからないですが、その歌は日本伝統的な歌を感じています。「世界中二つのものが言葉がいりません。一つはスポーツで、もう一つは音楽です」と言われます。音楽を通して、音楽を聞く人の思想や好みなどが知られます。ですから、音楽が国境がないと思います。先生はどう思いますか。
 CDはとてもありがとうございます!
                             学生:ZF」

 どうだろうか...? 確かに日本語はまだまだ、であるけれども、彼女の真摯な姿勢がうかがわれ、しかも彼女の性格がほのぼのと滲み出てくるような文面だと思うのだが...。

 さて...。

 このような学生に対して、一体私は何をしてやれるのだろうか...。何を教えられるのだろうか...。そう思うと、妙に頭を抱えたくなる私である...。

 以上、取り留めもなく、これといった結論もないけれど、書いてみました。
(2002年10月08日書き下ろし)

その85 とても嬉しかったこと(続編)

 ということで、タイトル通りである...。

 ま、詳細に書いても興味のない人(<って、この読者のほとんどがそうだと思う(笑))には意味がないんだけれども、詳細は2004年9月19日の私の日記を読んで欲しい。

 実はこの日、私は恐らく私の人生の中で一番影響を受けたであろう人物と31年振りの再会を果たした...。

 その前日は恒例の「関西セッション」に参加したということも、それはそれで平々凡々な毎日を送る私には大きなイベントであったのだが、その翌日、遥か昔、少年時代を過ごした守口市に私は向かい、そっして小学校時代の5年、6年の担任の先生であった我が恩師、寺尾忠彦先生とお会いすることができたのだ...。

 前日のセッションで一緒になった旧友甲斐君と共に神戸のホテルを出て、そして大阪駅近辺で彼と別れ、そして私は、2歳から12歳までを過ごした守口に向かった。

 寺尾先生との約束の時間まではまだかなり時間的な余裕があるということで、私は昔住んでいた近辺、私の母校である「守口市立八雲小学校」、それから中一の途中で転校となった中学校を訪れた。

 大学に入った頃に、実はこの近辺を訪れたことが一度ある。その時は「お〜、懐かしい〜! 6年振りだ〜!!」という印象が強かったのだが、今回は自家用車で時折、停車しながらも広範囲(?)を廻った。
 
 最初の思い出と呼んでもいいような昔住んでいた地区。う〜ん...。こんなに狭かったのか...、という印象である...。
 当時住んでいたのは、いわゆる「文化住宅」であるが、早い話、「長屋」である。(爆) で、その家にはお風呂などなくって、近くの銭湯まで歩いていったものだ。冬の寒い日など、そのお風呂屋さんに行くまでの道のりが長くて、そして寒くて億劫だったのだけれども、う〜ん...、こうして確認すると僅か30メートルほどの距離だ...。(爆)
 昔、私にとっては「遠出」に思えていた淀川沿いの神社。金澤君の家がすぐそばにあったんだけれど、これも今の私には「至近距離」である...。昔遊んだブランコ、もう撤収されていたりして、そこに佇み、ぼぉっとする...。
 最初の家はもう、「阪神高速」の建設のために立ち退きになってしまったんだけれど、その後引っ越した近くの家(これも、ある意味、長屋(笑))を、記憶を辿りながら探してみる...。まだ建っているのかな...(爆)

 あった...。あんなに広いと思っていた道も、セリカでどうにか入っていけるけれども離合などもできない狭さだ...。
 母校の小学校はあいにく運動会の日らしくて、中に入ることもできない...。あんなに広いと思っていた(笑)運動場も、今の私からすると「おいおい...、これは広めの庭、って感じじゃん...。」という感じだ...。

 ついでに中学校も訪れてみようと思い、セリカにて移動。「あ〜...。1年の冬休みが明けて、そして1月末に九州に転校していったんだよなぁ...。このグラウンド、バレー部の練習の時に何周も走ってたなぁ。」などと感慨に耽る...。

 時間も迫ってきたということで、(薄くなった)後ろ髪を引かれつつも、京阪電車の守口駅近くに向かう。近くのデパートの駐車場に車を入れ、約束の午後1時半ちょっと前に、指定の場所に。

 お会いしたら何て言えばいいんだろ、などと考えながらホテルに向かう。寺尾先生の前ではタバコなんて吸えないから(笑)、建物の脇に行って、一服し、心を落ち着ける。(笑)
 そして思い切ってロビーに入る。
 お...? あの柱の脇のソファーに腰掛けている男性、寺尾先生では...?(涙)
 そして、現在72歳になられた先生が「おお...。N君か...?」と声をかけて下さった時、もう、胸がいっぱいで何も言えず、ただただ溢れてくる涙を拭うしかなかった...。(笑) 
 その後、同じクラスだった女子(笑)のNさんも加わり、最上階のレストランで豪華なランチを食べながら歓談。>結局、ご馳走になってしまったのだが...。(爆)

 とうに忘れていた小学校時代の色んな話、そして(私にとっては初耳(笑)であったが)小学校5年、6年の頃の私の(先生から見た)様子や印象などを聞き、赤面の至り。

 話は尽きないところであるけれども、車で広島に戻るという私を気遣って下さって、午後4時過ぎにレストランを後にし、そしてデパートの地下街でお土産まで買って下さって(爆)、そして「また、必ず遊びに来ます。」と約束してお別れする。4時半過ぎ、高速道路に乗り、広島に向けてひた走り、午後8時半過ぎには自宅到着。

 実は(?)寺尾先生との連絡手段としては「携帯電話のメール」でのやり取り(爆)が中心となっていて、早速、無事に帰着したことをメールで送信。すぐさま、「無事に到着とのこと、安心しました。」という心のこもったメッセージの返信。(号泣)

 本当はまだまだ寺尾先生のことで書きたいことはあるんだけれども、この「くまきの部屋」のこともご存知のようなので(爆)、これ以上の詳細なことや私の思いは控えておきたい...。

 今の私が、もう少し限定して言うと、私が教職に就いているというのも、もとをただせば寺尾先生のお蔭である。そして私自身は自分が「非常に熱心な、いい先生」であるとは思っていないのだけれども、もしも万が一(爆)、私の教え子の中に私のことを「いい先生だ。」と評価してくれる者がいたとしたら、それは寺尾先生のお蔭である...。

 以上、一年以上経って、やっと客観的(?)に書けるような気がして書いてみました。
(2005年11月30日 書き下ろし)

その86 一体、どういうこと?
 ということで、時流に乗って書いてみたい。(爆)

 先日、元、礼宮(<ん? こういう漢字だったっけ?)さん(笑)のところに第三子が誕生したそうで。そうかぁ、上の二人は女の子だったのか、と、今回の騒動を見て再認識(というか、初めての認識(?))をした私であるが、ネット上のニュースで、面白いものを見つけた。で、以下、勝手に転載する。(爆)

---以下、転載---
「めでたいの?」発言で 乙武ブログ炎上 (J-CAST)
乙武洋匡さんのブログが炎上している。秋篠宮ご夫妻の男子誕生をめぐる一連の報道に疑問を感じた、という乙武さんのコメントがきっかけだ。乙武さんはブログ上で「お詫び」を掲載したが、それにもかかわらず炎上は止まらない。

炎上したのは「乙武洋匡オフィシャルサイト OtoZone」。2006年9月7日の「紀子さま出産」と題した文章

乙武さんは「深くお詫びします」と謝罪
「世間は昨日から『めでたい、めでたい』と騒いでるけど……ひとつの命が誕生したことがめでたいの?」
 とのコメントを乙武さんが書き込んだところ、06年9月8日夕方時点で900件近いコメントが寄せられた。そして、その数は時間の経過とともに増えている。そのコメントの大半は、「正直少し嫌な感じがしました」「どうして、まずは素直におめでとうという言葉がでないのでしょうか」「乙武よ…お前にゃ本当に失望した」など、乙武さんに批判的なものだ。

 この炎上を受け、乙武さんは同日「深くお詫びします」と題し、次のように謝罪している。

「まず、今回、親王のご誕生を『めでたくない』と考えているように受け取られる文章を書いてしまったことを、深く、深く、反省しています。むしろ、僕は親王のご誕生を『おめでたいこと』『よろこばしいこと』だと思っています。(略)ところが、ご誕生を受けてのマスコミ報道や世論には、少なからず『男の子でよかった』という風潮が感じられました。そのことに、僕は抵抗を感じてしまったのです」

「炎上」ぶりに抵抗を感じる人も
しかし、こうした「お詫び」にも関わらず、この文章に対しても批判のコメントが続々と書き込まれている。「このお詫びの文章も酷いね」「反響を呼んだから謝罪するんだ。何も言われなかったら知らんぷりする気だったんだ。で、謝れば済まされると思ってるんだ」「言い訳してももう遅いよ」など厳しいカキコミが見つかる。

一方で、一部の誹謗中傷に近いカキコミや、異様ともいえる「炎上」ぶりに抵抗を感じる人も少なくないようだ。

「とりあえず、以下の連中は過剰に叩きすぎこれが集団行動の心理という奴か」「皆さんすごい叩きっぷりですね。お詫びをしなければ叩き、お詫びをしても叩く。ネット右翼の方たちは本当に精力的でいらっしゃる。」「2chのこういうブログ突撃はお遊びでやってます。彼らは初めから乙武さんの言いたいことはわかっていて言葉足らずを攻撃し、終わったら『ああ面白かった。すっきりした。』で終わりです」
---以上、勝手に転載---

 ん〜、何だかなぁ、というのが私の正直な感想だ...。

 天皇家に新しく子供が生まれたことについては、私としては、特別めでたいことでもないし、かといって、悲しく思いたいことでも何でもない。むしろ、先週、妻の元教え子たちが3人、交通事故で亡くなったことのほうがインパクトの強い出来事だ...。

 皇室関係についての私の意見は既に述べたんで繰り返さないが、天皇制に関してよく話題になる「万世一系」ってのが私には理解できない発想だ...。
 誰だって、今、生きている以上(というか、生まれた人には)、必ず、父がいて、母がいて、そして、その父や母にも、必ず父がいて、母がいて、そしてまた、以下、略。(笑)

 私は日本史に疎いけれど、女帝って、今までにもいたはずだし(推古天皇って、女性じゃなかったっけ?)、今回の皇室典範の見直しがどうのこうの、っていう議論もよく分からない。

 などと書きつつ、数日が過ぎた。(爆)

 ええっとぉ〜、何だったっけ、つまんない話題だったはずだが。>ということで、上を読み直す。

 あ、なんだ、皇室関係か、ほんと、どうでもいいや。(爆)

 そうそう、一昨日だったか、家族で夕食を食べていたとき、皇室関係の話題が出て、そして直系の浩宮(今の名前、何だったっけ?(爆))の所と、今回の男児を出産した礼宮(今は秋篠宮か?)の所の財政(?)というか、給付金の違いが報道されていた。
 前者は数億円、後者は数千万円というような内容だった。(爆)

 う〜ん...。

 私のところ(私はしがない私学、妻は公務員)のところの収入、二人合わせても到底張り合うことのできない金額だ...。

 何だか腹が立って来たぞ...。(爆)

 この日本、私の祖国だし、好き嫌いを超えた存在であるけれども、民主的な国家じゃなかったのか...?

 私自身、社会の裏表を知っている訳でも何でもないけれども、間違いなく、毎日の暮らしにも事欠くような家庭がた〜くさんある一方で、皇室関係には数億円ものお金が流れている現実...。

 これって一体、どういうこと...?
(2006年09月11日 最終的に(?)書き下ろし) 
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その87 英語なんて、英会話なんて、どうでもいいじゃん...。

 う〜ん、このコーナー、前回の更新が「2006年09月11日」なのか...。ってことは、7年半ぶりの更新...? ま、これもどうでもいいけど...。

 ま、色々とありながらも HASENOBU は生きているってことで。(笑)

 さて...。

 タイトルに記した通り。中学1年生で英語を学び始めて、そして40年以上が経ったところであるが、もう、何が何だか、という状況...。あ、いや、英語が分からないとか、難しいとか、そういうことではなくって。(笑)

 個人名を挙げる必要はないから挙げないけど、何かと目にする「D.T」という外国人。アメリカ人なのかな? タレントなのか何者なのか知らないけども、その「D.T」さんも絶賛の英語教材、とかで名前だけは知っていて、また、書店などでその人名義の本も見かけたこともある。>というか、図書館で借りたこともあるけど。

 その「D.T」さん、いや、おそらく、この手の(英語の)「伝道師」っぽい人(笑)は、もっと他にもいるんだろうけど取り敢えず(?)代表として、その人を槍玉に...。(爆)

 ま、最近の文部科学省も何を考えているのだか、って感じだけど、それはさておき。

 その「D.T」さん、日本人の英語、あるいは日本の英語教育に色々と文句が言いたいらしい...。

 たとえば、これはとある英語教材の新聞紙上の文面であるけれど:(あ〜、こんなのをキーボードを叩いて入力するのも腹が立つ!)

 例えば、日本人は "Thank you." と言われると、必ず "You're welcome." という回答しかしないんですよ。でも、実はアメリカでは "No problem." や "That's OK." の方がよく使われてるんです。**(<英語教材名)では、アメリカで使われている日常会話を収録しているので、学校で習う英語ではなく、実践的な英語、「生きた英語」が学べるんですよね。

はぁ...、そうですか...。それで?(笑)

 無視されずにちゃんと英語で "You're welcome." と答えてもらっただけでありがたいとは思わないのですか?(笑)って、もちろん、ここでの「日本人」がどこで会話しているのかは分からないけども、どうも、この人(「D.T」さん)の語り口からすると、「英語を母語とする人が、日本にやって来て、そして日本人に英語で話しかけ、その応対に対して、いちゃもんをつけている」というような構図が浮かび上がってくる...。

 あのね...。確かに日本は、アメリカに嵌められて第二次世界大戦に関わりましたよ...。そしてアメリカのシナリオ通りにやっつけられました。(しかも、「原子爆弾」を2発、浴びせられて...。)
 そして、一時期、アメリカ様の支配下に陥りました。それはその通りだと思います、はい。

 だけど、それでも声高に言いたいのは、日本はアメリカの植民地ではないこと。そして、当たり前だけど、「英語」が日本の至る所で通じる言語ではないこと。<法律では制定されていないけれど、日本国内では、いわゆる「日本語」が共通の言語として慣例的に使われているというのが実情。

 って、話はそれたけれど、う〜ん、この「D.T」さん、何だかなぁ〜...。

 さっき(笑)、アマゾンから「お勧めの書籍」みたいなメールが届いて、出てきたのが「なぜ日本人は『わきの下』も英語で言えないのか?」というタイトルの本...。その副題は「学校では教えてくれない英語基本表現1200」だって...。(爆)

 繰り返して言いますが、日本はアメリカの属国ではありませんし、植民地でもありません、たぶん。(笑)

 だから、そういう単語や表現を知る必要も、使う必要もありませんから。(笑) って、それこそ(?)どんな場面で使うんだろ、わきの下って?

 うん、これはこれで面白いかもね。普通に考えると(最近は少なくなったけど)体温を測る時に、「あ、その体温計はわきの下に挟んでね。」と指示する状況は、自然かな。他にはどんな場面だろう...? 虫か何かに刺されて「あ〜、わきの下がかゆい!」とか、夏、じめじめしていて「うわ〜、わきの下、じとっと汗をかいちゃったよぉ〜...。」くらいかな...?

 ま、想像力を逞しくすれば、「私はわきの下に挟んだUSBメモリをそっと彼に渡した。」とか、「なかなか口を割らない犯人を縛り上げ、わきの下を毛筆でくすぐることに決めた。」とか、色々出てくるだろうけど...。

 とにかく!(笑)

 「なぜ日本人は『わきの下』も英語で言えないのか?」って言われてもね...。想像つかないのかな?(笑) 言う必要ないからに決まってるじゃん。そんな単語を覚える理由がないから、じゃん...? 何でそんなことも分からないのかな...? 

 当然、学校の英語教育において教える必要もありません〜。と言うか、日本に来るのなら、「わきの下」という日本語を覚えてから来てくださいね〜。(笑)<もう、これに尽きる。(爆)

 あ、今ので思い出したけど、かの有名な「服部君射殺事件」の時、撃った犯人が近づいて来る(仮装をした)服部君に向かって "Freeze!" と繰り返して言ったのにも関わらず、どんどん近づき、銃で撃たれて亡くなった、ということで、誰だったか、テレビの(無責任な)コメンテイターが「どうして日本の学校でそういう表現を教えないのか? 『止まれ!』という大事な表現を?」みたいなことを言っていて、あきれ返ったことがある...。日常生活の中で、銃口を向けられる可能性が皆無に等しい平和な日本の社会において、どうして「銃を向けて、動くなと命令する時に、英語では "Freeze!" と言う。」みたいなことを私たちが学ばねばならないのだ...?(爆)

 う〜ん...。書いていても虚しさの方が先行してしまうんだけど、何だかねぇ...。

 この「D.T」さん、別の著書では、 How are you? と尋ねられて I'm fine, thank you. と返答する日本人(の英語)にいちゃもんをつけてる。「テンション、低すぎ。」って...。

 「馬鹿か、お前は...?」って思いましたが、常識を弁えた私はそんなことは口にしませんとも。(笑)

 そもそも、日本語が日常言語として使われている日本に来て、何で英語を使うの? そういうことが傲慢だって思ったりすること、ありませんか...?(笑)

 って、思わないんだろうな...。(笑)

 立場を変え、もしも、日本語を母語としない外国人が(<って、ほとんどの外国人は日本語を母語としてないと思うけど(笑))、たどたどしい日本語で私(たちに)話しかけてきたとしたら、私たち、心優しい日本人は、どう応じると思いますか?

 少々の言い間違いや語法の奇妙なところは「うんうん...。」と胸に秘めて、「あ、それだったらですね、〜〜。」と答えるのではなかろうか? 「ん? その表現、ダメ! それって、命令してるように聞こえるよ。私に指図するつもり?」とか応じますか...?(爆) ま、そういう反応をする人がいるかもしれないけど、それを「言上げ」して「著書」を仕上げるような人は居ないと思うんですけどね...。ま、居るとしたら、HASENOBU みたいな変わり者かな?(笑)

 ま、どうでもいいけどね、こんなこと。
(2014年03月15日 書き下ろし) 

hanko

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